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ターゲットが居住する屋敷の近くまで車両で赴く事が可能と考えていた俺にとっても考えが甘過ぎたと思わざるを得ない事態となった。
まさか、日本国内で銃器を使用するボディガードが存在しているとは正直なところ想像していなかった。少なくとも個人の銃器所持が米国以上に規制されている日本では精々特殊警棒やボーガン等を用いるくらいのボディガードは存在するだろうと高を括っていたが、不法であれ銃器を使用してくるようでは米国の警察官程の射撃訓練をしている事はないだろうし、増して我々のような米国軍人のように月に数万発の実弾訓練をしていないので高い射撃スキルを有していないと思われるが、余り相手を舐めて掛かると自分の命が幾つ有っても足らなくなる。
離れた場所から音だけの情報では、相手が使用している銃器や射撃スキルまでは判断しようがないものの、最大限の注意を払うことに越した事はない。
停車したC-HRの車内で、センターコンソールに装備されている小さなモニターに映し出されているナビゲーション用の情報量が少ない地図画面を眺めて、C-HRを暫く停車させてターゲットの屋敷へアプローチしても問題が無さそうな場所を見付けた。そこは、ターゲットの屋敷まで直線距離で少なくとも5キロメートルはありそうで、ターゲットのボディガード達が怪しい仕掛けを施していなければ山野の中とは言え1日も歩けば辿り付けそうな距離である。しかし、それは飽くまでも山野の中に侵入者を拘束したり、或いは殺害するための罠を仕掛けていない場合の話であり、実際に妙な仕掛けを点々と施しているような場合には、此処から目を付けた場所へC-HRで移動して徒歩移動に切り替えたとしても恐らく丸2日を要してしまうだろう。
そう判断した俺は、改めてC-HRを走行させる。ただし、ナビゲーションの目的地をキャンセルしていなかったので、車内に響く案内の音声が煩く煩わしい。
時折、C-HRのセンターコンソールに備え付けられているモニターの道路地図を頼りに木々が生い茂り車1台しか走行できないような狭い未舗装路に入っていく、確か俺の微かな記憶ではこの様な道を林道と呼んでいたような気がするが、とにかく路面が未舗装状態なので所々に起伏があるためスピードを出して走行することができない。
徐行速度で未舗装の林道を走行していると、どうにかC-HRを止めて置けそうな平場を見付ける事ができた。俺は、発見した平場にサイドミラーを見ながら林道の通行に邪魔とならないよう可能な限りC-HRを突っ込ませて停車する。エンジンを停止させてから、ハッチバックドアをオープンさせるレバーを引いて後部のハッチバックドアを開け、運転席から降りるとトランクルームに積み込んでいたバックパックを抱えて開けっ放しの運転席側ドアから後部座席へバックパックを置く。
そのバックパックから、収納していた陸軍の戦闘服を取り出して運転席のシートへ置き、次いでバックパックに手を突っ込んでコンバットシューズとレザーシースに収めている米国老舗ナイフメーカーのケーバー社が製造して、海兵隊が採用しているUSMC(ユナイテッド・ステーツ・マリーン・コープス)1217ファイティングナイフと迷彩フェイスペイントを取り出す。
俺は、C-HRの車外で着ていたブルゾンやポロシャツ、デニムパンツを脱ぎボクサーパンツ1枚の姿となるとバックパックから取り出しておいた戦闘服に着替えるが、迷彩柄のパンツを履いた時に付けていたベルトを一旦外して、ファイティングナイフを納めているレザーシースが左腰の辺りに位置するように調整してベルトに通して着用する。
今回のミッションでは、拳銃を携行していないので仮に接近戦となったとしてもM24SWSライフル銃を使用するという訳にはいかない。最も、M24SWSライフル銃の全長は1,092ミリメートルとなっているのに加えて200ミリメートルくらいの消音器まで装着しているので、こんな木々や雑草が生い茂っているような場所では取り回しに不便で接近戦闘には向いていない。それであれば、ファイティングナイフを使って格闘戦によって対処した方が、拳銃等を使って余計な発砲音を響かせる事で俺の居場所を知らせ、ターゲットのボディガード達を引き寄せる心配がない。
そもそも俺が与えられたミッションは、ターゲット及びそのボディガード達を殲滅させる事ではなく、あくまでもCIAの特殊要員をバックアップする事なのだから、余計な戦闘行為は避けた方が無難と言える。
最後に、迷彩フェイスペイントを使って自分の顔に塗り付けて身支度を終えた俺は、開け放たれているハッチバックドアへ行きトランクルームへ積み込んでいたM24SWSライフル銃を収納したソフトケースを取り出して、C-HRの右フロントタイヤがある辺りに立て掛ける。それから、ハッチバックドアを閉めてから開けっ放しの運転席側ドアから上半身を最敬礼するように折り曲げてC-HRの車内に潜り込み、助手席に置いていたナップザックに500ミリリットル入りスポーツドリンクのペットボトル2本とクッキータイプの栄養補助食品のパッケージを全て詰め込み紙封筒からCIAとの連絡用スマートフォンを出し、更に脱ぎ捨てていたデニムパンツの右前ポケットに入れていたC-HRの電子キーも取り出して、車外に出るとナップザックの口を絞るようにナップザックの左右に着いている紐を引っ張ってから背中に背負い、スマートフォンは戦闘服の右の胸ポケットへ突っ込む。
そうしておいて、運手席側ドアを閉じて手にしている電子キーのロック施錠ボタンを押すとカタッとう音と共にC-HRのハザードランプが点滅してC-HRの全てのドアが施錠された。
立て掛けていたソフトケースを持った俺は、改めてC-HRを見ると明らかに今の状態でシルバーのC-HRを駐車していては不自然極まりないし、どう見ても目立ち過ぎる。
そこで、M24SWSライフル銃が収納されているソフトケースを近くの木立の幹に立て掛けてから、左の腰に吊られているレザーシースからファイティングナイフを抜き、周囲を見渡して葉が多く付いている広葉樹の枝を何本か切り出して、C-HRの車体が簡単に見付からぬよう偽装用に使って隠し始める。その作業を30分以上も掛けて行うと目立っていたシルバーのC-HRの車体は完全とは言い難いが、目立たぬ程度にカモフラージュできた。
C-HRのカモフラージュ作業を終えた俺は、木立に立て掛けておいたソフトケースを右肩に担いでから、右胸のポケットに入れて置いたスマートフォンを取り出して起動させると地図情報のアプリケーションソフトを使って自分の位置とターゲットの屋敷方向を確認して、スマートフォンを右胸のポケットへ突っ込み山林の中をターゲットの屋敷を目指して歩き始めた。
ここ数日は、晴天続きで雨が降っていないためか足元が泥濘で滑ったり、粘土質の山土がコンバットシューズに付着して重くなるような事もなく順調に距離を稼いでいたが、突然前方2時の方向からガサガサという音が聞こえてきた。
一瞬、俺は身を伏せて様子を伺っていると20メートル程前方に生い茂る雑草の塊の中に4本足の動物が潜んでいるのを視認した。目を凝らして茂みの中にいる動物を観察しているとイノシシのように見える。たぶん、採餌のために餌を探しているのかもしれない。俺の脳裏には、ファイティングナイフを使って目の前にいるイノシシを狩ろうかとも考えたが、仮にイノシシをファイティングナイフで狩猟したとしても一頭のイノシシを担いで移動するわけにもいかないので、放血や解体作業を行い食糧とする部分を切り出す必要がある。その結果、食糧とはならない部分を投棄した場合には匂いが周辺に漂って、近くに生息しているかもしれない肉食獣や雑食性のクマを呼び寄せる事になる。そこで、偶然であってもクマ等と遭遇したのであればM24SWSライフル銃を使用して射殺しなければ、俺自身がクマに襲われてしまう。それでは、可能な限りターゲットやそのボディガード達に発見されないためにM24SWSライフル銃の発砲を控えようとしている俺にとって逆効果な結果となるし、幸いにも現段階では食糧に困っている状態でもないので、発見したイノシシを刺激しないように大きく迂回してイノシシから離れることにした。
それから、暫くはイノシシ以外に度々シカとも遭遇した事で、その度に迂回行動をとったので予想していた以上に時間を要して進行スピードが鈍ってしまった。進行スピードが鈍ってしまったことで多少ともイライラした気分の俺だが、空を見上げると太陽が真上の位置にあるのが分かり、目の前にあって腰掛けられそうな岩に腰を下ろすと、ナップザックからペットボトル入りのスポーツドリンク1本とクッキータイプの栄養補助食品1箱を取り出して昼食休憩を取ることにした。
クッキータイプの栄養補助食品を齧りながら、予想ではターゲットの屋敷まで未だ3分の1の距離にも至っていないと思われるので、仮に一晩中移動したとしても全体距離の半分くらいしか進めないだろうと考えた俺は、今夜は早目に仮眠を取って身体を休息させ、明け方に空気が冷え込む前に行動を起こすようにしようと決断した。
俺が、そのように決断を下したのはターゲットの屋敷へのアプローチでは直線距離にして2キロメートル以内の範囲から、たぶんボディガード達が仕掛けているかもしれない防御用のトラップがあると思われるので、今以上に集中して警戒しなければトラップの餌食となるのは間違いなく、そのためにも体力と気力を温存しておかなければCIAの特殊要員が失敗するかもしれないターゲットの狙撃をバックアップする際に支障を来たしてしまうと判断したからである。また、今の日本は季節が秋となっているので山間部の明け方は、相当に冷え込むだろうから早目に身体を動かして体温を上げておかないと、身体が冷やされた事によって筋肉が強張って動きにも支障が出てしまう。
簡易な昼食を終えた俺は、飲み掛けのペットボトルとクッキータイプの栄養補助食品の包みをナップザックに仕舞って再び歩き出した。思うように距離が稼げぬ状況に焦燥感が湧いてくるが、ここで焦ったところで安直な行動を起こしてしまえば後々後悔する事になるし、その結果として大き過ぎる代償を払わなければならなくなる。
野生動物等に注意を払いながら歩き続けた俺が、ふと空を見上げると太陽が思っていた以上に西へ傾いていた。フッと溜息を漏らしてしまった俺は、周囲を見渡して野宿ができそうな場所を探す、空模様を見ていると雨の心配はなさそうだが、出来れば焚き火を起したいのだが、闇夜の森では焚き火が発する光は目立つので可能な限り洞窟のような場所があれば外部に不自然な光が漏れる心配がないので安心できる。
なお、火を起こす理由は仮眠中に野生動物が近付いてこない等とは最初から思っていない。事実、俺が点々としてきた戦場で野営中に焚き火をした際に、野生の猿が近寄ってきて物資を詰め込んでいたバックパックを悪戯されて難儀した経験がある。たぶん、野生の猿は焚き火に近寄ると温かいのと好奇心が旺盛なために近寄ってくるので、それ以外の野生動物では見慣れぬ火に対して警戒するためなのか近寄ってこないだけの話で、野生動物が火を恐れるというのは迷信でしかない。
希望する野宿場所を求めて歩き回っていると、下り斜面となった所で岩がオーバーハング状態になっている箇所が目に付いた。俺は、その場所へ近付いてみると焚き火をしても脇で仮眠ができるくらいのスペースがあり、奥の岩場をチェックしてみると蝮等が住み着いていそうな割れ目も見当たらない。
そこで、俺は右の胸ポケットに入れていたスマーフォンを取り出して地図情報アプリでターゲットの屋敷との位置関係をチェックしてみると焚き火を起しても光は見え難い場所である事も確認できた。実際、オーバーハングの入り口からターゲットの屋敷方向を見ても中間地点くらいの場所に生い茂っている木々の枝や折り重なった葉が視界を邪魔しているのが分かる。これで、今夜は此処で野宿をして日の出前には行動を起こすことに決めた。
それから俺は近くを徘徊して焚き火に必要な薪等を集め始め、一晩分の薪が集まったところで周囲から手頃な大きさの石を拾ってくる。拾ってきた石は、焚き火をするための簡易な竈として円形に置いていく。石を並べ終えると、その中心部に燃えやすいような樹皮等を置き、戦闘服の右サイドポケットから防水防風マッチを取り出して、マッチの先を並べた石の1つに押し当てて勢い良く擦るとマッチの先がバチバチという音を立てて火花を散らし、次いで手持ち花火のような炎を出してきたので、そのマッチを樹皮等が積み上げられた竈の中心へ投げ入れる。マッチから火が付いた樹皮等から小さな火が見えて、その炎が安定した頃に細く乾燥している枝を何本か焼べてやり、炎の勢いを上げてから徐々に太い薪替りの枝を加えていく。
炎が徐々に大きくなってくると近くにいるだけで汗ばんでくるが、夜も更けて空気が冷えてくれば暑かった感じが、いつの間にか温かさに変わって身体を休息させるのにも丁度良くなってくる筈だ。
右肩に担いでいたソフトケースをオーバーハングの奥に置いてから地面に腰を下ろしてナップザックから昼間と同じメニューを取り出して夕食を摂る。満腹とは言えないものの空きっ腹に水分と食糧を詰め込んだところで、ナップザックを枕替りにして横になって休息する。




