最後の旅行
部屋に戻って四日目にナナさんからメッセージが届いた。僕は携帯をとって画面を覗いた。メッセージの内容は簡単なものであった。あなたとずっと連絡がとれなくて心配している。仕事終わりの八時頃に電話をするからでてほしいというものであった。
僕は夜の八時にかかってきた電話にでた。
「元気だったかい?」と彼女がきいた。
「まずまずですね」と僕が言った。
「明後日、サイトウ君に会いに行ってもいいかな」
「かまいませんが、家にくるつもりですか」
「君と二人でゆっくり話がしたいんだ」
「こんなところにきても仕方がないですよ」
「家に邪魔するわけじゃないんだ」と彼女は言った。「もういちど鎌倉にいこう」
僕はうまく言葉がでてこなかった。
「明後日の一時二十分の新幹線でいこう。私の顔はまだ覚えているかい。それともメブが死んでから、私になんて興味をなくしたのかな」
「まさか」と僕は言った。「明後日ですね、わかりました」
我々は鎌倉駅にいた。彼女はグレーのコートのなかに白のニットを着ていて、髪を肩ぐらいの長さにきっており、右手には茶色い旅行鞄を持っていた。彼女は僕の顔を見ると子供のように笑った。ナナさんの顔を見ると僕も自然と笑顔になった。
「ねえ、サイトウ君、ひどい顔をしているよ。それとも最近の若い子は皆そんな顔をしているのかい」
「しばらく閉じこもっていたせいですよ。ロクなものを食べなかったから」と僕は言った。
江ノ電に乗ると、彼女は外の風景を珍しそうに眺めていた。
「ずいぶん、夏と風景が違っていますね」
「ねえサイトウ君、私が今どんな気持ちかわかるかい」
「わかりません」
「寂しくて、不安で気が狂いそうなんだ。どうすればいいのかわからない。もうひとりになってしまったから」とナナさんは言った。「でもひとりになってしまったというのは、なんだか物語の主人公のような素敵な響きだね」
僕は笑って彼女に言った。「残念ながら、ナナさんはひとりじゃないですよ。僕がいるじゃないですか」
彼女は小さくうなずいた。「あの街からでていこうと思っているんだ。旭川にいこうと思っている」と彼女は言った。「大学の時の仲のよかった友達が旭川でクリニックを開いていてね、手伝わないかって去年くらいから誘われていたけど、寒いところが苦手なんだ。旭川ってのは。なんだか人の入ってはいけない秘境の土地のような場所と思わないかい」
「そんなことはないですよ」僕は笑った。「いちど旭川の親戚の家に行きましたけど、悪くない街でしたよ」
「ほんとう?」
「ええ、あの街よりいいですよ。きっと」
「じつは、もう荷物を送っちゃったんだ」と彼女は言った。「ねえ、サイトウ君。いつか旭川に遊びにきてくれないかな」
「もちろんですよ。いつ引っ越すんですか」
「この旅行が終わってから一週間後だね」
「じゃあ、最後の旅行ですね」
「そうなるね」
「でも、あっけない最後ですね。僕たちは夏に出会ったばかりなのに」
ナナさんは膝のうえを指で軽く叩いてリズムをとっていた。「私はおそらくあの街のことを覚えていたいのだろう。いや君たちのことを覚えていたいのだ。旭川に行く前に、まだこの世界に馴染めていない。メブがいなくなった世界は寂しいし、不安だ。そういうの、サイトウ君ならわかるだろう」
「ええ、わかりますよ」と僕は言った。
「ほんとうかい。無理していない」
「僕はほんとうのことしか言いませんよ」
ナナさんは僕の顔を見て笑うと、それからなにも言わなかった。
江ノ島駅で降り、江ノ島大橋に行くまで、我々はたいした話はしなかった。江ノ島の風景が冬と夏で違うことや、彼女の大学時代の話や、僕が旭川へ行ったときのことをポツポツ話しただけであった。メブに関する話は一切なかった。僕がナナさんに会うのは久しぶりであったが、彼女と二人で歩いていると僕の心は晴れて、慰められた。そして、以前にも同じような思いをしたことがあるという気がした。考えてみればメブと二人で海辺の街を歩いていたとき、僕はこれに似た思いを経験したのだ。かつて僕とメブがK兄さんという死者を共有していたように、いま僕とナナさんはメブという死者を共有しているのだ。そう思うと僕は急になにも話せなくなってしまった。ナナさんはしばらくひとりで話していたが、僕が口をきかないことがわかると彼女も黙って、そのまま無言のまま土産物屋がならぶ坂道を歩いていった。
空は夏の時に来たような晴れ模様であった。雲ひとつなく、冬の割に暖かった。またここに来たのかと僕は思った。潮の匂いや、観光客の笑い声、ふとした静寂が僕にあのときのことを思い出させた。季節が変わるごとに僕と死者たちの距離はどんどん離れていく。K兄さんとメブの時間は止まっているのだ。永遠に。




