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魔界猿雄伝  作者: にわとり・イエーガー
過ぎ去りし夢。さらば愛しき人。
31/103

止まる世界。終わる世界。

 (お母さん?)


 やっと上半身を起き上がらせたレインは、マントに包んだままの息子をそのまま背に回らせた。賊は残り1人。殺るのに1秒もかからない。


 トレインが毒を吸わないよう、自分からマントを外し、しっかりと包み直した。


 そして立ち上がった。


「少し、待っていて」


 その優しげな声は、木の裏に回っているサントにも聞こえていた。


 死にかけのはずなのに、しっかりとした声が。


 危機感に襲われたサントは急ぎ距離を取ろうとした。


ザ ン


「・・・本当に、鈍っているわね。人間1人に、こうも手こずるなんて」


 それはサントにとっては、最大級の褒め言葉だったのかも知れない。飛び退すさろうとしたところを隠れていた木ごと斬られたサントは、両足を失っただけでまだ生きていた。


 そしてレインは剣を取り落とした。今までいかなる敵と対峙しても決して手を離れなかった聖剣を。



 止血が、出来ん。残ったのは左手のみ。


 明確に死を目の前にしたサントは左手一本で上体を跳ね上げ、隠しポケットから、またも短刀を取り出した。


ヒュ


 半死半生の人間が放ったとはとても思えない速度で突っ込んで来る小刀を、しかしレインはあっさりとかわす。


 が。


クン


 導線の付属していたナイフは、そのまま「レインが置いて来たマント」の方へ進路を変えた!


 そしていつの間にやら投擲とうてきされていたもう一本のナイフが、レインに迫る!


「・・・・!!」



 レインは。


 少し怒った。



 左の掌打しょうだ一つで、サントは原型を留めぬ血の染みになって死んだ。ワイヤーナイフは右掌が圧しただけで消滅した。


ザ・・・


 そして勇者レインは、受け身も取れず、倒れた。毒の回った体で動いてしまったために回復力が追い付かず、間もなくの死を迎えようとしていた。



 ・・・・・・私、死ぬんだ。トステン。私、死んじゃう。トステン。



「お母・・・さん・・・」


 くぐもった、小さな声。しかしそれが、レインに最後の命の力を振り絞らせた。


グ・・・


 いまだかつて感じた事がないほどに重い体を持ち上げ、レインは立ち上がった。全身に毒が回り、体表面を薄紫に変じさせながら。


 息子をマントごと持ち上げ、レインは歩く。


「お母さん?」


 母の腕に包まれている事に安堵しながらも、トレインは視界の利かぬ状況に、不安そうな声を出した。


「大丈夫。すぐに、お父さんが迎えに来てくれるから。決定戦の終わりの笛の音を聞いたなら、すぐに馬車に乗り込むの。分かるわね?」


「うん。分かるよ」


 レインは戦場端に近寄り、毒煙の範囲から脱したと判断。息子をマントから出し、木の影に。自身も戦場から見えぬよう、横の木に体を預ける。


「お腹が空いても、動いてはダメよ」


「うん」


 素直な息子の返事に、にっこりと笑んで。



 それでレインは動かなくなった。



「お母さん?」


 返事は無かった。


 何度呼んでも、体を揺さぶっても、ほほに口付けても、母は二度と声を返してくれなかった。



 トレインはどうしていいのか、さっぱり分からなくなってしまった。あれほど勉強したのに。お母さんに、いっぱい教わったのに。


「笛が鳴ったら、お父さんの所に行く。笛が鳴ったら、馬車に乗る」


 母の言葉を思い出す。それだけを思い出す。




 いつしかトレインは母にしがみついたまま眠りに落ちていた。少し冷たくなった母の肌を温めるように、トレインはずっとレインに抱きついていた。



 笛は、鳴らなかった。




ゴウッ!!


「・・・ふうっ。退くぞ!」


 最後のジョウゴを蹴り飛ばしてから、トステンは撤退を開始した。戦士団はまだ、誰1人として失っていない。


 周囲には既に数え切れぬほどの鎧騎士の群れ。その背後には、これも数え切れぬ無数の野獣。前回も見た覚えがある。


 ここは一度退く。集中力が途切れる前に休む。



「・・・戦士団撤退して来ます!!」


 物見ものみの伝令を聞き、砲兵隊長アーリーは再度の確認を行なう。


「敵の数に惑わされるな!訓練通りにやれば大丈夫だ!!お前達を守る1万の兵を、お前達が守るのだ!!」


 その言葉のまま、砲兵隊の合間には大盾を持った対空守備兵。そして前面には対魔獣槍兵と盾兵が。


 その槍兵らを率いる隊長、ミーミルからもげきが飛ぶ。


「既に敵移動城塞は落ちた!!恐れる事はない!守り抜くぞ!!」


オオ!!


 士気は高い。損失も、まだ全く無い。


 その状況下で、将軍ドンスの顔色は、決して良いとは言い切れないものがあった。



 魔王が、まだ動かない。


 魔王を倒さずこの戦場を切り抜けられるとは、とても思えない。


 ・・・早く。


 早く、動け。


 何をしている・・・!?



 一向に動く気配を見せない敵首魁の存在は、それだけで耐え難いプレッシャーをもたらしていた。




 別にシャアルネルラは、敵方の精神への影響など一切考えてはいなかった。


 ただ大人しく推移を見守っていただけだ。


「ヒポリ様の接近に応じるように、敵エリート部隊が下がって行きます」


「ヒポリを戻せ。リジェには侵攻を許す」


「はいっ!」


 グランダともう一匹、魔獣軍団に向けて飛ぶ飛竜に指示を出し、シャアルネルラは考えにふけった。


 リジェらは、おそらく20名までの損失で、敵方の壊滅的被害を作り出すはず。それでしまいとするか?


 ・・・・それでは、私の策が漏れるな。



 少し、遊ばせてもらうか。



クッ


 側仕そばづかえの差し出す水を一口飲み、魔王が御輿を立つ。


「全軍進撃。私の撤退より早く退く事は許さん。・・・ことごとく、敵を討ち滅ぼせっ!!」


ゴ!!!


 伝令の飛竜が飛ぶより早く、魔王は飛び立った。凶鳥軍団に向けて飛ぶ飛竜などは大口を開けてその様を見送ってしまった。



「・・・・・・・ハッハッハッ!!!!!!」


 魔王はこの戦場において、ただ一度だけ実力を示す。



ドウン!!


 雷が降ったのかと思うような大音響に、人間達は空を見上げた。盾兵も槍兵も、砲兵までも。


 見上げた青空の中には、1人の美女が居た。



 それは破壊と恐怖の化身。



 魔王、シャアルネルラが、味方本陣上空に突っ立っていた。

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