4章閑話 俺の妹が親の前でイケメンエルフ全裸冒険動画を見ているわけがない
本日もよろしくお願いします。
4月26日日曜日、朝。
激動の防衛戦を終えた覇王鈴木は、ベッドから起き上がる。
騒がしかった異世界から一転、自室は外の車の音が聞こえる程度でとても静かだった。薄暗い部屋の中にカーテンの隙間から差し込む朝日を見て、帰ってきたという実感と共に清々しい気分になった。
ニートな自分だけど、救えた命があった。
それは子猫だったけれど、猫好きな覇王鈴木には嬉しかった。お礼は子猫を抱きしめる少女の嬉し泣き、それで上等なのだ。
その一方で、応援に向かった港ではかなり怖い体験をした。
軍港での大捕り物やバルメイたちの捕縛作戦に覇王鈴木は引っ張りだこだった。とりあえず覇王鈴木を行かせておけばいいの精神で、ニーテストが使うのだ。
「あいつ、俺のこと使いすぎなんだよな」
そう呟く覇王鈴木の脳内では、自宅でもパリッとした白いワイシャツを着るクール系メガネ男子が想像された。覇王鈴木にとって、まだ見ぬニーテスト像はそんな感じだった。
と、こんなことを言いつつも、覇王鈴木は仲間から頼られることが嬉しかった。
仲間たちと勝利を喜び、帰還するだけでもみんなが「お疲れ!」と声をかけてくれた。これまで一人で静かに暮らしてきた時間が嘘のようだった。
「さすがに腹が減ったな」
ベッドサイドに置かれている保存食の残りを眺め、台所へ行くことを決める。
保存食を買うにも金がいる。
覇王鈴木は、当座の資金としてニーテストから110万円という大金を借りているが、可能な限りはこの金を使いたくなかった。
というわけで、部屋の保存食には手をつけず台所で何かを漁るのである。
1階へ降りると、妹の七星がいた。
台所の調理台にコップを置き、若干赤い顔でニヤケながら牛乳を注いでいる。
妹も防衛戦で町の人から感謝されて嬉しいのかな、と覇王鈴木は少し温かい気持ちになった。
冷蔵庫を開けながら、自分も賢者なのだと打ち明けようか迷った。
だが、そもそも本当に賢者かもわからない。実際に、覇王鈴木が妹を賢者だと疑った理由は、絶妙なタイミングで台所の食べ物を大量に自分の部屋へ持っていったというだけのことだ。
それに、仮に七星が賢者なら、最も疑わしい新人賢者ホクトが覇王鈴木たちに話した心情が脳裏をよぎる。
『アイツはみんなに迷惑をかける』
ホクトは知り合いのニートの評価をそう語った。
ホクトが七星なら、そのニートとはつまり自分なのだ。
覇王鈴木はその後に偉そうなことも言った。
ホクトが楽しむのが一番であり、その知り合いを呼ぶことで楽しめなくなるようなら呼ぶべきではないと。
覇王鈴木がニートを始めた時期は七星が高校受験に入る少し前だった。
仲が良かった兄妹なので最初は許容してもらえていたが、高校受験のストレスで次第に兄への感情は悪い方へと傾いていった。
覇王鈴木は七星を責めない。普通に考えて自分が悪いのだから。同じ立場だったら同じようにムカついただろうから。なによりも、覇王鈴木は今でも妹を可愛く思っていた。
「ちょっと、あんた何してんの!?」
ふいに母親の声が台所に響いた。
ハッとして冷蔵庫から目を離すと、七星の前でコップから溢れた牛乳が調理台の上に広がっていた。
「え? ふきゃーっ!?」
幸いにして調理台の縁で牛乳はせき止められているので、床や引き出しは無事。
「もう! もったいないことして!」
「ご、ごめんて。ちょっとボーっとしてた」
「なによそれ。まったくもう、昨日買ってきたばっかりなのに。今日はシチューなんだから、あんたあとで買ってきなさいよ」
「えー……今日はルナリーと約束があるんだけど」
それを聞いた覇王鈴木は心臓がドキンとした。
「ルナリー? 外国の子?」
「え、あっ! ま、マンガのキャラの名前とごっちゃになっちゃった。あははー、レイのこと」
「もー、寝ぼけてるの? じゃあお兄ちゃん、買ってきてね」
「あ、うん。わかった」
覇王鈴木はなんとか平静を装って、返事を絞り出した。
外に出られる系ニートにお買い物への拒否権はない。
レイ——月島莉は覇王鈴木とも幼馴染であり、よく知っていた。
完全に七星は新人賢者で確定したと思って間違いない。
27日月曜日の朝のことだった。
朝のニュースではニュースキャスターがご機嫌な声で『ゴールデンウイーク3日目』などと言っているが、そんなのは一部の人だけだ。
鈴木家の大黒柱の父はとっくに出勤したし、母親のパートは今日もあり、七星の学校は通常営業で、覇王鈴木は年中無休で自宅警備である。
昨晩はエルフの父親・シゲンが東に向かうために行なっている湖渡りの岩礁の部で活躍していた覇王鈴木は、一仕事終えて1階へと降りた。
できることなら、みんなが働きに出る平日の朝に家族と顔を合わせるのは避けたいのがニート心だが、おトイレのついでに1階へと降りた。
リビングには母と妹が向かい合って座り、朝食を食べていた。
「なによ朝に顔を見せるなんて珍しい。ご飯食べる?」
忙しい時間にニートのために朝食を用意しようかと問う母親と、娘のために過酷な旅を始めたシゲンの姿が重なり、覇王鈴木は罪悪感ゲージが上昇した。
「いや、いいよ。ありがとう」
覇王鈴木は、早くこちらの世界でも金が稼げるようにならないかと思った。
そうすれば胸を張って生きていけるのにと。大金を稼げるようなら、両親にお金を渡してびっくりさせられるのにと。
そんなふうにちょっぴりセンチメンタルな気分でリビングを移動する覇王鈴木は、ふと妹がニヤケながらスマホを見ていることに気づいた。
スマホはテーブルの上。
食事中にスマホを弄ると両親が怒るので、いつもは暗い画面のままだ。
しかし、今日はそこに映像が映し出されていた。
その映像の中には、真っ裸で岩礁を移動するイケメンエルフの姿があった。
覇王鈴木は、ガクリと膝を突いて四つん這いになった。
俺の可愛い妹が、朝っぱらから親の前で超美麗イケメンエルフの全裸冒険動画を見ているわけがない。まあ、見ているわけだが。
妹は高校2年生。
そういうのに興味がある年頃なのは理解できるが、だからって……っ!
「あんた、なにやってんの?」
母親が怪訝そうに言った。
それは本来なら絶対に妹へ向けるべき言葉であるが、ミニャのオモチャ箱の生放送は賢者以外には見えない。母親の目には、妹のスマホは真っ暗な画面に見えるのである。
恐る恐る顔を上げると、椅子に座った妹は怪訝そうな顔で兄を見つめ、目が合うとプイッと食卓へ視線を戻してしまった。そのリアクションに若干傷つきながら、覇王鈴木は母親の問いに答える。
「いや……いや、ちょっと小指がグキッってなった」
「ちょっとは運動しなさぁ……あんた、筋トレとかしてるの?」
小言を言おうとした母親だが、さすがというべきか、四つん這いになったことで背中に浮き出た息子の変化を見逃さなかった。
「え、あ、ああ、うん。何かを始めるにも筋肉がなくちゃダメだろうし」
覇王鈴木は前々から用意していた言い訳を口にした。
覇王鈴木は女神様ショップの『境界超越:魂』により、異世界での経験値が本体に流れ込んでいる。この1か月間、召喚士ミニャの下で、野山を走り、建材を運び、魔物と戦った。その経験が覇王鈴木の体を少しだけ逞しくしたのだ。
この『召喚士ミニャの下』というのが割と重要で、召喚士の眷属は成長が早いという大きなメリットがあるのだ。だから、獣も召喚獣になるわけだ。
実のところ、覇王鈴木は顔も少しだけ凛々しく端整になっているが、毎日会っているので気づかなかったようだ。
それはともかくとして。
覇王鈴木はいよいよ妹に打ち明けられなくなった。
なにせ、妹は親の前で食欲と性欲を同時に満たすというクソやば時短プレイをしており、それを兄は目撃してしまったのだから。これで打ち明けようものなら、妹は大変に傷つくだろう。
これが自分だったから良かった。
しかし、例えば電車の中で変な賢者に見られたらどうだろうか。
賢者は精神や行ないが善に傾いている人しかなれないが、それでも女子高生がそんなのを見ていたら、この子なら付き合えるかもしれないと軽く見るヤツが現れてもおかしくない。そんなのは兄として許せない。
部屋に戻った覇王鈴木は雑談スレッドを開いた。
その日の通学中。
毎朝待ち合わせしている七星とレイは顔を見合わせるなり、すぐにどこか気まずそうにした。
「……見た?」
「み、見てない」
七星の質問に、レイはもじもじしながらもはや肯定と言っていい態度で否定した。
「ひゅー!」
「ちょっとだけだってば!」
やはり見たらしい。
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345、名無し
ちょっとみんなに注意喚起をしたいんだけどいいか?
346、名無し
おう、言ってみろ。
347、名無し
今日の朝、まあさっきなんだけど、町中でウインドウを使っている人に偶然会ったんだ。めっちゃ嬉しかったんだけどさ、見ている生放送が問題だった。
348、名無し
全部察したwww
349、名無し
町中で見るのかよwww
350、名無し
それは男? 女?
351、名無し
性別は言わん。何が言いたいかというと、賢者の数もずいぶん多くなったし、偶然町中で見かける確率は格段に上がった。だから、見ている生放送はマジで気をつけろ。
352、名無し
まあそうだよなー。
353、名無し
それでお前は話しかけたの?
354、名無し
話しかけられるかよ!? 生放送見てニヤケてたんだぞ!
355、名無し
それもう女子だろwww
356、名無し
いや、男の俺もドキドキしたが。あれはちょっと性別を超越していると思う。さすがにしばらく見たら慣れたけど。
357、名無し
わからんでもない。慣れるのもめっちゃわかる。
358、名無し
ドキドキはわからんけど、慣れるのはわかる。だって同じ男だもの。
359、名無し
みんな、目を瞑れー。先生しか見てないから、心当たりあるヤツは手を上げろ。
360、名無し
ほう、誰も名乗り出ないのか。先生、名乗り出るまでホームルームをやめないからな。
361、名無し
まあ、このスレ見ている暇があるならシゲンさん見てるだろうし。
362、名無し
とにかくだ。そういう姿を見られたら恥を掻くことになるし、むっつりスケベと思われるかもしれないから気をつけろと言いたい。以上だ。
363、名無し
じゃあ今日の定例会議で注意しておくか。
364、名無し
パチ屋でエロ動画を見てるジジイなら見たことあるけど、女でも人がいるところでそういうのを見る人っているんだな。
365、名無し
特殊な例だと思うぞ? オモチャ箱の映像は一般人には見えないから、完全に油断してたんじゃない?
366、名無し
公共交通機関でウインドウを使うのはわかるんだよな。優越感がヤバい。
367、名無し
この前、電車で、ウインドウ越しに向かい側の席に座ってた強面のオッサンから「おい、見過ぎだ。なんか用か?」って脅されてマジでビビった。ニヤニヤしてたら殴られててもおかしくなかったんじゃないかって思う。
368、名無し
クソ怖くて草。
369、名無し
そういうこともあるし、ウインドウを使う場所は気を付けた方がいいかも。
370、名無し
電車の中はスマホがいいよ。画面を見られても大丈夫だし、ニヤニヤしていても覗き防止で画面が見えないだけだと思われて不審には思われない。
371、名無し
いや、電車の中でニヤニヤしてたら「うわぁ」って思われてるからね?
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注意喚起をスレッドに書き込んだ覇王鈴木は、ふぅと椅子にもたれかかる。
ホクトは自分に懐いてくれている。
しかし、兄だと告げたら、きっと七星のように嫌われてしまうだろう。なにせ同一人物なのだから。
覇王鈴木はテレビラックの下にあるゲーム機を見つめ、仲が良かった兄妹が笑い合いながらゲームで遊ぶ姿を思い出す。
「今のままでいいか……」
少なくとも、異世界でならあの頃のように一緒に笑って過ごせるのだから。
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