推論 Ⅱ
琴野はまっすぐと三枝を見つめながら、彼の元に歩いて行き、背筋を伸ばしたまま彼の前で止まった。
「……何だって?」
「さっきまで満川先輩と話してたんです。先輩は、手紙の件を認めてくれましたよ」
琴野のその一言に三枝はひどく驚いたようで、ガタッと膝の裏で椅子を倒して立ち上がった。
「う、嘘だろ」
琴野は無慈悲に首を左右に振ると、自分のスマホを取り出して彼に突き出した。
「嘘じゃありません。電話して、確認してもらってもいいですよ」
どうやら、琴野は満川との話し合いを終えたらしい。
実を言うと、役割分担をしていた。俺は三枝と話し合い、別の場所で琴野が満川と話し合っていた。
そして、この様子だと琴野は満川に手紙の犯人であることを認めさせたらしい。
琴野が差し出したスマホを、三枝は呆然と見つめていた。そして、それを手にしようとしたが、途中でその手を下ろした。
琴野の態度から、その事実に嘘がないことは明白だったからだろう。
「あと、ケガについても証言してくれました。あのケガは、やっぱり自作自演でした」
「……そうか」
その事実についても推理していたので、驚きはなかった。
「理由は、わかってますよね?」
琴野の質問に、三枝は目を伏せた。らしくもなく、まるで逃げるように。
その態度に琴野が「先輩っ」と声を大きくした。
「満川先輩は、三枝先輩が庇おうとしてくれたのをわかって、それでケガをしたんです。先輩に絶対にアリバイのある時間に!」
手紙の犯人が満川だと気づき、俺が調べていることを恐れた三枝は、あえて彼女に宛先の書かれた手紙を出した。
しかし、それを受け取った満川は、すぐにそれを誰がしたのかわかった。そして、その目的も。
だから、自分一人が助かるわけにもいかないから、三枝が会議をしている時間にケガをした。これで三枝からも疑いの目がいかない。
二人のこの庇い合いこそが、この事件の全貌だった。
「推測だ……」
「まだ言うんですか。満川先輩が認めてるのに」
「満川だって勘違いしているんじゃないのか。本当に誰かに押されたのかもしれないぞ。ことをこれ以上荒らげたくなくて、嘘を言っているかもしれない」
言い訳が似合わない生徒だった。表情から焦りが消えていない。
ただ、三枝が素直に認めたくないのはわかる。ここで認めれば、手紙の件で庇おうとした満川に、また新しく「ケガを自分でした」という騒動の責任が発生する。それだけは避けたいんだろう。
「じゃあ、満川先輩が嘘を言ってるんですか?」
「勘違いしてると言ってるんだ。あいつがしたって証拠もないだろう」
琴野はそれを聞くと、頬を膨らませた。聞き捨てならないとでも言いたげだった。
「三枝先輩が犯人だって証拠ならあります」
「……なんだって?」
琴野はそう言うと、ポケットからあの手紙をとりだした。それは満川に届いた、宛先のある『不幸の手紙』だった。
「この手紙、綺麗です」
「……何を言ってる?」
「私と先生で実験しました。手紙を下駄箱に入れたんです。そしたら、手紙が上段の靴に引っかかって少し傷みました」
あのとき、確かに運動用のシューズに引っかかった。
「でもこの手紙はそういう痕がない。満川先輩だって部活用のシューズを持ってるはずなのに。つまり、この手紙は満川先輩が部活中に入れられたんです」
あの日の放課後ということになるが、そのタイミングでそんなことをするのは一人だけだ。
「それだけじゃないです。これ、宛先がシャーペンで書かれてるんです」
彼女が指摘するように、封筒には満川の名前がシャーペンで書かれていた。
「手紙のルールでは、赤ペンを使わないといけないのに、ここだけシャーペンです。でも、中身は赤ペンでした」
「宛先そのものがルール違反なんだから、そんなことはどうでもいいだろ」
「先輩、円藤先輩は言ってました。あの日、購買部には便箋や封筒を買いに来た生徒はいなかったって。つまり、新しい『不幸の手紙』を作ることは誰にもできなかったんです」
便箋も封筒もなければ、手紙は作れない。ここに来て、三枝がまた顔を伏せた。おそらく、琴野に自分のトリックが気づかれたことを悟ったんだろう。
「つまり、先輩宛の手紙はあの日より前に用意されたものです。でも、多くの手紙は回収されてました。そう、先輩の手元に」
あのアルミの缶は教室の後ろの棚に置かれていた。俺は席を立って、それを手に彼の前に戻ってきた。
三枝はまだ顔をあげない。
「先輩、数えていいですか? 番号、つけてましたよね。ここには、あの日までに集まっていた六二通と、満川先輩と坂下ちゃんが回収した四通を合わせた六六通ありますよね?」
答えは返ってこない。でも、きっとそういうことだ。きっと一通足りない。
彼が満川宛に出してしまったから。
なぜ宛先がシャーペンで書かれていたのか。それはルールに従うと都合が悪かったからだ。彼はあの番号をシャーペンで書いていた。
トリックを思いつき、実行する段階で気づいてしまったんだ。一度シャーペンで書かれた字を消しゴムで消して、そこに赤ペンで文字を書いてしまうと、筆圧の関係で数字が浮き出てしまうことに。
だからシャーペンで宛先を書いた。もともとルールに反してるものだから、構わないと思ったんだろうが、俺たちからすればそれが突破口になった。
「……俺が主因です、先生」
やっと顔をあげた三枝が、俺に向かってそう言った。
「俺が満川に素直になればよかったんです」
抵抗をやめてしまえば、やはり潔かった。言い訳をせず、最後まで満川の肩を持っていた。
「先輩……それじゃあ、気づいてたんですね、満川先輩のこと」
「……なんとなく、だ」
絞り出すような声だった。疲れ切ったように、彼は椅子に座り込んだ。
そして両手で顔を覆い、大きく息をついた。
「俺も、あいつも、素直じゃないから、怖かった」
満川が『不幸の手紙』なんか出した理由は、三枝だった。これを推理したのは琴野で、俺は最初、信じられなかった。
彼女曰く『不幸の手紙』なんて流行ったら、風紀員で真面目な三枝が動かないわけがない。それを狙ったんだということだった。
『だから最初に、坂下ちゃんに手紙を出したんです。坂下ちゃんは間違いなく、それを満川先輩と三枝先輩に相談するから』
最初に手紙を出された坂下は、満川の想像通り、それを相談した。三枝は一応調べると言い、それの手伝いに坂下を指名する。
そこまで予想していた満川は「後輩の練習時間が割かれるのは困る」という理由をつけて、一緒に調べることを提案した。
「……俺の勘違いかもしれないって、そう逃げてたんだ」
満川がそこまでした理由はただ一つ。三枝と、一緒の時間を過ごしたかったからだ。
二人は三年生で、来年の春には卒業だ。一緒にいられる時間というのは、かなり少ない。ましてや二人はクラスも、委員会や部活も別だ。一緒の時間は、ないに等しい。
三枝が言うように、二人とも素直じゃない。だから、そういう時間を無理矢理作ることにした。
しかし満川の『不幸の手紙作戦』は、思いのほか広がり、俺が出てくる事態になった。
満川の仕業だと勘づいていた三枝は、彼女を庇うために手紙を出し、それに気づいた彼女は彼を庇うためにケガをした。
「満川先輩は」
さっきまで満川と話していた琴野が、意を決したように言った。
「待ってたんだと、思います」
「……琴野に言われると、説得力があるな」
三枝がそうふっと笑うと、琴野は「もう!」と怒っていた。
「先生、すいません。ただ、満川が悪戯をしただけなんで、騒ぎを起こした罰なら俺が受けます」
「罰なんかない。お前らは、悪いことなんかしてないだろ」
元々、大した騒ぎでもなかった。それを俺がかき乱したようなものだ。
「だが……こういうのは、男から踏み出すべきだと思うぞ」
そうアドバイスしたのに、どういうわけか、三枝も琴野も信じられないという目で俺を見ていた。
そしてなぜか、三枝が琴野を「ドンマイ」と慰めた。
「でも先生、本当に何もなくていいんですか? 先生を巻き込んでしまったし」
どこまでも真面目なやつだなと思った。こういうところを、満川は好きになったのかもしれない。
確かに三枝と満川はお互いを庇い合い、状況を複雑にさせたが、特別に悪いことはしていない。
『不幸の手紙』なんて、どこにでもありそうなありふれた七不思議だ。
罰することなんて何もない。それに何より――。
「言っておくが……我が校は、ラブレターを禁止していない」




