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ゴリガキ2

 



 終業式を終えると、彼女と合流して学校をでた。我々は海岸を歩いてみかん山を目指した。ジグザグに横切る細道、色濃いヒノキの森、杉林、それらをすぎたころにゴリガキにつづく獣道をみつけた。そのころには制服のシャツがびっしょりと濡れていた。メブは大粒の汗をかいて険しい顔つきをしていた。


「つかれた?」と僕は言った。

 彼女は首を横にふった。それから視線を素早くうごかした。木々のあいだからK兄さんがひょっこりと現れるのを見逃さないようにも、怒りと軽蔑に満ちたような目にもみえた。


 しばらくすると、空は木々にかこまれて涼しくなった。原生林のようなむきだしの根が、独特の森の時を創りだしているようであった。

 静寂の森のなかでは幽霊がでるという噂も、迷信だと簡単にかたづけるわけにはいかなかった。歩くメブはあまり口を開かず、木々のあいだに視線をうごかしていた。


 地面の土が砂に変わるころ、大きな戦没者記念碑が我々のまえにあらわれた。記念碑は木々のあいだにひっそりと建っていて、端々には風化のあとがめだっていた。


 メブは険しい顔で記念碑をみていた。

「そんなふうにこの記念碑をみてはいけない」と僕は言った。


 彼女はかすかに頷いた。我々は記念碑に手をあわせた。手をあわせずに通ると呪われるという迷信があるのだ。


 さざ波の音がきこえてきた。木々のカーテンの隙間から光がもれていた。我々はそのカーテンのさきへ進んだ。


 ゴリガキの砂浜は全長百メートルほどの小さなものだ。砂浜にたどりつくと、陽射しが反射する海面をしばらくみつめていた。それから、小さなため息をついて、我々は砂浜に並んで腰をおろした。波の音だけがきこえてくる。神聖な空気のなか僕はひとつの話をおもいだした。

「すごく昔の話なんだ。海の事故で男の子がひとりなくなった。母親は息子のことを忘れられず、夜になるとこの砂浜になんども通った。しかし、息子の霊があらわれることはなかった。あるお盆の夜に母親が砂浜にきてみると、見覚えのある子供がたっている。母親はその背にむかって名前を呼んだ。母親はやっと息子に会えたとおもい、その背に抱きついた。それから彼女は、すぐに私が産んであげますからねと三度言った。息子は母の手に触れると、月の光のなかに消えていったらしい」


「約束は守られたの」とメブは言った。


「わからない。でもそのくらいがちょうどいい」


「いい話ね」と彼女は笑った。


「今度は君の番だよ」


「そうね」と彼女は首をすこしかしげた。

「ちいさいころ駅前のクリニックに通っていたの。そこでK君と会ったの。幻聴がひどいのか静かな場所でも耳を塞いでいる男の子だったわ。ほかの男の子なんか吐き気がするくらい嫌だったのに、彼は気味が悪いくらい魅力的にみえた。しばらくして話せるようになったけど、私のことはみんなの癪に障ったらしく、毒蛇っていうあだ名をつけて避けるようになった。でもK君はずっとちかくにいてくれた。しばらくして彼とつきあった。うまく話せない女と幻聴のきこえる男のカップル。普通じゃないけど、純粋に彼を愛していた。初めてキスをしたとき、なんだか苦い味がして、これが恋の味か、なんて思ったりした。ねえ、どうしてあの人は遠くに行ってしまったの」

 彼女は手首をギュッと握りしめていた。彼女の言葉は、敬虔な気持ちからくる懺悔のようにもきこえた。


 みかん山のさきには展望台があって、K兄さんはそこで縊死した。第一発見者はメブとクリニックで働く女性であった。

 彼女たちはぶら下がっているK兄さんの遺体をみつけるとロープから離した。その行動は街の巡査から密かに伝えられた。メブはK兄さんを見つめながら、涙ひとつ流さずにいたらしい。僕は彼女の行動に純潔ななにかを感じずにはいられなかった。


 手を強く握りながら、遠くの海をみている彼女にそのような行動力があったことに驚いた。その力はK兄さんと触れてできた情感からくるのか、目が覚めたばかりの愛の力なのかわからないが、K兄さんが彼女に強い感情をのこしていったのは確かであった。まだ世界についてなにも知らない年齢の我々が、この強力な感情を持ちつづけていきるのは、ひどく危ないことと感じていた。


「海のまぼろしの話、きいたことある」と彼女は言った。

 僕はなにも答えなかった。しかし、その話しはK兄さんがよくしていた。


「魂が海からやってきて、森を通って山の頂上につくと空に帰る」


「ゴリガキの砂浜には死体が流れついて、空に帰れない魂が山を歩いている人間に悪さをする」と僕は言った。


 僕の知るなかで、みかん山の自殺は四件。肝試しをして発狂した人間が三人。このあたりは立派な心霊スポットであった。

「でもK兄さん自殺したのは、幽霊なんかのせいじゃないさ」と僕は言った。


「きっと、そうね」と彼女は深く頷いた。


 なにかはっきりした理由があれば、僕はずっとK兄さんにさよならができないような気がした。時が進むことで、僕はなにかを忘れて老いていく。しかし、彼女は永遠にK兄さんの記憶から離れられずに生きていくのかもしれなかった。






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