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つぐない  作者: うわの空
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 俺が殺した男と、遺された女の家は、そう広くないマンションだった。駅から遠く、日当たりも悪い1LDK。これなら家賃もあまり高くないと思う。部屋の中も質素で、インテリアなどにはあまり金をかけないタイプのようだった。

 資料で読んだ限りの情報を、俺は懸命に頭から引っ張り出す。殺した男の名前は雨宮和人。三十六歳。女の名前は雨宮凛で、三十二歳だった覚えがある。結婚して三年、子供はいない。男はコンビニの店長、女もパートで出稼ぎに行っていたはずだ。それ以外のことはあまり詳しくない。被害者のプライバシー保護というのもあったのだと思う。

 彼女が読んだという俺の資料には、どこまで書かれていたのだろうか。少なくとも両親がいないことや、施設で育ったこと、現在一人暮らしをしていたことは書かれていたと思う。中学生の頃から暴力的だったとか反抗的だったとか、そういったことも書かれているのだろうか。


 自宅のような気分でいなさい、と言われたがそういうわけにもいかない。しかし、なにもせずに凝り固まっているわけにもいかないだろう。午後五時。俺は彼女に声をかけた。


「あの。今日から俺が、飯、作ります。一人暮らししてたんで、多少は作れると思いますし。晩飯、食いたいもんとかありますか」


 敬語は苦手だ。だが、ため口というわけにもいかないだろう。

 彼女はほんの少しだけ俺に顔を向ける。正面から見た時よりも、横顔の方が遥かに儚げだ。


「では……鶏の唐揚げを。下味にマヨネーズをいれてください。それと、胡椒をたっぷりいれたポテトサラダ。確か林檎が余っていたので、薄くスライスして、それも加えてください。味噌汁は出汁をきかせたものに、わかめと大根、玉ねぎと豆腐を。……玉ねぎを多めに」


 ――思っていたより細かい注文だった。おまけに、ガッツリした内容だと思う。ポテサラに林檎が入っているのは邪道だと思っていたが、文句は言えない。俺は頷いた。彼女はそれを確認するとテレビをつけ、夕方のニュースを見始めた。

 初めて来た場所なので、どこに何があるのかさっぱり分からない。俺は彼女に質問しながらも、言われた通りの料理を作った。こう見えて自炊していたので、割とうまく作れたと思う。

 ところが、彼女はどの料理にも箸をつけなかった。味噌汁すら口にしない。彼女が食べないのに俺がばくばく食べるというわけにもいかず、お互い黙ったまま三十分が過ぎた。料理はすっかり冷め、俺の腹が鳴ったころ、彼女はようやく口を開いた。


「食べなさい」


 ……命令形。俺は変な汗をかいたまま、割り箸を握った。上手く作れたはずだが、どの料理の味も分からなかった。

 彼女はそんな俺をじいっと眺め、唐揚げを見、再度俺を見た。


「料理ができるのは意外でした。資料には書いてませんでしたからね」


 言葉の割に、感嘆も感心もこめられていなかった。吐き気をこらえながら味噌汁を飲む。共に生活しろとは言っていたが、彼女がキッチンの包丁で俺を刺さない保障はどこにもないのだ。寝込みを襲われる可能性だってある。殺人犯の俺に、安心も安全もない。


「不安ですか」


 俺の心を見抜いたかのようなタイミングで、彼女が言った。どんどん冷たくなる彼女の視線とは反比例して、つけっぱなしのバラエティ番組だけがどんどん盛り上がっていく。俺は箸を置いて、彼女を見た。


「……どうすればいい、ですか」

「今夜の寝床ですか? さすがに寝室は分けたいので、あなたはリビングのソファで寝てください。掛け布団はあとで渡します」

「そうじゃなくて」


 どうすればこの状況を脱出できるのか。殺されるのは怖かったが、こうして食卓で向き合っている時間も怖かった。これなら、刑務所に入っていた方がまだマシだったんじゃないかとすら思える。あそこなら、まだ安全だし安心だ。


「……償う方法は自分で考えなさい、と言ったはずです」


 無表情のまま、彼女は言い放つ。彼女の後ろにある写真立てが見えた。彼女と、俺が殺した男が並んで立っている。あれはいつ撮影したものだろうか。その時は、自分が殺されるだなんて思いもしなかっただろう。殺された男の隣にいる女も、無邪気に笑っている。

 後ろの写真に写っている女とは同一人物だと思えない目の前の彼女が、一切手を付けていない料理を指さした。


「――間下、これを下げてください。勿体ないのでラップをして冷蔵庫に入れ、明日の朝、あなたが食べるように」


 朝から唐揚げ……。しかし、頷くしかなかった。


「……雨宮さんは、何も食わないんですか」


 俺の質問には答えず、彼女は立ち上がる。キッチンにあったティファールの電気ケトルで湯を沸かし、マグと、紅茶のティーバッグを用意し始めた。紅茶の入ったマグと、ミルクを二つ持って、寝室であろう部屋に入っていく。ドアを閉め、鍵をかける音まで聞こえた。

 ……紅茶くらい、言ってくれれば俺が用意したのに。そう思いながらも、俺は一人分の食器を片付けた。



 翌朝、彼女はなかなか寝室から出てこなかった。朝飯はどうするつもりだろう。十時まで待ったが彼女が出てくる気配はなく、俺は意を決して寝室のドアを叩いた。


「雨宮さん。起きてます? 朝飯、どうしますか」


 一分待ったが反応がなかった。まだ寝てるんだろうか、と思った矢先、のろのろとドアが開いた。ドアノブの音すら生気がない。

 彼女の顔は青白かった。それとは対照的に目が赤い。

 ――……泣いてたんだ。


「……あの、朝飯」


 彼女は俺の問いかけに応じず、今にも倒れそうな足取りで洗面所へと向かう。歯磨きの音、洗顔の音……。一通り終えた彼女はキッチンで、またしても一人分の紅茶を作った。ミルクは二つ。彼女はマグの方を見たままで、寝室の前で棒立ちになっていた俺に言い放った。


「昼食は要りません。あなたの分だけ作って食べなさい」

「……晩飯は」

「下味にマヨネーズをいれた唐揚げ。胡椒をきかせ、林檎をいれたポテトサラダ。玉ねぎを多めに入れ、出汁をきかせた味噌汁。……食材が足りなければ、買いに行ってください。あなたの食費は国から支払われていますのでご心配なく」


 ……晩飯の内容が、昨日とまったく一緒だ。俺の朝飯とも一緒だ。俺が首をかしげるのと、彼女がドアを閉めるのは同じタイミングだった。


 結局、この日の夜も彼女は食べなかった。俺が食べる様子を眺めるだけ。無表情かつ無言で俺のことをにらみ、紅茶を作り、キッチンから出ていく。

一緒に暮らすようになってまだ二日だが、ますます痩せているような気がする。俺の料理が下手なのかと思い、彼女の指定からはみ出ない範囲であれこれ試行錯誤したが、結局一口も食べてもらえなかった。

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