不幸の手紙
2
食堂の長テーブルに向き合うように琴野と座った。
さすがに昼休みということで混雑していたが、ちょうどよく席が空いていたのは運がよかった。皆、談笑と食事に夢中だ。
琴野は買ったばかりのサンドイッチを笑顔で開けていた。その姿を見ながら、俺もざるそば定食に箸を伸ばす。
生徒と昼食をとることは珍しいことじゃないし、琴野とはかなりの頻度で食べているので慣れたものだった。
琴野は二年生で、明るく子供っぽい性格で知られていた。そのおかげでさっきの円藤もそうだが、先輩後輩関係なく慕われている。
俺たち教師の言うことも素直に聞いてくれるので、職員室での評判も良い。内申書には『模範的な生徒である』という一文が絶対に入ってくるはずだ。
そんな彼女がサンドイッチの三角の角を、はむっと噛り付いた。なんだかハムスターみたいで面白い。
「不幸の手紙です。聞いてないですか?」
「不幸の手紙?」
「はい。今、この学校で一番ホットな話題です。生徒の間で、ですけど」
サンドイッチを齧りながら、琴野がそう教えてくれたが、生憎と初耳だった。
「十日くらい前だったと思います。何人かに急に届いたらしいです。ルールは、よくあるチェーンメールと同じです」
「届いたら、誰かに回すのか?」
「はい。届くのはげた箱で、この手紙を受け取ったら三日以内に三人に回してくださいって書いてあります。そうしないと、不幸が起こるって」
本当によくあるもので、拍子抜けしてしまいそうになる。しかし、どれだけ時代が進もうがそういうものが流行るんだなと不思議な感覚にもなった。
「琴野には届いたのか?」
「え、私のこと、心配してくれるんですか?」
「それもあるが、実物が見たいなと思ってな」
「……ああ」
なぜか彼女は大きく肩を落とした。
「……私には届いてないです」
「そうか」
「……届いてればよかった」
琴野はなぜか顔を横に向けながら、悔しそうにしていた。よくわからないが、そっとしておいた方がよさそうな気がしたので、触れないことにした。
「それが流行ってるから、便箋が売り切れたのか」
「多分。ルールではないんですけど、購買部で買った便箋を使った方がいいって噂もあって」
「なるほどな。便箋なんてそんなに在庫もないから、すぐに売り切れたわけか」
「円藤先輩は『商売繁盛最高』って喜んでました」
やっぱりびりけんぽいな、なんて思ってしまった。
ざるそばを完食して、箸を置いてしばらく考える。その間、琴野はサンドイッチをほおばりながら、ぼおっと俺の方を見ていた。
些細な問題だ。不幸の手紙なんて、似たようなものが俺が学生の頃にもあった。十年も前なのに、妙にはっきりと覚えている。
誰も本気にしていないが、どういうわけか、それは流行る。スタートがどこかもわからないが、ゴールもわからない。いつの間にか流行って、いつの間にか終わっている。
おそらく、今回のこれも同じだろう。
「……実際に不幸は起きたのか?」
「へ?」
急に質問されたことに驚いた琴野が素っ頓狂な声をあげた。
「へ? え、ああ、不幸がですか?」
「ああ」
「先生って、ああいうの信じるタイプなんですか?」
目を大きく開けて、とても驚いた様子で反問してくるので、俺は苦笑しながら首を横に振った。
「まさか。迷信は昔から信じられないんだ」
「で、ですよね。そっちの方が、先生らしいです」
「ただ、何が起こっているかは教師として把握しておきたいんだ」
今の話を聞く限り、ただの流行だし、少しすれば収まっていくとは思う。ただし、それが原因で何か起こっていないかを把握しておかないと、無視していい理由にはならない。
現状をはっきりと見極めて、どうするか判断したい。
「……すっごい、先生らしいです」
「そうか?」
「はい。でも、ごめんなさい。私も不幸の手紙が流行ってるってことしか、知らないんです」
琴野はそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。
言われてみれば当然の話だった。顔が広いとはいえ、学校全体で起こっていることの詳細までわかるはずがない。
むしろ、そういうのは俺たち教師が知っておかないといけないことだ。
「いや気にするな」
「あ、でも、知ってそうな人たちならわかりますよ」
琴野がぱっと明るい表情になって、テーブルから身を乗り出してきた。
「知ってそうな人たち?」
「はい。不幸の手紙は、生徒の間では結構有名になってるんで、念のために風紀委員会が調べてるって聞いてます」
「三枝たちか。なるほどな」
琴野の話を聞いて、真っ先に思い浮かべたのは三年の男子生徒だった。三枝進という生徒で、風紀委員長を務めていて、非常にまじめな性格で知られている。
たしかに三枝なら、そんなことが起こっていたら、自ら動くだろう。
「少し話を聞いてみるか」
「三枝先輩たちは最近、放課後に色々調べたりしてるみたいですよ」
なら、放課後に彼のところに行き、何も問題がないかだけ確認してみよう。
いくら教師とはいえ、学校中の問題に干渉するわけにはいかない。ましてや、今回みたいなものに俺みたいな大人が介入すると、興ざめだろう。
『不幸の手紙』なんて呼ばれているが、多くの生徒にとっては退屈な学校生活のレクリエーションに過ぎない。それを無理やり止めさせても可哀想だ。
ただ、何もしないかどうかは、やはりしっかりと状況を確認してから決めたい。