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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雨の中、二人、同じ傘の下

「あっ! お店潰れちゃってたんだ。ここでよく買い食いしてたよね。あ~あ、ここのみたらし団子美味しかったのになあ」


「ああ、うん。そうだね」


「サヤちゃんはここにあった紫陽花覚えてる? 下校中に二人で良く眺めてたよね」


「そりゃあ覚えてるけど……」


「……これって、小学四年生の時にわたし達が植えたハナミズキだよね。植えた時はあんなに小さかったのに、いつの間にか身長追い抜かされちゃってる。それだけ時間が経ったってことだよね。懐かしいなあ」


 夏希は立ち止まると、歩道の一角に育つハナミズキを見上げてそう言った。


 さっきの紫陽花や潰れた団子屋の時と同じように、彼女の目はハナミズキだけじゃなくて、小学校の頃の思い出も捉えているみたいで。


 わたしも夏希が見ているものと同じものを見ようと、集中して……。


 けれど、アスファルトに打ち付ける雨の音と、雨水が染み込んだブーツの、ぐしょりとした感触に気を取られてしまって、集中なんて出来なかった。


 ……好きでこんな雨の中出歩いているんじゃない。こんな雨のなか歩かされているのは、いつものことだけれど夏希の突拍子もない思い付きのせいだ。


 なんにもやることがなくて、一度読んだ漫画を読み返していると、夏希から『小学生の頃の思い出の場所巡りしよう』なんてメッセージが唐突に届いた。


 暇だったし、小学校の頃の思い出巡りなんていうのは夏希にしては洒落ていて、面白そうだなあとは思ったけれど、それが雨に濡れてまでまでやりたいことかと言われたら。


 まあ、わたしの答えはノーだった。雨の日に出掛けることなんてほとんどないから、傘以外の雨具なんて持っていないし。


 だから『明日で良くない?』って断ったのだけど、『思い立ったが吉日だよ!』なんて言われて押し切られてしまった。


 いや、押し切られたというよりは、わたしがすぐに折れただけか。


 経験上、こうなった夏希はなかなかに曲がらない。そのまま抵抗を続けていたとしても、結局は押し切られていたことだろう。


 そうして、夏希の思い付きに付き合うことになったのだけど、ちょっと嫌気が差してきた。


 この雨の中、嫌気がちょっとで済むだけ褒めて欲しい。


「あのさぁ……わたしも小学校の通学路を通るのなんて、えーっと、五年ぶりか。で、懐かしいなあ、とは思っているのだけど。……でもなんでこんな雨の日に? 明日で良かったでしょ」


 そう聞くと、夏希はなぜだか深呼吸をして。


 それから真っ直ぐな視線を、こちらに向けて。


「ううん。今日じゃなきゃダメ」


「えっ、ダメなの」


 予想と違う返答に、わたしは思わずたじろいだ。


 いつものように、なんの計画もない単なる思い付きなのだと勝手に早合点していた。早合点してしまったのは、普段の夏希の行いのせいでもあるのだけど。


 ……雨が降っていても外せないほどの何か、そんなものあっただろうか。それになんで今年だけ。


「今日って、なにかの記念日とかだった? ごめん、なにも覚えてない」


「そう……だよね。うん。覚えてないだろうなあ、とは思ってた。……うん、思ってた」


 ……この心に深手を負っていそうな様子をみるに、どうやらわたしはなにか大切なことを忘れてしまっているらしい。


 どうにか思い出そうとして、けれど、中々思い出せずにいると、そんなわたしの様子を見てか、夏希がゆっくりと話し始めた。


「七年前の今日。その日はお昼ごろから雨が降ってきてたんだけど、わたし傘忘れちゃって。で、帰るときにサヤちゃんに『傘入れて~』ってお願いして……その、二人で相合い傘することになって……」


 夏希はそこで一度話を止めて、こちらに目を向けた。多分、わたしが思い出したのかどうか確認するために。


 なら思い出したのかというと、まあ、おぼろげではあるけれど思い出してきた。思い出しては、きたのだけど……。


 そんなこともあったなーなんて思うぐらいで。それ以上のことがなにも思い出せない。


「ほんとごめん。相合い傘のことしか思い出せない」


「相合い傘のこと思い出してくれたならいいよ。そこ忘れられてたのが、ちょっと……うん、ほんのちょっとショックだっただけだから。それに、それから先のことはあの時サヤちゃんにとって本当になんでもないようなことだったと思うし」


 そこまで言うと、夏希は何故か決心するみたいに深呼吸をして話を続けた。


「それからなんだけど、わたし相合い傘ですごくドキドキしちゃって、この辺りに来たとき、つい勢いで思ってること言っちゃったんだ『サヤちゃん、好きだよ』って。あの時のサヤちゃんは友達としてなんだと思っちゃったみたいだけど」


 つまり、これは……。


「でも、今のサヤちゃんなら、それがどういう意味だったのか分かって……くれるよね?」 


 ──これは、告白なんだ。七年前にもらえなかった返事を、受け取るための。


 だけど、わたしはそれになんと答えれば良いのだろう。告白なんて、そんなもの今まで一度もされたことがないと思っていたし。

 初めての告白が、大親友の夏希からだなんて。


 いくつもの考えが、雨音なんか聞こえなくなるくらいに、わたしの頭を埋め尽くしていく。


 ……断る? わたしは、……そっちの人というわけではないから、付き合ったとしても夏希の望む形にはならないだろう。

 そうなってしまうくらいだったら、断った方がわたしにとっても夏希にとってだって良いはずだ。


 ……でも、断ってしまったら夏希はショックを受けてしまうだろう。

 さっきから、夏希が今までに見せた、悲しそうな表情がいくつも脳裏に浮かび上がっては、わたしの理性を鈍らせていく。


 それに断ったら、夏希との関係はどうなってしまうのだろう。今の関係のままでなんていられない。


 そうして拗れてしまった関係を維持しようとしても、関係の糸は段々とほつれてちぎれていって、いつの日かプツン、と途絶えてしまいそうで。


 ……それは嫌だなあ。


 そうやって悩んで、出た言葉は。


「……分かった。いいよ、夏希なら」


 わたしも夏希も幸せになんてなれない、ただその場しのぎするためだけの言葉だった。


 返事を聞くと、夏希は想いが通じてよほど嬉しかったのだろう、傘を投げ捨てて一目散にわたしに抱きついてきた。


 ──七年前と同じ、相合い傘だ。

 わたし達の関係だけが、大きく変わってしまっていたけれど。


 触れ合っているところから、夏希の体温が直に伝わってくる。


 ……あったかい。


 雨の日には似合わないその暖かさに、かえって熱を持たない心が浮き彫りになる。


 ふと雨の音に混じって、自分のすぐ後ろで夏希がすすり泣いていることに気が付いた。


 抱きつかれていて良かった。


 だって、嬉し涙を流す夏希を見たら、目を逸らしてしまっていただろうから。




─────────────────────




「あっ! お店潰れちゃってたんだ。ここでよく買い食いしてたよね。あ~あ、ここのみたらし団子美味しかったのになあ」


 わたしにとっては、こんな大雨の中でも思い出に浸れるような、そんな思い出がたくさん詰まった場所。


「ああ、うん。そうだね」


 でも、サヤちゃんの返事はそれだけだった。


「サヤちゃんはここにあった紫陽花覚えてる? 下校中に二人で良く眺めてたよね」


 ここもそうだ。梅雨が近づく度に二人で咲いてないか、毎日寄り道して見に来たり。


 紫陽花に見とれていたら、葉っぱの裏から突然カタツムリが出てきたから、びっくりして後ろに仰け反って。それから、サヤちゃんの服の裾を思わず掴んじゃって、二人で転けてびしょ濡れになっちゃったり。


 昔ここであったことを一言一句違わずに……は無理だけど、大体の内容は覚えている。


 でも、多分サヤちゃんはここに来てたことしか覚えていないだろう。


「そりゃあ覚えてるけど……」


 そうやって、来る前から覚悟していたことなのに、困惑が形をとったような素っ気ない返事を聞く度に、心にチクチクとした感触が増えていく。


 でも、それと同時にこうも思う。


『それなのに、雨の日の突然の誘いに乗ってくれるなんて、わたしのこと、ほんとに好きなんだなあ』って。


 そうやって言うと、サヤちゃんはいつも『夏希がしつこいから』って返すけど、それは違う。


 サヤちゃんが断らないのだ。


 本当に嫌だったら嘘を吐いたりして断るはずなのに、サヤちゃんは嫌がる素振りを見せるだけで、いつも着いてきてくれる。


 今だって、雨の中結構な距離を歩いたから、ブーツの中はとっくにぐちょぐちょのはずだ。


 それなのに、サヤちゃんはいつものように隣にいてくれる。


 横を向いてそのことを確認する度に、熱いドロドロとしたものが心の内を駆け回って、胸の辺りがなんだかむず痒くなる。


 そうこうしている内に、目的の場所にたどり着いた。


 七年前、サヤちゃんに告白した、思い出のハナミズキだ。


 けれど、踏みつけたら簡単に折れてしまいそうなほどか細かったハナミズキは、いつの間にか見上げられるほど立派になっていた。


 サヤちゃんは、もうわたしと同じものを見てはいない。


 わたしの純粋だった恋心は、それが報われないと知って黒く濁っていった。


 あの頃と同じものは、もう何一つとして、残ってはいなかった。


「……これって、小学四年生の時にわたし達が植えたハナミズキだよね。植えた時はあんなに小さかったのに、いつの間にか身長追い抜かされちゃってる。それだけ時間が経ったってことだよね。懐かしいなあ」


「あのさぁ……わたしも小学校の通学路を通るのなんて、えーっと、五年ぶりか。で、懐かしいなあ、とは思っているのだけど。……でもなんでこんな雨の日に? 明日で良かったでしょ」


「ううん。今日じゃなきゃダメ」


「えっ、ダメなの」


 それを言ったサヤちゃんは、今日じゃないとダメだったことに驚いたのか、少し目を見開いていた。


 それから、「今日って、なにかの記念日とかだった? ごめん、なにも覚えてない」と、ごく自然な様子でそう言った。


 ……そっかあ。……覚えてないかあ。


 あの日の相合い傘だって、わたしの告白だって、サヤちゃんにとっては思い出でもなんでも無い、単なる日常の一ページなんだ。


 やっぱりわたしとサヤちゃんの好きは違う。


 分かってはいたし、覚悟もとっくに決めてたつもりだったけど……別に目が悪いわけでもないのに、サヤちゃんの顔がなんだかぼやけて見えた。


「そう……だよね。うん。覚えてないだろうなあ、とは思ってた。……うん、思ってた」


 サヤちゃんは優しいから、目をつむってあの日のことを頑張って思い出そうとしてくれた。


 けどそれは、いわばさっきの推測の証拠のようなもので、サヤちゃんの思いと反対にわたしの心はより深く抉られてしまっている。


 せめて相合い傘のことだけでも思い出してほしい。これからすることへの罪悪感も、少しは減るだろうから。


 深呼吸をして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「七年前の今日。その日はお昼ごろから雨が降ってきてたんだけど、わたし傘忘れちゃって。で、帰るときにサヤちゃんに『傘入れて~』ってお願いして……その、二人で相合い傘することになって……」


 思い出したかどうか確認するために、サヤちゃんをじっと見つめる。


 サヤちゃんはなんだかばつの悪そうな顔で。


「ほんとごめん。相合い傘のことしか思い出せない」


「相合い傘のこと思い出してくれたならいいよ。そこ忘れられてたのが、ちょっと……うん、ほんのちょっとショックだっただけだから」


 忘れられてたことはショックだったけど、今からわたしがすることと比べたら、ほんのちょっとのこと。


 むしろわたしが、これからやろうとしていることを謝らなきゃいけないぐらいに。


「それに、それから先のことはあの時サヤちゃんにとって本当になんでもないようなことだったと思うし」


 深呼吸して、あらかじめ何回も練習しておいた言葉を繰り返す。


「それからなんだけど、わたし相合い傘ですごくドキドキしちゃって、この辺りに来たとき、つい勢いで思ってること言っちゃったんだ『サヤちゃん、好きだよ』って。あの時のサヤちゃんは友達としてなんだと思っちゃったみたいだけど」


 サヤちゃんがわたしと同じ気持ちでいてくれたなら、こんなひどいこと、しなくてよかったのに。


 それでも、ずっと一緒にいるために。


「でも、今のサヤちゃんなら、それがどういう意味だったのか分かって……くれるよね?」


 これが、二回目の告白。


 一回目とは違って、わたしはサヤちゃんの好きがわたしの好きと同じじゃないって、分かっていながら告白した。サヤちゃんは優しいから、その告白を断れないってことも分かった上で。


 こうやって言葉で無理矢理繋ぎ止めたって、本当の意味で恋人になれないってことも、分かってる。


 それでも、気持ちを伝える理由はただ一つ。


 ずっと、サヤちゃんのそばにいたいから。


 ここはわたしの思い出の場所だけど、わたしも、サヤちゃんも、ハナミズキも、七年前と全く同じものなんてただの一個も残っていない。


 ここだけじゃない、どんなものだって時間が進むにつれて変わっていってしまう。



 わたしたちの関係だってそれは同じ。


 今は二人だけでいられるけど、これからは?


 これから大学に進学すると、今みたいに一緒に居られる時間は減ってしまう。


 大学に行ったり、それから卒業して、会社で働いたりする中で、わたし以外の仲の良い友達が何人もできるだろう。考えたくもないけど、もしかしたら結婚だって。


 そうやってサヤちゃんの交友関係が増えていく度に、サヤちゃんの中でわたしが占めている割合はどんどん少なくなって。


 いつかわたしは、数多くいる友人の一人に成り下がってしまうだろう。

 サヤちゃんは、わたしのことを親友だと思ってくれているみたいだけど、それでも。


 ただの友達のままだと、今みたいに隣を歩けなくなってしまう。


 自分勝手でごめんね。


 わたしは、そんなの耐えられない。


 サヤちゃんはわたしの告白を聞いてから、少しの間だけ俯いて。


「……分かった。いいよ、夏希なら」


 笑顔で、そう答えた。


 ──ごめんなさい。


 わたしはその表情を見て、涙が溢れた。


 だってそれが、辛い気持ちを抑えて、無理矢理に作った笑顔だって分かっちゃったから。

 

 表情を見られてしまったら、泣いている理由を簡単に見透かされてしまいそうだったから、傘を投げ捨てて、サヤちゃんに勢いよく抱きついた。


 ──あの日と同じ、相合い傘。


 だけど、やっぱり全然違う。

 見ている景色も、お互いの気持ちも、何もかも。


 それでも、せめてこれだけは。


 ……ううん、これだけでいいから。


 最後まで、ずっとそばにいさせて……?

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