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6人のオペレーターを送迎したボートは、コーディネーターと船外機を操作していた男性の2人で、オールを使い大型クルーザーに接近してきた。ここまで順調にミッションを遂行してきたのだから、ここで船外機を稼働させてエンジン音を響かせて、周囲から注目を集めるような真似をしても意味がないので、人力によって500メートル近くの距離を2人掛かりで10人乗りのゴムボートを移動させるのは致し方ない。
俺は無線によって連絡を受けているから、こうして2人の人間がオールを漕いで10人乗りのボートが、大型クルーザーに近寄っているのをスコープ越しに見ているが、そういった事情を知らない人間のうち一体何人が大型クルーザー周辺に注目しているのだろうか?
ゴムボートが大型クルーザーの船尾に近寄り、1人のオペレーターがゴムボートのコーディネーターから黒い死体収納袋を受け取ると船内に引き返し、船室に転がるザフィーの死体を死体収納袋へ入れファスナーを引き上げる。すると死体を袋に入れたオペレーターに加えて3人のオペレーターがザフィーが収納された袋の四隅を持って船外に出てくる。
残りの2人は、船内で暫く作業をしていると船外に出て船尾へ向かいボートから渡された係留用のロープ2本を大型クルーザーの手摺に結び付けて、死体と化したザフィーを収納した袋をゴムボートへ積み込む際、不安定となったゴムボートが大型クルーザーから離れて死体袋のザフィーを海に落下させないよう抜かりなく準備を行っている。
係留用のロープを大型クルーザーの手摺に結び終えた2人がゴムボートへ移り込むと死体袋の四隅を持っていた4人が、係留されたゴムボートへ近付いてゴムボートに居る4人に死体袋を渡し始めた。
海中に落下させることなく無事に死体袋をゴムボートへ移し終えた大型クルーザーに居た4人は、次々にゴムボートへ乗り移るが最後の1人は踵を返して船内に戻って作業を行っていたが、3人がゴムボートへ確実に乗り移った頃に船外へ姿を現すと
「観察第2班から観察第1班へ、雄の親鳥を支障なく捕獲できた。周囲のウミスズメ達が騒ぎ出さないよう5分後にカムフラージュの準備をしてくれ」
無線で俺に暗号で、大型クルーザーの1階部分のキャビンにある調理用コンロのガスの元栓を全開にしてガスを放出しているので、ゴムボートが大型クルーザーから離脱してから5分後に、ライフル銃から大型クルーザーの1階キャビンへ発砲してガス爆発を発生させるよう連絡してきた。
俺に無線で連絡してきたオペレーターは、それから大型クルーザーの手摺に結び付けられている2本の解き、そのロープをゴムボートへ投げ入れてから船尾へ向かいゴムボートに乗り移る。その様子をスコープ越しに見ていた俺は、左手首に巻き付けているカシオのデジタル腕時計を操作してタイマーに切り替え、5分間の設定を終えるとスタートボタンを押し、デジタル時計のタイマーは正確にカウントダウンを始めた。
ゴムボートは、大型クルーザーから離れると乗り込んでいる全員が、強化樹脂製のオールを各自が使ってなるべく音を立てないよう注意してオールを漕いで現場を離脱し始めた。多少の波があるとは言え湾内という事もあり、9人の男達がオールで漕いでいるゴムボートは順調に、大型クルーザーから離れていくのが夜間のスコープ越しでも確認できた。
大型クルーザーから300メートル以上は離れ、暗闇の海上に溶け込みスコープからも視認ができなくなった頃に、左手首のデジタル時計から5分が経過したことを知らせるアラームが小さく鳴り出す。
俺は、未だ室内照明が点灯して明るい大型クルーザー1階キャビンの窓の1つにSPR300ライフル銃のスコープレティクルセンターを合わせる。室内の様子が多少上下して見えているが、人間をターゲットにして急所へ初弾で命中させるわけでもなく、スコープからは広く見えるキャビン室内へ弾丸を送り込むだけなので、窓の中央付近にレティクルセンターを合わせると大してタイミングを計ることもせずにトリガーを引き絞る。
SPR300ライフル銃からは消音器を介して鈍い発砲音を発し300AAC ブラックアウト弾薬から弾丸を放つが、ターゲットである大型クルーザーの周囲に停泊しているヨットやクルーザーで繰り広げられているパーティで使われている花火の音が鳴り響いているのに加えて、銃口を海へ向けている為か海面が発砲音を吸収しているかのようにSPR300ライフル銃から発せられる発砲音は想像以上に響いていない様な気がする。
発砲による反動を左腕の付け根で受け止め、多少ともズレたスコープを構え直して大型クルーザーへ向けるとボンッという大きな爆発音と共に大型クルーザーの1階キャビン内から閃光が走ると、1階キャビンの全ての窓ガラスが吹き飛びオレンジの炎が噴き出す。
大型クルーザーからの爆発音を聞いた周囲に停泊しているヨットやクルーザーからは女性の悲鳴が聞こえてくると同時に、大型クルーザーの1階キャビン内から飛び出した細々とした物品が海上に着水する音も聞こえてくる。
年に一度開催されるモナコグランプリを楽しむつもりで、街中がお祭り騒ぎとなっていた状況下で突然発生したアクシデントによって大型クルーザーの周辺に停泊しているヨットやクルーザーだけでなく陸側にも動揺が広がり出しグランプリ会場周辺は騒がしくなってきているのを尻目に、俺はSPR300ライフル銃からマガジンを抜くと、ボルトハンドに右手を掛けて90度上方へ引き上げてから手前に引くとエジェクションポートからは、未だ発砲されていない未使用状態の300AAC ブラックアウト弾薬が跳び出してくる。SPR300ライフル銃のチャンバーが空になったことを確認した俺はボルトハンドを前方へ押しやり、ボルトがエジェクションポートを覆い隠しきったところでボルトハンドを90度押し下げてチャンバーを閉鎖する。
屋上のコンクリート床に落下した300AAC ブラックアウト弾薬を右手で拾い上げた俺は、SPR300ライフル銃から抜き出したマガジンに拾い上げた300AAC ブラックアウト弾薬を再び装填してから専用のソフトケースに仕舞い。次いで、SPR300ライフル銃に装着しているスコープの対物レンズに取り付けていたキル・フラッシュを取り外して対物レンズと接眼レンズに樹脂製の保護キャップを被せて、キル・フラッシュはソフトケースへ仕舞ってから、折り畳み式のSPR300ライフル銃のストック部分にあるロックボタンを押し込みながらストック後部を左側へ倒しておき、その後はバレル部分を覆っている専用の消音器を捩じり外し始める。
SPR300ライフル銃の専用ソフトケースは、外側のナイロン素材にクッション材となるウレタンが内包され大型のアタッシュケースくらいの大きさなのだが、専用の消音器をバレルに装着したままではケースに収納できないので専用消音器をバレルから取り外したうえで、折り畳み式のストックも畳んでからでなければケースに仕舞うことがでないのだ。
ライフル銃本体と専用の消音器もソフトケースに仕舞った俺は、ソフトケースを右手に提げて屋上の出入口であるドアへ向かい取っ手の中央にあるノブを捻ってロックを開錠すると静かにドアを開けてマンション内に入り、静かに閉めたドアにコーディネーターから渡されていた鍵を使って施錠する。
その頃にはガス爆発を起こした大型クルーザーは、船舶火災を発生させて大きな火柱が立ち上っていたので、消火作業を行う為の消防船舶や消防車両、更には負傷者を搬送するための救急車両等が集結して発しているサイレンの音が、街中に鳴り響きマンション内にまで聞こえてくるなかを俺は静かにSPR300ライフル銃を収納したソフトケースを右手に提げて階段を降りてアジトとされている部屋へ向かった。
用意された部屋に戻っても、モナコグランプリでお祭り騒ぎとなっていた雰囲気を一変させる船舶火災の発生によって、モナコの街中は湾内に停泊している大型クルーザーの船舶火災に関心を寄せる野次馬等で深夜になろうとしているのもお構いなしに騒々しくなっており、マンション内も同じフロアを含めて騒がしくなっている。
俺は、部屋に入って玄関ドアの鍵を施錠すると自分の荷物であるバックパックの隣へ右手に持ったソフトケースを置くと、キッチンの冷蔵庫を開けて予め購入しておいたソーセージと500ミリリットル入りの缶ビール1本を取り出してテーブルに着くと、歯を使ってソーセージの包装を破り缶ビールのプルタブを持ち上げて開けるとソーセージを齧りながら缶ビールを口へ運んで、口の中のソーセージと共に胃へ送り込む。
ソーセージ1本を食べ終わり、缶に残っているビールをゆっくり飲んでいると何者かが玄関ドアをノックしてきた。テーブルの椅子から立ち上がり玄関ドアへ向かった俺は、玄関ドアの鍵を開錠してドアを開けるとドアの前には出発した時と同じ服装を着用した3人のオペレーター達が無表情で立っていた。
室内に入った3人は、キッチンのテーブルに備えられている椅子に座ると各々が溜息を漏らしてから1人が徐に
「ボートが主発した地点に戻ってから、コーディネーターが準備していた車のトランクに死体袋を積み込んで、あっ、その前に車に用意された小袋に入った多量のドライアイスを死体袋に詰め込んでから荷台に積み込んで、その車に送られて戻って来た。ターゲットを収納している死体袋は、俺達が乗って来たレンタカーのトランクへ移してあるので、明日の朝には隣の連中とアヴィアーノ空軍基地へ死体を送り届ければミッションは終了だ」
と説明をしてくる。確かに、今の季節のモナコの陽気ではドライアイス等で死体を冷やしておかなければ特に腹部の内臓は腐敗が始まり、幾ら死体袋に収納していても腐敗臭が漏れ出て異様な物があるというのは素人でも直ぐに分かってしまう。ただ、ドライアイスで死体を冷やしていたとしてもアヴィアーノ空軍基地は隣国のイタリアなので、モナコ公国を出国手続きをしてからイタリアへの入国手続きをしなければアヴィアーノ空軍基地には辿り着けない。
ヨーロッパでは出国に関しては大したチェックは受けないが、入国については違法薬物等の持ち込みを警戒するのでチャックが厳重である。運んでいるのが麻薬等の薬物ではないにしても、イタリアの検査官が死体袋を一目見れば明らかに不審と思われるのは火を見るより明らかである。その事を口にした俺に別の1人が
「その事なら、隣の連中がコーディネーターが用意した特殊な箱の組み立てをしている筈だよ。何でも明日の出発前に組み立てた箱へ死体袋ごと入れて厳重に封印した上で、箱の表には軍事用特殊部品のラベルが貼られたほかに、偽造されているがペンタゴン発行の書類も準備されているそうなのでイタリアの入国チェックも問題なくパス出来るだろう」
それを聞かされた俺は一応納得した。軍の特殊用品が梱包されているほか、正規にしか見えないペンタゴンの書類まで見せられたら、如何に入国検査官と言えども簡単に箱の内容物を確認させろとは言えないだろう。特に、書類内容の確認を行う為にアヴィアーノ空軍基地へ連絡を入れたとしても「その荷物は間違いなく米軍が発注した軍事部品であるが、その内容までは軍事機密なので回答できない」と言われてしまえばイタリアの入国検査官も信用しないわけにはいかない。
翌朝、深夜まで続いた船舶火災による騒ぎも落ち着いて静けさを取り戻したモナコの街は、昼過ぎから行われるモナコグランプリの予選を前にした嵐の前の静けさと言った感じであった。
6時に訪れたコーディネーターは、荷物を持って地下の駐車場へ来るように伝えると1人地下駐車場へ行ってしまった。俺達は昨夜のミッションが成功したとは言え、大型クルーザーの船舶火災で深夜遅くまで騒ぎが収まらない影響で、睡眠時間が短かった事もあり眠い目を擦りながら各自の荷物を抱えて地下駐車場へ降りていく。
地下駐車場へ着くと隣の部屋で寝ていたオペレーターの1人が、バックパック以外に黒い外装のハードケースを持っていた。恐らく、このハードケースが昨夜聞かされた軍事用特殊部品としてザフィーの死体が収納されている死体袋を入れる箱なのだろう。ケースの外装には至る所に「軍事部品のため取扱い注意」と印刷されたシールが貼り付けられている。もし、この擬装用のシールも昨夜のうちに3人のオペレーターが張り付けたのであれば思いのほか、丁寧に張り付けたものだと俺は関心して見ていると
「それでは、レンタカーのトランクに運び入れた死体袋を取り出して、死体袋ごとハードケースに収納してもらいます」
コーディネーターが言うと、車のキーを持っているオペレーターがジーンズの前ポケットから車のキーを取り出してトランクを開ける。
俺と別のオペレーターが提げていた荷物を駐車場の床に置いてトランクから死体袋を取り出すと
「ちょっと待ってください。このままの状態では昨夜に入れたドライアイスが溶けているでしょうから死体の腐敗が進行しますので、新しいドライアイスを準備してきたので死体袋の中に詰め直してからケースに収納してください」
そうコーディネーターが俺達に言うと、自分が乗って来た車から段ボール1箱を後部座席から取り出してきたので、段ボール箱を開けると中身は小さいビニール袋に小分けされていたドライアイスが封入されてあった。
俺は、死体袋のジッパーを開けて半分以上は溶けかけているドライアイスが封入されている小さく小分けされたビニール袋を死体袋の外へ取り出していく。すると、別の2人がコーディネーターが持って来た新しい小分けされたドライアイスを死体となったザフィーの周りに詰め込んでいく、完全に死体と化したザフィーの顔は穏やかとは言い難い苦悶の表情を浮かべて異様な程に白い肌となっている。
反米思想に取り付かれ、米国への対抗措置として大量破壊兵器を開発製造しようとした者の成れの果てと言っては余りに哀れなように感じる。確かに、自分達のアイデンティティを貫くために異教徒からの干渉を拒む姿勢には同情する気持ちがないわけではないが、かといって自らよりも強大過ぎる力に背を向けたところで待っているのは惨めな敗北というのも抗いがたい現実でもある。
俺にしても、職業軍人として生きているが俺が使用している銃器類を製造している軍事産業へ出資している人間が、その反対側で自分達のアイデンティティを守るために武器を手にしている連中に、多少の支援を与える事で自分達が出資している軍事産業の武器を購入させる事で、正規軍からの武器購入以外の売り上げによって軍事産業を成長させて自らも潤うように仕向けているのが、これまでの軍人生活を送っているなかで分かってきた。
しかし、だからと言って俺1人が軍事産業へ出資している輩に何等かの手段を講じる事ができるかと言えば、ほぼ不可能に近いのは明らかで、今回のミッションが終了すれば次に待ち構えている新たなミッションでは、軍事産業から製造される別の武器を手にしてミッションを遂行するのであろう。




