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ひとりの大工




 メブが死んでしまったあとでも、ナナさんからなんども連絡がきて、それは僕のせいでもないし、悪いのは犯人だが、それは海から吹く潮風のように誰にもとらえられない出来事だったと言ってくれた。しかしそれにたいして僕は返事をしなかった。なんと返せばいいのだ。それにそんなことはどうでもいいのだ。メブはもうこの世界にはおらず、どこにもいなくなってしまったのだから。


 十二月の末にひっそりとメブの葬式が終わってしまうと、三日間毎日、駅前の映画館に行き朝から晩まで映画を見た。上映中の映画をすべて見ると、リュックに荷物と家にあったウィスキーをつめて、街を徘徊した。


 気がつくと僕はゴリガキの砂浜にきていた。いったいどこをどう来たのか僕は思い出せなかった。


 外はすっかり暗くなっていた。砂浜のどこかには必ず気持ちよく眠れる場所があった。流木を集めて焚き火をし、ぼんやりと海をながめた。それからウィスキーを飲み、波の音に耳をすませながらメブのことを思った。彼女が急にいなくなって、この世界に存在しないというのはとても残酷なことであった。彼女が棺に入っているところを見たのに、彼女がいなくなったという事実をどうしても信じることができなかった。


 僕はあまりにも彼女のことを記憶しすぎていた。となりでソーダアイスをかじりながら、乱れた髪を耳にかける光景を僕はまだ覚えていた。それをまるで五分前の行動のようにはっきり思い出すことができた。そしてとなりにはメブがいて、手を伸ばせば彼女に触れることができるような気がした。


 僕はどうしても不安になるとメブのいろんな姿を思い出した。思い出さないわけにはいかなかった。僕のなかにはメブの思い出があまりにも強くつまっていたし、それらの思い出は本のすこしの瞬間でもこじ開けて次から次へと外に飛びだそうとしていたからだ。僕にはその生き物のような思い出を制御することができなかった。


 僕は彼女があの公園のベンチで寄り添ってきたり、困った顔をしている光景を思い出した。綿菓子をなめながら歩く彼女と、ゴリガキに向かっていた祭の日を思い出した。あの夜は遠くから太鼓の音が聞こえてきた。彼女はキャップを被って歩いていた。そしてあの美しい目でいつも僕の目を覗きこんでいた。この砂浜の上で膝を折りその上に顎をのせていた。


 そんな風に彼女の記憶は波のように次から次へと押しよせ、僕の身体を奇妙な場所へと押し流していった。そこで僕は死者と共にあった。そこではメブが生きていて、僕と語りあい、あるいは抱き合うこともできた。その場所では死は決して我々を分断する壁にはならなかった。そこでは死も、我々の経験の一部としかならなかった。そして彼女は僕にこう言った。「大丈夫よサイトウ君。それはただの死よ。私たちは離れ離れになんかならないの」と。


 そんな場所では僕はひとりとは感じなかった。死はひとつの現象であり、メブはメブはだからだった。ほら、私はあなたのちかくにいるでしょう。とメブは恥ずかしそうに僕に言った。そう、たしかに彼女は僕のちかくにいた。そして僕はこう思った。これが死というものなら、死は悪くないものだ。そう、死ぬのってそんなたいしたことじゃないの。とメブは言った。死はひとつの現象でしかないの。それに私はここにいるとすごく気分がいいの。波の音の合間から彼女はこう語った。


 しかしやがて波の音は聞こえなくなり、僕はひとりで砂浜にとり残されていた。僕は無力で、やはりこの世界に存在していて、哀しみの闇が僕を包んでいた。そんなとき僕はひとりで泣いた。泣くというより、まるで汗みたいにひとりでにぽろぽろと涙がこぼれ落ちてくるのだ。


 K兄さんが自殺したとき、僕は彼のある言葉を思い出した。


「死は生の対極にあるものではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」


 たしかにそれは真理であった。我々は生きることと同時に死に向かっている。しかし、それは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかった。メブの死が僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても、愛する人を亡くした人の哀しみを癒すことはできない。どのような誠実さも、どのような優しさも、この哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜かなければならないし、そこからなにかを感じなければならない。しかしその感じとったなにかは、次から次へとやってくる予期せぬ哀しみに対してはなんの役にも立たない。僕はひとりで夜の波音を聴き、潮風の冷たさを感じながら、ずっとそんなことを考えていた。


 このゴリガキの行動が僕の気持ちに変化を与えてくれなかったし、メブの死が僕に与えた打撃をやわらげてもくれなかった。

 

 僕は自分自身が穢れた人間のように感じた。家に戻っても、ひとりで部屋に閉じこもって何日かすごしていた。僕の身体は生者ではなく死者と結びついていた。僕がメブのためにとっておいたいくつかの計画は破棄されてしまった。窓枠にうっすらと埃が残っていた。僕は椅子に座ってK兄さんのことを思った。まあいいよ。彼女はもともとK兄さんのものだったんだ。結局、彼女は行くべきところへ行っただけなのだろう、たぶん。でもこの世界で、この不完全な世界で、僕はメブと一緒に生きようとしていたんだ。そうして僕とメブは、いい計画とは言えないけど、なんとか新しい生き方をみつけたんだ。でもいいよK兄さん。メブを連れていくといいさ。K兄さん、あなたは僕の一部を死者の世界にひきずりこんでいった。そして今、メブが僕の一部を死者の世界にひきずりこんでいった。僕は自分がどこにいるかわからなくなるよ。ときどき僕は自分が大工になったような気がする。僕は今にも崩れそうな建物なかで、僕は僕自身のためにその建物を必死に修理しているんだ。





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