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あなたの隣で眠らせて 2019版  作者: 森 彗子
第三章 蘇る死体
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蘇る死体 3 【佳純】

     *


 初雪が降り出した十二月一日の早朝六時。通りがかった大型トラックの運転手から通報があった。道央自動車道の砂川インターと旭川鷹栖インターの間にある山間部の高速道路内で、二人の少女の遺体があるという。たまたま捜査で旭川に居た啓介と私は、通報から一時間かからずに現場に急行した。


 道路公団のパトロールのおかげで現場は維持され、交通封鎖もなくスムーズに道が循環していた。啓介が担当者に噛みついて、容疑者の逃亡を許したと嘆いたけれど、道警本部直轄の緑川警部は「これでいい」と判断したとわかり大人しくなった。


 少女達の遺体にはブルーシートが掛けられ、通行人に晒されることはなかった。それでも前代未聞の事態に脇見渋滞が発生し、札幌と旭川の主要都市を結ぶ高速道路は渋滞を極めた。


 鑑識と法医学の専門医が来るまで遺体は動かせない。片道二車線区間の札幌方面行きの走行車線に一人が、旭川方面行きの追い越し車線内にもう一人が、手足がありえない角度に曲がったり骨が飛び出したりして、横たわる。同性としてもこの惨状はあまりにも酷で、直視するのに勇気が要った。彼女らは顔も髪型も似過ぎていた。恐らく双子か、よく似た姉妹なのだろう。


 程なくして指示が下る。長距離移動をさせることなく司法解剖に回せと通達され、旭川市内の法医学教室に協力をお願いして、救急車で遺体を搬送した。私と啓介は解剖に立ち会ったけれど、開始して直ぐに啓介が体調不良を訴えて、彼は廊下で待機することになった。



 ストレッチャーの上の死体袋を解剖用の台の上に遺体を乗せる際に、「手を貸して」と、初対面の医師に頼まれる。本当は触れたく無かったけれど、しょうがない。マスクと割烹着のようなユニフォームを着用し、両手にはゴム手袋をはめて、手術スタイルになった私を見て、ドクターは目を細めた。


 彼女の合図に合わせて、遺体の膝の辺りを掴んで持ち上げる。ほんの一瞬のことだ。それでも、あのズシリと重たく軽い感触は、忘れられない。ジッパーの音も振動までも、身体に刻まれている。


 遺体袋を取り去った瞬間、異変が起きた。少女の肌が陶器のように真っ白く艶めき、青緑色の光沢がある黒髪が一気に白髪に染まったのだ。でも、それはすぐに消えてしまった。髪は黒いまま。不思議な幻を見た気がしたけれど、気のせいだったようだ。


「この遺体は、上着も着用せずに気温零度の中に転がっていたんですね。寒かったでしょうに」


 医師はそう言いながら両手を合わせ、一瞬の黙とうをする。私も慌てて手を合わせた。


 真っ赤に染まるほど大量の血を失った遺体というのは、透き通った白い肌になることもあるのかしら、と医師はつぶやく。白い生地に白い絹糸で刺繍を施されたドレスにハサミを入れていくのを、私はジッと見下ろしていた。現れた全身を見て、私は息を呑んだ。彼女は、腹部を大きく損傷していたからだ。凶器がわからない傷からまだ血が流れ出ている。白い器に赤い液体が溜まっている。胴体ばかりが目についているけれど、手足も大変なことになっていた。四本とも、ねじれている…。


「どうやったらこんな風になるわけ?」


「……高速道路を走らされたとか?」


「それなら足がもっと傷だらけのはず。見て、汚れているけど足首から下は特に怪我をしてないわ」


「本当だ…、どういうことでしょう?」


 医師はかなり困惑していた。


 皮膚、血、生地のサンプルを採取して検査に回す。外傷や病気を確認しながら、臓器のグラムを記録していく。一定の手順を踏んで解剖は進められた。二人目の少女に至っては、上半身と下半身をつなぐ骨盤付近が引き裂かれたような状態になっている。あまりにも惨くて、私は解剖室の隅っこに逃げて嘔吐した。


 助手がカメラで撮影するストロボの光が、場面を静止画に切り取る。


 冷たいステンレスの上の彼女達はどちらも表情を失い、人形のように無力で弱い存在にしか見えないし、これが生きていたなんて信じられない。



 総てが終わり廊下に出ると、啓介は廊下の長いすで寝転がって寝ていた。前日までの聞き込み捜査での疲れと寒気のせいで、一気に体調を崩したようだ。無防備な寝顔には無精ひげが生えている。これが無ければ彼は性別不明な綺麗な顔立ちをしているため、喋らなければ男性だとは思われないかもしれない。長い睫毛が震えていて、眉間に深い皺が刻まれている。


 私は初めて間近から彼を見つめた。普段は、目を合わせるのを躊躇ってしまう何かがあった。


 現地の警察署の知人が温泉を案内してくれた。痩せて細身な啓介は、コンビニで買った下着の入った袋を持って男湯に消えていく。仕事とはいえ、男女で公衆浴場に来るなんて想定外で、変な気分だ。脱衣所はひんやり冷たいけれど、お湯は最高に気持ちが良かった。


「あの遺体は、本当に死んでいるのだろうか?」


 ビジネスホテルに向かう車中で、啓介はつぶやいた。大粒の雪が降り出した旭川市内の環状線を走りながら、彼は細目で私を見つめてきたのだ。ドキリとした。


「…ええ、そうですね」


 運転席で身体を斜めに傾けながら、長い手足でハンドルとアクセルを操縦する彼は、長過ぎる前髪を時々後ろに撫でつける。お風呂上りのシャンプーの香りと湿った空気が、普段よりも近くに感じさせていた。


「お前は何も感じないのか? 車に轢かれたって、あんなことにはならねぇよ」


 確かに。そう考える一方で、私の中に芽生えた邪な想いが膨らみ始める。啓介は一匹狼だ。本来なら相棒は要らないの一点張りで、自分だけで行動してきた。なぜ、私は彼に選ばれたのだろう? 今、そんな疑問が私の心の中を占めている。


 シフトレバーの上に置いていた彼の手に、そっと手を乗せていった。驚いた啓介がハッとした顔で私を見て、息を止める。信号待ちの僅かな時間だけ、ただ見つめ合った。何かが違っている。いつもと明らかに違う何かが、私達の間には存在している。


 ホテルに付いてフロントで鍵を貰う。エレベーターに乗り、同じフロアの隣の部屋にそれぞれ鍵をさした。啓介の方を見ると、彼は酷く疲れた顔をしながらも、私の視線に気付いた。その時、唇の端をやっと持ち上げるような不器用な笑顔が…。


 衝撃が、私の身体を駆け抜けた。


 この男は、半年前。別れた妻の捜索に没頭して危うくフェードアウトしそうになった。命令系統から逸脱し、勝手な行動ばかりを取った。新人の私は、常に彼を探し回った。署長から「あいつから目を離すな」と言われ、「あいつの捜査のやり方をその身に落とし込め」と命令されて、とにかく彼を追いかけ続ける日々だった。初めての挨拶の時なんて、殆ど無視されていたというのに…。


 笑顔を見せた彼に向かって、私は歩き出した。そして、両腕を伸ばして彼の首に回し込み、そのまま抱き着いた。吸い寄せられるように彼の首筋にキスをする。彼の細い首の皮膚の下に揺れ動く喉ぼとけが、ごくりという音と共に上下する。タバコの香りがする襟元。そこに鼻を埋めて、彼の鼓動を肌に感じる。繊細そうな手が私の顎をつまみあげ、目と目が合う。良く見れば、今にも降り出しそうな雨が滴り落ちるところだ。零れ落ちる前に、私は舌でそれを拾い上げた。


 ドアの中は暗く、閉じた音が聞こえたと同時に、頭の後ろが壁に押し付けられる。逃げ場のない激しいキスを受け入れていた。上司と部下で一線を越えてしまうのは良いことではない。親の七光りで中央警察署に入れたのに、父さんの顔に泥を塗る行為だと知っているのに、止められない。


 でも、それが何だというの?


 人生は誰のためにあるの? 


 一度きりの、たった一度しかない人生なのよ?


 これ以上、ただ見ているだけなんて出来ない。


 啓介も同じ気持ちだというのなら、私は恐れない。


 二人なら……。



 翌朝、啓介の腕の中で目が覚めた。同じボディソープの香りがする素肌は、離れるのが難しいほどに甘く温かく、私をただの女に変えた。


「…お前、良い女だな」


「……そうですか?」


「言っておくが、俺は……問題児だぞ?」


「もう、知ってる」


「お前のパパが知ったら、心臓発作で死ぬかもな」


「あの人はそんなにやわじゃないですよ」


 私が笑うと、彼も笑った。


 服を着ている時だ。法医学教室からの着信。電話に出ると、興奮したように早口でしゃべる医師の声が聞こえた。あまりにも早口だから、最初何を言っているのか全然聞き取れず。「落ち着いて、ゆっくり喋って」と、訴えた。すると、


「消えたんです! 少女の遺体がひとつ、居なくなったんですよ!」


 まさかの事態に、耳を疑った。


「……なんですって?!」


 この瞬間、鳥肌が末端から身体の奥に向かって撫でて行った。背筋が寒い。


 啓介に伝えると、彼はギョッとした顔をしながらネクタイを締め終えた。ワイシャツの一番上のボタンをはずし、緩めたネクタイのままジャケットを羽織る。私は服装の乱れを鏡でチェックしてから、彼と二人でホテルを出発した。



 大学病院の別棟に行くと、パトカーが二台到着していた。駆けつけた旭川の警察官数名と敷地内を捜索しているという。私と啓介は遺体が保管されていた死体安置用の冷蔵庫がある部屋に招かれ、状況を確認した。


 背の少し高い少女の遺体はそのままだった。小さい方が消えているという。残された手の跡と、床に残った裸足の足跡を見て頭が混乱する。間違いなく、あの子は死体だったのに。これじゃまるで、死体が歩いたみたい…。


 啓介も同じように、眉間に深い皺を寄せてただただ茫然と状況確認を続けていた。足跡を追っていくと、廊下の途中で消えてしまったという。そこには、開けっ放しになった窓があり、窓枠には少女のものらしき手型がしっかりと遺っていた。


「…嘘でしょ? なによ、これは!」


「ありえません! あの子は間違いなく死んでいました! 心臓を取り出して量ったわけですし、脳だって目玉だってもう……」


「それ以上言うな!」と、啓介が医師を制止する。


 彼は真っ青な顔色をしながらも、その手形がどういった状態で付いたのかを確かめるように、窓枠を跨いで乗り越えた。そして、そのまま雑草生い茂る裏の雑木林に向かって進んで行ってしまう。私は慌てて後を追った。医師には、手形と足跡を計測するようにお願いして。


 啓介は物凄い速さで獣道を突き進む。その後ろを追っていても追いつく気がしないほどだ。彼はまるで警察犬のように鼻が効くのだと以前誰かが言っていたのを思い出した。追跡がやたらと得意な刑事もいる。


 しばらく進むと突然視界が開けた。手入れの行き届いていない小枝だらけの中を通ったせいで、あちこちにみみずばれや擦り傷が出来ていた。啓介は広くなった場所の真ん中に立って、キョロキョロと四方八方を見渡していた。まるで、そこで手掛かりが途絶えたと言わんばかりに。


「……どうしたの?」


 やっと追いついて声をかけると、彼は飛び上がって驚いた。何か普通じゃないぐらいに緊張していることだけはわかった。


「嗚呼…。なんてこった……、噂に聞いたんだ。前に、……少女の化け物が出たっていう」


「なにそれ?」


「俺も、ずっとそう思ってた。でも、見ろよ」


 彼が指差すところには、遺体に着衣させていた布が落ちていた。


「少女はここまでこの布一枚纏ってやってきた。で、ここに捨てた。どういうことかわかるか?」


 そんなこと、わかるわけが……化け物?


 その単語が、引っかかる。一体、どんな化け物だと言うの?


「零度近い気温の中、全裸で逃亡?」


 思いつくがままにそう言うと、啓介は唇に歯を立てながら唸るように答えた。


「少女は何かに変身したんだ。それしか考えられない!」


 啓介はその布を、白い手袋で挟むようにつまみあげた。銀色の糸のような毛髪が一本だけ付着していた。



 アルパカ顔の相良は、万引き事件の対応を終えると駐車場に戻ってきた。初犯の少年をしょっ引かずに、二度目はないと釘を刺して保護者に引き取りに来させた。店長は少年親子に出入り禁止を伝えたそうだ。大抵は我慢ならないのだから、当然のことだと思う。


 運転席に乗り込み、私をじっと見てくる。話が途中だったから、続きを聞かせろと言っているような目だ。


 私は啓介との馴れ初めを抜いて、ざっくりと説明した。結局、あの子はそれから一度も誰にも目撃されることなく消えたまま、月日だけが悠々と流れている。初めて遺体の彼女を見た時から、私の足下の地面は透過して頼りない。いつでも暗闇に引きずり込まれそうな不吉な気配に負けてしまいそうになるたびに、頭を横に振ってしまう癖がついた。


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