5章閑話 シゲンの旅4
本日もよろしくお願いします。
廊下のドアが開く音に、シゲンはぐるぐると回っていた思考を切り替える。食堂エリアに入って少し立ち止まったその気配はライラ。
自分の姿が確認されてから、シゲンは起き上がった。最初から起き上がっていないところにシゲンのほんのりとした気遣いが見られる。
「あら、起こしちゃったかしら」
「いえいえ。物音に敏感なだけです。しっかりと休めたのでお気になさらず」
そう答えるシゲンは昨日よりもさっぱりした顔。娘が見つかったということを知らないライラは、ちゃんと眠れたのだと勘違いした。
それなら良かったわ、とライラは台所に入る。
『闇の福音:シゲンさん。今日の担当をする闇の福音です。さっそくだけど、ライラさんにこの町の奴隷商でオススメを聞いてほしい。現在見つかっているのはロイカーゲとフィリッポの2つです。しかし、ロイカーゲはどうにも新参みたいなんだ。フィリッポの評判だけ聞けたら、この孤児院を去りましょう。孤児院を巻き込んでしまうかもしれないから』
賢者からの指示を読み、シゲンは小さく頷いた。
今まではアーケンに行くつもりだったから孤児院に厄介になっていたが、この町が事件の舞台になるとなれば、話は変わる。孤児院に迷惑がかかる可能性は少しでも排除した方が良い。
シゲンは台所へ入っていった。
「何かお手伝いできることはありますか?」
「お客さんなんだからゆっくりしていいのよ」
「一晩のお礼ですよ」
「お礼にお礼を返したらキリがないんじゃないの?」
「あれ、そうでしたか?」
「ふふ、都合が良いわね。それならお水を入れられるかしら?」
「お安い御用です」
シゲンは、ライラがフタを開いた水瓶に生活魔法の水生成で水を満たし始めた。そのついでに世間話をする。
「これから奴隷商へ顔見せに行くつもりなのですが、この町の奴隷商で評判なのはどこでしょうか?」
「……あなたって、奴隷売りなの?」
台所仕事をしていた手を止め、ライラは眉毛を八の字にして問うた。シゲンが奴隷売りだったら残念なのだろう。
「いえ、一人従者が欲しいので、これはという子を探しているのです」
「そう。そういうことならフィリッポ商会しかないんじゃないかしら?」
「どういうことですか?」
「少し前まではもうひとつ奴隷商があったんだけど、その建物が買われて、いまはよくわからないのよね。ゴレモニアの方の凄く大きな奴隷商が買ったみたいだけど、みんなあそこはヤバいって言ってる」
「ゴレモニアの大きなというと、ロイカーゲでしょうか?」
「知ってるなら話が早いわね。後ろ暗い噂話をいっぱい聞くの。あなたは女神様への信仰心が強いみたいだし、関わらない方が良いと思う」
「ロイカーゲならやめておきます。それで、フィリッポというのは?」
「フィリッポ商会はグラインがリュベだった頃からある昔ながらの奴隷商よ。売られてきた子に礼儀作法や文字なんかを教えたあとに売る普通の奴隷商かしらね」
これが普通の奴隷商という認識らしい。
実際に、この晩にフィリッポ商会へ潜入したネコ忍は、そこで奴隷待機所とは明らかに違う待遇の奴隷たちを見ていた。
シゲンが語った一般的な奴隷商もそのような感じだし、少しハードな奉公人の斡旋所みたいなものだったのだろう。
次第に外でも人々が活動を開始するような音が聞こえ始めた。
シゲンは荷物をまとめ、背負った。
「そろそろ発ちます」
「そう。シンさん、とても助かったわ。何もお構いできなくてごめんなさいね」
「そんなことはありませんよ。屋根を貸してもらえただけで助かりました。それでは」
「さようなら、シンさん」
「お元気で」
一緒にいたのは合計で2時間もないが、ライラは少し寂しそうに別れを告げた。一期一会ではないが、旅人との別れは今生の別れみたいなものなのだろう。
孤児院を出ると、閉まったドアの向こうで子供が元気にライラへ挨拶する声が聞こえた。この事件に巻き込まないのなら口を滑らせてしまいそうな子供たちにも会わない方が良い。
孤児院を出たシゲンは、朝が始まった町の中を歩く。
『闇の福音:シゲンさんの変装を行ないたい。何かうまい方法を知りませんか?』
「それならかつらや付け髭と化粧でしょうね。店が開き次第、買いに行きましょう」
『闇の福音:なるほど、ではそのように。商店が開くまでは食事でもしてください』
シゲンは屋台で食事をして時間を潰し、商店が開いて少ししてからいくつかの店に入った。
それらの店で食材などのカモフラージュを入れつつ、化粧品やかつらを集めていく。全ての物を購入すると、賢者たちの案内で町を進み、やがて影に潜り込んだ。
賢者たちに連れてこられたのは、町の端。
グラインは港町だが、港ではない場所に低めの崖があった。
その崖の内部に秘密工房が作られたのだ。
高さは1m強、面積は6畳ほどと小さい。もちろん、内部の光が外に漏れないように工夫されて空気穴が4つ開いている。
「相変わらず凄まじいですね」
その秘密工房で行なわれていることにシゲンは苦笑いした。人形が大量に作られているのだ。作られた人形が大量に壁に立てかけられ、魔法の光に当てられて影を動かしている。秘密の穴倉だけあって、まるで邪教徒の隠れ家のようであった。
そんな賢者たちだがすでに船に密航して、日の出と共に出航した者もいた。全ての船が出航したわけではないので、そのまま待機になってしまった賢者もいる。あとは行き先ガチャだ。
グラインでも複数の場所で隠密行動を行なっており、情報を収集している。とはいえ、日中はリスクが多いので町中を移動することはしていない。あくまでも天井裏で話を聞くような活動だ。本番は夜である。
『闇の福音:シゲンさんは変装をして、昼過ぎまで外で情報を仕入れてください。申し訳ないが、娘さんに会うのはしばらく待ってもらいたいです。もちろん、娘さんのことは影ながら我々が守ります』
シゲンの娘はすぐにでも助けてあげたいが、これを行なったことで今後の選択肢に影響する可能性もある。だから、船で各地に散った賢者たちが得た情報や、グルコサの領主と協議し、方針を固めた段階で2人を会わせたかった。
「娘は隷属の首輪をつけられているはずです。命令されたら全てを白状しなければなりません。私と会うのは控えた方が良いでしょう」
シゲンも状況は理解しているので、これを了承した。
『闇の福音:あとはこれを』
賢者が渡したのは、ゴレモニアで使われている身分証だった。昨晩の内にネコ忍が役場からパクってきたもので、少し草臥れた印象を持たせる偽装もされている。
これでシゲンはこの町の住民としての身分を得たが、職質で長く話せばバレる可能性が高いので、その際には影潜りで逃げるしかない。
「何から何までありがとうございます」
『闇の福音:乗りかかった船ってヤツですよ。それでは変装を始めてください』
『ニーテスト:ミニャ、話がある』
その日、ニーテストがミニャと面会した。
ニーテストが来る時は大抵が大切なお話の時なので、近衛賢者と遊んでいたミニャはシュピンと背筋を伸ばしてお話を聞く構え。
「ニーテストさん、なぁに?」
『ニーテスト:前にスノーたちが人攫いに攫われそうになったのは知っているな?』
「うん、知ってる。怖かったねぇ」
『ニーテスト:そうだな、怖かったな』
ミニャも怖いし、ニーテストだって怖い。2人共女子なので。
『ニーテスト:スノーたちは救えたが、水蛇は多くの人を攫って隣国のゴレモニアに売っていた。それを追って、賢者たちがエルフのシゲンの手助けをしているのを覚えているな?』
「うん、覚えてる。シゲンさんの家族は見つかった?」
『ニーテスト:ああ、見つかった。凄く遠い地でのことだがな』
「わぁ、ホント!?」
『ニーテスト:ああ。でだ。それと同時に、水蛇に攫われて奴隷にされてしまった人たちも見つかった』
「にゃんと……」
ミニャは眉毛をむむっとした。
『ニーテスト:話とはこの件についてだ。我々はシゲンと一緒に彼らを助けてあげたいと思っている。しかし、それをやることで、このミニャンジャ村が危険になるかもしれない。最初の約束通り、シゲンの娘と他に1人だけならこの村が危険に晒されることはほぼないだろう』
ミニャは腕組みをして、うむうむと頷いた。
『ニーテスト:そこでミニャに尋ねたい。この奴隷たちを助けるために、ミニャから貰った俺たちの力を使って良いだろうか?』
「うん、助けてあげて!」
『ニーテスト:ミニャ、よく考えるんだ。この世にはこの前来た大使のフォルガのように強い人間も大勢いる。仕返しでそういうヤツを村に差し向けられることだってあるかもしれない。見ず知らずの他人を助けることで、この村にそういう危険が発生するかもしれないんだ』
ミニャはうーんと考えると、徐に口を開いた。
「でも、賢者様はみんなで修行してるでしょ? 今だって強いんだから、きっともっと強くなるよ。ミニャだってもうちょっとお姉さんになったら、きっとニャシュシューッてできるくらい強くなるよ。そうしたら強い人だってやっつけられると思うな」
『ニーテスト:ふむ』
「それにね。ミニャ、奴隷になっちゃったことあるけど、凄く不安だったもん。首輪をつけられて、怒られると体がビビビーッてなるの。すんごく痛くて怖いんだよ」
ミニャはネコミミをへにょんとして言った。
近衛賢者たちはミニャを気遣うと同時に、激しく怒りに震えた。
「ミニャは女神様に助けてもらったから良かったけど、その人たちはこのままだとずっとそうなんでしょ?」
『ニーテスト:ああ、そうだな』
「じゃあミニャも助けてあげたいな。女神様に首輪を外してもらって、ミニャ、凄く嬉しかったから」
ミニャはニコパと笑って言った。
その笑顔に、話を聞いていた賢者たちは足をガクつかせ、ついには臣下の礼を取る。いつものである。
ニーテストも思わずやりそうになるが、キャラが違うのでグッと我慢した。
『ニーテスト:わかった。では、みんなで奴隷たちを助けるために動き出すことにする。ミニャ、俺たちのわがままを聞いてくれてありがとう』
「ううん。ミニャにしてほしいことがあったら言ってね?」
『ニーテスト:ああ、もちろんだ。実際に助けるのは女神の月が終わってからになるだろう』
「わかった。お願いします!」
ミニャからの許可をもらい、賢者たちはやる気を漲らせて動き出す。
そして、この日を境にして、ネコ忍の修行にはさらに大勢の賢者たちが参加するようになった。どんな強敵が来ても倒せる強さを得るために。
女神の月が明けて4日後。
その日が奴隷売買の解禁となるようで、朝も早くから、奴隷待機所にいた奴隷たちは自分たちが使う物資を馬車に乗せていく。
彼らの人数は当初30人だったが、他の便に乗った奴隷もやってきて、最終的に50人にまでなった。シャーリィたち特別な奴隷も3人だったのが5人になっている。
荷積みが終わると奴隷たちが整列し、それに合わせて偉そうな男が外へと出てきた。
でっぷりと太っており、夏ということもあって外へ出た途端に汗を流し始める。賢者たちの調べでは、この男はロイカーゲ奴隷商会の幹部の一人だ。
「まったくいつまで時間をかけているのだ! これから貴様らは女神の森を開拓するという名誉ある仕事に従事させてもらえるということを忘れるな!」
そんなことを言われた奴隷たちの顔は悲壮そのもの。
辛気臭い空気に暑くてイラついた男は怒りをぶつけたいようだが、早く中に入りたいという気持ちも強い。ヤバいデブの二律背反。
「いいか! 笑え! 笑って働き、我がロイカーゲ商会の勤勉さを女神様に評価してもらえ! わかったか!?」
男はそれだけ言うと、ドスドスと建物の中に入っていった。
これから男はこの町の領主と会い、シャーリィたちの引き渡しをするのだ。
奴隷が乗り込んだ馬車が女神の森へ向かって走り出す。
ロイカーゲ商会が女神の森の開拓を行なうことはこの数日で市民にも知れ渡り、その馬車を見つめる視線も多い。男が言っていたように、女神の森の開拓は多くの人から期待を持たれる事業であることは間違いなかった。しかし、市民の顔には不安の色が濃い。
この町はリュベの頃からの住民が多数を占めているので、祖父母や親から受け継いだ信仰心はまだ根強く残っている。だから、この開拓によって女神の怒りに触れてしまうのではないかと心配しているのだ。
馬車は何事もなく道中を進み、やがて昼前には冒険者たちの町に辿り着いた。
農耕地帯で働く人々も、冒険者たちも、誰もが女神の森の開拓に不安そうな顔をしている。ロイカーゲやそれに関わる者に何かが起こるのならいいが、そういう人間は遠くゴレモニア本国にいる。最前線とも言うべき自分たちにこそ禍が降りかかってしまうのではないかと考えるのは自然なことだった。
冒険者たちの町も通過点に過ぎない。そこをさらに越え、森の端で馬車が止まった。
女神の森の開拓は少し変わっている。
すでに切り開いた場所の端から範囲を広げるように木々を切るのではなく、森に入って切り開くのだ。これは女神から賜る約束の石板のせいである。
約束の石板は開拓していいエリアが示されているが、実際にはその周りの女神の森にも過度に荒らさない限りは分け入っても良い。グルコサが上流域で水源調査や薬草採集をするのもこのルールを守って行なっているのである。
だから、グラインから飛び地になるように森を開拓した方が得なのである。これは普通にどこの国でも行なわれている手法であった。
奴隷たちは森の端で馬車から荷物を降ろして背負い、森の中へと入っていった。
「もたもたするな!」
そう叱咤するのは4人の護衛兵士に守られた監督官。
彼らはゴレモニアの人間なので現地に着いたら帰ることになる。当然、帰りは明るいうちがいいので、奴隷には急いでもらいたいのだ。
冒険者たちが活動しているエリアなので危険は少なく、歩きやすい森だ。しかし、重い荷物を持った奴隷たちの歩みは重い。
「あっ」
倒れそうになる奴隷の少女を、少年が手を貸してフォローした。賢者たちの目的の人物であるギルバートだ。少女が持っていた荷物を肩に背負うと歩き出した。
「あ、ありがとう」
「気にするな」
母親がとても心配していたので弱気な子かと思ったが、ギルバートは寡黙でたくましい印象の少年だった。
進みは決して早くはないが、それでも夏の時間。日がまだあるうちに予定のポイントに辿り着いた。
そこは冒険者の町から北西方向。
シゲンが旅したルートに掠めるような位置だった。つまり、湖に近い森の中だ。
奴隷たちが荷物を降ろすと、監督官が言う。
「それでは、以降のことはそこのフェザーが指揮を行なう。フェザー、くれぐれもよくやれよ」
監督官はそう言うと、自分の隣にいる5歳くらいの幼女の頭に手を乗せた。さらに、その横には20代中頃の美しい女性がいる。この2人にも他の奴隷たちと同じように黒い首輪が嵌っていた。
それはフェザーの妻と娘。奴隷頭に任命されたフェザーが逃げ出さないようにするための人質だった。
「約束は守れよ」
「誰がそんな口の利き方をしていいと言った。フェザーを懲罰せよ」
「ぐ……っ」
「あ、あなた!」
「お父さぁん!」
隷属の首輪の効果で屈強な男であるフェザーが膝をつき、妻と娘が悲痛な声を上げた。
「貴様はなにか勘違いしているようだが、我々は必ずしも貴様でなくてもいいのだ。反抗的な者に頼るほどロイカーゲは人手不足ではないからな。だがな、自分が処分されたあとにこの2人がどうなるかよく考えろ。わかったなら、つまらんことで体力を使うな」
「申し訳……ありません」
「フェザーの懲罰を終える。では、私たちはこれで帰る。いくらでもケガをしていいが、死人は出すなよ。代わりを連れてくるのにも金が掛かるのだ。それでは、よくやるようにな」
監督官はそう言うと、人質と護衛を連れて来た道を引き返した。
フェザーは何度も振り返る妻と娘を目に焼き付けるように見つめ続けた。
奴隷たちがすっかり見えなくなると、先ほどからニヤニヤと笑っていた護衛の兵士が言った。
「旦那。それでこの女はどうするんで?」
「定期的に顔を合わさせるから売らんよ。だが、働いてもらわなければ食わせる飯はない。客でも取らせるさ。お前らも使いたいのなら金を払え」
「ははは、さすが旦那だ!」
そんな下衆な会話を聞きつつも、娘を心配させまいとフェザーの妻は微笑んで見せた。だが、その顔はどうしようもなく青白く、娘とつなぐ手は震えていた。
これからきっと地獄のような日々が始まる。
だけど、どうかこの子だけは。
この森のどこかにいるという女神にフェザーの妻はそう祈った。
その時だった。
「な、何者だ!?」
ふいに先頭を歩いていた護衛の兵士が警戒の声を上げた。
さっきまで笑っていた他の面子にも緊張が伝わり、身構える。
夕焼けが濃い影を作る森の中、オレンジ色の木漏れ日に照らされて、それは立っていた。
「お、女の石像? さっきはこんなものなかったぞ?」
監督官が怪訝な顔をした。
そう、それは等身大の女性の石像だった。胸が大きく、太ももの外側を艶めかしく晒し、リュベ美人と言われる特徴を持った女である。
「ま、まさか……っ!?」
護衛兵士の1人が悲鳴のような声を上げた。
「なんだ。あれはなんなんだ!?」
「りゅ、リュベの女神像……っ」
「め、女神像!? な、なぜそんなものがここにあるんだ!?」
監督官が怒鳴りつけるように言うが、それに返答できる者はいない。それを言ってしまえば、自分で認めてしまうのだから。つまり、女神の怒りに触れたのだと。
答えられない問いかけが静寂を作り出した。
その静寂の中で、石像のはずの女神像の腕が真っ直ぐに一行へと向けられた。
「「「っっっ!?」」」
ゴレモニアの5人は息を呑む。
事態はそれだけでは終わらない。
なんと女神像の肩から炎が湧きあがり、ヘビのように腕に巻きつきながら、指先へと移動したのだ。その炎は指から離れると、やがて空中に火の文字を描いた。
『汝らに禍を与えん』
その文字を読んだ瞬間、監督官と護衛4人の心の中で恐怖心が爆発した。
「「「う、うわぁああああああああ!」」」
護衛たちは武器を投げ捨てて我先にと逃げ出す。
「おい! 待て! 置いていくな! 待ってくれぇ、置いていくなぁ!」
監督官は腰を抜かし、這うようにして女神から距離を取る。
「ち、ちが、私は奴隷に良くしております! そ、そうだ、ほら、お前らも……あれ? え? あれ!? どこいった!?」
周りを見回すが、フェザーの妻娘がいない。
護衛は女神像を迂回して町の方へと逃げ、夕暮れの森の中に自分ひとりきり。
ザザザザザッ!
嵐でもないのに木々が激しく騒めく。
監督官は恐怖に染まった目で右を見、左を見、そして女神像を見る。
「ひぃ!?」
足に黒い何かが巻き付いた。その瞬間、猛烈な勢いで森の入口へと引きずられる。茂みを突っ切り、腐葉土を巻き上げ、絶叫を上げて引きずられる監督官だが、その声はしばらくすると途切れて気絶した。
後に残ったのは、夕日が沈んだあとの暗い森に佇む等身大の女神像。
その肩の部分がカタカタと揺れた。そして、パカリと開き、女神像よりもずっと小さな人形がワラワラと出てきた。
『工作王:リュベ美人ロボは完璧だったな!』
『キツネ丸:俺の火文字も良かったでしょ!』
当然、一連の全ては賢者たちが行なったことであった。
行きにはなかった石像が帰りに出現したのも、地面に埋めて隠しておいたのを滑車で引き上げただけだし、腕が上がったのも内部賢者がからくりを動かしただけだ。恐怖心が増大したのは闇属性、木々のざわめきだって木属性がわしゃわしゃしたのである。
「お主たちは愉快なことを考えおるな。なかなかに痛快だったぞ」
『工作王:ニャロクーンさん、助かりました』
そして、監督官を森の入り口まで運んでくれたのは、女神の月に新しく村民さんになった黒猫ニャロクーンだった。面白そうだからという理由で来てくれたのである。
そんなニャロクーンだが、闇属性の女神の使徒だけあって影潜りの上位の魔法を使うことができた。『影の道』という闇属性の高等魔法で、影が続く限り、数百キロを数分で移動できるのだ。なお、精神と記憶のコピー体であるこの黒猫では自分だけの移動が限界らしい。
「しかし、この女神像は女神様に似ておらんな」
『工作王:女神様の像ではないですよ。リュベ美人像です。まあヤツらは女神像って勘違いしたみたいですけどね』
「ふっ、そう仕向けたくせによく言いおるわ」
賢者たちは今回の作戦にひとつのルールを設けた。
自分たちが女神の代行者であってはならないというものだ。
女神の考えはぶっちゃけわからない。ゴレモニアのやり方を否定しているのかも本当のところはわからないのだ。それなのに、これは女神の考えなのだと大義名分を得た気になるわけにはいかない。
だから、これから行なわれるのは賢者たちのわがまま。ロイカーゲの奴隷の使い方が気に食わないから戦うだけ。そんなわがままをミニャに言って、力を使わせてもらうのだ。
面倒臭いが、そこら辺をはっきりしておかなければ、歪んだ過激思想の賢者が生まれかねない。
というわけで、ここに立っているのもリュベ美人像。それを相手が女神像だと勘違いしただけであり、火文字も女神の言葉ではなく賢者たちの宣戦布告だ。
「おっと、それよりも」
ニャロクーンが黄金の瞳を向けた先には、影潜りから出てきたフェザーの妻と娘。2人はその場に跪き、女神像と不思議な人形たちに向かって涙を流しながら祈りを捧げていた。
『工作王:言葉が通じるのがニャロクーンさんしかいません。助けに来たとだけ言ってやってください』
「良かろう。おい、娘らよ。助けに来てやった。この巡り会わせを最強女神パトラ様に感謝するのだぞ」
偉そうだが、世間的には実際に偉い。
それを聞いた母親は娘を抱きしめて、号泣した。
一息つき、全ての賢者が注目する専用スレッドにライデンから書き込みがあった。
【120、ライデン:皆の衆、これはまだ序章でござるよ。各員、手筈通りに動くでござる!】
【121、ミニャ:みんな頑張ってください!】
ライデンの号令に続いてミニャからも激励が入り、日本とパトラシア中の賢者たちがニャンのポーズで敬礼した。電車に乗っている賢者の奇行に周りにいる乗客は困惑気味。
そして、各地に散った賢者たちが一斉に行動を開始した。
まずはこの旅の一番の目的、シゲンの娘シャーリィの救出。
グラインの町で賢者たちが動き出す。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想大変励みになっています。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。




