狼、狼、何故泣くの。
互いが互いを疑いあい、殺し会う。深い森で覆われた小さな村、その陸の孤島で人とそうではないものの命をかけた戦いは、人ならざるもの、つまるところ人狼の勝利で終わった。虫の音もないしんと静まりかえった家々に、木組みの窓から青い月の光が差し込む。
元は村の広場で、今は簡易的な絞首台の立てられた処刑場に彼女はいた。長い栗毛を振り乱し、勝利の余韻に浸ることも汚れた口をすすぐこともしないでむせび泣いている。一体の死体の胸にしがみついて。
「うっ······うぐぅ······ねぇ、起きてよ······また、昔みたいに餌の取り方教えてよ······尻尾取りして遊ぼうよ······もう、邪魔するやつらは居ないんだよ······?」
帰り血と涙と鼻水の入り交じった液体を、必死にその胸に押し付ける。しかし、いくらやっても心音が聞こえることはない。その声に返事を返すこともない。夜の静寂に、ただただ喉をしゃくらせる音が響くだけだった。
「ねぇ······私はどうなっても良いから······もう一度目を覚まして······お願い······」
その時だった。彼女が、背中の方面にあった気配に気づいたのは。一人か一匹か、とにかく一つだけ気配がする。彼女は地面に四肢を立て、少しだけ顔を上げる。涙で前が見えないのを右手でぬぐい去り、唸り声を上げてゆっくりと振り向く。先程まで心を支配していた悲しみはすでに抜け落ち、本能的に殺意がとって変わって、全てが戦闘に備え準備を始める。
そこにあったのは一人の男。鎧を纏っているわけでも銃や剣を携えている訳でもなく、ただはじめからそこにいたかのようにスッと直立し続けている。
だがそんなことはどうでもいい。銃も剣も自分の素早さには敵わないし、鉄製の鎧なんて障子紙に等しい。強いて懸念するなら銀の鎧だった時だ。銀は痛い。でもその心配もない。よって、頭の中はどう喉を切り裂き脳髄を噛み破るかにシフトされた。
やや背が高いな、跳躍無しに喉に爪を立てるのは難しいだろう。真っ直ぐ噛みつくか?いや、罠の可能性がある。安易に行動するのは死につながる。距離は十メートルないぐらい。一歩目で詰めより、二歩目で腹に爪を立て、そこを蹴って首をもごう。
もし避けられたら?この距離なら問題はない。危険な物質が待ち構えていたら?いや、金属の臭いはしない。銀でなければ即死はしないだろう。最悪森に逃げてしまえば人間が追い付けるはずがない。よし、大丈夫。
殺せる。
ドガッ、と地面を蹴りあげ、前方に身を投げ出す。右前足から着地し、左が揃った瞬間にまた蹴る。後ろ足を地面に刺して土を弾き、そのエネルギーで真っ直ぐに腹部を目掛けて飛ぶ。ずぶりと肉に爪が刺さる感触がある、はずだった。
目測で計った距離には男はいなかった。彼女は成功するはずだった攻撃を外し、一瞬パニックになった。そしてつんのめり顔から地面に激突してしまった。動いていたか?いや、ピクリともしていなかった。まてよ?ピクリとも?普通身の危険が迫ったなら無駄だとしても手で守ろうとするはず。なぜだ?
「あー、君が······リズ、で合ってる?それともリザか?リーゼ?この場合は。どうなんだ?」
男は、鬼気迫る狼の迫力にも物怖じせずそう問いかけた。その事に対して、2つの感情を覚える。戦いを行っているつもりが一切ないことに対する怒りと、自分の名前を知られていたことに対する恐怖。そして後者のが圧倒的に強かった。今まで、自分のことを名で呼んだのはただの一人だけだったから。そして、その一人は、今は、死んでしまっているから。
ギリッと男を睨み付け、返事を返す。得体のしれない恐怖は胸の奥に押し込んで。
「······なんで、知ってる。私のことをリズと名付け呼んだのはブランカだけだったはずだ!」
感情のままに吠える。その目頭にはじわりと涙がたまり、少しだけ零れる。
走り出す前と依然として変わらない距離に立っていた男は、頭をガリガリ掻きながら少し考え込んでから話す。
「んー、そうだな、私が誰かの夢を叶えるための神様みたいな存在だから、かな。今回の顧客は君だ。」