プロローグ(6)
俺は静かに覚醒する。足が引きつる感覚があるのはおそらく治療精霊のせいであろう。おそらく今火の玉の当たったところを見ると何事もなかったかのようにきれいになっているだろう。
あたりを見回してみると医療室であることが分かった。おそらく学園の医療室であろう。
「起きたかの?」
俺は声をする方を向いた。そこには白衣を着た子供がいた。
「おぬし、我を見てこう考えたであろう?」
口調はいささか高圧的な所があるが、白衣の下には普通の私服を着ている。それも子供が少し大人に見てもらえるような服だ。少し露出がある服だと言っておこう。
「大人びたきれいな淑女だと」
……ちょっとというかかなり頭のキテル子だというのは分かった。髪は金髪で腰のあたりまでも伸びている。眼の色は赤くきれいだ。スタイルは凸凹がないがすらりと伸びた手足や体。どこか美術品を思わせる形だ。
「ムー、明らかに反応がないのもつまらんの」
そりゃあ、幼女の趣味はないので。でもあと五年ほどたてば全然ウエルカムだな。
「とりあえず、先生の娘さんかな? お医者さんごっこはとりあえずやめて」
「ほほう、おぬし我を子ども扱いするのだな、いい度胸じゃ、完璧な拷問というものをおぬし知っておるか?」
え、なに。なんで子供、スイッチがはいちゃったの? 手にいつの間にかメスがたくさん握り締められてるし、え、なにこれ。
「普通に拷問するだけじゃいつかは死ぬ。でも治療と拷問を絶妙な具合でやれれば、永遠と苦痛の続く、最高の拷問となり得るのじゃ」
言ってることかなり怖いっていうか、いつの間にか俺の上で馬乗りになってるし、こ、怖い。
「…………ルヴィ・キャリアリン教諭兼学園衛生管理官殿」
その声が聞こえると俺のひざに突き立てようとしていたメスがぴたりと止まる。
ん? 教諭? 学園衛生管理官?
「自分で治療した生徒を拷問にかけてどうするおつもりです?」
「だって、こやつが我を子ども扱いするのじゃ」
カーテンの向こう側から聞こえてくるその声の主は医療室の扉にいるようでこちらに歩いてくる。姿が見えると俺は驚いた。
「ミリア会長」
「もう私の名前を憶えてくれたか、嬉しく思うぞ。セルファ・サイリファス」
「なんで俺の名前を?」
するとミリア会長は自分の頭を指差し答える。
「生徒自治会長であろうもの、最低限全員の生徒の顔と名前を憶えないとな」
まだそれも入学したての一介の男子生徒だぞ。なかなか他の人には絶対にまねできない。
「大人のルヴィ教諭が子ども扱いされて怒るのは分かります。でも彼は今日入ったばかりの生徒です。ここは私の顔に免じてお許しをいただけないでしょうか」
「むむ、おぬしが言うのなら仕方がないのう」
大人という単語を聞いて途端に大人しくなった。
メスをどこかへとしまうルヴィ先生。もう絶対子ども扱いしないようにしよう。
俺は改めてあたりを眺めた。目の前には俺から離れたルヴィ先生。その横にはミリア会長だ。そして会長の後ろにもう一人いた。
「まったく人騒がせな人ですね。火の玉が当たっただけというのに三時間以上気絶とは。そして、ルヴィ先生をここまで怒らせるとは言語道断ですね」
その声とともに現れたのは眼鏡をかけた女性。
背は小柄だが紺色の髪をショートにしていた。利発な眼鏡がとてもよく似合っている。
「生徒自治会書記のレイミィ・リアリシアです。以後お見知りおきを。別に覚えてくれなくても結構ですよ」
きっちりとしたタイプなのか体に一切の乱れがない感じだ。
「でもこの一介の生徒にわざわざ自治会長が来るとはどういった要件なのじゃ?」
「騒動のことに関して彼に伝えなければならない事がありまして。その他にもいろいろと」
「我も本人とおぬしに怪我の事を伝えんといかんのじゃったな」
「では私は長くなると思いますので先生からお願いできますか」
ミリア会長は物腰も柔らかいがどこか懐の厚さを感じるような人柄だ。それも実技精霊戦闘においては学園でトップであり、いまだ負け知らずとある。学園外でもその名を知らないほどの有名人である。
「まず、小僧。おぬしの怪我の具合じゃが、我直々の医療精霊を施しておいたから、大丈夫じゃ。自分で患部を見てみるのじゃ」
俺は言われるがまま右足の裾をめくってみた。自分で見てもびっくりした。怪我した後など微塵も感じさせない。むしろ怪我を本当にしたのかと疑いたくなるほどだ。
俺はレヴィ先生の精霊を探す。
すると、部屋の片隅のほうにいた。
これも驚いた。彼女の精霊は彼女とまったく瓜二つの姿かたちをしている。違いといえば少し透けているぐらいだ。
この精霊も一癖二癖ありそうだなと思うにとどまっておく。
「いつ見ても教諭の施術には感服いたします」
「なぁに、もっと我を褒めるのじゃ」
見るからに大人が子どもを褒めているとしか思えないな。
それにしても鼻が伸びてるなぁ。まぁ、さらに子供らしい感じがして可愛いのだが。
「あと少年。術の影響でしばらく痺れているような感覚が残るがそれも数時間の我慢じゃ。それまではそこにおいてある松葉杖で対応するのじゃ」
俺は分かりましたと返事をする。それを確かめるとルヴィ先生は自分の言うことは以上だといって会話を終了する。その次にミリア会長が口を開く。
「まずお礼を言おうセルファ。君のおかげで重傷者が出なくて済んだ」
おそらく重傷者とは完全に完治のしない怪我という意味だろう。これほど高い精度の治療精霊のいるところだと、一日のうちで骨折さえも完治してしまうだろう。
「そして申し訳ない。生徒の不徳は私の不徳によるものだ。君になんて謝ればいいか」
「いや、とんでもない、気にしないでください」
頭をベットに叩きつけるくらいの勢いで頭を下げてきた会長に俺は驚いた。生徒の不徳って相手は学園に入って一日しかたってない奴だぞ。
「火の精霊を使った者は一週間の自宅謹慎、相手方の者は戒告と一週間の慈善活動だ。このような寛大な処分も君のおかげだろうな」
それもそうだろう。一生消えない傷を負わしたとなるとそれどころではなかっただろう。
「それで俺が庇った人はどうなったんですか?」
「彼は擦り傷程度だったから、レヴィ教諭の処置後すぐに自分のクラスに戻ったよ」
とにかく無事だとわかってほっとした。その騒動後のことをいくつか聞いたあとのことだった。
「で、セルファ。一つ教えてほしいことがあるんだが」
改まってなんだろうか。
「何でしょうか?」
「君はどうやって彼を助けたんだい?」
俺はその質問に内心心臓が出るのではないかと思うくらいに驚いた。カシィアどこ行きやがった。てめぇ、不自然じゃないとかぬかしやがったのに、なんだよこれは。
「…………一応精霊の力ですね」
心を見透かすような眼をしてこちらを見つめてくるミリア会長。
「そうか、なかなかの実力だな。それに、自分の能力をひけらかさないその心意気。うん、気に入った」
はい? 気に入った?
「セルファ、生徒自治会に入らないか? 今ちょうど庶務の席が空いているんだ」
展開が急すぎるのか、今さっき起きたばっかりだから頭が回っていないのか、とにかく状況を読み込めていない。
「えっと、どういうことですか」
「セルファは今日学園に入ったばっかりだからわからないんだろうが。今回のような騒動は特に珍しい事でもないんだ」
「新入生が初日に問題を起こすのは珍しいですが」
書記のレイミィが後ろから補足してきた。
「そんな輩を生徒側で自ら律しようとできた組織が生徒自治会だ。物騒だと思うかもしれないがもちろん文化祭典などといった企画もできるぞ」
「そんなこと言っておきながら体しか動かさず、頭を使う仕事を一向に手伝ってくれないのはどこの誰でしょうか」
ミリア会長が明らかに苦笑いする。後ろから痛い所をぐっさりと刺されれば仕方ない。
「それに君は学力試験結果もなかなかのものだったからレイミィの仕事の手伝いもこなせるだろう。…………私とは違って」
あきらかに自分はこれからも手伝いません宣言してないか、この人。
でも、答えは明らかに決まっていた。こんなとびっきりの美人とお近づきになるのはとてもうれしい事ではあるが。
「とてもいいお誘いなのですが、遠慮させていただきます」
断腸の思いである。でもそれを断るほどの理由が多々あるのだ。
「理由を聞かせてくれるかい?」
「すみません、私事なので、言えません」
「そうか」
少しも残念そうな顔をしていなかった。ここまで堂々としていると好感を持てる。
「では、意志が固そうだな、では、こちらも……」
そういってミリア会長は制服のボタンをはずし、上着を一枚脱いだ。
って、おいィ! 脈絡もくそもないぞぉ! 今までの流れの中に服を脱ぐといった流れがあったってんだ。
「何服脱いでるんですか!」
「何って君が生徒自治会に無理矢理でもはいれるような口実を作ろうとしてるのだけど」
いやいやいや、言っている意味が少しもわからない。
言っている間に、シャツ一枚になってスカートもいつの間にか脱ぎ去っていた。大きなシャツのおかげで下の下着が見えない。むしろ見えないからその中身が何か気になってしまう。
それに見事なプロモーションではだけた胸元や、すらりと伸びた肉付きの良い太ももが扇情的に俺を煽る。
「会長と初対面のセルファさんに役立つ情報を一つ言っておきましょう」
「なんでしょうか! 書記のレイミィさん!」
俺は会長から目を背けて言う。
「会長は自分の気に入った人物をどんな手を使っても生徒自治会に入れようとしますよ。まぁ、ここまでするのも珍しいですが」
役に立たない情報ありがとうございます。
「それと忠告しておきます」
今度は何だろう。
「私にある事ない事学園中に広められたくないのであれば素直に入る事をお勧めします」
ておい、会長じゃなくてあんたが広めるんかい! さらっと忠告ではなく脅しをかけるあなたも十分変わってますよ。
「私の仕事の負担の軽減のためですから」
本音言ったよ。ものすごく、正直ですね。
「先生、生徒が脅されているんですけど、いいんですか!」
俺は先ほどから静かだったルヴィ先生へと助けを求める。
「あー、あー、何も聞こえないのじゃ、我は何も聞こえないのじゃ」
聞こえてるな。絶対に聞こえている。これは賄賂だな。確実に。いったいいくら握らされたんだ。
「わかりました。入ればいいんでしょ、入れば」
この状況を脱する方法があるなら教えてほしい。どう考えても屈するしかない状況だ。
「じゃあ、この用紙に名前を書いてくれ」
ミリア会長がそう言うとレイミィが一枚の用紙とペンを俺のベッドの机においた。大変準備がよろしいですね。
「とりあえず、会長、何か着てくれませんか」
「ああ、これなら大丈夫だ」
何が大丈夫なんだ。魅力的な女性が目の前で下着にシャツ一枚というのは、良い意味でだがこちらの精神衛生上よろしくない。
「いや、これは水着だから気にするな」
……………………………………。
「普通に考えたら、初対面の相手にそんな格好するわけないじゃないですか。常識ですよ」
うわ、この人達に常識うんぬん言われたよ。……あぁ、泣きたくなってきた。
「ぷくくっ」
隅で笑っている金髪ロリは爆発してしまえばいいと思う。
「まぁ、とりあえず自治会の活動だが、今日はいいから明日からでお願いするよ。当面の間慣れるまではレイミィの補佐として動いてもらえばいいから」
「ばんばん雑用押し付けるのでよろしくお願いします」
相変わらず包み隠さず言いますね。俺はため息をついて言う。
「役に立つかわかりませんが、よろしくお願いします」
その答えを聞いてミリア会長は向日葵以上の笑みを向けてきた。
「さて」
俺は自治会メンバーと金髪ロリ先生が席を外したのを確認すると、隣のベッドのカーテンに手をかけて勢いよく開け放つ。
「カシィアてめぇええぇぇぇぇ」
案の定そこには俺の契約精霊のカシィアがそこにいた。
『なによぉ……』
ゆっくりと上半身を起こし、目をこすっているカシィア。どうやら眠っていたらしい。って精霊ってねるのかよ。
それにちょっと服がはだけて胸元がチラリと見えている。けしからん。
「対価を支払ったのにめんどくせぇことになってるぞ、この野郎」
『ケチるとかせこい真似をするからよ』
ぐ、何ともいえねぇ。確かに結構力押しに交渉したのは自分なのだ。文句を言うのは筋違いかもしれない。俺は頭を掻いて言う。
「お前は今回の展開は見通せていたのか」
精霊は人知をはるかに超える領域にいるモノ、契約によってもたらされる未来などは容易に見ることができるだろう。特にカシィアなど高みにいる精霊は特にだろう。
『さぁ、どうかしら』
聞いたからって教えてくれるわけがなかった。
それに人間の価値観など精霊には通用しない。
「お前たちは契約を違うことはないんだろう?」
『ええ、そうよ。私達精霊にとって契約とは絶対遵守のもの。あなたたち人間が思っている以上に。確実に裏切ることのできない約束といって言ってもいいかしら。破ることイコール、自分の存在を否定する事』
「ならいい。今回の件は単なる偶然と思っておく」
もし仮に過去に交わした契約を破っていたのなら、俺はおそらく、カシィアのことを許すことはないだろう。
『ねぇ、それよりおなかすいたー。チキンちょうだーい』
いつものカシィアが出てきた。
精霊は特に形が定まっていない。カシィアのように人型であることが逆にまれで、動物だったり、ミリア会長の契約精霊の黒の鎧といったように生き物ですらない場合もある。姿が物であろうがしゃべるのだが。かといって姿かたちによって精霊の強弱が決まるわけでもない。
『ちぃ~きぃ~ん~』
とりあえず、失った時間分をどのように補うか考える。このままじゃキャッキャウフフの青春学園生活という計画が狂ってしまう。
昼も過ぎているし、教室に戻る前に食堂へ行って簡単にでもおなかに何か入れよう。そのついでにカシィアにエサをやればいい。
俺は医療室を後にした。