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誘惑





 メブが誰とつきあおうと、僕がもんくを言える立場ではないのはあきらかであった。我々はただの友達だ。たとえ、彼女といる男がくだらないやつでも、災いをもたらすような人間であったとしても、僕が関与できることではなかった。だれかを愛するのは自由だし、愛されないからといって、嫌悪の感情をいだいてはいけない。しかし、愛してくれない人と、これからも友達ごっこをつづけていくかどうかは別問題である。


 K兄さんが死んでからすべてがかわってしまった。彼が生きていれば、メブ、金髪の男、ナナさんは僕と無関係であっただろう。これは時がすぎたということだだろうか。それとも、K兄さんの思いでがひろがりをみせて、これらの人物をうごかしたのだろうか。しかし、僕にK兄さんのかわりなどつとまらないし、人を魅了するような人物にはなれない。


 K兄さんという男は、物語に登場する人物のようであった。そこでは彼の欠点である幻聴も、彼という人物の特徴になり、美点となってしまう。メブもおなじだ。奔放な性格は、いずれ彼女の特徴、あるいは美点として語りつがれる日がくるだろう。僕は、その物語の世界のすみっこでたたずみながら、彼女の特徴となっ美点を、噂や人伝で聞くたびに苦い顔をしなければいけないのだ。


 傷つけあって痕跡を残すまえに身をひいたほうがいい。ナナさんの言ったことは正しいのかもしれない。しかし、もう遅かった。僕は彼女が堤防にすわっていたときから、K兄さんといるときの彼女とソーダーアイスを食べていた彼女の区別が曖昧になっていたのだ。僕はどこかで、彼女の顔をみるたび、K兄さんやゴリガキをおもいだすだろう。金髪の人間とすれ違うだけで苦々しいことをおもいだすだろう。そうして、過去は無限にひろがっていく。



 海水浴場のちかくにある海の家で、かき氷をたべていた。ブイに集まった人が愉快な声をあげながら海にとびこんでいた。簡単なパラソルだけのテラス席では暑すぎるくらいであったが、ゆるやかな潮風と氷の冷たさでしのいでいた。


 空は青と金色。暑くなりすぎた砂浜には、シートを敷いた人々がねそべっている。木造建ての海の家は、だれかが歩くたびギシギシと音をたてた。それでも僕はぼんやりと海をながめていた。


「やあ、ひさしぶり」

 隣をみると、白のシャツ、ショートデニムにサンダルの格好をしたメブがすわっている。


 彼女がレモンスカッシュを注文すると、アルバイト店員は舐めるように彼女の足をみてから去っていった。


「ナナさんに会ったでしょ」


 僕はかき氷を食べながら頷いた。


「いい人だった?」


「どうだろう、ちょっと心配性だね」と僕は答えた。


 テーブルにサイダーとかき氷シロップを混ぜてつくったようなジュースが運ばれてきた。彼女がそれをひとくち飲むと、緑のストローにリップが付着した。

「あの人は大げさなところがあるから。それに束縛もひどいのよ」


「もと恋人なんだって」僕がそっけなく言うと、彼女は声をあげて笑った。

「あのひとそんなことまで話したの。それじゃ、私のことを頭がおかしいとかなんとか言ったんじゃない。でも残念、私は正常よ。きっとサイトウ君も、いろいろ言われたんじゃない。会うなとかなんとか。でも、会いたいひとは自分で決めないとだめだよ」


「あの金髪の男も、会いたい人なの?」


 彼女はまたジュースを飲んだ。「ナナさんとサイトウ君は私のことつけてたもんね」


「いつから気づいていたの」


「商店街の角を曲がったところから」と彼女は穏やかに言った。「尾行が下手すぎて、笑っちゃいそうだった。せめてカーブミラーには映らないようにしなきゃ」


「あの男は彼氏?」


「違うよ。あんなのは微塵も好きじゃない。お金が目当てなの。セックスをして、お金をもらう」彼女は淡々と言った。僕は吐き気がした。テーブルのうえで拳をつくっていた。


「お金に困っているの?」


 彼女は顔を横にふった。「生活するだけなら困っていない。でも大学生になってこの街をでていくってなったら、それなりのお金がいるの。この街にはいやな思いでが多すぎるの」


「君と僕を繋いでいるのはK兄さんとの思いでだけだ。もしそれが、君を傷つけるのなら僕は君に会うべきじゃない」


「そんなことをしても私の苦しみは消えたりしないわ。あなたもそうでしょう」

 メブはそっと、僕の拳のうえに、手をかさねた。僕は驚いて手をひっこめようとしたが、彼女がそれをゆるさなかった。


「いちどついた痕跡はなくならないの。その苦しみに耐えながら生きていくしかないのよ。でも、私は一年半もすればここをでていける。そうすれば、私はいやなことをおもいだす回数もへっていく。サイトウ君、私たちはここをでていかなくちゃ、ずっと苦しいまま生きていかなくちゃいけないの」


「そんなことわからないじゃないか」


 彼女は微笑みながら「嘘つき」と言った。僕はなんだか、彼女に心を見透かされているようだった。




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