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どこかより  作者: 国子
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6:ゴルドよりー1


 シクリフ大陸をあとにした私が訪れたのは、西の大国ゴルドだった。港に着くと、人々は皆竜の影に怯えていた。どこからか竜が飛んできて、ゴルドで暴れ回っているらしいのだ。私は何かに追い立てられるようにして、竜が根城にしているというイーブの都を目指した。

 何よりも竜を見たいという子供じみた思いが私の胸の内を占めていた。私の故郷に伝わる古い伝承では、竜は嵐をもたらす恐怖の対象、または雨で大地を潤すありがたい存在として描かれている。竜が町に降り立てば、たちまち竜巻と黒雲があらわれ、海をひっくり返したかのように雨が降ったといわれている。


 私は脳裏に巨大な竜の姿を思い浮かべながら、山を越え、暗い森で何日か野宿をし、イーブの領に辿り着いた。夕暮れに染まる黒い山々を背景に、人々はまるで蟻か何かのようにせっせと働いている。私は、絨毯を路上に敷いてものを売っている露天商に声をかけてみた。


「竜はここにいるのですか?」

「ああ、今日中にもやって来るかもしれんな」


「ではなぜ逃げないのですか」

 私は驚いて言った。往来には人が溢れていて、とても竜が来るから逃げようとしている、といった案配ではない。その肌の浅黒い、露天商の男はこう続けた。

「だって、そんなことでいちいち逃げ出していたら、商売あがったりじゃないか」

「竜に襲われるかもしれないというのにですか」


「竜なんて、慣れてしまえばどうということもないよ。いつも、町を見下ろすように旋回してきて、またどこかへ飛んで行っちまう。最初のうちは皆地上にうつる竜の影に怯えていたものだが、今は見ろ、誰もそんなもののことなど気にしていない。それより、何だい。買う気がないんなら、どっか行っちまいな」


 私はしぶしぶ引き下がった。

しかし納得はできなかった。目の前に危機が迫っていながら、まるで何でもないように振る舞っている人々がどこか不気味に思えた。

 私は、影のように聳え立つ平屋根の教会を訪れて話を聞くことにした。きしむ扉を開けて埃臭い中を覗くと、襤褸のようなローブをまとった神父が私に気付き取りあってくれた。


「ほんとうに竜などいるのでしょうか」

 私は半信半疑になっていた。港町で流れていた噂は、尾ひれのついた話なのだろうかとさえ思った。


「ええ、いることは確かです」神父は確信に満ちた口調で言った。

「しかし町の人々はそれを現実の問題として、受け入れていないではないですか」


 神父は目を伏せると、少し悲しそうな顔をした。「竜は東の山からやって来ます。そしてそこには、竜を呼び寄せた男がいます」


 私は驚いて口を挟もうとしたが、神父はそれを手で止めてさらに続けた。

「私には、彼を救うことができませんでした」


「救う、とは」


「東に、貧民窟があります。世捨て人たちの集う『畜生の窟』とよばれている場所です。行けば彼に会えるはずです」

 神父はそれ以上何も言わなかった。私はかび臭い教会を出た。外の空気がおいしかった。




 『畜生の窟』は、町を出て山を踏み入ったところにあった。崖に穿たれた門のように大きな入口には、掘削されて広げられた痕が残っており、また格子で塞がれていた。周りには、背丈の高い木々が茂っており、その陰のせいで薄暗かった。格子には苔やら蔦やらがびっしりと絡みついていて、私が恐る恐る近寄るとその隙間から白い蛇がにゅるりと滑り出た。


 中は真っ暗で、時折涼しい風が吹いてくる。私は何とも言えない不吉な感じを覚えた。この穴に入ってしまったら、もう取り返しがつかないような、そんな気がした。


「入るのかい」

 後ろから声がして咄嗟に振り向くと、擦り切れた長めのマントを羽織った男が立っていた。男は鷹を思わせるしゅっとした目鼻立ちをしていて、髪は真珠のように深い黒色だった。その、長い髪は女がするように前で三つ編みに留められていて、あとの髪は無造作に肩から背中に流されていた。

 ずっと見ていると吸い込まれそうな鋭い眼をしている。まるでこの窟のようだ。私がそんなことを考えていると、男が歩み寄ってきた。口元には微かだが笑みのようなものが浮かんでいるように見える。


「え、その窟に入るのかい」男が言った。華奢な外見からは想像のつかない、地から響くような張りのある声をしていた。

「いや、ただ観光の帰りに立ち寄っただけです」


「入ればいいよ。面白いものが見れる」男は早足で格子の前に行くと、扉を押して開いた。男は暗闇に足を踏み入れた。


 その、闇に落ち込んでいくような後姿を見た時私は、直感的にああこの男こそ、神父の言っていた、竜を呼び寄せた男なのだと悟った。私は意を決して、『畜生の窟』に足を踏み入れた。前を行く男の後ろ姿に声をかけた。


「時に、あなたの名は?」


「カゲロウだ」男は言った。


 


 洞窟は、蛇のように曲がりくねりながら続いていた。汚れた服を着た、獣のような男たちがそこここに、まるで幽鬼のように腰をおろしている。皆がりがりに痩せていて、目は死んだ魚のように淀んでいた。


「あれは何です」私が男たちを指差して訊ねると、カゲロウはちらと視線をそっちにやって言った。

「ヒシカバを吸いすぎて、頭がおかしくなっちまったんだな」


 ヒシカバという名には心当たりがあった。ゴルドを中心に流通している麻薬の一種だ。強い幻覚作用があり、一度中毒に陥ってしまえば最早廃人になる他ないという。


「あなたは何なんです」黙っていると気が狂いそうだったので、そう話を切り出した。カゲロウは首をごきごき鳴らした。

「おれか?おれはここから生き返ったんだ」


 カゲロウは足を止めた。通路はそこから開けていて、明かりに照らされた広い空間に繋がっていた。奥まったところに大きな穴がぽっかりと口を開けていて、ぎざぎざしたその縁に数十人の男たちが座り込んで中をじっと覗きこんでいる。


「奴らじきにあの穴に身を投げて、闇に喰われる。ここに来るのはもうほんとうに全てのものを捨てた奴だけだ」


 カゲロウは穴の縁に歩み寄った。私もそろそろと後に続いた。汗にまみれた男たちの背中から、ヒシカバの甘ったるい臭いが漂ってきた。

「おれも一度縁に立った。それで闇と目を合わせたんだが、何だか急にそこで死ぬ気がなくなった。闇に喰われるんじゃなくて、逆に、闇をおれの中に取り込んでやろうとしたんだ」


 男が一人、穴に落ちた。

私は底を覗き込もうとしたが、それが眼に映った瞬間すぐに顔を背けた。穴の中にいた()()は、カゲロウの闇夜のように昏いあの髪と、同じ色をしていた。




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