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ラッグはな、母ちゃん以外のウサギを、これまで一度もちゃんと見たことがなかった。
せやから正直言うて、ほかにもウサギがおる、なんてこと自体、ほとんど考えとらんかったんや。
母ちゃんからは、だいぶ離れて動くようにはなっとったけど、
ウサギいう生き物は、もともと群れを恋しがる質やない。
寂しいとも思わん。
それが普通やった。
せやけど、十二月のある日や。
赤いハナミズキの茂みで、新しい通り路を切り開いとった時、ラッグは見てしもた。
サニー・バンクの、雲ひとつない空を背景に、知らんウサギの頭と耳が、ぬうっと突き出とるのを。
そいつはな、 ええ土地を見つけた探検家みたいな顔して、何の遠慮もなしに、ラッグの通り路を使て、ラッグの沼に踏み込んできよった。
その瞬間や。 ラッグの腹の底で、 怒りと憎しみが、ぐつぐつ煮え立った。
――嫉妬。
それは、ラッグが生まれて初めて味わう感情やった。
新顔ウサギは、ラッグの「こすり木」の一本の前で立ち止まった。
ラッグが、かかとで立って、顎が届く高さまで、何度も擦りつけてきた木や。
ラッグ自身は、ただ気持ちええからやと思とった。
せやけどな、雄ウサギはみな、無意識にそれをやる。
それは境界線や。
「ここはもう、誰かのもんや」
そう知らせる看板みたいなもんや。
高さは、そのウサギの格を示す。
ラッグは気づいた。
新顔は、自分より、頭ひとつ分高い。
しかも、ごつい。 重い。
胸の奥で、何かが、すっと冷えて、同時に、別のもんが、はっきり芽を出した。
――殺したい。
ラッグは歯を食いしばり、硬い地面に跳ね降りて、後脚を、ゆっくり、重たく打ちつけた。
「ドン、ドン、ドン」
ウサギの言葉で言うたら、
「ここは俺の沼や。出て行け。さもなきゃ、やる」
や。
新顔ウサギは、 耳で大きなVを作って、しばらく直立したあと、前脚を落とし、もっと重く、もっと強く、地面を打ち返した。
「ドン、ドン、ドン」
宣戦布告や。
戦いは、あっという間やった。
横に並び、睨み合い、隙を探る。
新顔はでかい。
筋肉もある。
せやけど、賢ない。
体重で押し切れると思とる。
踏みつける。跳ねる。乱暴や。
ラッグは転がる。噛まれる。毛が抜ける。
二度、三度。
とうとう同時に跳び上がり、後脚で蹴り合った時、ラッグは、完全に打ち負けた。
新顔は歯を剥き、ラッグを押さえ込み、肉に食い込んだ。
――あかん。
ラッグは悟った。
これは勝てへん。
生き延びられるかどうかも、分からん。
ラッグは逃げた。
傷だらけで、必死で跳ねた。
新顔は、ラッグをこの沼から追い出すため、
いや、殺すために、本気で追ってきよった。
せやけど、脚だけは、ラッグのほうが上やった。
重たい体は、長続きせえへん。
やがて新顔は追うのをやめた。
――それでもや。
恐怖は、そこから始まった。
ラッグは、フクロウや、犬や、イタチや、人間から逃げる術は知っとった。
せやけど、 同じウサギから追われる時、どうしたらええかは、教わってへん。
伏せる。
逃げる。
それだけや。
小さなモリーも、恐怖に支配されとった。
助けられへん。
隠れるしかない。
せやけど、 新顔は、すぐにモリーを見つけよった。
殺しはせえへん。
代わりに、執着した。
逃げるモリーを押さえつけ、乱暴に支配し、憎しみをぶつけた。
毎日や。
ラッグは見た。
自分の母ちゃんが、殴られ、噛まれ、
毛を引き抜かれるのを。
餌場が奪われ、隠れ家が奪われ、 通り路が潰されていくのを。
ラッグは悟った。
勝ったもんが、全部持っていく。
そして、キツネやフェレットよりも、この新顔ウサギを、憎んだ。
やがて、最悪の日が来た。
大きなオオタカが、沼に舞い降りた時や。
新顔は、自分は安全な場所に隠れながら、
何度も何度も、
ラッグを、開けた場所へ追い出そうとした。
それでも、イバラがラッグを救った。 タカは、一、二度、失敗し、新顔自身が危なくなって、去った。
せやけど、もう限界やった。
ラッグは決めた。
次の夜、母ちゃんと一緒に、この沼を出る。
その時や。
老猟犬サンダーが、 沼のまわりを嗅ぎ回っとる、その知らせが入った。
ラッグは、終わらせることにした。
わざと、犬の前に姿をさらした。
追跡は、速く、激しかった。
ラッグは三度、沼を巡った。
母ちゃんが隠れたのを確かめ、新顔が、いつもの巣におるのを確かめ、
――跳んだ。
巣に飛び込み、新顔の上に、どすん、と乗った。
通り過ぎざま、後脚で、思い切り蹴った。
「殺したる!」
新顔が叫んだ。
せやけどな。
跳ねた先にあったんは、猟犬と、自分自身やった。
犬とは一直線。
新顔は大きい。
重い。
逃げ方を、知らん。
知ってるのは「double(足跡を逆に辿て戻る)」、「wind(臭いを嗅ぎつかせないようにする)」、「hole-up」(穴潜り)など、赤ちゃんうさぎなみ。
もちろん、穴がどこにあるかなんて知らん。
走るしかなかった。
イバラはすべてのウサギに親切やけど、グズの役には立たん。
叫び声。
うなり。
イバラが犬の耳を裂く音。
そして ―― 突然、音が止んだ。
乱闘。
恐ろしい悲鳴。
ラッグは、震えた。
せやけど、 すぐに分かった。
終わったんや・・・
ラッグは、また、この沼の主になった。




