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月と紡ぐ物語  作者: 柚みつ
日差しの中の旅立ち
3/61

3.

 夕食時と呼ぶにはまだ早い時間、だけど上の階まで漂ってきていた美味しそうな料理の匂いに誘われたかのように食堂には少なくないヒトがいた。

 宿泊とは別に食事だけのお客さんもいるようで、大きな荷物を持っていたり、冒険から帰って来たような装備をつけたままだったりするから宿に併設している食堂にしては広いのに、今はちょっとだけ狭く見えた。

 席あるかな、と見渡せば物陰になっていて見えづらかったのか、たまたま二人掛けのテーブルが空いていたのでサッと陣取る。そうしてヴォルフと二人、テーブルに体重を預けるようにして一息ついてからホールでくるくる踊るように配膳している猫耳の女性に声をかけた。


「すいません」

「はーい! あ、お泊りのお客さん? それなら赤いメニューのどれを選んでもパンとスープが付くから好きなものを選んでね。

 青いメニューは別料金。うちのご飯は結構量多いけど、足りなかったら追加をお願いします」

「ありがとうございます。決まったら声を掛けますね」


 にっこりと説明してくれた女性にお礼を言ってから、手渡されたメニューを開く。載っているのは、名前を見ればどんな料理か分かるものばかりだった。旅を続けていくうちに、知らない料理に出会うこともあるだろうけれど、旅立ってすぐからそればかり、というのはさすがに遠慮したい。一通りメニューを確認したところで、赤い方をヴォルフに手渡す。もし追加をするのでも、まずはこっちを食べてからでもいいだろう。


「フード、外さなくても見えるかしら」

「この程度なら問題ない」


 町にいるときにそうじゃないかなと思っていたのだけど、ヴォルフは自分の姿を晒すのが苦手だ。直接そうだと聞いたことはないが、こうして初めて行く場所であったり、初めて会うヒトがいると分かっている時はフードを被って自分の黒髪と銀の瞳を極力見せないようにしている。

 そう思ったきっかけは、いつだったか町に久しぶりに帰って来たロイドと鉢合わせたのを見てから。それはもう、すごい反応をしたものだ。


「わたしはもう決めたから、終わったら教えてね」


 小さく頷いたヴォルフの表情は、正面に座っていてもフードに隠れて見えない。尻尾や耳で感情が分かる獣人も多いけれど、ヴォルフはそれも隠すのが上手なのでゆっくり待つことに決めた。そうして、ロイドと出会った時のことをぼんやりと思い出す。


 誰にでも朗らかに挨拶をするロイドが、わたしと一緒にいたヴォルフを見た瞬間に固まって、その態度をこちらが疑問に思うよりも早くピコピコと楽しそうに動かしていた耳を伏せ、目の前にいるヴォルフを警戒したように尻尾を揺らしていたのだ。

 久しぶりに会ったわたしが記憶の中の姿よりも大きくなっていたからだろうか、と首を傾げていたら何かを言いたそうに口を開いたロイドを後ろから誰かが引っ張って隅に連れていってしまったので、何を言いたかったのかを聞くことはなかったのだけれど。

 首を傾げたまま視線を上に向ければ、ヴォルフが険しい表情をしていたからきっとその顔に驚いたのだろうと思ったのを覚えている。

 その後、町でロイドとすれ違ったり話していたりしてもヴォルフがあの時のような表情を見せることはなかったし、ロイドも初めて会った時のような態度を取ることもなかった。


 それからよく見てみれば、町に住んでいるヒトと話すときと、町にやって来たヒトと話すときではヴォルフの態度が違っていた。具体的には、今みたいにフードを被って、自分の姿を出来る限り見せないようにしている、と。

 夜を集めたような黒い髪も、その中で瞬く星のような銀色の瞳もわたしはとても好きな色なんだけど、ヴォルフが見せないようにしているならそれはわたしが口を出すべきところではないと思っているから。


「ヴォルフ決まった?」

「ああ、これを頼む」

「分かったわ。あ、お願いしまーす」


 ぼんやりと昔の事に意識を飛ばしていたわたしにも分かるように、パタンと少しだけ大きく音が鳴るようにメニューを閉じたヴォルフに声をかければ、短い返事。さっきの女性が忙しい中でもこちらを気にしてくれていたのは視線で分かっていたので、ちょっとだけ手を上げてから声をかける。

 にっこり笑ってメニューを下げた女性を見送り、それから他愛もない話をしながら待つことしばらく、頼んでいた料理が運ばれてきた。


「お待ちどうさま! たっぷり野菜のシチューとチーズ乗せハンバーグよ。ごゆっくりどうぞ!」


 最初にどんとテーブルに置かれたシチューのお皿の大きさに目を丸くしていると、次いでわたしの拳よりも大きいんじゃないかと思うサイズのハンバーグが運ばれてくる。それから、付いてくると言っていたパンが二つ。なんとパンは一つなら無料でお代わりできるそうで、この料理の多さはパンをお代わりすることを前提としているとしか思えない。


「シチューはスープの代わりにデザートなのね」

「お前が子供に見えたんじゃないのか」

「あと一年で成人よ! それに、お前じゃないって言ってるじゃない」


 抗議はいつものように流されてしまったけれど、明らかにわたしの許容量を超える料理の多さに何も言わずにさっとパンを持っていくところなんかは、確かに優しい。

 優しいのだけれど、その時に一瞬見せた表情に、このくらいの量も食べきれないのかと言われているような気もして。悔しいので、明日のご飯は全部自分で食べきってみせようと決心して、今日はどう頑張っても食べきれないだろうからパンはヴォルフに譲ることにした。


 わたしがそんな決心をしているなんて思ってもいないだろうヴォルフは、さっさとハンバーグに手を付け始めている。じっくり焼かれていい色になったハンバーグには、とろりとしたチーズがたっぷりかかっていて、ナイフを入れて切れた断面を隠すように流れている。

 それを掬いあげるようにして肉と一緒に口に入れれば、想像するだけで美味しいのが分かる。ヴォルフが何も言わずに次々とハンバーグを口に運ぶ姿は、わたしの想像が間違っていなかったことを確信させる。

 フードを被っていて表情が見えなくても分かる、美味しいと表現しているその様子をずっと見ているわけにもいかないので、わたしも自分の前に置かれた深皿にスプーンを入れる。

 ごろっと大きめに切られた野菜は角が取れて丸くなっているから柔らかく煮えているのだろうとは思っていたけれど、スプーンだけで抵抗なく一口サイズに分けていけるくらい時間をかけて煮込んであるようだ。


「んー、美味しいわ」


 じゃがいもはトロっと口の中で溶けて、ミルクをたっぷり使ったシチューとの相性は抜群だ。色鮮やかな人参も歯ごたえは残しつつも柔らかく、表面に焦げ目のついた肉は臭みなどなく優しい味わいの中で力強く主張する。材料は同じなのに、わたしが作ってもこうならないのは大量に作っているからかそれとも料理する人の腕か。どちらも必要だとは分かっているのだけれど、こんなに美味しいシチューに巡り合えたのだから、少しはこの味に近づけたいと思うのはきっとわたしだけではないはずだ。


「いい宿を紹介してもらえたな」

「そうね、これであの料金ならやっぱり安いわ。おじさんに感謝しないと」


 わたしがシチューを食べ終えて、ようやくデザートに手を付けようかとしている時にはヴォルフの前のお皿は空っぽになっていた。追加を頼むかとも聞いたのだけれど、あまり動き回っていないから今日は大丈夫だと返って来た。

 明日はこの町を時間の許す限り見て回って、場合によっては夕食は別の場所で取ろうかとも考えていたけれど、メニューも多いし味も文句なしなら明日の食事もここでいいだろう。

 というか、明日もここでないとヴォルフを見返すことが出来なくなってしまう。


「ごちそうさまでした」

「ありがとう、量は足りたかしら?」


 注文をお願いした女性がちらっとヴォルフの方を見ながら声をかけてくれた。わたしがヒト族なのは分かるから、食べる量は何となく分かるだろうけれど、ヴォルフはフードを被りっぱなしだから種族が分からなかった、というのもあるのだろう。ゆっくりと頷いたヴォルフを見て、満足いく量だと判断した女性がもう一度お礼を言ってくれたのにこちらも頭を下げて返す。

 女性はそれから何かを言いかけたけれど、若干騒がしくなった気配を感じ取ってくるりと踵を返した。お酒でも入って気が大きくなったのだろうか、話し声というよりかは怒声が混じり始めたので騒動に巻き込まれないうちにわたし達も宛がわれた部屋へと戻る。

 それなりになら対処の方法は学んでいるけど、自分から首を突っ込みに行きたいかと聞かれれば答えはノーだ。揉めると分かっていてその場に留まる程、野次馬根性に溢れているわけでもない。


「いいお湯だったわー! ヴォルフは良かったの?」

「ああ、湯はもらってきたからな」


 おじさんがこの宿を進めた理由は、料理の美味しさだけではなかったようでなんとお風呂もあったのだ。大浴場で男女それぞれ一つずつの簡易的なものだと言っていたけれど、あると思っていなかったのでそれを聞いて飛び跳ねて喜んでしまうくらいには驚いた。リュムは雨季があるからどの町でもそれなりの宿屋にならばお風呂は備わっているそうで、別にこの町の宿屋が特別というわけではないみたいなんだけど。

 お湯に浸かる、ということが苦手な獣人も確かにいるからお湯をもらって体を拭くだけにも対応しているそうだけれど、料金はどっちでも一緒だというのならば迷わずに大浴場を選ぶくらいにはお風呂は好きだ。

 食堂とは反対側だけれど、まだあの騒ぎが続いていたら面倒だなと行く時は構えていたのに、まさかの貸し切り状態でお風呂を楽しんで部屋に帰る時には、そんな騒動があったこともすっかり忘れてしまうくらいに満喫して、湯上りの少し火照った体もそのままにベッドに飛び込んだ。


「明日は朝から動き回るつもりなんだろう? 今日はもう寝ろ」

「いつもよりも、まだ早いわよ……」

「自覚がなくても疲れは出てるはずだ。それとも、添い寝しないと寝れないか?」

「一人で寝れるわよ! お休み!」


 揶揄うような口調だったから遊ばれているとは分かったけれど、反射的に布団をかぶってしまえば薄暗くなった視線も相まってどんどん眠気がやって来る。

 あの町を出たのは久しぶりだったから、ヴォルフの言う通り自覚はなかったけど気を張っていたりして疲れはあったのかもしれない。それでも、もう少し言い方ってものがあっただろうなんて思いながら、あっという間に寝入ってしまった。



ハンバーグは目玉焼きを乗せるのも好き。おろしとシソとポン酢はお友達。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 食レポと宿屋レポが上手(*´ω`*)  ※私もシチューに入れる肉は、先に焼いて焦げ目をつける派です。 ここまで読んできて、この小説がすごく好きになりました。これは最後目で読まねば。
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