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あなたの隣で眠らせて 2019版  作者: 森 彗子
第三章 蘇る死体
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蘇る死体 2 【佳純】

 ラブホテルの営業は臨時休業となっており、私達が来たときの利用者はたった一組だけだった。彼らから事情聴取と身分を証明させ、帰宅して貰っている。協力的とは言えない態度ではあったけれど、不信な動きはひとつもないように思われた。彼らの証言には男女ともに一貫性があり、ブレはない。壁は厚く、ドアを閉めれば音は滅多に聞こえることはないため、目星い情報はひとつも得られないことは明白だった。


 長い廊下に並んだ部屋はほぼ同じ間取りで、ベッドカバーや壁紙の装飾品に違いはあるけれど、何も変わらない。風呂場とトイレも、被害者の部屋では特に変わった様子はない。でも、鑑識が同伴者のDNAサンプルを発見するのは時間の問題だと思われる。駐車場の入り口に設置された監視カメラで撮影された入出記録を、今から署に戻ってチェックしなければ。


 普段は生活安全課の捜査や対応を任されているけれど、人手不足のために殺人事件などの大掛かりな事案に駆り出されることは普段から良くあること。でも、この未解決事件の関連性が濃い事案は、過去に現場を経験した者が指名される。つまり、大間署長直々の指令が下り、私は配置された。かつての上司の娘である私にとって、この未解決事件との因縁が深いことを大間さんは配慮してくれている。でも、それは現場に出ている同僚らは知らないこと。人選ミスと後ろ指刺されない為に、役に経つ情報を拾い集め速やかに提出することで恩に報いているつもり。



 運転手の相良が、シートベルトをつけたあたりから動きが鈍くなっていることに気付いた。顔面蒼白で、唇の色にも青みが射している。


「あんた、もしかして当てられちゃった?」


「…あんなの見て、平然としていられる村本さんには、この気持ちわからないでしょうね」


 なんだ、平気そうなのはフェイクだったのか。


 相良はあの遺体を直視するのを避けてはいた。それでも、血の匂いや血塗られた壁だけでも精神的にはかなり堪える。


「そうかもね。…で、あんたに私の何がわかるっての?」


 弱っている相手にこれみよがしに高圧的対応をするのは、今後も舐められないためでもある。男と肩を並べて仕事をするのはかなり厳しい。弱味をつつき合うなんて本当ならしたくはないけど、相手が図に乗って女イビリを止めない限り、私は予防線を張ってダメージを回避する。


「……一体、何者の仕業なんでしょうね?」


 話を反らされた。こいつはいつも、こうだ。


「それを今から見つけ出すんだよ!」


 わざと大声で恫喝すると、相良は縮み上がった。


「怖いなぁ…。村本さん、いつにも増して怖い…」


「怖がってなさい。さ、早く監視カメラの映像チェックしなくちゃ。署に帰るわよ」


「はーい」


 彼は大人しく運転に集中した。



 濡れた犬は、普段よりも四倍も痩せて頼りなく見える。アルパカみたいな顔しているけど、相良は時々濡れた犬を連想させるのだ。ご飯の食べ方も、若い癖に全然美味そうに食べない。食べ物に有難みがないなんて最低だな、と思う。


 署に戻って例の監視カメラの映像を見ながら、夜食にコンビニで買って来たチャーハンを食べている私の横で、相良はコンビニラーメンをすすっている。鈍色の瞳はどこを見ているのかもわからないように、焦点がまるで合っていない。視力が異常なんじゃないのかと疑問を投げかけているような目つきだ。


「…あんた、良く食べれるわね。さっきまで具合悪いって言ってたくせに」


「村本さんに…言われたくないです。空腹の吐き気の原因になるんですよ」


 皮肉合戦はいつものこと。相棒なのに、私は未だにこの得体の知れない若者を受け入れられない。絶対に相容れない違和感がくっきりと目に見えるせいだ。


「私は鼻の孔、洗ったのよ。あんた、匂いには敏感だったんじゃなかったっけ?」


 一時間に一台あるかないかの車の出入りが来ると、停止ボタンを押して顔を拡大する。画像解析ソフトが人間の顔を認証できるレベルまで解像度を上げていくたびに、かなり長い時間待機しなければならない。安いラブホテルみたいなところで設置できるカメラは、どうしようもなく画像が荒くて、はっきり言って何の役にも立たないんじゃないかと思う。毎回、旧タイプの動画データを見る度に、苛々する。殺人事件の捜査において、こんな待機時間なんていう無駄を許しておけないと本気で思う。危機感があるかないかで、監視カメラに掛ける費用が意識の高さを物語っていると思うのは、私の考え過ぎかな。


「僕は村本さんみたいに単細胞じゃないんで」


「……人をアメーバみたいに言うな」


 私は捨て台詞を吐き捨てたら、レンゲでチャーハンの米粒を余すところなく口に履き込んだ。こういうごちゃまぜご飯は掻き込み、頬張ることで旨味を堪能するものだ。鼻の孔には余計な汚れも匂いも要らない。ご飯は味わってこそ。その食べっぷりを汚いものを見るような目で見つめられる。相良は角度を変えるとキリンみたいな顔をしているな、と思う。


「あ、出ましたよ」


「………」


 六百ccに増量された麦茶で、ご飯を胃に落とし込んだ。そしてモニターにかじりつくように顔を近付ける。今時のテレビは液晶画面で無駄に眩しくないところが良い。最新の携帯端末画面は眩し過ぎて、目に負担がかかり過ぎるように感じる。照度を下げても暗い場所で見つめていると、焦点がおかしくなる。目を細めてピントを合わせるなんて、アナログにも程がある。


「これが、あの部屋に入った客ってわけね」


 他に三組いたが、彼らが部屋に入ったと入れ替わりに順番に出て行っていた。若いカップル、年増女と若者のカップル、老齢のカップル。実に、カップルでも様々である。


「この人達、平日の真昼間っからやりまくったんでしょうかね?」


「…ったく、下衆なことに想像力を使うな。横顔だけじゃ駄目よ。何とかして顔がわかる画像を探し出さなきゃ」


 最新機材と旧時代のアナログ式モニターが積み上げられた倉庫みたいになっている視聴覚室で、私と相棒の相良は早過ぎる朝飯をかき込み、交代で仮眠を取りながらも真面目に仕事を継続した。午前9時にはこの事件の捜査方針が通達され、捜査会議が設けられるまで提出できる情報を取り出して置く必要がある。画像を特定したら、鑑識班のPCオタクに渡し、魔法をかけたような画素数の高い顔写真が出来上がる。


 署内で朝を迎え、固いソファに寝袋で寝るのは何週間ぶりだろう。起きると、相良はデスクに頬杖ついたまま寝入っていた。ある程度身なりを整え直してから相良をたたき起こし、動画から静止画像を取り出したファイルデータを専用のディスクにコピーして、素データとあわせて鑑識半の荒井さんに持っていく段取りをしていたら、ポケットの端末が昔懐かしい音を奏でた。


 私達が本来担当するのは、生活安全課。痴漢が出た、万引きだ、ストーカーだ、やれなんだと電話が入れば対応しなければならない。生活を脅かす犯罪に軽いも重たいもない、と死んだ父親は暑苦しい程まじめに語ったものだった。首から下げている社内用無線型携帯端末で応答すると、スーパーで中学生が万引きを起こしたという通報が入ったという知らせだった。これぞまさしく生活安全課本来の任務である。


 電話を切ってつい舌打ちをすると、相良が椅子に座ったまま私を見上げて目を細めた。


「こんな朝っぱらから、事件ですか?」


「コンビニで万引きよ、子供の。さっさと行って来ましょ」


「らじゃ」


 ―――いつも、こうだ。唐突に横やりが入り、戻った時は別の誰かが手柄を横取りしているパターンだ。一度手掛けた仕事を、簡単に取られてしまうこの理不尽極まりない職場の構造を、苛立たしく思っているのは相良も同じと見受けた。気のない返事に、不満そうな気怠いオーラ。他人に自分がどう見えているのかなんて気にしてない。こういうところが嫌い。


 被害者カップルの顔画像の拾い出し作業は、デスクワークの愛実にバトンタッチとなった。彼女は以前、相良と食事に行く仲だったが進展せず、今は事務的な会話しかしない。微妙な空気の中、引き継ぎをして署を出た。


「あの子……、優秀?」


「誰がです?」


「飯田愛実よ」


「署長が優秀じゃない人を雇うわけないじゃないですか」


 相良が尊敬してやまない大間署長は、良くうそぶく。我が部署は優秀な人材しかいない、ということになっている。組織を築く生物界では優秀な能力を発揮する人材は常に二割程度で、それ以外は遊んでいるとかいうデータがあった気がする。それって、何となくだけどしっくりくる。優秀な者というのは、持論やオリジナルの思考を持っている為、優秀同志だと対立しやすい。そこにプライドや自尊心を傷つけ合うような関係性に発展すれば、尚ややこしい。捜査は競うものではなく、優秀さを発表する場でもないのに、ライバルが現れたら不毛なマウント合戦が勃発する。特に男は縄張り意識の塊で、無駄にエネルギーを浪費する傾向にある、ように思う。


 組織の駒になりきることが大間さんの言う優秀さなら、既に引退した私の上司橘啓介は、全く該当しない。長い物には巻かれろという価値観とは始めから相反していた。独自の目線からの洞察力と行動力。時には上層部の命令にも背いて、いつくかの事件を解決へと導いた彼の実績は、とても大きい。いわゆる、一匹狼タイプだ。


 私は刑事人生、八年の間に共に仕事をして、優秀だと感じたのは彼一人だけ。その彼を基準値にしてしまえば、今の職場の連中は凡人だと思う。というのは、勿論誰にも言わないけど。


「村本さんて、なんでそう身内を疑うような目で見るんですか? その腹の探り合うようなもの言い、いい加減やめましょうよ。ぼくは裏表がある人間が本当に苦手なんです」


 この仕事こそ、裏表がない人間なんかが務まるわけがない。またおかしなことを言い出した部下を、哀れに感じた。


「他意はないわよ。彼女とは、食事止まりかって聞いただけよ?」


「……ええ、まぁ」


「なんで?」


「…プライバシーの侵害ですよ。どうしてそんなことをあなたに言わなくちゃいけなんです?」


「答えられないのね」


「バカにしないでくれますか?」


「バカにしてるわけじゃないわよ。あんたの人を見る目を確かめたいの。上司として」


「……はぁ」


 気のない返事。応えるつもりはないらしい。


 私は深追いを諦めた。相棒に変なストレスを与えたら、自分の首を絞めるだけだと散々思い知っていたからだ。相良と組む前、半年間組んだ新人は酷かった。彼は私の苦言のせいで、警察をやめてしまった。


「…あの。一回、聞いてみたいと思ってたんですけど、なんで村本さんの上は十年も空いてるんです? うちが人手不足なのは三十代から四十ちょいの人員が全く居ないからですよね?」


「ああ、うん。そうね。やっぱ、気付いてたんだ」


「僕だってちゃんと見てますからね」


「私が新人だった頃にね、かなり衝撃的な事件が起きたのよ。みんな、それでおかしくなっちゃったの」


 この話をするのは、啓介以外とは始めてかもしれない。後味の悪い、不気味な事件。その責任を取らされたかのように、突然自殺した私の父が、当時の署長だった。他の人は気を使って一切この話題には触れて来ないから、私より下の世代には全く知らない黒歴史とも言える。


「何があったんですか?」


 運転しながら、相良は助手席の私を一瞥した。こいつがこんな風に私に催促するような態度を示すなんて、珍しい。話すか黙るか迷ったけれど、今回の事件がもしかするともしかするため、話しておくことに決めた。


「…解剖室に預けていた被害者の遺体のひとつがね。蘇ったのよ」


 相良は急ブレーキを踏んだ。信号が黄色から赤に変わったところだった。シートベルトが鎖骨に食い込んで首が前のめりに倒れ、苦痛が襲う。


「んもう! 危ないわね!」


「だって、村本さんが脅かすから!」


「脅かす? これは事実よ。本当に起きた奇妙で不気味な事件なんだから…」


 私はあの日のことを、今でもありありと思い出せる自信がある。新人教育係を命じられた啓介の助手になって、わずか半年後の出来事だった。


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