13
経ヶ岬分屯基地の屋内射場でゼロインを終えた俺は、M24SWSライフル銃をソフトケースに仕舞うとジープの荷台に積み込んであったバックパックから私服を取り出して、その場で着替えを始めた。目の前にはライト上等兵が居るのだが別に全裸となるわけではないし、下着姿を見られて恥ずかしがるような年齢でもない。第一、着替えのためだけに経ヶ岬通信所へ戻るのも時間の無駄になってしまう。
私服に着替え終わった俺が、ライト上等兵が運転するジープで経ヶ岬分屯基地の正面ゲートを通過する際には、門衛の自衛官が一瞬だが驚きの表情を見せたが、米軍の事だから訓練が終了して休暇が与えられているとでも思っているのか、直ぐに笑顔の表情に変わると敬礼をしながら日本語で「ご苦労様です」と言ってくる。
俺は、手にした指令書等が入っている紙袋から名刺サイズで偽造された日本の運転免許証を取り出してブルゾンのポケットに仕舞い、次いでA4サイズの指令書を取り出して内容を読み始める。
指令書には、ターゲットとして東洋人の顔写真がカラーで印刷されているが頭髪に口髭や顎鬚は白髪となっていて、俺の直感では恐らく日本人ではなく朝鮮人か中国人のように思われた。ただ、前回と同様に指令書にはターゲットの名前や素性に関する説明は一切記載されていない。確かに、狙撃暗殺命令を実行するのにターゲットの名前や素性を知ったところで何一つ意味があるわけでもなく、必要なのはターゲットの容姿や身体的な特徴と居所が分かっていれば事が済むのだが・・・。
それでも更に指令書を読み進めると、ターゲットは山間部とも言えそうな木々が生い茂る場所を切り開いた広大な土地に、鉄筋コンクリート造りで2階建ての屋敷と言っても日本における個人住宅としては結構な広さを有する住居に住んでいるようだ。しかも、敷地内には個人の防犯設備としては尋常でないと思えるくらいに、人感センサーや防犯カメラが設置されているのに加えて、結構な人数のボディガードも雇用して常駐させている。
そうなると必然的に、ターゲットを狙うにはボルトアクションライフル銃によるロングレンジの狙撃を選択する事になるが、本来ならば迷彩用の装飾が施されたギリースーツを着用したいところだが、俺が持って来ているバックパックにはギリースーツ等を収納していないばかりか、今回のミッション遂行に当たってギリースーツの支給もされていないので、実際に任務を実行する際にターゲットへアプローチする直前に陸軍の戦闘服へ着替えて、ターゲットのボディガード達から発見される可能性の少ない場所を確保したうえでバックアップに備えなければならない。
今回のミッションで貸与されているのが、M24SWSライフル銃なので有効射程距離は700メートルと言われている。しかし、少しでもターゲットへの命中確率を上げるのであれば、今の季節の日本であれば気温が大して高くなるとは思えず、狙撃のロケーションもアスファルトや砂漠地帯ではないので陽炎等の発生を気にする必要はないだろうが、時期的に狙撃の瞬間に結構な確率で風が吹いているだろうし、場合によっては台風が接近して暴風の中での狙撃となるが、状況次第では狙撃場所として選んだ所も土砂災害が発生する可能性があり、ターゲット側に存在が知られないよう大人しくしているのが困難と成りかねず、そうなればスコープを覗いてターゲットに命中弾を送り込む狙撃自体も非常に難しくなる。
そんな事を考えて、指令書を読み進めているとジープを運転しているライト上等兵が
「曹長、そろそろ最寄りのレンタカー営業所まで2~300メートルの場所まで来ましたので、道路脇にジープを止めます」
ジープのウインカーを点滅させながらジープのステアリングを僅かに左へ切りながら言ってくる。それを聞いた俺は、読んでいた指令書から目を離して前方へ視線を移して、膝の上に置いていた紙封筒に指令書を仕舞った。
完全に停車したジープから降りた俺は、荷台に積んであったバックパックを掴んで背中に背負う。その様子を見ていたライト上等兵が
「それでは曹長、頑張ってください」
と言って敬礼をしてくるので
「世話になったな」
俺も軽く敬礼を返して礼を伝える。
ライト上等兵が表情に微笑みを浮かべながら、右方向へ顔を振り向かせて後方確認をするとウインカーを点滅させてジープをUターンして、経ヶ岬通信所へ向けて帰って行った。
それを歩道から見届けた俺は、レンタカーの営業所を目指して歩き出す。途中、右手に持った紙封筒の中を覗いてみると、指令書の他に茶色い長3サイズの紙封筒と携帯電話が入っているのが見える。恐らく、長3サイズの紙封筒には必要経費として日本の紙幣で用意されているのだろう。車をレンタルするのに必要な運転免許証やレンタル料金が支給されているのを確認した俺は、少し早い足取りで目前に近付いてきたレンタカーの営業所へ向かった。
レンタカー営業所の建物に入った俺は、シルバーのトヨタC-HRを3日間の期間で借りる事にして必要書類を作成して、CIAが準備してくれた偽造の運転免許証を提示するが相手をしてくれた女性社員は、その運転免許証を見ても疑う素振りもなく営業所内のコピー機で偽造免許証の写しを取って、俺に偽造免許証を返してくる。
返された偽造運転免許証を受け取った俺は、長3サイズの紙封筒から日本の1万円紙幣を取り出してレンタル料金を前払いすると、女性社員はレンタル料金の領収書と一緒に釣銭を寄越してからC-HRの鍵を渡してくれる。
女性社員は笑顔を称えたままで
「それでは、お車まで案内いたします」
と言って建物の外に出ると先導して案内してくれる。俺は、その女性社員の後から右手にバックパックを提げ、左手に紙封筒を持って付いて行くと、少しばかり歩いてから女性社員が立ち止まって俺の方へ振り向いて
「こちらが、お使いになりますC-HRです」
左手でシルバーのC-HRを指し示しながら言ってくる。
俺は、目の前の女性社員に
「この荷物を積み込みたいんですが」
と言うと
「それでは、お渡しした鍵で車のロックを解除していただけますか」
と笑顔で答えてくるので、右手に持ったバックパックを一旦降ろしてから鍵を仕舞ったデニムパンツの右前ポケットから鍵を取り出して、車のロック解除するボタンを押すとガチャという鈍い音がしてC-HRのロックが解除された。
女性社員は、運転席のドアを開けて何かレバーを操作しているとハッチバックドアが持ち上がってC-HRの荷台が見えてくる。俺は、降ろしていたバックパックを右手に提げるとC-HRの荷台へバックパックを積み込む。
それから俺が、運転席へ向かいシートに座って左手に持っていた紙封筒を助手席のシートの上に置くと
「これまで、このタイプの車を運転された事がありますか?」
開いた運転席側のドア近くに立っていた女性社員が笑顔を見せて尋ねてくる。
俺は、その女性社員へ視線を向けて
「いや、初めて運転します」
と答えると、女性社員は丁寧にC-HRの各部の操作方法をレクチャーしてくれた。
一通りのレクチャーが終わり、女性社員が運転席側ドアから離れたのを確認した俺は、ドアを閉めてからシートベルトを掛けC-HRのエンジンを始動させる。
右脚でブレーキペダルを踏んで、センターコンソールにあるレバーをドライブレンジへ入れて右脚で踏んでいたブレーキペダルを離してやると、C-HRは静かにゆっくりと前進する。
それを見ていた女性社員は深々とお辞儀をしながら
「気を付けて行ってらっしゃいませ」
と車内にいる俺に向かって言ってくる。
その光景を目の端で捉えた俺は、日本に住んでいた頃を思い出して反射的にペコリと頭を下げる。
徐行スピードでレンタカー営業所内を出入口へ向けてC-HRを走らせ、一般道に合流する手前で一旦C-HRを停車させてから後方確認をした俺は、ウインカーを点滅させてC-HRを一般道へ合流する。これで、俺は初めて日本の道路で自動車を運転する事になった。
暫くC-HRを道なりに運転していると前方にコンビニエンスストアの看板が見えてきたので、俺は迷わずコンビニエンスストアの駐車場へC-HRを入れて区画線の枠内に停車させる。
エンジンを切ってC-HRから降りた俺は、コンビニエンスストアの店内へ入り昼食用にサンドイッチと総菜パンに紙パック200ミリリットル入りの野菜ジュース、それにペットボトル500ミリリットル入りのスポーツドリンク2本にクッキータイプの栄養補助食品を数個、それに安物のナップザック1つを購入した。
サンドイッチに総菜パン、それと野菜ジュースは、C-HRの車内で昼食として飲食するが、ペットボトルのスポーツドリンクや栄養補助食品は狙撃ターゲット近くの野山に潜んでいる際の食糧とするつもりだ。そうなると、大した量があるわけでもない食糧のためにバックパックに入れて、他の荷物と一緒に背負っていては身軽に動きが取れないので、購入したナップザックに食糧を入れて、ライフル銃を収納したソフトケースとナップザックを携行すれば身軽に動き回ることができる。
コンビニエンスストア駐車場に停めたC-HRの車内で昼食を摂り終えた俺は、サンドイッチ等を包装していたビニールや飲み終えた野菜ジュースの紙パックをコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てて、再びC-HRへ戻ってから助手席のシートに置いた紙封筒から指令書を出して、C-HRのエンジンを始動してからセンターコンソールにあるモニターを操作してターゲットが居住している場所の住所を入力する。これで、C-HRのナビゲーションに案内させれば道に迷うことなくターゲットの近くまでC-HRを移動させられるので一安心できた。
コンビニエンスストアの駐車場を出て、暫く一般道を先程よりも気楽な気持ちでC-HRのナビゲーションに従って運転して、C-HRに装備されているモニターに映し出されている地図上の目的地に近付いた頃、進行方向の遥か先の方向から明らかに銃器の発砲音が聞こえてきた。
俺は、一旦C-HRを道路脇に停車させて前方の様子を伺ってみると、暫くして車のタイヤが鳴くような音を耳にした。明らかに走行中の車に対して銃器を発砲して、発砲された車両の方が必死になって逃走しているのだろう。もし、これが車両を運転しているのがCIAから送り込まれた暗殺のための特殊要員で、銃器を発砲しているのがターゲットのボディガードだとしたら、俺も安易にターゲットの近くまでC-HRで接近するのは危険である。
そんな事を考えている間、タイヤを鳴かせた車両が何かに衝突して自損事故を起こしたような気配を感じ取ることがなかったので、恐らく逃げていた車両はどうにか逃走に成功したのだろう。
そう判断した俺は、停車したC-HRの車内でセンターコンソールの簡易な地図画面を睨みながら、C-HRを比較的安全に駐車できるポイントがないか探し始めた。内心では、数キロメートルの野山を徒歩で移動することになっても仕方ないと思いながら。




