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午前5時30分ころとなり夜明けを迎え始めた頃、眩しいばかりの朝日によって少し前までは深夜の暗い風景の中で不気味に佇んでいた高層建築物の塊も徐々に仔細が判別できるようになり、見慣れた街の風景へと変わってくる。
地平線から太陽が昇ってくる少し前から、それまで覗いていた赤外線双眼鏡では周囲の光量が強過ぎて僅かな光を増幅してくれている機能に支障を来たすことになるから、レーザーを照射して目標物までの距離を測定できるレーザーレンジファインダー機能付きの双眼鏡に持ち替えて監視を継続する。
流石に俺達が監視している12階建てビルの足元では、今日からベルギーをNATO首脳会議に出席するために訪れるNATO加盟国の首脳達が会議の会場であるNATO事務局まで車両移動するためのルート確保用に交通規制を実施するため所用箇所に配置される鉄製パイプの可動式ゲートやコンクリートブロックの設置作業が行われていたので、作業員への指示や交通整理のために出動している制服警察官がルートの各所で立ち回っている関係で、不審者が周囲を徘徊しているような事はなかった。
交通規制のために一晩中行われていた作業も完了して、可動式ゲートやコンクリートブロックの設置作業に従事していた作業員と作業用重機も撤退して、街には昨日の朝と変わらない静けさが戻ってくると放射冷却による空気の冷たさが感じられ、心なしに口から吐き出される自らの息が僅かに白くなっているように思われ若干寒さを覚える。
そこへ現地警護対策本部の担当者から
「あと数時間で、交代時間となるが君達のチームは8時間の休憩時間を取得した後が、ちょうど各国首脳がブリュッセルに到着する時間帯とバッティングするので、休憩時間を8時間過ごしたら今いる場所での監視任務に就いてもらうことになるので、そのつもりで休憩時間を過ごしてくれ」
無線を通して指示をしてくる。
今回の要人警護をバックアップするという任務からすれば、警護対象であるNATO加盟国の首脳がブリュッセルに参集してからが本来の主要任務となるので、16時間の休憩が確保されないことについて疑義や不平不満を言いたいとは思わない。
そのことは隣に居るマイクも充分に理解している筈だが、口をへの字に曲げて両腕を広げて肩を竦める仕草をして多少の不満を表現している。
現地警護対策本部との連絡手段である無線には画像データとしてマイクの仕草が送られる心配がないので、肩を竦めた仕草をした後のマイクは皮肉の意味を込めて苦笑いの表情を浮かべている。
俺とマイクも、これまで従事してきた数々のミッションにおいて、必ずしも充分とは言えない程度の休憩時間しか与えられることなく、新たなミッションを命令されるのは決して珍しいことはないので、半ば慣れてしまっているが少しも疲労感がないと言えば嘘になり、然りとて任務に支障を来たす程の疲労が蓄積されているわけではない。
咽頭マイク越しに俺とマイクは、現地警護本部の担当者からの指示に対して了解した旨を返答し、徐々に朝日が差し込み温かさが増してくる屋上でレーザーレンジファインダー機能付きの双眼鏡を構えて監視任務を継続する。
監視を行う任務時間を終えて寝床となっているビジネスホテルへ戻ると、兎に角ベッドに潜り込んで少しでも早く就寝する。身体全体から言えば屋上から双眼鏡を構えて周辺を監視しているだけの行動で、大した運動量があるわけでもなく疲労が蓄積されたような事は殆どないが、常に目を使って子細な部分まで凝視している時間が多いので目に疲れを感じているのは間違いなく。
一刻も早く眠りに就いて、少しでも目の疲れを癒して視力の回復を図らなければ、スナイパーとして重要な照準を行うのに支障を来たすような事態にはしたくない。
支給されているSCAR-H TPRライフル銃は、少なくとも今まで俺が使用してきたセミオートマチックライフル銃のなかではボルトアクションライフル銃の性能を凌駕しているとは思わないが、ダントツの性能を有しているのは間違いがない。
特に、SCAR系のモデルはセミオートマチックライフル銃としては突出した射撃精度を有してはいるものの、ストック部分が持ち運びの利便性を考慮して折り畳み式となっている事でストックを折り畳む際の可動部に多少ともクリアランスが必要となり、細かいことを言えば精密射撃を行うにあたって銃器本体に余計な可動部分に伴うクリアランスを有するのは発砲の際に僅かであっても銃器本体に射手が予期しない捩れ等が発生することを考えれば必ずしもプラスになることはない。
それは、ボルトアクションライフル銃を見ればストック部分に折り畳み機能を付加したギャミックがないことからも想像がつく。
確かに、ボルトアクションライフル銃にもLOPというトリガーからバットストックまでの距離を調整する機能やライフル銃に装着した光学照準器であるスコープの接眼レンズと利き目である瞳の位置関係を調整するためのチークピースが稼働するギャミックを有しているモデルも存在するが、それでもライフル銃を発砲した際に銃本体に捩れ等が発生するようなギャミックが施されているわけではない。
その点、俺に支給されたSCAR-H TPRライフル銃はLOP調整機能やチークピースを調整する機能を有しているが、ストックの折り畳み機能を排して持ち運びの運用に多少の不便さはあるものの、固定式に改めて余計な可動部のクリアランスは存在しない。更に、ハンドガード部も似たような形態のM4タイプのアサルトライフル銃のようにレシーバー部とは別体とせずに一体型で制作されているので、スコープ等を銃本体に装着する際に、スコープ・リングを取り付けるのにレシーバー側とハンドガード側を跨ぐことのないように注意する必要がない。
レシーバ部とハンドガード部が別体の場合、それぞれが別個のマテリアルから成形されるので接合箇所が確実に同一面となっているとは断言できず、組み立てた際にレシーバ部とハンドガード部が一直線状態とならずに僅かながらでも曲がってしまえば、スコープを銃本体に取り付けるためのスコープ・リングをレシーバー部とハンドガード部を跨いで装着すれば、スコープをスコープ・リングへ取り付けた際にスコープ本体に余計な力が加わり、結果としてスコープ本体内のエレベーション・ダイヤルやヴィンテージ・ダイヤルの正常な可動に悪影響を与え得かねず精密な照準ができなくなる可能が生じる。
一方、極長距離射程の狙撃では高倍率のスコープを使用しなければならないが、その場合にはスコープ自体の全長が長くなってしまい、仮にスコープ・リングをレシーバー部のみに装着して高倍率のスコープをセットすると、接眼レンズからスコープを覗いた時に接眼レンズと瞳の距離であるアイ・リリーフが近過ぎることで、ライフル銃を発砲した際に銃本体が反動によって後退すると接眼レンズ部が利き目と衝突して射手の利き目が負傷したり、最悪のケースでは失明する事態となる。
そのような事態を避けるためにスコープ・リングの装着位置をハンドガード部のみとすれば一般的に適性と言われているアイ・リリーフの距離は概ね3インチ(7.62センチメートル)とされているので、スコープの接眼レンズが瞳から離れ過ぎてしまうので適性照準ができなくなってしまい兼ねない。
その点、SCAR-H TPRライフル銃はレシーバー部とハンドガード部は一体型で製造されているので上部になるレイル部が直線状態であるのは疑いようがなく。仮に高倍率のスコープを使用する際に、スコープ・リングの取り付け位置がレシーバー部とハンドガード部を跨ぐような位置に取り付けたとしてもスコープ本体へ余計な力が伝わるような心配がいらない。
それだけ長距離射撃での精度を上げるような配慮の元に、組み上げられた道具としてのライフル銃であっても、弾丸を打ち出すための最終段階で関わる人間がベストな身体状態で臨まなければ望んだ結果を得ることは不可能と言える。
ベッドの脇テーブルに置いたデジタル腕時計のタイマーを15時にセットしておいたので、14時にデジタル腕時計のアラーム音で目を覚ますと洗顔等を済ませてからSCAR-H TPRライフル銃に装着していた赤外線暗視スコープを取り外して本来装着していたスコープに取り換える。
元々のスコープは、一体型のスコープマウントを取り付けているのでSCAR-H TPRライフル銃への装着は銃本体上部のレイル部へ決めている箇所に配置したならば2箇所のストッパーを倒してレイル部にロックすれば完了するだが、通常のスコープを装着した後に着弾状況を確認するための試射を行う時間がないので一抹の不安を感じないわけではない。
使用しているスコープマウントが一体型で、レイル部への取付けも捻じ込み式ではないのでネジを締め込む力加減による微妙な装着位置のズレは考え難いが、レバーを倒して固定するロック式としても確実に前回と同じ状態で取りけられているという保証は何処にもない。本来ならば、前日と同様にベルギー軍の射撃レンジで試射を行い着弾状況を確認できれば間違いないのだが、これから試射をしに行けば指示された時間に監視場所へ赴くことができない。
心の何処かで澱のように不安が留まっているが、その不安をロック式のスコープマウントなので大丈夫だと大した確証もないまま自らを納得させる。
俺がスコープの交換作業を完了した頃に隣のマイクが目覚めて、SCAR-H TPRライフル銃を抱えている俺の姿を見ると
「早く起きてスコープの交換作業を行ったのか?」
眠そうな目を擦りながらマイクが聴いてくる。
「ああ、新たに指示された時間帯なら暗視スコープを使う必要がないし、仮に日没前に狙撃が必要となった場合には暗視スコープが使えない」
俺は可能な限り普段通りの口調でマイクに答えると
「でっ?試射はどうする?」
真顔で俺に聴いてくる。
「今からじゃ、試射している時間はないし、それにスコープの取付けは一体型のロック式だから試射をしなくても大丈夫だ」
とマイクに返答する。
「本当にそう思っているか?何時もお前らしくないじゃないか」
マイクの鋭い指摘に、流石の俺も心の中を見透かされたように感じ
「指示された時間に遅れるわけにはいかない。不安がないのかと言われれば完全にないと言い切れないが、今は使用している器具を信じるしかないさぁ」
そう答えるのが精一杯の俺に対して
「そうか、分かった。もし、お前に長距離の狙撃を行う必要となったら可能な限り俺がホローしてやるよ」
そうマイクが言うと、いつも通りに
「それじゃ、出番の前に腹ごしらえでもするか」
そう言って半ば強引に俺の腕を掴んでビジネスホテルの食堂へ向かった。




