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鎌倉




 JR鎌倉駅では、カップルと家族連れが楽しそうに歩いている。我々は駅をでると南にむかって歩きだした。レガシーがそばを通りすぎていった。由比ヶ浜がみえてくると、空にはトンビとカラスが乱舞している。ナナさんは人混みが苦手なようで「酔った」となにやらぶつぶつ文句を言っていた。メブは太平洋につながる相模湾の壮大な海が気にいったらしく、海をみながら歩いていた。稲村ヶ崎駅のちかくにいくと、とおくにある江ノ島のさらにむこうには富士山のシルエットがみえた。そのころの我々は汗だくであった。


 江ノ電の稲村ヶ崎駅で電車を待った。


「もう帰りたい」とナナさんが言った。


「なに言っているの」とメブがナナさんをたしなめた。


 こんなに弱って子供のようなナナさんをみるのは初めてであった。


 電車がやってきた。車内は空調が効いていて涼しかった。陽射しが車内を照らして眩しかった。意外に人が少なく、民家をすれすれに走る電車におどろいた。それは不思議な組み合わせの旅行に相応しいものにおもえた。


 駅をおりると、カフェや宿泊施設の建物にかこまれていた。我々は人の流れに沿って歩いていた。江ノ島大橋がみえてくると「テレビでみたことあるやつだ」とメブが嬉しそうに言った。ナナさんはどこからか缶ビールを買ってきて、それを飲みながら歩いていた。


 空の上ではカラスとトンビが覇権を争っていた。潮風が涼しかった。長い橋をわたりおえると青銅の鳥居をくぐった。


「生シラス丼なんておいしそうだね」とナナさんが看板の前から動かなくなっていた。


「食事は帰るときですよ。ほら行きましょう」と僕は彼女の裾を引っ張った。


「いいじゃん。お腹すいたよ」


「だめですよ。ほら、はやく行きましょう」


 ちかくでメブの笑い声がした。「ふたりとも、なんだかおにあいね」と彼女は指をさした。


 両側に土産屋がならぶ急坂をのぼると江ノ島神社がある。それから石段をのぼりつづけると、恋人の丘入口といく看板をみつけた。


「龍恋の鐘。なんだか面白そうね。こっちに行きましょう」とメブは言った。


 僕はぐずぐずしているナナさんをひっぱりながらあるいた。


 丘の上からは海がみえた。崖の下の岩礁には絶え間なく波がぶつかっていた。


 メブは看板を読みつづけていた。ナナさんは鉄柵によりかかって海を眺めている。僕は鐘にちかづいてそれを観察した。


「ここにきた男女は鐘をならさないと、祟りがあるらしいよ」メブが僕にちかづいて言った。「ほら、ナナさんもこっちきて」と彼女は叫んだ。


「私はいいから、ふたりで鳴らしなさい」とナナさんは笑っていた。


 それでもメブはナナさんの手をひっぱってむりやり鐘の下につれてきた。


「だめよ。三人で鳴らさなくちゃ」


 我々は鐘の下についてあるロープを握った。景気のいい音が江ノ島の空に響いた。

「これで、祟りなんてこわくないわ」メブは笑顔をつくった。


 それから我々は、竹林の有名な寺にいった。境内には小川が流れていて、竹が光を遮って薄暗かった。その空間の一角が茶屋になっていた。我々は無数の竹をまえに、抹茶と和菓子を食べていた。水の流れる音と、観光客のあかるい笑い声が竹林のなかを通りすぎていった。平和な一日に感謝をしたくなった。僕はすこし浮かれていたのかもしれない。


「すごく幸せな気分」とメブは抹茶をひと口飲んだ。「ねえ、ナナさん。あの街をでていくとなにか変わるかしら」


 ナナさんは和菓子をひとつ口にいれてなにかを考えていた。「君の思う通りに変わるかはわからないね」と言った。


 メブはすこしうつむいた。茶碗を包みこむように持っていた。


「我々の世界は不確定要素の連続で成りたっている。君は好きなことをして生きていけばいい。でていきたいならでていく。君にはその権利がある」


「でも間違えたくはないの」


「正解なんてないさ。それは科学や学問がどんなに進歩しても変わらない。生物が生を得る過程にはいくつもの不確定要素が存在している。それらが重なって生を得ると、それは奇跡になる。我々がこの辛い現実や理不尽、それらをぬけだすために、なにやらわからないものにむかって進むのは、人として健全な証拠だ。だから、君が街をでていくことでなにか変わるかと問われれば、答えはイエス。望むものが得られるか問われれば、わからない。それでも、不確定要素にむかっていくことで君の世界は広がっていく。人類はそうやって進化してきたのだから」


「つまり、なにか言いたいんですか」と僕は言った。


「わからん」とナナさんは抹茶をすすった。「パスカルは、愛しすぎていないのなら、充分に愛していないと言ったそうだ。君たちはもう充分に愛した。もう次に進むべきなのかもしれない」と茶碗のなかを眺めていた。


「ごめんね、こんな話をして」とメブが言った。 


「メブはきっと間違えたりしないよ。きっと幸せになれる」そう言って僕はメブの顔をじっとみた。


「また三人でここにきましょう。どんなことがあっても」彼女は弱々しく笑った。


 僕は頷いた。それから彼女と指切りをした。ナナさんは照れたように笑って、小指をだした。


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