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あやかしの群(むら)

森から攫った彼に笑顔を向けるモノ

作者: 七条夏目

『彼女の心を得たのは森の外に去りしモノ』(http://ncode.syosetu.com/n9386eb/)の続編にあたるため、先に読んで頂くことをオススメします。

 久し振りに森が吼えた。多くの烏天狗がひっそりと暮らすこの森で、風を感じるのはいつ以来だっただろうか。

 二千百九十二日ぶりだと即答できるのは、唯一。年嵩の割に幼く見える女天狗の美森(みもり)だけ。

 森を追いやられた一羽の烏天狗と、森に吹く風の相関関係を知る数少ない存在。




 とっぷりと暮れた空の下、相変わらず木の上で足をぶらつかせていた美森は、小さな体躯で風を背後から受け止めた。

 おろしている長い髪が視界に流された瞬間、美森の心がざわついた。

 風神様が厭ったこの地に、気の流れが戻った。それが意味するものは、美森の中でただ一つ。


 ずっと美森が思い焦がれた存在が、近くに来たということ。


至暖(しだん)


 美森の心の中に棲み続ける、白い烏天狗。

 彼がいなくなってから、行方を津々浦々へ追い求めた。あの場で森を捨てることができなかったことを、たいそう悔やんだ。

 言い訳にしかならないが、即決できるほど、当時の美森は成熟していなかったのもある。着いて行ったにせよ、美森は足手まといにしかならなかっただろう。


 彼が再度訪れるかもしれないからと、美森は森を拠点に耐え続けるしかなかった。至暖にとっては忌まわしい地なのは承知だが、美森は彼とどこかに出かけたこともないのだから、待ち続けるほかなかった。

 彼から便りが来やすいようにと、美森の真名を強引に預けたけれど、とうとう呼んでもらえることはなかった。


「いいの。至暖が戻ったら直接訊くんだから」


 これまで真名を呼んでもらえなかったから、玉砕する可能性が高そうだが、もはや一分一秒も待っていられない。

 耐え忍ぶのはもう疲れた。


 けれども、今闇雲に動いても、至暖がどこから現われるのかまだ分からない。


 だから、美森は結局、彼女が昔からよく居座っている木の上にいることにした。

 ただぽつんと座るわけではない。森の中で一番高い木だから、当然見晴らしもいい。美森からも真っ白な男を探して、見つけ次第捕捉するつもりでいる。


 至暖と再会する。

 不自然に力を込められた美森の身体から、軋んだ音が響いた。否、彼女の歯軋りだった。

 その音に、ふと彼女は懐かしさを覚えた。そして、ある男の安否が気にかかった。


 美森ほど積極的ではないが、至暖に害をなしていたものを諌めようとした一羽がいた。

 困っていたところを至暖に助けられて、恩義を感じているんだと美森に漏らしてくれた。

 当の至暖は記憶になさそうな雰囲気だったけれど、志暖を好ましく思う『同志』の存在は、美森にとって心強いものだった。


 けれども、多勢に無勢。権力者(美森の親)の七光りでさえ役に立たなかったのだ。彼一人加わったところで迫害への流れは止められず、森の中でただ一羽真っ白だからと至暖は追われた。


 美森の同志である陣起(じんき)は、至暖が失せて千日経った頃合で森を去っていた。

 彼は今頃、風の流れに身を任せて外の世界でうまくやっているのだろうか。数少ない同志の安否は、美森にとって気掛かりだ。


 至暖が森から失せた直後に聞いた彼の歯軋りが、美森の記憶にしかと刻まれている。


 先の美森の歯ぎしりは、あの時の、悔しさに歪んだ音ではない。武者震いのようなものだ。

 けれども、どちらも至暖を想うが故に立てられた音。そう考えると、美森の頬がかっと熱くなった。


 美森に呼応するかのように、更に一陣、風が吹き荒れた。


 懐かしい気配を捉えた。背面だ。

 思ったより猛スピードだから、うまくつかまえられるのか。


 思考が終わらないうちに、美森は奔流に飲み込まれ、あっという間に森から出されていた。

 めまぐるしく風景が変わる。天狗の飛翔で慣れているつもりだが、美森のそれとは明らかに速度が違う。


 見覚えのあるカットで、変化が止まる。

 どこか咄嗟に思い出せない美森をよそに、白い髪が揺れる。宝玉を思わせる鮮血色の瞳が、射抜いてくる。

 思い焦がれていたものに、美森の意識があっさりと塗り替えられる。


「ただいま、美森」

「至暖!」


 美森は言いたいことがいくつもあった。遅いとか、どれだけ待ったと思ったのか、など。

 けれど、記憶より少しばかりふっくらとした至暖の顔を見て、彼に抱え攫われて、挙句に声を聞いて。

 道すがらに、抱えていた言葉を全て落としてしまった。


「遅くなってごめんね。しかも勝手に連れ出してしまって。あの森は、僕にはちょっと窮屈でね」


 困ったような笑みを浮かべる至暖に、美森はゆっくりと首を横に振る。美森自身、二人が生まれ育った森で彼が生きていくのは難しいと痛感していたから。


 異質を排除したがる集団心理が、至暖を森の外へと追いやった。

 追いやった同胞のうちの幾人かに、美森が何らかの報復をほどこしたことも、彼への群の視線を険しいものにした。

 美森自身も、やさしい彼を森から遠退かせる一端を担った。その事実は覆せない。


「もっと早くに君の真名を呼ぼうとも思ったんだ。だけどね、はじめは君の顔を見ながら呼びたくて。君を不安にさせていただろうね、ごめん」


 逃げるように森を去る至暖に対して、誰かに聞かれるリスクをおかしてまで、半ば強引に真名を預けたのだ。全く便りのない状況に、美森は、彼に呼ばれることなく終わる覚悟さえしていた。

 どんな結末を迎えようとも、彼が美森の真名を呼んでくれる。しかも目の前で。それだけで美森は満たされる。


 至暖の唇が動くのを、今か今かと待ち受ける。刹那が永遠に置き換わるような感覚に、美森は焦れた。


「ただいま、(まゆみ)。君はいつだって僕の希望だ」


 実と葉が美しく色付く木の名、まゆみが、美森と呼ばれる天狗に与えられた真名。

 見る見るうちに、美森の頬も檀のように赤くなる。


「おかえりなさい」


 口にしょっぱさが広がる。視界が滲んで、彼の姿を朧月おぼろづきと違えそうなほど。


「泣かないで、檀」

「あなたの顔を見たいのに、抑えられないの」

「それは困った」


 彼にしては珍しく、言葉の内容と口調がちぐはぐだ。ちっとも困っていない、幼子をからかう響きに、美森は頬を膨らませた。

 涙でぐちゃぐちゃにもかかわらず、多くの天狗を魅了した彼女の愛らしさは、ちっとも損なわれない。


 美森の目尻に柔らかな感触。ざらざらとしたものがちろりと下から上に動いた。

 びっくりした美森が目を見開くと、いつの間にか人の姿をとった志暖が、視界いっぱいで微笑んでいた。見たことのない蕩けそうな彼の表情に、美森は酔う。


「至暖?」


 思わず小首を傾げる美森のちいさな顔に、至暖の影がかかる。


 先程一瞬触れた柔らかな感触が、今度は唇を撫でた。

 二度、三度……何度目かの接触で、美森の艷やかな黒目は、瞼の裏に隠れる。

 頬が、彼の目に負けぬほど赤く染まり、彼女の上気具合を如実に表していた。


 先ほど、至暖は美森の涙を舐めとり、今度は彼女の唇に同じものを重ねている。気づいた途端、美森は息を飲んだ。

 天狗の口づけは特別な意味を持つ。身体を重ねることよりも神聖で、唯一と見なした相手に捧げる。自身の心身を相手に呪縛するに他ならない。


 二対の腕が互いの肢体をきつく絡み止める。

 至暖の腕はかたくて力強くて、美森の身体に痛みが走る。

 でも、美森にはどうでもよかった。夢にまでみた彼との契り。色々順番もばらばらで、憧れとはちょっと違う物だったけれど、至暖の唇の感触の想像以上の心地よさに、美森は溺れていく。


氷輪(ひょうりん)


 至暖の思念が脳裏に響く。聞きなれない音に、彼から施される口づけを堪能する美森の動きが止まる。

 契りを結んだ相手には、真名以外の言葉も、強い思念で届けることができる。


「氷に輪と書く、僕の真名だよ。是非、檀に呼んでほしい」

「氷輪」


 冷たい色の月、涙でぼやけた視界で見た彼そのものだった。


 美森は凪いだ。

 拒絶を示すために呼んだ(九曜)のものとはわけが違う。

 唱えるだけで、美森も至暖も幸福に彩られる呪文そのもの。


 真名を伝え合い、口づけを交わす。

 二羽は一対の番となる。

 心を通わせてのものだから、眩しさはひとしお。


 言葉なんて、今は無粋。

 美森は小さな肢体を逞しい男に委ね、触れ合いに酔いしれた。二千百九十二日の空白を埋めるように、若き雌雄は互いを貪り合う。




「君の着物、僕の羽を織り込んでいるのかな?」


 至暖に抱きすがったまま、美森は首肯した。


 かき集めることができた至暖の羽は少なく、袖先を彩るだけで精一杯だった。しかも一着限り。

 こうして、再会の日に纏えていたのは偶然に他ならなかった。


「そうか。それも素敵だけど、僕が誂えた衣装も、君に着てほしい」


 くりくりと愛らしい瞳をいっそう見開いて、美森は小さく頷いた。

 一向に顔を上げて自分を見てくれない美森を不思議に思った。

 そのとき、髪からちらりと覗いたのは涼しい時候の檀の葉のように染まった小さな耳。赤面が過ぎて顔を合わせられないのだと得心した。


 天狗の男は、自分の羽を織込んだ着物を、花嫁衣装として番に着せる。至暖も用意していて、美森に着てほしいと懇願しているのだ。大人気なく、興奮も抑えられなくなる。

 森を追われた至暖には難しいと思っていた花嫁衣装があるとわかり、美森の表情はパーッと輝いた。

 こうしていられるだけで十分だけれども、憧れは別腹だ。満たされるなら一層良い。


「ねえ。もし私があなたを待てずに誰かと番になっていたらどうするつもりだったの?」


 今があるからもしもなんてない。

 けれども、至暖だって幾度も不安になった事柄だ。

 柔らかく波打つ番の髪に指を通しながら、淡々と答える。


「そうと知ったら君には何もしないね。遠目で君を見て、一人で森を立ち去った。それだけだよ」

「お別れすら言わせてくれないつもりだったのね。それならやっぱり、待っていて良かった」


 美森は強い。だからこそ至暖は彼女の真名に甘えていた。

 けれども、彼女だって不安だったのだ。真名を呼ばない男に焦れていたのだ。

 美森の問でそうと知った至暖は、彼女に誠実に答える。


「僕と違って君は皆の人気者だからね。お話も引く手あまただっただろう」

「そうだったかもしれないわ。でも、真名を使って九曜を手酷く手酷く振ったのが発覚してから、寄ってくる人はいなくなっちゃった」

「どうして、そこまで」


 戻る保障のない志暖を待ち続けたのだろうか。

 そんな疑問が頭をもたげる。


「心の奥底から求める相手を、外見が浮いているなんて当人にどうしようもない理由だけで否定にかかったから、かな。至暖が極端に朝に弱いから、起こすの大変だよ。その点、俺なら美森の声さえあればすっと起きるのに、なんて口説いたら変わったかもしれないのにね」


 昔なじみの口調を真似た美森は、眉尻を下げて複雑な表情を浮かべた。自ら拒絶したことを悔いているような美森に、至暖の心がぎゅっと苦しくなる。


 美森になるべく不自由させないようにと、彼女の好きな森の外で、生活基盤を作っていた。伝手を辿り、長命への理解者や職を得て、馴染もうと足掻いていた。想定以上に時間を費やしてしまったのだ。


 美森の元服に間にあわなかったことも苦しい。それ以上に辛気な表情をさせたことが痛かった。どんな理由であれ、番に似合わない行いをさせてしまったことが、彼に重くのしかかる。


「そういえば、戻る少し前に陣起に会ったよ。森を出ていたんだね。あのときより生き生きとしていた」


 つとめて明るい口調で話題を変えた。

 美森とは少し違うが、至暖に親愛の情を表立って示してくれた、数少ない一羽。彼の存在もあったからこそ、至暖は元服まで潰されることなく森にいることができたのた。

 そんな彼に思わぬところで会ったのだ。彼とも馴染んでいたように見えた美森にも、伝えたくなった。


「本当!?」


 宝石なんかメじゃない輝きが、美森の瞳の中にある。


「僕同様に短命種のコミュニティの伝手で居場所を得たのだろうね。だからこそ会えたんだ」

「そっか。そうだったんだ。良かった」


 相槌が高く軽やかに弾む。


──そうだ、この調子こそ美森らしい。


「美森。人郷で暮らすことになるから、これも彼らに倣うよ」


 美森の細い手首を拾い、指に輝くものをすっと通した。

 少し大きいかもしれないが、構わない。後で整えたらいい。


 彼女が他の天狗に比べて人郷に通じているとはいえ、どこまでかは分からない。きょとんとしているから、婚約の儀について、美森はあまり知らないのかもしれない。

 今、伝わらなくても、後で伝わればいい、伝えたらいい。


 至暖の顔がゆるむと、美森がつられて綻ぶ。

 互いに待ち望んだ、傍で癒やし合える日々の幕開けが、迫っている。

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