わんわん
差を、感じる。
ピアノを習ってる人、親が家を持ってる人、庭を持ってる人、ままとぱぱの仲がいい人、習字を習ってる人、才能がある人、勉強が出来る人、運動が出来る人、好きなものがある人。
私は、何が出来るんだろう。
小学六年生ぐらいのとき、ずっと、こんなことを考えていた、
でも、いつの間にか、考えるのをやめた。
答えが出たからじゃない。
ただ、必要がないと、切り捨てられたからだ。
結局は何もできやしないと、いつの間にか判断をつけたからだ。
私も何か出来るんじゃないかと期待して、できなかったことが続いたからだ。
何度も否定されたからだ。
世界には、どんな人だって必要だ。
進化は進歩じゃなく、ただ、残った結果の積み重ね。
特定の能力に特化しすぎると、環境の変化で逆に滅びることになる。
だからこそ、今の基準で優秀な人ばかりになるより、一見不要に見える多様性がある方が、種としてはしぶとい。
だから、どんな人の存在も、基本的に否定することは出来ないんだ。
その否定さえ、否定することは出来ない。
でも。
それでも、差はある。
今の社会に必要とされるような能力がなきゃ、生きることが難しくなる。
どうしようもない、世界のルールみたいなものなんだ。
必要だ、必要だけど、不要だ。
息ができない。
ずっと、視界がチカチカ点滅しているような気さえしてくる。
一度深呼吸をして、思いっきり咳き込んだりしたい。
あぁ、私は生きている。
私は何が欲しいんだろう。
誰かに認めてもらいたいんだろうか、愛してもらいたいんだろうか。
揺るがない自分が欲しいんだろうか。
や、こんな思考に陥ったときには、さっさと寝るに限る。
そして、悪夢を見て、別の嫌なことに目を向けよう。
マシな苦痛でも味わおう。
自分で選んだ気になって、少し得意気にでもなろう。
大丈夫だ。
きっと、私を羨む人だっている。
……誰が?
いったい誰が私を羨むんだ?
今まで生きてきて、そんな目を見たことがあるか?
私がいないところで、なにか言われてたのか?
いや、それは十中八九陰口だろ。
あぁ、もう、頭が痛い。
いつもこれだ。
世間にある言葉で説明しようとしたって、どうにもならない。
一人、たった一人に効く、じんわりとしたものが欲しいんだ。
気持ち悪いよ。
誰が言ったのかもわからない言葉で救われるのが。
そいつは本当に。
そいつは本当に、痛みをわかってくれるのかい?
裕福な余裕から出た偽りの優しさではないのかい?
お腹いっぱいご飯を食べれる人が、そうでない人に、食べ物を残しちゃいけないと説いているようなものじゃないのか?
あなたの苦しみは、そんな程度のものなのかい?
苦しみを守ることさえ、出来ないのかい?
やらないなんて。
容易だ。
それはもう、何よりも。
ポッケにイヤホンを入れて、皮膚に伝わる感触を忘れて、あれ、確か入れたよなとポッケを上からなぞる。
そんな風に過ごしている。
ワンワン
慢性的に死にたいんじゃが、どうにかならんか。
物心ついたときからなんじゃが、どうなりゃ消えるんじゃ。
どうせやらんことを考えるのをやめたいぜ。




