表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの隣で眠らせて 2019版  作者: 森 彗子
第三章 蘇る死体
13/33

蘇る死体 4 【佳純】

     *


 この在り得ない出来事が公になることがあってはならないとして、世間に公表することは固く禁じられた。警察犬の鼻をも振り切ってしまった謎の少女は、今頃どこにいるのか。遺体喪失の影響で、残された少女の遺体もあるというのに、警察はこの不可解な事件の一斉を手付かずの未解決ファイルの中に放り込んだ。気味が悪過ぎて、誰も担当したくないのだろう。連続遺体遺棄事件の影響はこんなところにも顔を出す。


 不気味な事件ほど人々の記憶から消し去られるのは想像している以上に早い。得体の知れない存在を受け入れられないのだから、自然の摂理で片付けられてしまう事案なのかもしれない。けれど私は、絶対に忘れない自信があった。あの美しい死に顔は、目を閉じた途端にはっきりと見えてしまう。いつか、その瞼を開いて私を見返される気がして、ゾクゾクッと悪寒を覚えるのだ。



 年明けて間もなく、道警中央警察署の署長である父が行方不明になった。連絡もせず身を隠すようなことをする人じゃないと大掛かりな捜索をしていると、寂れた神社の拝殿の裏にある御神木と言われる大木で、突然見つかった。姿が見えなくなってから、一週間は経過していた。


 父の死に様は、首つり自殺の体を成していた。在り得ないほど、かなり高い場所から首を吊っていたのだ。自力で登ったにせよ、梯子もなければ足をかけられそうな枝もない。明らかに不審である。首を吊っていたロープからは、父意外のDNAは検出されなかった。首の骨が切断されており、全身の肉が骨から引き剥がされて、着ぐるみを来た骸骨を連想させた。吊っているが為に、直視できないほど残酷に、縦に伸びきっていた。


 下から重たいものでもぶら下がらない限りこんな形状には成り様がないと、鑑識班の廣田主任が語ってくれた。発見後、いつ置かれたものかも知れない遺書めいた手紙が、署長専用のデスクの引き出しから発見。そこには「全ての責任を取って自害しますことをお許し下さい。」と、父の直筆で綴られていた。

 何についての責任か書いていないなんて、父さんらしくない。おかしい。


 なのに、誰も何も言わず粛々と葬儀に流れて行った。まるで父の死を当たり前のように受け入れ、事件性がないと断定し、荼毘に付されることに抵抗しない。いくら鑑識班に訴えても、殺人課の責任者に相談持ちかけても、梨のつぶてだった。それどころか、嘆き悲しむ演技し終えた後は何事も無かったように、すぐに日常へと戻って行ってしまった。


 私はこの現実感のない一連の出来事に対する不信感に浸って、泣くこともできなかった。悲しみよりも遥かに大きな不満を抱え、食事も水も他人の親切さえも喉を通らなくなり…。


 ―――何かがおかしい。在り得ない。あってはならない。


 父の遺影を抱いて私は放心状態に陥った。啓介だけは優しかったが、彼は不自然なほど沈黙を貫いた。同じ境地に立った者にしか見渡せない荒涼とした世界を前に、私は成す術なく大地を殴りつけるしか無かった。


     *


「……少女の化け物? どんな?」


 相良の声に、我に返る。嗚呼、今私はこいつとドライブ中なのだ。


 形だけの相棒が常に隣にいるなんて、頭痛の種でしかない。その時、小さな電子音がしてジャケットのポケットから携帯端末を取り出すと、捜査本部はすでに立ち上がり会議は始まっているという内容のショートメールが届いていた。当然、誰も私達・生活安全課の捜査員を待ってなどくれない。


「あんたは、どんな化け物だと思う?」


「…クイズっすか? そういうのは得意じゃないなぁ」


 アルパカがヘラヘラと笑った。このどうでも良い瞬間でさえも、気を抜くと殴ってしまいそうだ。自分を窘《足しな》めるのに、常に忙しい。


「…うーん、なんだろう? 目撃者が化け物って思うぐらいだから、猛獣系ですか?」


 彼はさすがに、馬鹿ではないようだ。勘はある。


「誘導尋問になってる。ヒントはあげない」


「またそうやって、新人イビリする…」


「鍛えてあげてるのよ。これでも、献身的にあんたの成長を支えてるんだから、文句言わずに感謝しろ」


「…村本さんて、ほんっとうに残念な人だな…」


 心の声をそのままお漏らしする若者思考には、うんざりだわ。また、首を振ってしまう。


「今すぐ答を求めずに、その謎を体内で温めておきなさい。人間が起こす事件はね、ぱっと耳に聞いただけじゃわかりっこない情報が詰まってるんだから。想像力よ、想像力」


「…説教かよ」


 相良はうんざりげに唸り、黙り込んだまま中央警察署に向かった。


 三階建ての建物の三階に会議室がある。入口の真正面を真っ直ぐ進むと、一番奥にエレベータが二基もある。ひとつが使えなくなっても、もうひとつが使える方が良いということで、数年前に新築された建物に無駄な空間は残されていない。


 防犯カメラと目を合わせてから、エレベーターを降りた。会議室前にはB4サイズのコピー用紙に事件名が書かれた紙がドアの横の掲示版に貼られていた。横文字だ。


 中に入ると会議用机が並び、一列に六名ずつ着席している。正面の奥では教鞭を振るうように演説している署長が、私を一瞥した。先に提出しておいた報告書のコピーは配られた後で、鑑識の報告が読み上げられている最中だった。十四人の捜査員達は熱心に耳を傾けてはいるけれど、繰り返される未解決事件の再来にはもう慣れてしまっている。


 還暦間近の犬塚警部が、お地蔵様のような穏やかな表情をしながら感想を述べた。


「これはいつもとは明らかに違う。ラブホテルの個室だなんて、妙だ。同一犯じゃないんじゃないか?」


「新手の犯人がいるとでも?」


「人の出入りを確認したのか?」


「はい。防犯カメラの映像から出入りした客も従業員も、全員アリバイがあります。害者と同伴した女だけが身元不明のままでした」


「女を探せ」


「今、もう顔認証で検索してます」


「どれぐらいかかる?」


「早くても二時間は掛かります」


 署長はため息をついた。


 配られた鑑識の報告書に目を通しながら、セルフサービスの煮詰まった珈琲を汲んだ相良が隣に座る。その瞬間、私のジャケットのポケットの中が震えた。


 着信だ。それも啓介からだ。こんな時間に珍しい。


 私は静かに席を離れ、廊下に出て非常階段のドアをあけて屋外の踊り場に降りてから電話に出た。


「もしもし?」


『悪いな、仕事中だろ? でも、急ぎで聞きたいことがあるんだが』


 電話越しでも彼の声を聞くと、反射的に顔を見たくなる。物騒な事件ばかりを追ってないで、さっさと退職して彼の妻になりたいと最近本気で考えてしまう。


「…何?」


 いつも煮え切らない態度で交わされ続け、見込みのない恋愛にどこで見切りをつけるべきか一昨日の夜はベッドの中で散々悩んだばかりだった。


 過去にケリを付けられず、未だに離婚した妻の消息を追い求め続ける男に、私は肩入れし過ぎている。


 父をあんな風に失ってから錯乱した私は、啓介に期待し過ぎた。ふたつの事件は全く異質の別物なのに、同じように感じていたせいだ。冷静になりたい。


 ベッドから抜け出て、甘い余韻と共に消えていく温もりを最後に、しばらく距離を置くべきだと理性は語り掛ける。でも、声を聴いてしまうともう…。意思が崩れ、彼の虜になってしまう。


 何とも悲しい性だ。


『昨日の、ラブホテルで見つかった遺体の件だ』


 ――――なんで?


 思考が吹っ飛んだ。いつも新聞を隅々まで読む彼のことだ。珍しい事じゃない。けど、この瞬間。ザワリと身体の奥が深いな不安に襲われた。


「……なんで?」


『朝刊に出てたからさ』


 メディアにはまだ発表していない。新聞社には二行の情報のみを提示している。詳細は一切口外してはいけないケースだ。それにしても、速過ぎる。


「タイミングが速すぎない? 何か知ってるの?」


 背後のドアが開いて、相良が半階分上から私を見降ろした。会議室からガヤガヤと捜査員達が流れ出ていくところだ。相棒が何か言おうとするのを見計らって手を翳し沈黙を命じると、案外きちんと命令を聞いてくれる。彼は大人しく、ドアを開けたまま突っ立っている。


『話すなら、会ってからだ。じゃなきゃ、まずいよな?』


 啓介も元刑事だけあって察しは良い。


「…そうね。今夜、家に来て。あなたの部屋じゃ二人きりになれないから」


『ああ、解った』


 聞き分けの良い恋人は電話をすぐに切った。名残惜しいけれど、仕事中だ。頭を切り替えろ、と自分にも命令を下し、相良の押さえているドアの向こうに勇んで踏み込んで行った。


 七年という月日の流れは、あなどれない。記憶は絶えず新しいものに差し替えられ、古いものは沈殿する。強烈なインパクトがあった記憶でさえも、何かの理由で急には引き出せなくなる。年齢を重ねると余計に。そして、何よりも先入観が働くと始めから検索の対象から外れてしまうのだ。『蘇った死体事件』は正にそれ。さらには、父の不審な『自殺に見せかけた殺人事件』も闇に葬られた感が拭えない。ふたつは繋がっているのか、いないのかもはっきりとしない。


 もっと恐ろしいのが、『連続死体遺棄事件』だ。首は持ち去られ、内臓を綺麗に除去され、両手を重ねられた綺麗過ぎる遺体達。中には指先全てを鋭利な刃物で切り取られた遺体もある。それらさえ、関連する証拠は何一つ発見出来ていないのだ。だから、状況だけそっくりという印象のみによる関連付けをした事件は、やはり個々バラバラにひとつずつ扱うべきなのかもしれない。とはいえ、そうしたいのは山々だけど扱うには相当の時間を要するだろう。なにせ、被害者は百六十六人もいるのだから。これは毎年行方不明となり届けが出される人数のおよそ一割。二十五年という長い年月の間で起きていることを加味すると、行方不明者の中の一部に過ぎない。


 人数が増えれば増える程、人間の尊厳が薄められてしまう。年月の問題ではなく、数の問題になる。私達の人生でこうした事件に投じられる時間は限られてしまうから、沈殿した事件が再び浮上することは滅多に起こらない。父が死んでから七年間、ずっとそんなことを考えていた。


 今回の被害者は、身分証の入った財布も現場に残されており、さらには車まで駐車場に置かれたままになっていた。車両ナンバーを照合し、免許証でも本人と確認した捜査員は、被害者自宅に向かった。遺族は、変わり果てた遺体と対面するかどうかは難しい判断を迫られることになるだろう。


 生活安全課の仕事もかなりの領域に渡る。ご近所迷惑からの通報は年々件数が増えており、痴漢やストーカー被害も後を絶たない。最近では、河川敷で三人の若者がまだ十五歳の少女に寄ってたかって性被害を与えた事件があった。被害者には母親がおらず、父親までもが海外出張中という保護者不在の家庭だった。彼女の兄もまだ高校三年生で、大人扱いするには少し早い。


 気の毒この上ないけれど、少女の精神的苦痛を最優先に考慮するならば、事件化させるべきじゃないと私は独断で決めた。レイプ被害は記憶から消えることはない。何年経っても、ふとした時に恐怖や嫌悪が蘇る。一生、そのトラウマ発作と付き合わなければいけないのだ。こういう記憶こそ大人しく沈んでくれていればいいのに…。


 愛する人に触れられて漸く怖さが消えても、その彼の心を占拠し続ける過去の女。勝てない相手に私は今も尚、挑み続けている。今夜会える、と思うだけで気持ちが浮足立ってしまう。遠い目をする彼の横顔を永遠に見つめていたいせいだ。啓介を、思っている以上に愛しているのかもしれない。


『トンネル崩落事故が発生。付近にいる車両は今すぐ急行しろ』


 無線から緊急招集がかかり、物思いに耽っている時間は終わりを告げられた。


「急げ、相良!」


「言われなくても、やってます!」


 Uターン禁止の二車線道路で、助手席の私は点滅しているパトライトを車両の上に乗せ、相良はドラッグストアの駐車場に右折で一旦突っ込み、逆方向へと車を走らせた。サイレンを鳴らして駆けつけた現場で、思わぬものを発見し固まった。


 ――――啓介の車。


 ボンネットは岩で潰れていたけど、本人の姿がない。他に救助しなくちゃいけない人々がいる。彼の無事を信じて、私は自分の仕事を松任することを決意した。泥だらけになった怪我人や錯乱し泣き叫ぶ人々を安全な場所に退避させ、次々到着する救急車に怪我人を乗せていく。人混みの奥で、見慣れたトレンチコートの背中が見えた気がして駆けていったけれど、啓介はどこにもいなかった。


 もう、私の前から消えないで――――!!


 声にならない声で、心が叫んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ