六話製作
部室とは別に、教養棟の裏手にある掘っ建て小屋を与えられている。僕らはそこを倉庫と呼び、毎年使うものや資材をそこに置いていた。
大道具の製作は部員全員でやるがやる気のあるやつは少ない。先輩はかけない脚本に目を白黒させて手伝いはほどほどだし、一年生はやり方を覚えている段階だ。
そんな状況で三年生に代わって進行を僕がやっているわけであった。
人が上がることが出来る骨組みを立てて昇り降りする階段を取り付ける。
二階部分に丈夫な板を敷いて人が乗れるようにした。
ここまで大掛かりになると鉄骨が主だが僕は木の方が好きだな、と多少の味気なさを感じながらの作業になった。
作業をしながら頭の中では今の自分あり方について悶々としたものを少しずつ溶かしていた。
大学に入って、なじんでしまったこのサークル。
自分で脚本を書いてみるほど演劇が好きだった高校時代、大学生になったらもっと自由に活動できると思っていた。
上下の関係が厳しく下級生は下っ端扱いの演劇部より始めから構成に参加でき、自分たちの演劇が出来る玉手箱に魅力を感じていた。
周りからは第二演劇部なんて呼び名をつけられていたが、その本当の意味を知ったのは一年も後半の頃だった。
そのころ、特別に仲の良い女の子が居た。彼女とは良く意見の違いから言い合うことがあったが、その分仲良くなるのに時間はかからなかった。二人はお互いが真剣に演劇に向き合っていることを分かりあっていた。そう、そのはずだった。
彼女が演劇部に再入部したのは冬を抜けて4月の事だった。僕がそのことを知ったのは3月の終わり、しかし彼女がその意志を部長に伝えたのは11月の事だった。
演劇部は途中入団は無い。いや、正確には学期途中の部員募集は技術部のみである。演者の入団は4月のみであったから彼女、こと坊西晴美は3月までこのサークルで演劇部に顔を売って4月からの入団を果たしたのではないかとさえ考えた。
ただこの部で頑張ろうと思っていた僕は彼女との日々に前に進む力を、友情に似た何かを確かに感じ得ていたから、彼女が部からいなくなってしまったこと、それが11月からの決定事項だったに落胆を隠せなかった。
11月からの5か月間、彼女はどんな思いで僕の話を聞いていたのだろう。
これからの玉手箱をどうしていきたいか、どんな演目をやっていくか、部員のやる気を上げるにはどうしたらいいか。
一年生でこんなことを考えるなんて馬鹿げているかもしれない。でも彼女は僕の話を真剣に聞いて意見をしてくれていた。
そう思っていた。
晴美が大道具の件でちょくちょく部室に来ていた先輩を追いかけて演劇部に入ったというのは噂でしかなかった。直接彼女の口からきいたわけではない。
しかしそんなこともあるだろうな、と妙に納得してしまってからはそれ以外にない事実として僕の中で受け止められた。
そして今、僕はこのサークルにとどまっている。今もこのサークルで演劇部の大道具づくりに毎日いそしんでいる。
こんな惨めな思いを僕は顔に出したくなかった。
その思いだけが今の僕を支えだ。
こんな生活、無意味なのかもしれない。
書き溜めた演劇のノートも、もう4月の途中から書くのを止めていた。
演劇に掛ける活力を、僕は見失っていた。