船出。
目玉焼きには、しょうゆをかける。だが妻はケチャップをかけていた。子供は何もかけない。
「お前は、ソースだったか」
「へえ?」
「卵料理だよ。何、かける?」
「あー。えーと。塩コショウ?」
「ふうん」
なんだ?大海賊ジャン・ロードの下、副長を務めているリギングは、まーた大将の気まぐれかと思った。そして少し安心した。
こんな時でも、大将はいつも通りなんだ。
魔海への出港準備を整え終えた、朝の会話である。
「・・・人類未踏の海!だがそれは人がたどり着けぬ海ではない!今までずっと、我らを待ち受けていた海だ!!この威容を見よ!ラアブレイの底力を見よ!大海を制するは誰か!」
ラアブレイ!ラアブレイ!ラアブレイ!
海上にある民間船、砂浜にあるゲスト席、そして海辺の大観衆から声が聞こえて来る。ラアブレイを代表して戦場に向かう者達へ、声が届く。
「ラアブレイ帝国第3艦隊!出陣する!!」
オオオオオオオオオオオオ!!!!!
居並ぶ兵からの鯨波だけではない。海上にある船の上からも勇ましい咆哮が上がり続ける。
リューガ型の最新艦である旗艦リューユー。それに両翼のサブ脳として機能する、前期守護母艦リューガ型リューガが1隻ずつ。補給艦としてバリューガ型ガバウが10隻。護衛艦としてダイリュー型ダンスリューが36隻。レックス王の御座船として、新造艦レキシオン。そして先導役、麗しのリュッケ号。
艦隊司令ダッガット・リムスの号令により、3万の船員を積んだ51隻の船が出航準備に取り掛かる。
いよいよ、10年の準備期間を経た、魔海進出である。
食料。燃料。火薬。運び込まれた物資を再確認して、船長ジャンは「麗しのリュッケ号」を離れ、艦隊旗艦リューユーに向かった。
「良い天気だな」
「今夜は嵐だぞ」
司令室では、少し年をとった、白髪のダッガット・リムスが出迎えた。
「穏やかな魔海なんて、ゾッとするだろ?」
「違いない」
相変わらず、にこりともしないが、ずっと前から刺々しさはない。
ジャンらが、帝国海軍の正規外部部隊に取り立てられてからは。
現在のジャン・ロード一味の身分は、帝国海軍第3艦隊特務水兵。そして今回の任務が終われば、その任は解かれ、帝国市民として普通に生きられるようになる。これまでの海賊業の罪は、お咎め無し。
魔海へ出航するために、海のへそを渡る。その艦隊運動をずっと練習して来た。そのモチベーションを保たせるためにも、エサは必要だった。
「・・・演習は飽きるほどやらせた。実際、おれらの腕さえ上がっちまったぐらいだ」
「ああ」
今回、酒はない。当然だが。ダッガットの副官が入れてくれたコーヒーを飲みながら、2人は最後の会話を交わす。
「全滅しても、恨むなよ」
「・・・ふん」
初めて、ダッガットが笑った。
「この戦力で。この兵力で。この陣容で負けるなら、人類は今日まで生きていない。我々は、勝つ」
傲慢にも聞こえる発言だが、ダッガットの今日までの訓練がなさせる発言に、自信以外は含まれていなかった。
「なら、良いがな。負けそうになったら、おれらは逃げるからな」
「最後までやる。そういう事だな」
「相変わらず、耳の悪いやつだ」
席を立ったジャンは、ダッガットに握手を求めた。
「お前のおかげで、助かった。結果的にだが」
10年を生きた。自分も仲間もリュッケも。本来なら死罪。それを帝国に掛け合ったのは、ダッガット。利用価値をアピールし、使い捨てる条件で、10年間も時間を稼いだ。
それはダッガット自身の目的のため、だが。
ジャンの一党がダッガットに救われたのも事実。
「逃げたなら、撃つ」
最後まで、ダッガットは堅い軍人だった。やはりにこりともしない。
2人は堅い握手を交わして別れた。これから出航までのわずかな時間で、最後の晩餐を楽しむ。魔海へと侵入したなら、落ち着いて食事を楽しむのは難しい。
風が吹く。波が荒れゆく。
夜が来た。
「艦長」
「はっ」
旗艦リューユー艦長、レイゾン・ミンスタはダッガットの指示に従い、船を出す。
「海のへそ付近まで、速力平常。陣形は防御陣」
「速力平常。防御陣」
艦長の指示により、機関部員が石炭投入量をコントロール。操舵輪が回転し、監視員がマスト上部で目を光らせる。そして指示は信号旗により、全艦艇にリレー方式で伝達される。
真っ暗な海の中、ホタルと化した51隻は、船そのものが意思を持っているかのような見事な連携で、人類の版図を広げんと行進する。
いまだかつてない、人類の最大海上戦力、初の船出であった。
シウレリア半島の見送りの人々は、彼らの旅立ちを見えなくなるまで見送った。楽団が悲しげな面持ちの家族らを慰め、クアのリゾート地は戦争に向かう人々を明るく送り出した。早く帰って来い。無事に帰って遊びに来い、と言わんばかりに。
沖合いにあるワハフ島でも、泊り客や住人らが大勢外に出て、見送ってくれていた。
そして艦隊は、シウレリア半島とワハフ島の間、シウレリア海峡を超え、海のへそに近付く。およそ24時間をかけて移動と休憩を行い、海上にてへそを渡る時間を待った。
そして海のへその渦潮は、ジャンの目の前で弱まっていった。
「渦が完全に消える前に突っ込む。万が一、いつもより早く渦潮が戻っても敵わん。伝令は「遅れず付いて来い」」
「伝令!本船に追走されたし!」
元大海賊ジャン・ロードは命令を出しながら、最後の確認を行っていた。観測、潮位、風向き。全てのデータを再確認しつつ、自分の勘にも何も引っかかっていないのを認識。速力を上げる。
麗しのリュッケ号は艦隊中央かつ先頭を陣取り、周囲の護衛艦ダンスリューに守られながら、時間よりわずかに早く海のへそに突っ込んで行った。
ギイイ
もはや帆船の時代ではない。にも関わらず、渦潮のエネルギーはかつての大帆船時代のように、人の科学の結晶である蒸気船をたやすく揺り動かした。
「・・・良し」
突入前より揺れが少なくなっている。最も揺れがキツかったのは、渦潮の突入時最大半径地点だった。徐々にしぼんでいる証拠だ。
このままなら、全艦合わせて20分足らずで抜ける。
ゴオン!ゴオン!
しかし、周囲を観察していた監視員のみならず、ジャンや操舵士、それに副長リギングらも気付いた。警戒警報の鐘が鳴っている事に。
発生源は左舷の護衛艦ダンスリュー。敵を見つけたのだ。
「親分!?」
「・・・違う」
リギングの慌てふためく声は、魔軍の襲撃を恐れたもの。
しかし、ジャンはこれは違うと感じた。
海のへそで仕掛けるのは、いくら海魔でも厳しい。
ならばこれは遭遇戦。たまたま魚をあさっていた海獣と出くわしたに過ぎない。組織だった戦闘にはなるまい。
「戦闘用意!散弾込め!」
「戦闘用意!散弾準備!」
伝声管を通じて、ジャンの命令は砲術室に伝えられた。
長時間、長距離戦闘にはならない。短時間、短距離戦闘でケリが着く。
「敵影補足!ウキザメ4頭!敵発見!ウキザメ4頭!」
「やっぱりな」
マスト上部、監視塔からの伝声にジャンは、不敵な笑みを浮かべていた。
ウキザメ。大型海獣だが、警戒度はかなり低い。サンマやマグロなどの回遊魚を主食とする体長20メートルほどの巨大魚。なんなら人間も食べるが、それは海中に存在する全ての浮遊物を食しているからであって、人間や動物を意識して食べ分けているのではない。
だからたまに小舟などが襲われる事態も発生するが、砲門を備えた船で恐れる理由はない。
「監視は周辺を注意しろ。ウキザメを捕食するデカブツにな」
「了解!」
監視員の返事を聞くと同時、次の命令を発する。
「ウキザメの群れに寄せる。距離100を維持しながら、平行航行。信号旗は本艦一隻の単独航行を表示しろ!」
ウキザメの警戒度は低。釣り船など小型船ならば脅威の対象となるが、今回の航海に出ている大型艦船なら、運が良ければ体当たりだけで倒せる。
ゆえにジャンはこれを利用する。
「後続艦は装填無用!見物に当たられたし!」
信号員に伝令を発すると同時、司令室の士気も引き上げておく。魔海だからとて、無意味に緊張する必要はない。
速力平常のまま、麗しのリュッケ号は左方に向かう。左舷に位置していた護衛艦も、わずかに左に舵を取り、リュッケ号の進路を確保する。
「ウキザメの真横に着いた!」
「了解。左舷砲術班は、見え次第撃て」
「了解!見え次第撃つ!
監視からジャンへ、ジャンから砲術室へ。連携は途切れる事なく続き、船は一個の生命としてウキザメと相対していた。
船上4箇所に設置された強力なサーチライトが敵の姿をくっきりと海上に照らし出す。人類は夜の海を越えて行く。
ここでジャンは、大砲の数を絞らない。本来、ウキザメ程度にこんな真似をしても全くの無意味。だが。
ドン!!ドン!!ドン!!
大砲の音はウキザメを粉々にしてなお鳴り止まなかった。
「全弾直撃!」
「了解。信号旗、我勝利せり。進路開放、前進せよ」
信号員へ命令を伝えた後、砲術班へ大砲のメンテナンスと休憩を伝え、リュッケ号は元の進路に戻った。上昇した士気とともに。
信号旗のリレーが到着した艦隊中央に位置するリューユーでは、司令ダッガット・リムスが、リュッケ号が消耗したであろう弾薬量をメモしていた。無論、あちらでもこんな事はしているだろうが、ダッガットは自身でも知っておきたかった。リュッケ号の左舷から放出されたであろう散弾の砲音。最低でも数十発。
リュッケ号はそもそも、戦闘に積極的に加わせるつもりはなかった。いざという時の命綱として、あらゆる海の専門家として招いている(あちらがどう考えていようと、ダッガット自身はそのつもりだ)。
今回の弾薬消費量で、リュッケ号の戦闘可能時間は2割減と見るか。全く。
だが、ダッガットの胸の内に、苦いものはカケラもなかった。むしろ感謝していた。
全乗組員にとって、初めての魔海。初めての魔軍との本格的な戦闘。
この状況で普段どおりの動きが出来る自信は、ダッガットにもなかった。
だから、その硬さをほぐしてくれたジャンには、感謝の気持ちしかなかった。
魔海であろうと、同じ海の上。海軍は通用する!
初戦闘を見事な勝利で飾った事実は、他の艦船にも容易に影響する。熱狂的な勢いを駆って、本当の戦いに挑める。
ラアブレイ帝国第3艦隊の進出は、まずは順調な船出となった。




