1パーセント
三日間はあっという間だった。
カシィアと契約した後はただ淡々と決闘の日を待っていただけだった。特にすることは見つけることさえできなかった。
いざという時こそ見つからないものだ。
『小僧、逃げずに来るとはな、驚いたわ』
「予想が外れたようで何よりだ」
日が変わる時間帯に学園の開けたグラウンドに今俺は来ていた。目の前にはイタチの精霊がいた。普通のイタチと変わらない姿だった。
『それでは貴様と戦うために堕ちるとするかの』
通常、精霊と人間はお互いに物理的に危害を加えることができない。しかし、契約によりその必要が生じた場合は例外となる。
この場合、精霊が人間と同格の存在になることによってそれを可能とする。
それをイタチは『堕ちる』と表現した。人間を格下とみてそう言ったのかは分からない。
しかし、目の前の存在に異変があった。
急にイタチの前足が爆発的に膨張する。
それに合わせるように次々と体の膨張していく。その姿は不気味に泡が膨張していくようで見ていて気持ちのいいものではなかった。
そして俺の身長をゆうに越えていく。
数分もしないうちに、成長は止まる。そこにいるのは化け物以外の表現方法を思いつかなかった。
二本足で立てるように体に比べて異様に発達した両足。
長くて丸太のような欠陥の浮き出ている両腕。
動物のような柔らかそうな毛皮はごつごつとした表面で、見るからに硬そうだった。
どのようなものでもかみちぎれそうな大きく伸びた口。
そこからは隠しきれていない鋭い牙が現れていた。
その背丈は俺の五倍は超えていた。
正直生身であればもう逃げている事だろう。
だけど逃げない理由が俺にはある。
そして俺はこの戦いの前に言われたカシィアの言葉を思い出す。
『あなたが一人で勝つ確率を見てみると、1パーセントにも満たないわよ』
俺は強く拳を握る。
勝てる確率がゼロでなければそれでいい。
俺は床に置いていた棒を手に持つ。
「どんな姿になろうが関係ない。俺は貴様を打ち倒す」
『やってみろ、小僧』
そして戦いの幕が切って落とされた。
俺は前進する。ただでさえ身長差は五倍以上ある。リーチの違いはそれ以上であることは確かだ。まず詰めなければ勝ち目はない。
たった一瞬だけ首にぞわりとした。俺は反射的にしゃがむ。
俺の頭の上がオレンジ色の尻尾が俺のわずか頭上を通過する。その横払いの尻尾が本当に当っていたら首が消し飛んでいた。
そして、俺のあたり一帯に強烈な圧迫感を感じた。俺はすぐに飛び込むようにしてその一帯から飛び出す。
そしてその一帯はイタチの巨大な尻尾が叩き落されていた。もし避けていなかったらぐちゃぐちゃにつぶれていただろう。
体の至る所がチクチクする感覚に襲われる。俺はその感覚を頼りに体一つ分だけ横へとずれ、イタチに向かって前進する。
俺の体の横をイタチの伸びた無数の爪が通過していく。もし避けていなかったら全身穴だらけになっていたことだろう。
『普通の人間ならもうすでに死んでいたであろうな。小僧、いったい何をしたのだ? 我が真実を見てやろう』
真実の精霊。その力を使うことによってその者の真実を見ることができる。こちらを見透かすように見てくる。決して気分のいいものではない。
『なるほど、対価の精霊との契約で感覚強化と身体強化を施したようだな』
まさしくその通りだった。
感覚を強化することによって、殺気などのこちらに向けてくる感情を肌で感じ取れるようにした。それによって攻撃を避けようとするものだ。
身体強化したのはその攻撃を避ける為だ。
『とくに感覚強化はおもしろいのぅ』
そういって無数の爪を撃ってきた。だが先ほどとは違っていた。
チクチクとする感覚が全身の至る所数えきれないくらいにある。俺は慌てて横へと飛ぶ。しかし感覚はまだ途切れていなかった。俺は横へと走る。そのあとを追うように爪の連弾が追いかけてくる。
俺はそのすべてに対処することができなくなった。
そしてその爪の一発が俺の足をかすめた。
「ぐぁぁあああ!」
俺はあまりにもするどい痛みに声を上げる。かすめただけなのにだ。
なぜこのようになったのかイタチは知っているようだった。
『感覚の強化は痛覚も行われていたのだな。ただのかすり傷が切れ味の悪いのこぎりで切られたように痛むのであろう?』
俺は歯を食いしばって痛みに耐える。意識を失わないように棒を握る手に力を入れる。
『利点を得ると同時に欠点を得ることで対価を相殺したか』
尻尾が叩きこまれるのを俺は力を振り絞って飛んで避ける。
『面白いな小僧』
「お前に面白がってもらうつもりはねぇよ」
俺はとにかく前へと走る。そして尾をつきのばしてくるが俺は感覚を頼り、棒でそらすだけで手いっぱいだった。
少し切り傷を作るだけで意識が飛びそうになる。
『きさまの過去の真実を見てやろうではないか』
俺は棒を握る手に力が入ってしまう。
『お前はごく普通の家庭に生まれた。そして後に生まれた妹は精霊を扱う能力にたけていた。その妹はその学園入学すると将来が約束されるこの学園へと初等部から入学した』
飛んでくる爪を棒を振り上げ弾き飛ばす。俺はまた一歩前へと進む。
『冷気を操る精霊であったが、小娘は薄々自分の身を削ることを理解し、学園でもその力を極力使わなかった』
俺の足元に鞭のように振るわれる尾を飛んで回避する。
『だが、小僧が学園に様子見に来ていた時に限って小娘はその力を使った。なぜだかわかるか?』
俺は答えることもなく前へと進む。
『精霊の対価に耐えきれなくなり暴走した生徒がおり、被害が出る前に小娘が多くの力を使い封じ込めた。だが、小娘自体が対価に耐えきれなくなり倒れることとなった。なんとも不憫なものよな』
俺は飛んでくる爪を力任せに弾く。
『そして小僧は対価の精霊と出会い、契約を交わし多くを引き替えに妹の命を救い、貴様は孤独となった』
「ぺらぺらとうるせぇなぁ!」
俺はそんな言葉を吐きつける。
「お前は、本当に見ていないことでも真実として知ることができるみてぇだな。だけどな」
真実を見れるというだけで勝てるのかとはじめは考えていた。だが、それなのに1パーセントでも勝ち目があることに疑問を持った。
通常なら勝てるわけないのだ。
しかし、今までの攻防で分かったことがある。
何もかも見えるのであれば、なぜ俺は奴の攻撃を避けたり弾いたりすることができるのだ。すべてが見えているのであればそんなことはあり得ない。
「お前、未来までは見えないんだろう」
未来は不確定だ。それは真実とは言えない。ということはあのイタチには見えないということだ。
だが、一つ肝に銘じておかないといけないことがある。
未来でなくなった時にそれはもう真実となる。
そうなれば、奴はそれを見ることができるであろう。
つまり、俺の頭の中で考えて『いた』ことならそれはもう真実となる。あいつは真実であるため知ることができるであろう。
だが、すぐに知ることができないようだ。それなら先ほどの応酬で俺の命は消し飛んでいたことだろう。つまり、過去になり真実となってもすぐには見れないということだ。
だからこそ俺はここで一計を案じる。
俺は棒を地面へと突き刺す。
そしてそこから白い煙が噴き出してくる。その煙はあたり一帯を大きく包み始める。
『目くらましだったのか』
俺自身も驚いている。俺はカシィアに【何かあいつの視界を奪うもの】と契約で注文を付けていた。
それも霧であった。それも簡単に仰いだだけでは改善されないほどの濃い霧だ。
俺はイタチがいるところへと走っていく。
その間に攻撃はあったが、どれも的外れな所に着弾している。
俺は自分の強化された感覚をもとに敵のもとへと走る。
かろうじて認識できるあたりまで接近する。
そして棒で地面を突き、その棒は大きく曲がる。それの反動を利用し俺は空高くに飛び上る。
そして俺は重力で落ちていこうとするときに、棒の先をイタチへと向ける。
狙うは赤く光る眼。
そこへ到達するまで、邪魔するものは何もなかった。
棒の先端は見事に赤い目を捕えて深く突き刺さる。俺はその赤い目を踏みつけている足に力を入れて跳躍する。
これでやられてくれたとは思わない。しかし、これは大きなアドバンテージだ。
『こぞぉおぉおぉぉぉおおおう!』
咆哮を上げる。そしてイタチが暴れはじめる。尾は暴れ周りの地面をえぐり、辺りを破壊する。
今のうちに追い打ちを。地面に降り立った俺は前に一歩進み出た。
その時だった。
一つの尾が俺に向かってくるのが見えた。
気づいたときにはもう足は地面から離れていた。俺の意識が飛んでしまった。




