6-23 水洗トイレ
本日もよろしくお願いします。
白く塗られた壁を子供たちが熱心にチェックしていく。
エルフで器用なレネイアは壁の端っこが気になるようで、すぐにちょちょいとムラを修正する。
そう、下地の塗装の翌々日、引き続き、子供たちの手によって女子トイレに漆喰が塗られたのだ。
素人の、それも下は4歳の子供がやった仕事なので当然ムラも多いが、光魔法のライトで照らされた室内はとても明るい色合いで、十分に良い仕上がりと言えるだろう。
しっかりとチェックを行ない、ミニャはうむぅ!
「ふぃー。じゃあこれで完成です!」
ミニャがそう宣言して、子供たちは嬉しそうに拍手した。
だが、それに待ったをかけたのは賢者である。
『リッド:ミニャちゃん。実はまだ完成じゃありません!』
「えっ、まだ終わってないの? やっぱり完成じゃありませーん!」
漆喰を塗れば終わりだと思っていたミニャは、慌てて訂正した。
すると、イヌッ娘のパインが首を傾げて言った。
「焼くの?」
「「あっ!」」
それを聞いたミニャと数人の子供はハッとした。
逆に賢者たちはその創造と破壊的な推理に困惑した。一線を越えた芸術家かと。
『サカタ:パインちゃんはどうしてそう思ったんだい?』
賢者のフキダシを読んだパインは、説明した。
ミニャたちが「絶対にそうだ」みたいな空気を出しているので、パインはすでに得意そうに尻尾をパタパタさせている。
「だって、土を窯で焼くと硬くてピカピカになるもんね」
ふふんと得意げに発表された推理を聞いて、やっと賢者たちも合点がいった。
子供たちは陶芸や陶器人形作りの経験から、漆喰も燃やせば陶器のように硬くてピカピカになると思ったのだ。
『サカタ:漆喰は焼かなくても固まるんだ。むしろ焼いちゃダメなんだよ』
パインのパタパタ運動は終わった。無念無念。
「じゃあ、このあとはなにするの?」
今度はマールが首を傾げる。
というわけで、次なるお仕事。
賢者たちがわっせわっせと箱を運んできた。
「わぁ、なんだこれ」
ミニャが屈んで、なにやら大量に入った箱の中を覗き込む。
「あっ、これモグちゃんだ!」
マールが箱の中で上向きになっている物の形を見て、言った。
「ホントだ! あっ、こっちのはネコの肉球!」
「ルミーもっ、ルミーも見たい!」
「く、クレアも見たいです!」
それは賢者たちがせっせと作ったハンコだった。
賢者たちの目論見通り、そんな物を見せられた子供たちはキャッキャである。
『リッド:ミニャちゃん、これを持って』
ミニャちゃんファーストな賢者が選んだ始球式の投球者は当然決まっている。ミニャに渡されたのはネコの肉球であった。
「むむむっ、どうすんのこれ?」
『リッド:それはハンコって言うんだ』
「ハンコ!」
『リッド:その肉球の面を、ここの壁に押し付けるんだ。やってごらん』
「ほえー」
ミニャはハテナと首を傾げた。
ハテナとしながら壁を見て、ハテナとしながら賢者を見る。凄く疑問符が飛び交った顔。
「せっかく綺麗に塗ったのにいいの?」
『リッド:うん、いいよ。でも、こうやって真っ直ぐに捺すんだよ』
「うんと、こーお? むむっ、むにってした」
ミニャは言われた通りに肉球のハンコを壁に押し付けた。
そうして、ハンコを壁から離すと。
「にゃ、にゃんですと!?」
なんと白い壁にネコちゃんの肉球が現れたではないか!
ミニャはわたわたしてお友達に視線を向ける。子供たち、特に年少組もわたわただ。きっとこういうのが好きやろという賢者の狙い通りである。
『リッド:じゃあ、次はマールちゃん、おいで。ミニャちゃんはマールちゃんにそのハンコを渡して』
「マールちゃん、はい。むにってするからね、むにって」
受け取ったマールは、賢者に教わりながら肉球をむにっ!
すでにミニャがやったことなので結果はわかっているが、マールはワクワクしながらハンコを壁から離した。
「わぁ!」
「あっ、ニャロクーンさんが歩いたみたいになった!」
「ほ、ホントだ!」
1つではただの肉球模様。しかし、2つ捺したことでストーリーが出来上がった。女子トイレなのでニャロクーンにとっては酷い風評被害。
それから子供たち全員に肉球スタンプを指定した場所に捺してもらい、ネコちゃんが壁をトコトコとお散歩したような模様が出来上がった。
白くて素敵だった壁に模様ができて素敵な壁へと猫的ビフォーアフター。これには子供たちも大喜びである。
『サカタ:ミニャちゃん。みんなに説明してくれるかな』
まだ文字が読めない子も多いので、ミニャに通訳を任せる。
「うんとうんと、1人3回まで好きな場所に好きなハンコを捺して良いんだって。でもね、壁とかができて隠れちゃう場所もあるから、ハンコを捺す前に賢者様に聞いてね」
18人もいるので、ハンコを連打したらぐっちゃぐちゃになるので、3回までとした。
「じゃあ、まずは一番年下のルミーちゃんから選んでいいよ。まずは1個だけね。違うのにしたい時はみんなが1回捺し終わってからね」
「わ、わふぅ!」
ミニャちゃんファーストな賢者たちと違い、ミニャ自身は年下を可愛がっている。ミニャがそういうふうにしたいのなら、賢者も口出ししない。
というか、賢者たちはかなり感心していた。3回捺せるわけだが、その都度ハンコを変えられるルールはミニャが勝手に考えたのだ。これが王の資質……!
「ルミー、こえにした!」
ルミーが選んだのはデフォルメされたイヌのハンコ。
「次はパインちゃんとクレアちゃん!」
2人は慌てて箱の前に屈む。
「クレアちゃんは何にするの?」
「クレア、賢者様にする!」
「じゃあパインはモグちゃんにする!」
ハンコの中にはゴーレム人形型のハンコもある。クレアが言っているのはこれだ。フィギュア型のハンコでは、ただの人の形のハンコなので不採用。
モグのハンコをパインが選んだ時、ミニャはハワッとした顔になった。狙っていたらしい。それでも取り上げないので、良い子である。
『リッド:ミニャちゃん、誰かが使ったハンコをもう一度使っても良いんだよ』
「はっ、そうかも!」
そんなふうに子供たちはわきゃわきゃしながらハンコを選び、白い壁にむにっ!
年少組は壁にむにっと捺して喜ぶだけだが、レネイアとシルバラ、シャーリィは最初の肉球連打を見たからか、このハンコ遊びは組み合わせによってちょっとしたストーリーができるのだと理解した。
そんなこんなで全員が3回ずつハンコを捺し、想定よりも余白が余ったのでもう2回捺してもらう。そうすると、白かった壁はすっかり賑やかになった。
特にレネイアたちがハンコ遊びにストーリー性を持たせたことで、年少組が自由に捺したハンコの近くに別のハンコが捺され、素敵な感じになっている。
「今度こそ完成です!」
ミニャが宣言し、先ほどよりも満足感を宿して子供たちは拍手した。
そこでルミーが奇妙なことを言った。
「ねえねえ、ミニャお姉ちゃん。ここは誰のおウチ?」
トイレを作っていた自覚無し!
女子トイレが終わると今度の現場は男子トイレ。
とはいえ、やはり子供たちには勉強をしてもらいたいので、下地の塗り込みまでを大人の仕事として、子供たちは漆喰の塗装を任せることにした。
そんなある日、ついに女子トイレが内装まで完成した。
賢者たちとしてはテープカットでもしたい出来栄えだが、さすがに公衆トイレでそれは大仰なので、朝の会でミニャが告知して、ミニャンジャ村の女性陣みんなで見学会を始めた。十分に大仰である。
女子トイレは、ミニャたちが作業を終えた時とは様相が大きく異なっていた。
ドアを入ってすぐ左手に手洗い台、右手に掃除道具入れ。真ん中には通路があり、その突き当りには窓がある。
通路の左右には3つずつ個室が並び、そのうちの1つだけは補助が必要な人が現れた時のために広めの個室となっている。
「ふぉおお……お部屋がいっぱい」
「ミニャ様、さっそく開けてみましょう」
「うん!」
大人のコーネリアがワクテカしてミニャを促す。
ミニャが個室のドアを開けた。
「あっ! 領主様のところと同じの!」
王国は和式トイレと洋式トイレがごっちゃになっており、上流階級ほど洋式のトイレを使う傾向があるようだった。不特定多数が使う場所は衛生面からか、和式トイレというのが一般的なようだ。領主館のトイレは洋式である。
「あれ? でも、なんかちょっと違う」
ミニャは違いを見破った。
領主館のトイレは水洗式ではあるのだが、トイレ用の上水道とボットン便所が合体したような造りになっていた。常に便器内部では水が流れており、ボットン便所の底でも流れの速い水が流れている。つまり、用を足すとすぐに水に流されていくのだ。そうして最終的に下水道へと流れていく仕組みとなっている。
これは庶民も基本的に同じようなトイレを使っているが、ボットン便所の底を流れている水道を十数軒ほど共同で使っているため、高級住宅街よりも臭いが気になる。
一方、賢者たちが作ったのは日本で見るようなタンク式の水洗トイレであった。
レバーを引けば水が流れるタンク式トイレは、勢い良く水が流れていくのでなんだか凄い仕組みのように見えるが、実は割と単純な仕組みをしている。ただ、単純ではあるものの非常に賢い仕組みでもある。
トイレの仕組みをインターネットでいくらでも調べられ、様々な素材が手に入るようになった賢者たちにとって、タンク式の水洗トイレを作ることはそこまでの難易度ではなかった。
さて、ミニャがトイレの中を見てすぐに気づいたように、領主館のトイレは深い穴が開いているのに対して、このトイレは便器の中に水が溜まっていた。こいつぁいったい……、とミニャはむむむ。
『竜胆:さて、ミニャちゃん。ここでオシッコをしたとしよう』
「うん」
賢い系の賢者である竜胆が個室のひとつを担当。
『竜胆:実際にするのは恥ずかしいからね、これで水に色をつけてオシッコとしようか』
竜胆は水色の溶液を便器の中に流し、中に溜まった水を水色にした。
「あはははっ、青! これオシッコ?」
『竜胆:はははっ、まあ目立つ色の方がいいからね。それじゃあ、ここのレバーを下げてごらん』
「これ? えい!」
ミニャが言われた通りにレバーを下げると、タンクに溜まった水が便器の中に渦を巻きながら勢い良く流れ始めた。
「「「ふぉおおおお!」」」
ミニャとマール、そして2人の頭の上から見ているコーネリアが声を揃えて大興奮。
水色の水は便器の中にあるS字の管を通って押し流され、タンクに溜まった水が全て流されると、あとには再び透明な水だけが便器の中に残った。
「すっごぉ、なにこれぇ!」
コーネリアがキャッキャ! ミニャたちよりも多くの体験をしてきたので、むしろ驚きは大きいようだ。
「「「えーっ、なにこれぇ!」」」
他の個室でも同じように実演されており、その都度、子供も大人もキャッキャキャッキャ! オラが村になんか凄いトイレができた!
満足体験をした女性陣は凄い凄いと騒ぎながら公衆トイレの外へ。
外には入りきらなかった女性陣はそんな反応を見せられて、ワクワクしながら入れ替わりで見学へ向かう。数分後にはやはり凄い凄いとキャッキャしながら出てきた。
次は男性陣?
否……っ! 男子は後日にできる男子トイレに期待!
が、ビャノ、ラッカ、クレイ、ロイだけは一緒に壁を塗ったので最後まで見学させた。
さて、女性陣が見学を終えたので、賢者たちは絵を用いてトイレの説明を始めた。通訳としてコーネリアを抜擢。
このトイレは商売のタネになりうる物だが、衛生的なトイレは疫病を未然に防ぐ有効的な手段のため惜しみなく公開した。
あと、トイレが詰まる原因を知ってもらいたいという理由も大きい。そうしなければ、絶対にトイレ詰まりが頻発する。
ちなみに、王国にはお尻を拭くためのチリ紙が存在する。だが、水で洗って手拭いで拭くような家庭も多いようで、高級ではないものの絶対に必要な物という認識はないようだった。
ミニャンジャ村はこのチリ紙を大量に購入しており、さらに、この前の商人さんに追加で注文していた。
さて、賢者たちが作った解説の絵は仕掛けがされており、背後にある紙を動かすとタンクや便器の水の絵が増えたり減ったりする。工作好きの生産賢者たちにとって、こういった仕掛け絵を作るのは朝飯前だった。
絵の前ではウンコの絵が先端についた棒を持った賢者がおり、水の絵が流れるのと一緒にウンコの絵も流していく。これにはウンコという概念が大好きなキッズが大はしゃぎ。
「えっと、こうやって水を流すので、この部分に引っかかるような大きくて硬い物は流してはいけません。トイレに流して良いのは、用意されているチリ紙だけです」
とコーネリアが通訳し、賢者が詰まる部分をペシペシと叩いて説明する。
その説明を見聞きして、女性陣はふむふむ。一部の賢者も「そうだったのかぁ」とトイレの謎を初めて知った様子。
こうして女子公衆トイレが完成し、利用が始まったのだが。
大人の女性にこのトイレは大変に好評だった。まあ所詮はトイレなので好評以上のことはなく、さすがに住みたいなどと言い始める人はいない。
微笑ましいのは年少組だ。
なんとお気に入りの個室を作ってしまったのである。スノーが笑い話として話したことで発覚した。
この理由はハンコだ。自分が捺したハンコのある個室が好きになっちゃったようで、空いていれば必ずそこに入るのだそうだ。
なにはともあれ、課題の一つであるトイレの近代化を賢者たちはクリアするのだった。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想大変励みになっています。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。




