一話喪失
登場人物紹介
立花幸助大学二年 演劇サークルたまてばこ所属 (視点)
坊西晴美大学二年 演劇部所属
「何か欲しいものはあるか?」
「ありません」
「何かあったらすぐ電話するのよ」
「はい、母さん」
それじゃあ、そう言って父は玄関のとびらをそっと閉めた。
あの子大丈夫かしらねぇ…
母の声が遠くなる。
金属の階段を降りる音が聞こえ、次いで車に乗りこむ音、
そして車の去っていく音が聞こえた。
アパート正面の道路は自動車の往来が激しい通りではない。すぐに沈黙が訪れた。
大学に入って、二回目の春を迎えようかとしていた時だった。
「うう……」
急に腹からこみ上げてくるものがあり、トイレで全て吐き出した。
わざわざ地元からきてくれた両親とともにとった昼食。
この時期だ。父はきっと有給をとってきてくれたのだろう。
心配かけまいと無理して胃に収めたがやはり駄目だったようである。
口元を拭って洗面台で口をゆすぐ。
何もないと思えるこの状況が一番落ち着けた。
何もいらない。
何も欲しいとは思わない。
欲しいから、得るのだ。得るから、失うのだ。
失うから、悲しいのだ。
ならば初めからいらない。
もって無いものは失わないのだから悲しくなることなんてない。
僕は彼女を、晴美を失ったのではない。
晴美は、どこかに行ってしまった。
いや、晴美は、僕が欲しくて、得たのではない。だから失ったわけではない。
失ってなんかない。悲しくなんかない。
……。
空腹も眠気も来ない。
ただなんとなく気持ち悪くてなんとなく頭が重い。
部屋の照明を消して、ベッドに横になる。
毛布を手繰り寄せて包まれると少しばかり気持ちが和らいだ。
もう少し、このままでいたい。
読んでいただきありがとございます。
短いですが最後まで読んでいただけると幸いです。
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