まるで御伽話のような…
「ねぇ、シュカはもう着て行く服決めたの?」
アリエッタはデザートのプリンを食べ終えスプーンを置くと、シュカに尋ねた。シュカは親友のアリエッタに向かって首を振る。
「ううん、僕は舞踏会には行かないよ。お留守番。」
「え!何言ってるの??25歳未満の女性とΩは参加必須なのに?」
驚き過ぎて目を見開くアリエッタにシュカは答える。
「うん、だから、僕、当日は熱で寝込む予定なんだ。流石に体調不良だったら、王族が出席するようなパーティーに参加は許されないでしょ?」
「それはそうかもしれないけど…。今度の舞踏会は、王子様の婚約者選びも兼ねているっていうのに…。シュカはどんな女の子よりも可愛いし、性格だって良いし、お料理もお裁縫も上手だし、私の自慢の親友なのに…。王子様に見初められるのだって夢じゃないのに。ほんとにどこにお嫁に出しても恥ずかしくない位に素敵な子なのに…。」
アリエッタはシュカのミルクティー色の髪を撫でながら、眉毛を八の字にした。
「アリエッタ、褒め過ぎだよ。でも、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。」
シュカはくすぐったそうに笑った。
「……ねぇ、シュカ。私、やっぱりシュカと一緒にパーティーに出たいわ。一緒ならば心強いし。シュカがパーティーに出席するために私に出来ることは無い?」
アリエッタはシュカの両手を握ってうるうるの瞳でシュカを見つめた。そんな優しい親友を見てシュカは心が温かくなった。
「僕もアリエッタと一緒なら、楽しいだろうなって思うんだけど…。今年は長雨の影響で作物が不作で。父も母も自分達の生活を切り詰めながら領地経営をしているのに、僕だけパーティーに参加する訳にはいかないよ。着て行く服を準備するくらいなら、その分を領地の為に使って欲しいから。だから、せっかくの申し出なのにごめんね。アリエッタのお土産話を楽しみにしてるからね。」
そう言いながら、今度はシュカがアリエッタの赤髪を撫でる番だった。
「うぅ〜、私も親の脛かじりだから、シュカの衣装まで整えてあげられない…。せめて私たちのどちらかに、お金持ちの婚約者が居れば良いのに〜!よし、じゃあ今回のパーティーで私がお金持ちの婚約者をゲットして、次回は絶対一緒に行こう!私のドレスは彼にプレゼントしてもらって、親からもらった資金でシュカのフォーマルスーツを買うわ!」
シュカの事情も理解してくれ、一緒に行けない事が確定ししょげていたアリエッタだったが、決意を新たに拳を握りしめた。
「アリエッタ、婚約者が出来たら、流石に僕とパーティーには行けないよ。婚約者がアリエッタを離さないだろうし、僕と居たらやきもちをやかれてしまうよ。」
「むぅ…、じゃあ、彼からドレスが届いてから、婚約解消すれば…。」
「アリエッタ、流石にそれは酷い。」
「……うん、私もそう思う。」
机に突っ伏してアリエッタはぼそりと呟いた。
舞踏会の数週間前、アリエッタとシュカは学食の片隅でそんな話をしていたのだった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
舞踏会当日。
シュカが仮病を使って寮の部屋で本を読んでいると、トントンと部屋のドアがノックされた。
(誰だろう?アリエッタがドレス姿を見せに来てくれたのかな?)
そんな事を思いながらシュカがドアを開けると、何処かで見た事があるメイドさんが、両手に大きな鞄を持って立っていた。
「シュカ様、こんにちは。アリエッタ様からシュカ様宛に伝言を言付かって参りました。お部屋に入れて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?アリエッタから?あ、はい。どうぞお入りください。」
メイドさんは部屋に入ると荷物を置いて、鞄のポケットからクリームイエローの封筒を取り出しシュカに手渡した。
促されるままに開封して手紙に目を通す。
『親愛なるシュカへ
風邪ひいちゃった。
熱が38度から下がらなくって、どう頑張っても舞踏会に行けないの。
私のドレスとメイドを託すから、私の代わりにどうか素敵な婚約者(できればお金持ちの!)を見つけてきてね!
そして次こそ一緒に行けるように祈ってるわ。
あなたの親友アリエッタより』
「えっ!?アリエッタ、大丈夫なんですか??」
アリエッタを心配するシュカに、メイドさんは落ち着いた声で言葉を返した。
「はい、今は薬を飲んで寝ています。食欲はありますのでご心配には及びません。では時間がありませんので、早速支度に取り掛からせて頂きます。」
メイドさんはそう言うと、シュカの意見は聞かずにテキパキと準備を始めた。
メイドさんに促されるままにシュカはベッドに横になった。バラの香りのする蒸しタオルで顔を蒸されている間に、上半身を蒸しタオルで包まれ、手の先からマッサージを施される。あまりの気持ちよさにうとうとしていたら下半身も脱がされそうになったので、流石にそれは死守する。
メイドさんは、ズボンを脱がすのは諦め、シュカの膝から下を丁寧に拭ってくれた。
身体からほのかにバラの香りがして良い気分になると、今度は立たされてコルセットを巻かれる。覚悟していたけどそれほど苦しくない。どうやらきつ過ぎないコルセットはアリエッタの注文らしい。アリエッタ曰く、せっかくのパーティーなのに、ケーキが食べられないのはダメなのだとか。
(ありがとう、アリエッタ。お陰で酸欠にならずに済んだよ。)
シュカは心の中でアリエッタに感謝した。
散髪代が惜しくて伸ばしっぱなしだった髪には香油が塗られ、サイドは編み込まれそして右側に流れる様にふんわりと三つ編みされた。
ラベンダー色のドレスは首元も肩もレースで覆うタイプのもので露出が少なかった。シュカはホッとした。これなら詰め物で膨らんでいる胸を上から覗き込まれる心配もない。今流行りの、肩も首周りも大きく開いているタイプのドレスだと、シュカの肉付きではどう考えても貧相に見えてしまうことだろう。
「靴はこちらになります。」
メイドさんに差し出された靴を見て、シュカの顔は引き攣った。キラキラと輝くガラスの靴は、どう頑張っても自分の足が収まる気がしない。何とか押し込んだとしても、靴擦れどころで歩けたもんじゃない。
「流石にアリエッタの靴は入らないと思います。」
シュカが申し訳無さげにそう言うと、メイドさんは頷いた。
「大丈夫ですよ。この靴はフリーサイズなのです。ガラスの様に見えますが、実は柔らかな素材で出来てまして…。」
メイドさんが靴を両手に持って、ぐにゃりと捻って見せた。
「え!凄い!もしかして、ジェリーシューズ?」
シュカは以前アリエッタが話してくれたクラゲから作った靴の事を思い出してそう尋ねた。
「はい。どんな足にもフィットして、靴擦れも起こしません。」
メイドさんはニッコリ笑って答えた。
「最後にメイクをさせて頂きますね。失礼します。」
メイドさんは、シュカが掛けていた眼鏡を外すと、鏡越しにシュカを見つめて、ほぅっとため息をついた。
「アリエッタお嬢様が、シュカ様を世界で1番綺麗とおっしゃっていた意味がようやくわかりました。」
「いえ、アリエッタはいつも大袈裟なんです…。」
メイドさんにうっとり見つめられて居心地の悪くなったシュカは、照れ隠しにそう言って困ったように笑った。
ー・ー・ー・ー・ー・ー
「シュカ様、お疲れ様でした。とてもお綺麗ですよ。」
メイクが終わりシュカはゆっくりと目を開けた。
「ありがとうございます。お手数をお掛けしました。」
「いえ、こちらこそ、急に押しかけてしまい申し訳ありませんでした。早速ではございますが、馬車をご用意しております。さぁ、参りましょう。」
メイドさんがシュカの手を引いて立たせてくれた。そのまま誘導しようとするメイドさんを引き止めてシュカは尋ねた。
「あの、眼鏡を。眼鏡が無いと、僕、全く見えないんです。」
メイドさんは、シュカの両手をそっと握って言った。
「お嬢様からは眼鏡は預かるように言われております。あと、見えないからと言って、目を細めないようにとの事です。睨んでいると勘違いされるとトラブルの元だからと、お嬢様がおっしゃっていました。また、ドレスと靴もなれていないので、背筋を伸ばしてゆっくり歩くようにとの事です。」
「わ、わかりました…。」
馬車までメイドさんに手を引いて連れて行ってもらい、馬車に乗り込むと御者さんの合図でゆっくりと進み出した。
学園から王城まではそれほど距離は無いが、履き慣れないヒールの靴ではいつもよりもゆっくりしか歩けないので、馬車まで用意してもらえて助かったとシュカは思った。
ぼんやりと外の光を眺めていると、しばらくして馬車が止まった。どうやら舞踏会の会場に到着したらしい。御者さんが降りてきて、ドアを開けてくれる。どうぞと差し出された手を借りながら馬車から降りる。
「それでは私はこちらで待機しております。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「ありがとうございます。12時の点呼までには寮に帰らないといけないので、11時半には戻って来ます。ただ、ぼ………私、よく見えなくて馬車の位置が分からないかもしれないです。」
「かしこまりました。それでは時間になりましたら近くまでお迎えに参ります。」
シュカはホッとして御者さんの手を両手でギュッと握った。
「ありがとうございます。助かります。よろしくお願いします。」
「はっ、はい、お任せください!」
御者さんの顔が真っ赤になっていることに目の悪いシュカは気づかなかった。
ドレスの裾を踏まない様に、少し上へ引き上げながら、シュカは会場へ向かう階段を慎重に上がって行った。一体何段あるのだろう。こんな所で転んだら大変だ、とシュカは思った。ようやく階段を上り切り会場に入ると、そこは色と音に溢れた空間だった。女性たちの華やかなドレスがまるで花のように咲き乱れ、楽団が舞踏会の始まりを待つように静かな曲を演奏している。
(誰か知っている人は居ないかなぁ?)
シュカはクラスメイトの姿を探そうとしたが、すぐに断念した。制服とは違う着飾ったドレス姿の彼らを探す事は、例え眼鏡があったとしても難しいと思ったから。
シュカは仕方なく、隅の方で開始を待つ事にした。誰も知り合いが居ない場合、パーティーで何をすれば良いか…。もちろん、食事以外に選択肢は無い。幸いコルセットの締め付けは緩く、ちゃんとお腹に入りそうだ。
シュカは横目で料理を確認しながら、デザートが並んでいるであろうテーブル近くの壁際のスペースに落ち着くと、ようやく肩の力を抜いた。
後は王様とか偉い人が開会の宣言をするのを待てば良いだけだ。
シュカは会場の騒めきを気に止める事なく、ボーッとしながらその時を待った。
ー・ー・ー・ー・ー・ー
壁際に佇むラベンダーの花の存在は、波紋の様に会場に広がっていった。
あの方は誰?深層の令嬢?
襟元や肩を露出する流行りのドレスとは違い、レースで全てを隠しているクラシカルなスタイルが、何故かとても斬新でエレガントに人々の目には映った。女性にしては背は高めだが、肩や胸周りにボリュームが無い分華奢に見え、男性陣の庇護欲を掻き立てた。
ミルクティー色の髪も緩やかにまとめられていて、それに合わせたようなナチュラルなメイクが彼女の持つ清らかさを全面に押し出していた。手折ってはいけないような、だからこそ全力で囲い込んで自分のものにしてしまいたいような、だが無理やり奪ってしまえば消えてなくなってしまいそうな儚さもあり、人々は気になりつつも遠巻きに様子を伺う事しか出来なかった。
もしかしたら、何処かの国の姫では無いか?いや、だとしたら護衛も連れていないなんて事はあり得ない。護衛と逸れてしまい、困っていらっしゃるのか?もしくは、やはり女神や妖精の類だろうか?
自分達が噂している妖精が、並べられたケーキの事を考えているとも知らずに、ラベンダーの花の噂はとうとう王子様の耳にまで届いたのであった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー
王様の開会宣言の後、シュカはケーキを食べようとテーブルに近づいてみたものの、ケーキの種類はもちろんの事、取り皿の位置さえも分からず困っていた。
(どうしよう…。お皿もどれを使って良いのか分からないし、食べ物に顔を近づけて確認するのはマナー違反だし…。)
デザートテーブルの前で途方に暮れて立ち尽くしていると、シュカに声をかけてくる人物が居た。
「お嬢様、何かお困りですか?」
シュカは最初気が付かなかった。未だかつてお嬢様なんて呼ばれた事が無かったからだ。
肩をトントンと叩かれて、シュカは驚いて隣を見た。
「こんばんは。突然話しかけてすみません。お困りのようでしたので。」
シュカは思った。
(僕に話しかけていたのか。とても親切な人だなぁ…。黒っぽい服を着ているから、もしかして給仕係の方かな?じゃあ、お願いしてケーキを取ってもらおう。)
シュカは話しかけてくれた黒服の男の方に体を向け、顔の辺りを見ながら話しかけた。
「あの、お願いがあるのですが…」
「はい、何なりと。」
「ありがとうございます。ぼ……あの、私ケーキが食べたいのですが…。」
「ケーキですか?どんなケーキがお好きなのですか?」
「えっと、甘いケーキが……。」
甘くないケーキを探す方が難しいと思われるが、伝えるのに精一杯のシュカは気づいていない。
だが、黒服の男は笑う事なくシュカの言葉に頷いた。
「甘いケーキですね。分かりました。」
そう言うと男は別の男に声を掛けてお皿にケーキを乗せてもらい、それをシュカに渡してくれた。
どういうやり取りでそうなったのかは分からなかったけれど、やっと念願のケーキが食べられる喜びでシュカは満面の笑顔になった。
「ありがとうございます。頂きます。」
シュカは両手でケーキ皿を持って壁際に置かれている椅子に移動した。白くて赤いものが乗っているケーキを頬張る。いちごの瑞々しさとクリームの甘さが口の中でとろけ合う。
「美味しい……。」
感動して思わず声に出してしまう。
「お気に召して頂けて光栄です。」
いつの間に座っていたのか、黒服の男が隣の席から声をかけてきた。
(給仕係さん、休憩していても大丈夫なのかな?)
そう思いつつもニコッと笑顔だけで返事をすると、シュカは美味しくケーキを食べ続けた。お皿に取り分けられた3つのケーキをペロリとたいらげて、幸せに頬を緩ませて隣の黒服の男を見ると視線が合ったような気がした。
「大変美味しかったです。選んで下さりありがとうございました。」
シュカがお礼を言うと、黒服の男はシュカの手からお皿を受け取って近くのテーブルに置いた。
「お口に合って良かったです。良かったら、他の物も召し上がられますか?」
口の中が甘くなってしまったので、リセットしたいなぁとシュカは思い、黒服の男にお願いしようと口を開きかけた時、反対の方から声が掛かった。
「お嬢様、ケーキがお好きなのですか?それでしたら、こちらのケーキもお勧めですよ。」
振り向くと、別の黒服の男がケーキ皿を差し出していた。
(美味しそうだけど、何か飲み物が欲しいなぁ…。)
そう思いながらも、ケーキ皿を受け取ってシュカはお礼を言った。
「ありがとうございます。」
せっかく頂いたので、一口食べてみると確かにそれもとても美味しくて。シュカがニッコリ笑顔になると、シュカの周りに人だかりが出来てしまった。皆、皿やグラスを手に持ちシュカに差し出してくる。
(舞踏会の給仕係さんは、凄くお仕事熱心だなぁ…)
周りの状況に気付かないシュカは、呑気にもそんな事を考えていた。
楽団のダンス曲が終わったタイミングで、シュカの周りが急に静かになった。人だかりがシュカの前で左右に分かれて、その真ん中を誰かが歩いてくる。白い衣装に身を包んだ人物はシュカの前に来るとシュカの手を取って手の甲に口付けを落とした。
「初めまして、美しいお嬢さん。どうか私と踊って頂けませんか?」
(あっ!貴族っぽい人が来た。この方、アルファなのかな?周りの給仕係さんが皆頭を下げてる。)
シュカはアリエッタからお金持ちの婚約者を見つけてくるように言われていた事をようやく思い出した。
(僕、ダンスなんて自信ないんだけどなぁ。ここで断ったら、後でアリエッタに怒られそうだしなぁ…。)
シュカは遠慮がちに微笑むと、白服の男の顔の辺りを見て言った。
「ダンスは得意ではありませんが、それでもよろしければ…」
白服の男にエスコートされ、ダンスホールの真ん中辺りまで来た。
シュカはダンスのステップの確認に頭を占領されていて気付いていないが、シュカたちの周りにはかなり大きなスペースが空いていた。
白服の男はシュカに向き合って腰に手を添えるとシュカの耳元に唇を寄せた。
「私がリードしますので、どうか身を預けておいて下さい。」
ダンスの曲が始まると、白服の男は流れる様に動き出した。シュカの腰を引き寄せ重心を保ちやすい様に支えてくれるので、シュカは自分が凄くダンス上手になったような気がした。
一曲目が終わると、ワッと歓声が上がった。それが自分達に向けられたものだとは思わなかったが、シュカの気持ちも歓声を上げたいくらいに昂っていた。
「お嬢さん、よろしければ、もう一曲お相手頂けませんか?」
シュカには断る理由が無かった。
「はい、喜んで。」
一曲目よりも更に余計な力が抜けてステップが軽い。それに白服の男から、汗に混ざってフェロモンの香りがして、思わず目線の位置にある首元の匂いを吸い込んでしまう。うっとりするほど良い匂い。
それは相手も同じだったようで、白服の男から吐息がもれる。
「あぁ、あなたからとても良い香りがする。僕たちはこうして出会う運命だったのかもしれません。」
耳元でそんな言葉を囁かれて、シュカはじんわりと幸福感に浸っていた。全身が痺れてお腹の芯がじっくり温められているような、そんな不思議な感覚。
このまま相手のフェロモンの海に飲み込まれてしまいたい。身を任せてしまいたい。回らなくなってきた頭でぼんやりとそんな事を考えていると…。
ゴーン、ゴーンと日付けの変わる時を知らせる鐘の音が遠くの方から聞こえた。
シュカは突然夢の中から引き上げられた。
(しまった!12時までに帰らないと、点呼があるのだった。僕、熱で寝てる事になってるのに!)
ダンスの曲は終わりに差し掛かっていたが、呑気にダンスを楽しんでいる場合ではない。
「申し訳ありません。私、帰らないと。」
シュカは白服の男にそれだけを伝えると、出口に向かって駆け出した。
「えっ、ちょっと待って!」
後ろから焦ったような白服の男の声が聞こえるが、立ち止まっては居られない。
シュカは人混みを掻き分けて走った。ドアを抜けてしばらく進むと、長い下り階段が目の前に開けた。シュカは靴を脱ぐと揃えて右手に持ち、左手でスカートの裾を上げながら裸足で階段を駆け降りた。
下まで辿り着いた時、待機していた御者さんから声が掛かった。
「お嬢様、こちらです!」
慌てて馬車に乗り込むと、御者さんが馬を速やかに走らせてくれた。
寮に着いて寮母さんに見つかった時の言い訳を考えるのに忙しくて、シュカは馬車から降りる時になってようやくジェリーシューズを片方紛失している事に気が付いたのだった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
1日休日を挟んで迎えた月曜日。
アリエッタの風邪はすっかり完治して、元気になっていた。
結局あの日は誰にも引き止められる事なく寮の部屋に辿り着き、笑顔のメイドさんに出迎えられた。点呼の時間に部屋を訪れた寮母さんに、メイドさんがシュカのふりをして対応してくれたお陰でやり過ごす事が出来たようだ。
翌日、寮母さんに会った時に、
「昨日は声が辛そうだったけど、今日はすっかり元に戻ったみたいで良かったわ。でもまだ無理はしないでね。」
と心配されて申し訳なく思うのと同時に、メイドさんの演技力の高さに驚いてしまった。
「アリエッタ、舞踏会の件、色々ありがとう。もう風邪はすっかり治ったのかな?あと、せっかく貸してもらったジェリーシューズを片方無くしてしまったんだ。本当にごめんね。働いて必ず弁償するから、待っていてね?」
アリエッタは首を横に振った後に、目を輝かせながら言った。
「シュカ、大丈夫、気にしないで。透明なガラス感のあるジェリーシューズは、うちの領地の特産品にしようとしている試作品だからまだ売り物では無いし。それより、パーティーでの出来事を話してちょうだい!」
シュカは会場や人々がとてもキラキラしていたことや、給仕係の皆さんがとても親切だったこと、ケーキがどれもとても美味しかったことを話して聞かせた。
アリエッタは、そこまで聞いた後に訝しげに目を細め頬を膨らませた。
「シュカ、あなたまさか舞踏会にケーキを食べに行ってきたわけじゃないわよね?素敵な婚約者候補は見つかったの??」
「あっ、えっと、婚約者候補は見つかってないけど、ダンスはちゃんと踊ってきたよ。」
「ダンス?まさか給仕係とじゃないわよね?」
「違う違う。多分アルファの男性だよ。貴族っぽい感じだったよ。」
「きゃぁ!凄いじゃない、シュカ!なまえ、名前は聞いたの?」
「なまえ……は、聞かなかったな。」
「聞かなかったの?えっ、じゃあじゃあ、どんな感じの方なの?身長は?体格は?顔はイケメンだった??」
「眼鏡が無いから顔は良く見えなかったんだけど、背は僕より頭一つ分位高かったよ。細身だけど筋肉はしっかり着いてたと思う。ダンスがとても上手だったし。あと、とても良い匂いがしたよ。」
シュカは白服の男の香りと抱き締められた時の体温を思い出してうっとりとした。
「それって、アルファのフェロモンの匂いかな?シュカの運命の相手だったりして。」
「運命なんて、都市伝説みたいなものじゃない?居たとしても、そんなに簡単に見つからないと思うよ。」
シュカはそう言って小さく笑った。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
シュカとアリエッタがそんな話をしてから3日後、王子様の婚約者が決まったとの噂が流れた。公表はまだされていないが、近々発表があるのではないかと言う話だった。シュカたちが通う学園でも、王子様のお相手の話題で持ちきりだった。そんな折、アリエッタが蒼ざめた顔をしてシュカの部屋へやってきた。
「シュカ、ちょっと確認しても良いかしら?シュカは、帰りの階段の所でジェリーシューズを落としたのよね?」
「あ、うん。階段を駆け下りたかったのだけど、靴を履いていると転びそうだったから、脱いで手に持って走ったんだ。で、気が付いた時には片方しか無かったの。」
「なるほどね。それと、あなた、ダンスをしたって言ってたじゃない?白服の方と。」
「そうだね。ダンスしたよ。2回。」
「ちょっ、えっ?それって白服の方と2回続けて踊ったって事?」
「う、うん。”もう一曲踊ってくれないか?”って聞かれたから、僕も楽しかったし、”はい”って答えたんだよ。……ダメだった?」
「ダメなんて……。ごめんなさい。2回続けてダンスを踊る事の意味を伝えておかなかった私の責任だわ。確かにお金持ちを捕まえてきてとは言ったわ。言ったんだけど、どうしよう……。」
「アリエッタ、僕、何か悪い事しちゃった?ダンスを2回続けて踊るとどんな意味があるの?」
「ダンスを2回続けて踊るのはね、婚約者や伴侶だけなの。気に入った相手を2曲目に誘うのは、フィアンセになってくれますか?って言う意味の隠語なのよ。それを受けるという事は…。」
「婚約者になることに同意したって事?」
「うん……。それと、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、少し前に領地の父から手紙が届いたのだけどね…。」
「うん……。」
「王家から父の所へ、ジェリーシューズの件で問い合わせがあったらしいの…。ジェリーシューズは、うちの領地が試作している段階で数も限られているから…。」
「待って、理解力が追いつかない。それってつまりどういうこと?」
「5足の試作品の内、4足は領内にあってその所在は父が把握してるの。後1足がこの前シュカが履いていたもので、そのうち片足分が今現在私の所にあって、残りの片足分をどうらや王家が持っているらしいの。王家は対になる靴を持っている人を探しているわ。その人が、王子様の運命の相手……、王子様のフィアンセとなる人だからよ。」
「えっ、ということは、アリエッタが王子様のフィアンセなの?」
「んなわけあるか〜!」
アリエッタが間髪入れずにシュカの頭を叩いて突っ込みを入れた。
「あっ痛〜!」
シュカは頭を抑えて唸った。
アリエッタは大きなため息を吐くと続けた。
「シュカがダンスを2回続けて踊った相手、つまり白服の方が王子様でシュカが王子様の婚約者になったのよ!」
「嘘でしょ?僕、王子様の顔も知らないのに…。」
「あぁ〜もぉ〜〜〜こんな事なら眼鏡を掛けさせて舞踏会に行かせるんだったわ。お金持ちを捕まえて来てとは言ったけど、そこまで大物を捕まえてくるなんて思わなかったの。」
「僕どうしたら良いの?辞退する事出来るの?王族になんかなったりしたら、家族やアリエッタになかなか会えなくなっちゃう?そんなの嫌だよ。」
「私だって嫌よ。だけど、辞退は出来ないわ。こうなったのも半分私の責任だし、シュカが王子妃様になるなら、私がシュカの侍女になるわ。ちゃんと責任取るから、シュカも頑張るのよ?」
「うぅ…ありがとう、アリエッタ〜。」
「よしよし、泣かないの。可愛い顔が台無しじゃない。」
しばらくアリエッタに慰められていたシュカだったが、落ち着いて冷静に考えたらある疑惑が浮かんだ。
「ねぇ、アリエッタ。」
「ん?シュカ、どうしたの?」
「僕、あの時はドレスを着ていたし、眼鏡を掛けていなかったし、お化粧だって髪型だって綺麗に整えてもらっていたし…。だから王子様が普段の僕を見たらがっかりされると思うよ。それにΩとはいえ、男だし…。」
「シュカは外見も内面もこんなに可愛いのだから、王子様は普段のあなたを見てもがっかりなんてしないと思うわ。だけど、王子様があなたの飾り立てた外見だけを好きになったのだったら、いつものあなたを見て自分が求婚した相手と気づかないなら、例え王子様とはいえ私の大切な親友を差し出す事なんて出来ないわね。分かったわ。私に考えがあるの。もう一度王子様に普段のあなたを見てもらった上でちゃんと選んでもらいましょう!」
アリエッタが悪い笑顔になったのでシュカは少し不安になった。だが、こういう時の彼女は言い出したら聞かない事は分かっているので、過度な暴走をしないようにしっかりと見守る事にした。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
アリエッタは知り合いに声を掛け、色々なタイプの女の子やΩを集めた。可愛い系や美人系、大人っぽい感じや童顔の子、スレンダーやぽっちゃりさんまで、30人近い子が集まった。身分も色々で貴族も商人も、農家の娘さんまでいた。集まった者の共通点は髪色くらい。濃い薄いの違いはあるものの、見かけは全員ミルクティー色の髪だった。
学園の応接室にずらりと並んで待機していると、部屋のドアがノックされた。入ってこられたのは、何とこの国の第一王子様。見目麗しい美丈夫の登場に、女性陣から静かな吐息が漏れた。
王子様が会議室の中央の椅子に座ると、王子様の後に続いて入ってきた偉そう人が集団の中央にいるアリエッタに声をかけた。
「そなたがリアル子爵家の娘、アリエッタで間違いないか?」
アリエッタはとても綺麗にお辞儀をすると言葉を発した。
「はい。私がアリエッタです。この度は学園までご足労頂きありがとうございました。」
「ふむ。そなたの父君から、こちらの靴の片割れをそなたが持っていると聞いたが本当だろうか?」
「はい。本当でございます。こちらでございます。」
アリエッタは布に包んだジェリーシューズを恭しく差し出す。王子様のお付きの者が、それを両手で受け取り王子様に差し出した。
王子様は靴を並べて確認すると、アリエッタを見てゆっくり頷いた。
「アリエッタ嬢、ありがとう。私はパーティーの日にこの靴を履いていた人を探しているんだ。君に心当たりはあるかい?」
「申し訳ございません。実はその日、私は高熱にうなされておりまして、ジェリーシューズをどなたに貸し出していたのか覚えていないのです。父からはジェリーシューズを履いた者を王子様の前にお連れするように言付かりましたので、その靴を履いた事があり、私が覚えている限りの人に集まってもらいました。」
アリエッタはそう言うと、並んでいる人を紹介するように一歩横にずれて皆の方を指し示した。
「御伽話だったら、ガラスの靴にピッタリ会う足の持ち主が運命の人なのだろうけど。この靴は優秀過ぎて、私の4歳の姪っ子の足にもフィットしてしまったよ。」
「それは申し訳ございません。」
「いや、褒めているんだよ。アリエッタ嬢は着眼点が良いね。ここに集まった人たちも多種多様な職業だよね。身分もバラバラだ。履く人の事を考えたシューズを開発する上で色々な人にモニターになってもらうのは大切な事だよね。」
「恐れ入ります。」
「そして私は試されているのかな?この女性たちの中から、私の妖精を探せという事なのだね。」
アリエッタは言葉を返さない。
沈黙の中、王子様はシュカを見てニコッと目を細めた。
突然の不意打ちにシュカはドキリとして、思わずアリエッタの方を見た。親友は変わらず真っ直ぐ王子様を見据えている。挙動不審に他の女性たちを見ると、皆赤い顔をしてぽうっと王子様の方を見つめている。
シュカは自分の顔が熱くなっていて真っ赤になっている事を自覚していたから、皆も同じ様子であるのを確認して安堵し再び王子様の方を向いた。王子様の視線はすでにシュカから外れていて、シュカはホッとしたような何だか寂しいような、そんな複雑な気持ちになった。
「さてアリエッタ嬢、私はもう私の可愛い人に愛を告げても良いのかな?」
アリエッタはゆっくり頭を下げると言った。
「もちろんでございます。王子様と王子様の良き方に神様の祝福があらんことをお祈り申し上げます。」
シュカの胸はズキリと痛んだ。王子様が舞踏会の日に婚約者に望んだのはシュカだったけど、あの日にかけられた特別な魔法が解けて、いつもの平凡な自分に戻った今のシュカでは王子様に気付いてもらえないかもしれない。
王子様が他の女性を選んでしまったら、もう二度とダンスを踊る事も出来ないし、優しい笑顔を向けられる事もない。それどころか、身分差を考えたら会う事も難しいだろう。
そう考えたら思わず涙が込み上げてきて、シュカは慌てて下を向いた。今頃になって気が付くなんて馬鹿すぎる。シュカの心にはあのダンスの日からずっと白服の彼が住み着いていた。顔も名前も知らないアルファなのに、その人の事を考えると何だかとっても幸せになった。胸の真ん中の柔らかな所がほわわと温かくなる感じがした。
王子様がシュカを選んでくれたように、シュカにとっての唯一の人は白服の人……王子様だったのだ。
王子様が立ち上がった音がする。足音がこちらに近づいてくる。シュカは思った。今なら間に合うかもしれない。王子様が他の誰かを選んでしまう前に、自分がダンスの相手だったと告白すれば良い。
でも自分が名乗り出て、残念な顔をされたらと思うと怖い。やはり違う人にすると言われたらと想像して足がすくむ。
でも選ばれるのを待つだけじゃなくて、一歩前に踏み出したい。だって、王子様はシュカの運命なのだから。
「あの!」
勢いよく顔を上げたら、目の前に王子様の顔があった。王子様はシュカの手を取ると優しく微笑んだ。
「やっと会えた。君が私の運命だね。」
「あ…」
(王子様はちゃんと分かっていたんだ。綺麗なドレスを着てなくても、お化粧で可愛く変身しなくても、眼鏡掛けていても、男Ωでも、それでも僕を選んでくれたんだ。)
王子様はシュカの開きかけた口を見て何を言うのかと暖かく見守ってくれている。シュカは王子様をまっすぐに見つめた。そして丁寧に言葉を紡いだ。
「あの、僕、シュカって言います。舞踏会の夜にダンスに誘ってくださりありがとうございました。それなのに僕、理由も言わずにダンスを中断してしまって申し訳ありませんでした。王子様、あの、次にダンスをする機会があれば、どうか僕と2回続けて踊って頂けませんか?」
アリエッタが教えてくれた。
ダンスを2回続けて踊る意味を。
だから、シュカはその意味に気持ちを乗せて、王子様に求婚した。
「シュカ、もちろんだよ。ファーストダンスもセカンドダンスも、私の生涯において君以外に許すつもりは無いよ。だから、もう途中で居なくなったりしないで?約束してくれる?」
王子様は輝くような笑顔になると、シュカを抱きしめてそんな言葉を囁いた。アルファの独占欲まみれのフェロモンに包まれて、シュカは幸せを感じてしまった。逃げられない怖さなど微塵も無かった。むしろこのまま溶け合ってしまいたいと思った。一生離さないで欲しかった。
シュカは両手を王子様の背中に回した。
(僕のアルファ…。僕だけの王子様。)
心でそう唱えれば、嬉しくて嬉しくて。
シュカは顔を王子様の胸に押し付けて、背中に回した腕に力を込めた。
「はい。約束します。王子様、あなただけです。大好きです!」
御伽話のプリンセスではないけれど、平凡に暮らしていた一人の青年が運命の人に出会って恋に落ち、末永く幸せに暮らしましたっていう、まるで御伽話のような……、そんなお話。
ー・ー・ー・ー・ー・ー
「結局、くっついたじゃない。」
アリエッタは幸せそうな二人を見て、やれやれ顔をして息を吐いた。
(あんなに恋する乙女みたいな顔しておいて、無自覚なんだもの、嫌になっちゃう。)
何だかんだ文句を言いながらも、アリエッタは親友の幸せを心の底から喜んでいた。
それからしばらくして、ガラスの靴が幸運のエピソードを引っ提げて大ヒットし、アリエッタの領地どころか国中が潤う事態になる事を、この時はまだ誰も知らない。
お読みくださりありがとうございました。
いつもはムーンさんに投稿しているのですが、ピュアなお話になったのでなろうさんに投稿してみました。少しでも気に入ってくだされば嬉しいです。




