プロローグ(4)
精霊は現実世界と孤立した空間【精霊空間】を生み出すことができる。そこは現実世界と隔離し、何もかも精霊が思うがままの事象で存在する。
時間も何もかもが精霊の思うがままである。
『君は目の前の悲劇を止めようと願った。だから交渉の部屋を要したわ』
目の前では小柄な青年は不良Aから放たれて、黒髪がはじいた火の流れ弾のが男子の眼前で停止している。
彼女の手にはソロバンという小さな数珠がいっぱいある古式の計算器具が持たれている。
『あなたがこのままでいいというのであれば、この子は顔面に火の玉が直撃。一生消えないやけど跡ができるわ。この学園にいる最新の医療精霊においてもやけど跡は消せないのは分かってるわよね』
ああ、言われなくても十分承知している。
医療精霊は精霊の力を借り、人の再生機能を活性化させるものである。腕や腹にやけどを負ったとしても、完璧にやけどがなかったかのように再生することができる。
しかし、顔になると話が変わってくる。医療精霊はそこまで万能ではない。
精霊の力は患部部分だけを対象にできるほど器用ではなく、その周りの細胞も対象となる。正常な部分も同じように活性化すると異常を起こす。
正常な道具を無駄にいじって壊してしまうと思ったらわかりやすいだろう。
腕や足、腹などはそうなったとしても時間ともに再生させることが可能な為、さほど問題はない。しかし、顔はそうはいかない。顔の近くに取り返しのきかない部分がある。
それは脳だ。
これに関しては一度異常をきたしてしまえば一石二鳥で済むものではない。
だから、顔のケガ跡を消すことはできない。
『私は、対価の精霊。それに見合う対価を支払うのであれば、あなたの思う通りの結末を……』
「おい、バカチキンマニア」
『何よ』
「一度目ってわけじゃないんだ。そんな堅苦しいのは抜きにしようぜ」
『馬鹿ねぇ、こういうのは雰囲気っていうもんが大事なんじゃない』
カシィアはぶつぶつ言いながら本題を切り出してくる。
『じゃあ、セルファの【望む結末】を設定して』
これからの流れは実に簡単だ。俺が【望む結末】を制定してそれに対する対価を支払う。支払えば【望む結末】があいつの精霊の力でもたらされる。
高望みすればそれだけ対価を要求される。逆であれば少しの対価でいい。
「俺の【望む結末】は俺が彼を助けるという結末だ」
『あらてっきりスカート姿の女の子を助けるのが夢だなんて言うと思ってたけど』
「仕方ないだろ、こういう状況じゃ」
『その通りね。まぁ、いいわ。セルファの【望む結末】は【目の前の子を自分で助ける】に設定。次に【手段】を設定しなさい』
「【手段】は火の玉を曲げるのと俺が彼を助けるのはどちらの方が易しいんだ?」
『結論から言えばセルファが助ける方が比較的対価量はお得よ。火の玉を曲げるのはそこまで難しくないけど不自然に曲がっちゃうからこの観衆全員に意識の改変をしなくちゃいけないわ。あと、あなたのいる場所からだとあなたが彼を助けたとして、距離的にもさほど不自然じゃないわ。精霊の力を使ったなんて言えば言い訳もできるし』
「それじゃあ【手段】として俺が飛び込んで助けるとして設定する」
『わかったわ』
すると俺とカシィアの間に黄金の天秤が現れる。今その天秤は水平を保っている。
『その【手段】でもたらす【望む結末】の対価量を一〇〇とします』
そういうとその少年の人形が天秤の片側におかれる。天秤は当然に右側に傾いた。
『さぁ、セルファ、あなたの【望む結末】のため、あなたの支払うべき対価を示しなさい』
対価量といってもあくまでも目安だ。どんな【望む結末】であろうが一〇〇となる。
そして、この場において重要なのは交渉だ。
同じ対価であろうとも交渉によっては一〇〇になったり、逆に〇になったりする。ようはカシィアのさじ加減なのだ。
要は俺の示す対価をあいつに高い対価だと思わせればいい。
そして、まず知らなければならないのは……。
「仮に俺の命が対価だと言ったらどうなるんだ」
自分が望んでいる結末がどれほどのものなのか把握しなければならない。
『火の玉が顔に当たって跡が残るってだけだから、命までは失わないんだから、おつりがいくらでも出るわよ。チキンが何万本でも買えるわ。ちなみに……』
カシィアは手に持っているソロバンをはじき始める。
『あなたの未来のことだから具体的なことは伏せておくけど、あなたの寿命、生産性、どのような子ができるとか、さまざまな将来性を考慮して考えると、【望む結末】の一〇〇に対してあなたの命の対価量はは三〇六五万三四二三になるわね』
カシィアは人間ではなく精霊である。
だからこそ『簡単に』人間の命の価値を計算することができる。
しかしまぁ、これじゃあ、高いんだか低いんだかわからないな。
「そしたら俺が彼の代わりに怪我を負うのはどうだ?」
『そうなったら怪我の負う部位によって対価量は変わっていくわ。ちなみに同じ顔に怪我を負うのであれば対価量は……一〇〇でいいわ。傷も残っちゃうしね。だから、顔等の再生治療ができない顔等の部分であれば一〇〇。それ以外の腕、足など再生可能部位で怪我を負うなら、対価量は五〇ってところね』
正直、俺は顔にあの火の玉を受けるのだけは御免こうむる。となれば後者を取るしかない。あと残りの五〇を何の対価で補うかだ。
「それじゃあ、対価として俺の時間を払おう」
『どういうことかしら?』
「俺はあの火の玉を足に受けその衝撃で気絶する。それで気絶している時間を対価として支払おうということさ」
『人生の貴重な時間をそれで支払うってことね』
カシィアも納得いったようだった。
「で、何時間気絶したら対価量の五〇は支払えるんだ?」
その質問にカシィアはソロバンをはじき始める。計算を終えると俺の方へと向く。
『ざっと二四時間よ』
俺は自分の耳を疑った。なぜ一日眠らないといけないんだ。納得していない俺を見てカシィアは口を開く。
『それですべてが済むと思えば安いもんじゃない』
「安いものだと?」
俺はその言葉を聞いて体が震えだす。人ってホントに怒れば肩が震えるんですね。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ! 学園の入学初日の時間がどんだけ大事かわかってんのか。皆浮かれてるし、その分の女の子も開放的で気軽にお話しできるっていうのに、こっちはそんな貴重な時間を払おうとしてんだぞ! その一分一秒で彼氏彼女ができるきっかけになるかもしれないんだぞ。なにが安いだ? ふざけんじゃ……」
『ああ! もうわかったら! 落ち着きなさいよ』
俺が駆け寄ったせいで後ろにのけ反ったカシィア。明らかにめんどくさいって顔している。
「ちょっとの時間でも将来の嫁と出会うきっかけがなくなってしまうんだぞ。ここは二時間の気絶で手を打て」
『それはあんまりにも短くないかしら。ここはたくさんおまけしても5時間よ』
「5時間なんて、お前分かってないな。今はもう昼前なんだぞ、もう学校が終わっちゃっているじゃないか。おれにとっては死活問題だぞ。一日でもうクラス内のグループなんて決まってしまうんだぞ。っていうことは女の子はもうグループを作ってしまっている。そうなれば敷居が高くなって……」
『ああ、もう!わかったわよ。三時間でどう?』
作戦通り。俺は内心微笑んだ。
カシィアは計算高いところはあるのだがめんどくさいことになるとすぐに匙を投げる。今回は俺の作戦勝ちという所だろう。
三時間であれば別に気にするほどでもないだろう。俺は黙って首を縦に振る。
それを見たカシィアは一つ大きなため息をついて俺を見る。
『これで【望む結末】の対価は満たされました』
そういうと俺とカシィアの間に遭った天秤のもう一つの皿のほうに包帯と機械仕掛けの時計が置かれる。前者が俺が怪我を負うことであり、後者が時間を失うということを示す者であろう。
そしてガラスが割れるように精霊空間の周りの壁に亀裂が入る。
『あなたの【望む結末】に幸運を』
カシィアがそういうと精霊空間が崩壊していく。そして止まっていた時間が動き始める。
周りに喧噪が戻ってくる。
俺は自分に気合を入れる。これから自分が怪我するとわかっていても怖いものは怖い。
俺は自分のきき足に力を入れて飛び出す。精霊の力でいつも以上の力が出た。
瞬く間に火の玉を受けようとしていた少年の近くへ来た。俺は体にタックルする形で突き飛ばす。そして寸前に来ていた火の玉は俺の脚に炸裂する。
足がなくなってしまうかと思うぐらいの衝撃と痛みがやってきた。俺は歯を食いしばるが、どうにかなるものではなかった。
目の前が暗くなっていく。今から三時間眠るのだ。
視界の前には庇った少年と、火の玉を弾き飛ばした黒髪の男の顔が見える。
だが俺の意識はそこで暗転する。