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野良狼、拾いました   作者: 桔夜読書
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1話 幼き日の夢

それは、白い雪に赤く滲んだ、誓いの記憶だった。


時刻は真夜中、場所は昔の武家屋敷を彷彿とさせる平屋造りの屋敷だった。その庭は広く、空からは月の光と白い雪が降り注ぎ、夜なのに淡く輝き、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。その雰囲気に似つかわしくない悲嘆に暮れた声がこだまする。

「父さん!父さん!!」

叫び声にも近いそれは、本来ならこの時間には聞くことのないような幼い声音である。

少年か、あるいは少女か。その声の主がまだ十にも満たないことを差し引いても、その判断を躊躇わせる。

遠巻きに見てもわかる艶のある黒髪は右目を少し隠す程に長く、襟足も首筋を露わにしない。和装の寝間着を着た体の線は細く、今こそ涙で相貌が崩れてはいるがそれでも尚、顔つきが整った物であることは一見してわかる。

「父さん!!」

年相応に感情を発露して涙ながらに声を枯らす。その手は抱き抱える者、おそらくは父親の血で赤く、体は降りしきる雪と寒さで白く染まっていた。震える声と手は、寒さだけの理由に留まらないのだろう、子供の絶望を推し量らせるものである。

「目を開けて!死なないで!!」

雪に吸い込まれる叫び声。それを聞くものは子供のみ。周りには誰一人いない。少なくとも生きているものはいないだろう。

子供とその父親を中心とした周りには数人の人間とおぼしき死体が転がっていた。なぜ、おぼしきと言ったか。それはその死体らがまともに人の形を留めていないからだ。細切れのように切り刻まれているそれらは幻想的な庭にあって、また違った非現実を無粋にも押し付けてくる。子どもはその素知らぬ死者など意に介さず、息のある肉親に呼び掛け続けていた。

「どうして……どうして父さんが死ななきゃ…いけないの…」

喉が涸れ、涙は枯れず、掠れた声で子どもは俯いて悲嘆に暮れる。しかし…

「…おいおい…まだ、くたばっちゃいねぇぜ…」

それ以上の弱々しい男の声が子どもの顔を上げさせた。

「父さん!」

子供は喜色顕わに瞳を開き、その蒼い双眸で苦しそうに呻く男を見つめる。

「んな耳許で騒がれたら、おちおち黄泉の旅路に行けやしねぇ。俺の息子なんだからガタガタわめくんじゃねぇよ」

男は死の淵にいる人間とは思えないことをいってのける。その声に張りはないものの焦燥の色もなく、あるのは息子の無事を知った安心だけだった。

男はまだ40にも満たない年齢だろうか。癖のある髪、地黒の肌、明らかに手入れされてない髭、腹部を中心に赤く染まった甚平。その上からでも鍛えられた体であることはわかるが、今はそこに込められる力はほとんど残ってないのだろう。目を閉じたまま苦しげに上下するのが精一杯といったところだ。

「何言ってるの…?まだ死なないでよ…僕はまだ父さんと一緒に…」

子供、いや、少年は母親似なのであろう。涙を流し懇願するさまは目の前の男の息子とは思えない儚さだ。ここまで振る舞いすら似通わないと、もしや二人に血の繋がりは無いのではないかと疑いを抱くほどである。

しかし…

「あまえんなよ…」

「っ!?」

父親の鋭い視線が息子を射抜く。開いたその眼は青く澄んでいた。ビー玉のように透き通るそれは、明らかに日本人である二人の風貌に違和感を思わせることなく、嵌め込まれている。

眼というのは他のものに比べかなり強く遺伝しやすいものだが、この珍しい蒼眼こそがこれ以上無いほどに二人が血の繋がった親子であることを如実に物語っている。

「…いいか…今から言うことは当主としての遺言だ。一言一句聴き逃すんじゃねぇよ…」

「っ!?そんな…」

少年の声はか細く震えている。それも当然だろう。幼くして、実父の死と重い責任という現実を抱えさせられようとしているのだから。


どうして…どうしてこんなことに…


ついさっきまでみんなで幸せな時間を過ごしていた。今日はクリスマスだけど宗教の問題で盛大には祝えないからって、爺やの作ったケーキを食べた。僕の憧れである父さん、厳しいけどいつも世話をしてくれる爺や、そして2つ下の従姉妹。母さんはいないけどこれ以上なく幸せだった。


でも、それは長くは続かなかった。


いきなりだった。暗くなったと思ったらガラスが割れる音がして、すぐに父さんと爺やが動いて、僕はとても怖かったけど怯える妹を守ろうとしてその体を抱き寄せた。なにもできないけど、少しでもおちつけるように。争うような音がした。それですぐに「これは父さんの仕事に関係することなんだ」とどこか冷静に悟った。


きっと…すぐ戻ってくる…傷だらけでもいつもみたいに笑いながら…


しかし、そんな期待が打ち砕かれたことをすぐに知ることとなった。


音が止んだ。沈黙が怖かった。でも妹を怖がらせないように精一杯気丈に振る舞った気がする。妹からは「おにぃちゃんだいじょーぶ?」と舌足らずな声で心配されてしまったが、しばらくすると音もなく爺やが戻ってきた。傷だらけではあるが無事のようだ。その事に安堵するも何故父さんが来ないのかという疑問がすぐに湧いた。

「失礼します(ゆめ)様」

そういって爺やはどうやったのか妹を眠らせた。僕は訳がわからないまま呆然と爺やを見る。

「夢様は寝かせ、(のぞみ)様だけを寄越すように申し付けられましたので、少々手荒ですが夢様にはお眠り頂きました。庭で旦那様がお待ちです。急いでお向かい下さいませ」

いつもと変わらぬ丁寧な口調でそう喋り終えると、自分にはもう何も喋る資格が無いと言わんばかりに、苦々しい表情で妹を抱えて奥の部屋へと消えていった。

そして僕は庭へと向かい


「そんな、そんな…父さん!!」


血を流し倒れる父さんを見つけたのだ。



これは悪い夢だ。少年の表情はそう言いた気だ。しきりにまばたきを繰り返す様は、目を開けた次の瞬間にはすべてが元通りになってる。そんな現実逃避が見える。

しかし、その身に触れる父親から流れる生温かな赤い血と、それに反するような冷たく白い雪が否応なくこれは現実だと叫ぶ。

「確かに、今のお前にこれはちぃとばかし重いだろうな。俺ですら15才の時だった…でも大丈夫だ。爺やもいるし、お前は頭いいし、なにより…お前は俺の息子だ」

なんの臆面もなく、自分の息子だからと言いきれる父親に少年は少し気恥ずかしさを感じたが、他のどんな言葉よりその言葉は少年を勇気づけた。少年は決して愚かではない。子供として当たり前の悲しみはあるが、同時にこれが避けられない現実であることを正しく認識している。ならば、ここで残りの僅かな時間を自身の一時の感情で無駄にしてはいけない。その判断を下せる知性を少年は持っていた。

「と、父さんの子だもん。きっと、ちゃんと出来るようになるよね。父さんが、父さんがいなくても、大丈夫だよね?」

だが、理解と感情を完全に切り離すには少年は幼い。未だに涙混じりで声は震えている。先程よりは幾ばくか強い眼差しで父親を見つめてはいるが、まだそこには拭いきれない不安が見える。その不安を理解し、男は息子を勇気づけるべく言葉を重ねる。

「ああ、大丈夫だ。お前は俺の息子であると同時に母さんの息子でもあるんだからな…それにな、お前にはきっと見えねえが俺が、いや俺たちがお前を見てる。俺たちはいつもお前を見守ってる。死んだくらいで息子を見捨てる親はいねえんだよ」

どこか誇らしげに、さも当然といわんばかりに男は言ってのける。その様子に少年は、例え死んでも父親は何一つ変わらないと思えた。

「そうだね。父さんだけだと不安だけど母さんもいるからね。それなら…大丈夫だね」

未だ声こそ震えてはいるが、その眼に不安は無かった。今、目の前で何かを残そうとしている父親に心配をかけたくないのだろう。父親の意をくみ取り、強がりは多分に混じるものの、気丈に振舞おうとしていた。

「よし、いい顔だ」

その表情を見て、今度こそ大丈夫と悟ったのか、父親は親ではなく当主として本来言うべきことを語り始めた。そこに甘えはなく厳格に語られるその内容は重い。いつかは背負うと知っていたことだったが、それでも震えは止まらず挫けそうになる。

当主としての言葉を語り尽くした男は、一息吐くと緊張を解いたのか覇気もなく笑う。

「後悔するようなことだけは絶対にするなよ。わかったな?」

穏やかに言ったその言葉はなによりも重い。男の生涯において唯一無二の矜持といえるほどの何かを孕んでいるかのようだ。

「大丈夫だよ。僕が選んだことを後悔したりなんかしない」

そして少年はそれを理解しているのだろう。迷いのない口振りで言いきってみせた。父親は息子の即答に少し相好を崩し安心したようだ。

「折角のクリスマスなのにこんなことになるとはな…そうだな、俺から最期に一生分のとっておきのプレゼントをやる」

どこか熱に浮かされたような明るさで父親は言った。既に目の焦点は虚ろになりつつあり、こちらが見えているのかも定かではない。

「1つ目は…爺やに言って用意させてあるから後で受けとれ。お前ならきっと使いこなせると信じて選んだもんだ」

その言い様に、それが親から子へのありふれたプレゼントではなく、仕事にかかわるものだと理解する少年。

「それは、力のない僕でも使えるの?」

「力がないからこそ使えるんだ。それに、強いってことは力があるってことじゃねえ。自分がなにができて、なにができないかを知ってるってことだ。お前は、それがわかるやつだ。十分つええから安心しろ」

歯を見せて笑う男は、気休めでも何でもなく本心からそう思っていると子供に諭す。

死に際でこれだけ豪放に振る舞えるのは果たして大物なのか、馬鹿なのか。そんな不謹慎な感想を禁じ得ない。しかし、父親の死期は確実に迫りつつある。既にしゃべることすら辛そうになりつつある。

「それじゃ最後のプレゼントだ……これだよ」

「っ!?」

少年は息を止めた。それほどまでに驚いたのだ。何故なら父親が指差しているものはそれほどまでに貴重なものだからだ。

「まあ、俺が寝たら、爺やに頼んで上手いことやってくれ。きっと、お前の役に立つだろう」

「え、でも、そんな……」

「俺が死んで、他の奴に、持ってかれるよりは、お前が使ってくれりゃ、俺も本望だ。それにこれなら、お前の近くでずっと、ずっとお前を見守ってやれるからな。いいアイディア、だろ?」

「…………そう、かもね…いや、そうだね。絶対に手放したりしたりしないよ。父さんの形見だもん」

「…ありがとな…うっ…もうきついか」

「っ!?……そっ、か、もう、いっちゃうん、だね」

お互いに、限界が近かった。

ほんの数分と言えど、致命傷を受けて尚、ここまで意識を保てた父親。

幼いながらに、親の死という現実を前に、心配させまいと気丈に振舞い続けた息子。

「やっぱ…いやだよ……一緒に、いだいよっ!とうざんっ!やだよっ!まだっ、おいでかないでっ!!」

先に限界を迎えたのは、少年であった。今まで抑え付けていた感情が、涙が、言葉が、堰をきったかのように溢れ出す。

「…………」

そんな息子の様子を父親は何も言わず、ただ優しげにみつめている。しかし、その瞳は少しずつ光を失いつつある。

「やだやだやだやだっ!いがないでいがないでおねがいだがらっ!」

父親の手を強く握りしめる。遠くにいってしまうことをおそれるように。

「なあ、約束、してくれねえか…今日で、泣くのは最後だと」

「ひっ、ひぐっ…」

「もう、泣くなよ…自分のな、そういう弱いとこを、見せれる、ような大切な人を、みつけてから泣くんだ。それまでは、どんなに辛いことがあっても泣くな…だから、強くなれ。こ、こんな現実なんかに、負けないくらい、強く、強く」

「うん…約束する…約束するからっ!」

「そんで、その人を、守ってやれ…お前の力で。俺には、できなかったけど、お前なら、だい、じょうぶだ」


「じゃあ、な、のぞみ俺は、ずっとお前の…傍、に」


握っていた手から力が抜ける。まるでそこにはもう、誰も、いないかのように。


これは7年前、少年が、何にも負けないくらい強くなろうと誓った日の出来事。

誤字、脱字あったらすみません。感想、意見あったら是非。誹謗、中傷はオブラートに包んで投げつけてください。悔しいけど感じたりはしません。

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