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フォートブラックのデルタ・フォース本部に到着したのは、17時30分を過ぎた時刻であったため、上官からは明朝10時に制服を着用のうえ出頭せよとの命令を受けて解散となった。
久しぶりに自宅へ帰ってくることになるが、自宅と言っても独身用のアパートで玄関のドアを開けても誰一人迎えてくれる者が居るわけでもない。お陰で部屋に入っても、まったくと言って良いくらいに生活感が漂っていない。
重たいバックパックをベッドの脇に置いて、身軽になったところで部屋の鍵と財布をジーンズのポケットに突っ込み外出する。
従事するミッションの大部分が国外で自宅を留守にする機会が多いことから、部屋の冷蔵庫には6本の缶ビールがセットになっている物以外に何も入ってはいないので、どちらにしても食材を買い出しにでも行かなければ夕食を作ることもできない。
だからと言って決して身体が疲労困憊というわけでもないが、近くのスーパーで食材を買い出して料理をする気にもならないので、何処か近場のレストランにでも行って外食をするつもりだ。
美味いと思えるレストランの夕食を摂り終えて、再び自分の自宅に戻りクローゼットを開けて、クリーニングした後に一度も袖を通していない制服を出してみる。ハンガーに掛かったままの制服を一通り眺めてみるが、カビ等が生えて不格好な沁みが制服の何処にも見当たらないことでホッとする。
自宅を暫く留守にして国外でのミッション続きであったため、お世辞にも理想的な食生活を送っていたわけではないが、少なくとも以前に制服を着用した時と比べても太った感覚はないと言えるが、明日の朝になって着用してみて着れない状態となっているのでは流石にマズいので、久しぶりにハンガーに掛かっている制服を着用してみることにする。
実際に制服を着用してみても何処かがきついといった不具合はなかったのでひと安心なのだが、心なしに制服の方が若干ブカブカしているような気がしないでもない。まぁ、ピチピチの状態で椅子に腰掛けたりした際に、パンツの尻が裂けたりするような事態にでもなって醜態を晒すよりは安心できる。
一応、帽子も被って姿見でチェックしてみるが、常日頃のラフな服装とは違ってフォーマルな姿を自らも忘れていたので、何処となく着せられた感がしないわけではない。
暫くは鏡に映った見慣れぬ自分を眺めていたが、よく見ると無精髭が分かるくらいに伸びているのに気が付いた。
特に、ここ数週間は洗顔や歯磨きは怠ることなくやっていたが、実践に向かう緊張のためか髭剃りだけは何となく億劫になって剃らずにいたので、中途半端に伸びている口の周りの無精髭は贔屓目に見ても貧相にしか見えない。
こんな貧相な状態で、明日の制服着用となる公式行事に出席しようものなら上官が怒り出すのは容易に想像がつく。
デルタ・フォースのオペレーターは、従事するミッションが高度に政治的な内容とされる性質上、任務を遂行する際に必ずしもラフな容姿であっても決して問題にされることはないが、制服を着用しての公式行事に出席するシーンにおいて、何処のホームレスが来ていると見間違いされるような姿でいるのは許されるものではない。
身に着けていた制服を脱いで、皺が寄らぬように注意しながらハンガーに制服を掛けてクローゼットへ戻すと、俺は洗面所へ向かい石鹸とカミソリを準備してから洗面所の蛇口から湯を出して石鹸を手に取り泡立て始め、両手に出来た泡を顔中に塗りたくるとカミソリを使って無精髭を剃り落とす。
すっかり無精髭を剃り終えた顔は、心なしに剃り跡が青々として見えるが、ホームレスと見紛うような容姿で公式行事に出席するよりはマシであろう。
翌日は、フォートブラックのデルタ・フォース本部でマンスールの逮捕作戦を成功させたことに対する表彰が行われた。
命がけでミッションを遂行した結果、無事にミッションを成功裡のうちに終えた俺達には大統領からの表彰と新たな階級章が授与され、俺とマイクは准尉となり他の4人も晴れて1ランク上の階級に昇進することとなった。
本音としては、階級章のバッチ1個よりも昇進によってサラリーが増額となることの方が嬉しいというところだ。少しでも気を抜いたりすれば間違いなく自らの死を受け入れざるを得ない修羅場を僅かなサラリーによって遂行させられるのは正直なところ満足できるものではないが、法外な特別任務手当というのも現実的ではないのだろうから軍のシステム上として階級が上がって基本給がアップすることで受け取るサラリーが増額されるであれば、それはそれで受け入れるよりほかにない。
表彰式が終了した後、上官から今回のミッションを成功させた褒美として2週間の特別休暇が与えられることとなったが、帰国の際には薄々は想定していたとは言え、ミッションに従事していた時点では頭の片隅にも思い描いていない事なので突然に与えられた2週間のバカンスは、マイクを始め家族がいる連中には久しぶりの家族サービスということになるのだろうが、俺のような独身者には持て余してしまいそうである。
久しぶりに着用した制服で、身体中が凝ったような感じの状態となって式典会場から徒歩で自宅へ向かう帰り道で、俺は2週間のバカンスをどの様に過ごすかを思案していた。
最も、マイクからは1人で暇にしているなら遊びに来いと誘われはしたが、マイクとて久しぶりの家族サービスで家族との時間を大切にしたいだろうと考え、マイクからの誘いをやんわりと辞退している。
自宅への帰路に散々考えあぐねた結果、地元とテキサス州で開催される射撃競技会へエントリーしてみる事にした。
基本的に殆どのデルタ・フォースのオペレーターは時間のある際に、各種の射撃競技会へ色々な射撃スキルを習得する目的で参加をしている。
実際には、射撃のテクニックを習得するよりは、競技に参加している最中に発生する数々のアクシデントを経験して、メンタル面をコントロールする術を身に着け実践力を向上させる目的の方が大きいと言える。
特に、アクション系の射撃競技会であれば実施される競技内容が多少なりとも実践に近い状態となり、ターゲット方向から逆襲の発砲がされることは皆無だが、用意される各ステージには時間制限が設けられるほか、他の競技参加者と競うといった緊張感があり自らのメンタルトレーニングとしては最適である。
所詮、生きている人間が敵となって存在する実践の場で生き抜くには、数多くの過酷な訓練によってマッスルメモリーとすることも重要であるが、想定外のアクシデントに遭遇した際には如何にして平常心を保ち臨機応変に対応する能力が発揮されるかで決まり、メンタルの弱い人間では如何に数多くの過酷な訓練で身体に覚え込ませても実践の場で想定外のアクシデントに遭遇した場合に頭がホワイト・アウトの状態となってしまって何一つ対応ができなくなってしまうケースも決して珍しいわけではない。
事実、射撃競技会においてでも少しのアクシデントに見舞われて、気が動転して競技を継続できなくなる者もいるくらいなので、それが実際の戦場となれば尚更である。
ちなみに、俺もデルタ・フォースに配属されて以降は、時間が許す範囲でアクション系の射撃競技会に参加するようにしており、その競技会ではハンド・ガンのメーカーが出荷した状態の銃器を使用するプロダクション部門に限って45ACP弾薬を使用する1911系の拳銃でエントリーしており、最近のことだがプロダクション部門でマスタークラスに昇格している。
顔馴染みとなっている競技会の参加者からは、45ACP弾薬ではなく9×19ミリメートル弾薬の9ミリメートル・パラベラム弾薬を使用するハイキャパシティ1911のカスタムガンを使用すれば、更に成績も上がり大会によっては優勝だって狙えるとアドバイスをくれるが、俺としては別に競技会で好成績を得て順位を競う意図を持って参加しているわけではなく。あくまでも、デルタ・フォースのオペレーターとして従事するミッションで生き残るためのスキルを高めるために参加しているので、周囲からアドバイスに従って使用する弾薬や拳銃を変更する気はない。
なお、開催されている殆んどの競技会では、参加者が使用する弾薬を区分わけしており、40口径以上をメジャーとして位置付けて、メジャー区分の弾薬についてはマガジンへの装弾数は8発までと規定され、一方で口径が40口径より小さい場合はマイナーとされて、マガジンへの装弾数は10発まで許されている。
競技内容は、全てのターゲットを1発も外すことがなければ、8発を装弾しているマガジンでも賄うことが可能で、予備のマガジンに交換する必要がないが、やはり実際に競技を行えば緊張感からターゲットを外すのは珍しいことではなく、結果としてマガジン交換をしないわけにはいかない。
そうなれば、マイナーに区分される弾薬を使用して10発をマガジンに装填している場合は、メジャー区分の競技者がマガジン交換をしている間に、2発分を発砲できるので制限時間が設定されている競技ステージでは有利になるのは間違いない。




