アクマ ノ ケイヤクショ
随分前に長期連載を目論んで頓挫した作品を投稿いたします。
どんな人にも共通する欲望があります。
これは理屈ではなく、人間の本能のようなものなのかもしれません。
老若男女問わずに、共通する欲望とは……。
自分の望みを叶える、というものです。
もし、それがある紙一枚で叶うとしたら……。
アナタはどういたしますか?
ご紹介が遅れて申し訳ありません。私の名前は深井闇斗。
ある紙---契約書を持つ者であります。
*
不瀬幸雄は今日も顔を下に向けて会社を出て、帰宅していた。
「はあ……」
溜息をつくと、幸せが逃げるというジンクスがあるが彼はまさにその典型ともいえるだろう。
傍から見たらどうかはわからないが、彼は自分の事を間違いなく『不幸』だと思っている。
「不瀬君!君は今月も営業成績がダントツのビリではないか!!真面目に仕事をしているのかね!?」
努力はしているが、実る事はなく営業成績はビリ。
「不瀬ぇ。お前がいるおかげで俺達は課長からお小言喰らわずに済むぜ。ホント、感謝しちまうよ」
「そうそう。ホント、お前が同期でよかったよ」
「これからもこの調子で頼むぜ?」
その事をダシにされて、同期の社員からはイジられる日々。
「幸雄。貴方も少しはお兄さんを見習いなさい?」
「まったく、同じ兄弟でどうしてこうも違うものか……」
自宅暮らしのため、兄といつも比較されて肩身の狭い生活を送っている。
「くそっ!また負けた!!」
ビリっと買った馬券を大量に破り捨ててしまう。趣味であるギャンブルでも絶賛連敗中。
間違いなく自分は不幸だ。誰が何と言おうが、不幸なのだ。
それがこの不瀬幸雄という男の現状だった。
「久しぶりに競馬をしましたが、まあまあですね」
それは現在の不瀬とは真逆の位置に立っている者の言葉と言ってもよかった。
その声の方向に顔を向ける。
そこには、一人の青年と呼べる男がいた。
黒髪で長身、横顔だけでしかわからないが間違いなくイケメンと呼ばれるに相応しい顔立ちだ。
ブランド物ともいえる黒いスーツを鮮やかに着こなしているその姿はまさに、人生の『勝ち組』を邁進している人物に思えた。
「どうも」
青年はこちらに視線に気づいたのか、軽く会釈をした。
それが、不瀬にとっての運命の転換の始まりであったりする。
*
不瀬はその日も上司にいびられ、同僚にからかわれる日々を送っていた。
家に帰っても、相も変わらず両親が兄と比較してネチネチ言うことは間違いない。
わざわざそんなところに帰る気は今日はなかった。
「ヒック……」
そんな時には行きつけの飲み屋でへべれけになるまで酔っぱらうことだった。
両親のもとで暮らしていはいるが、毎月決まった額の生活費は支払っているので文句を言われる筋合いはないと現在の状態なら強気で思っていたりする。
ある程度の量まで飲むと、フラフラとしたハッキリ言って場所が電車のホームなら間違いなく線路にダイブしてもおかしくないくらいに危なっかしい動きだった。
「いてっ!」
「おい、オッサン!!人にぶつかっておいて謝りもしねえのかよ!?」
と、血気盛んなチンピラまがいの青年に絡まれる要因を生み出してしまう事にもなる。
「ヒック。何だよガキか……。俺は今、物凄く機嫌が悪いんだよっ!!」
泥酔しているためか、本来ならば決して起こす事のない行動を不瀬はとった。
それから十分後。
不瀬は青年達に公園に連行されて袋叩きにされている最中だった。
チンピラAがサッカーボールを蹴るような勢いで腹部に蹴りを入れる。
「げふっぐふっ……」
胃の中のモノが出てきそうな程の痛みなのだが、泥酔状態のためか痛覚が微妙に鈍っていたりする。
痛くない事はないが、痛すぎる程のものではないという感じだ。
「があっ」
背中からも痛みが走る。
チンピラBが蹴りを入れてきた。
続いてチンピラC、Dが踏みつけてくる。
音で表現するならゲシゲシ、と。
(あ、俺死ぬかも……)
そんな事が脳裏によぎると、現在自分がおかれている状況を受け止めてしまう。
そうなると、次に出てくる事はこうだ。
(し、死にたくない!!このまま死ぬなんて絶対に嫌だ!!)
じわりじわりと襲いかかってくる『死』への恐怖だった。
「いくら酔っ払いとはいえ、複数で一人を袋叩きというのは感心しませんね?」
その声を不瀬は聞いた事があった。
たった一度だけだが。何故かハッキリと記憶に残っていたのだ。
顔を上げてみると、そこにはあの青年がいた。
「オウ兄ちゃん。アンタこのオッサンの知り合いかい?」
「いえ、アカの他人ですよ。面識も今回で二度目です」
チンピラAの質問に青年はあっさりと答える。
「だったら『正義の味方』ってやつかい?今時ってかそんなモンは前世紀くらいに滅びちまってるぜ」
チンピラAのいう前世紀とは二〇世紀のことを言っている。
「『正義の味方』ですか……。私には全くといいくらいに縁のないものですね」
青年はそこにいる誰にも聞こえないくらいボソリと呟くと同時に、間合いを詰めてチンピラAの顔面に膝蹴りを食らわせた。
現在この場の空気の支配権を持っているのはチンピラ達だ。
だが、この不意打ちで支配権を青年は奪い取ったのだ。
そのまま、一気に間合いを詰めてチンピラBの胸ぐらを掴んで、背負い投げを繰り出す。
地面は畳ではなく土なので、背中を強く打ちつけられたチンピラBは全身を痙攣させて動けなくなっていた。
「残り二人ですね。どうします?とことんやるのならお相手しますが?」
青年は指をバキボキと鳴らしながら、笑みを浮かべている。
笑みを浮かべているが、どう贔屓目に見てもそれが『慈愛』というような道徳的なん感情ではない。
『破壊』『嗜虐』といったものが含まれている笑みという方がピッタリだった。
そして、それは仲間をぶちのめされている残りの二人の本能にもしっかりと食い込んでいる。
何故なら、青年が言った直後にはそこにはいなかったのだから。
「大丈夫ですか?立てますか?」
青年は地面に倒れている二人をあっさりと見殺しにしたチンピラ二人の背中が完全に視界からなくなる事を確認してから、地面に蹲っている不瀬に手を差し伸べた。
「あ、ああ……。ありが……とう」
「いえいえ。ご紹介が遅れて申し訳ありません。私、深井闇斗と申します。」
闇斗が差し伸べてきた手を振り払うような事はせず、不瀬はしっかりと握りしめて立ち上がった。
*
現在、二人は公園のベンチに腰かけていた。
「付かぬことをお聞きしますが、何故あのような事を?」
「………」
闇斗の質問に、不瀬は沈黙をしたままだった。
自身でもどのように他人にどう説明したらいいのかわからないのだから。
「そのご様子では特に明確な理由があったわけではありませんね」
「アンタの言う通りです……」
心でも読んだのか、チンピラとの喧嘩の動機を闇斗に指摘されて不瀬は首を縦に振った。
「あの……深井さん」
「何でしょう?」
「少し、話聞いてもらえますか?」
「構いませんよ。でも、その前に……」
不瀬は意を決した表情で闇斗を見る。
「コーヒーでも買ってきましょう。これは私の奢りですから、お気になさらずに」
闇斗はベンチから立ち上がって最寄りの自動販売機まで歩み寄った。
「すみません。話を聞いてもらう上に、奢ってもらってしまって」
「いえいえ、お気になさらずに。それでお話というのはどういった事なのでしょうか?アカの他人同然の私に頼るというのは、友人、家族には話せない。貴方の心に影響する事、ですね?」
闇斗はコーヒーのプルタブを開けず、不瀬の話の内容を推測した。
「そ、その通りです。何故わかったんですか!?」
「仕事柄、色々な方と関わってきましたから強く言い切る事は出来ませんが、わかるようになったのですよ」
これから話す内容の大元と言える部分をズバリと言い当てられた事に驚愕の表情を浮かべてしまう不瀬に対して、闇斗はその事を得意げな表情になる事はなかった。
「実を言うと俺、運が悪いんです……」
職場でのこと、家族でのこと、趣味など様々な部分で自分の運勢が決してよいわけではないという事を闇斗に告げる。
「なるほど。不瀬さんはその事が嫌になってヤケ酒を飲んで、運悪くチンピラ達に絡まれて袋叩きにされてしまった、と」
「は、はい。そのとおりです。深井さんには多分わからない事なんでしょうけどね」
「?、私には分からないというのはどういう意味でしょうか?」
「だって貴方はギャンブルとか仕事とか生活とか順風満帆なんでしょ?」
不瀬はどうやら闇斗の身なりや口調、そして醸し出す雰囲気のようなもので『勝ち組』という印象を持ってしまっているようだ。
「順風満帆ですか……。私自身、不幸だと思った事がないためそのように言われると少しではありますが考えてしまいますね」
「俺はこれからも運の無い人生を歩くんでしょうね……」
運勢良くするための本や道具などは売られているが、それを購入したからといって確実に幸運を手に入れられる保証はない。
不瀬はこの手の事は最初から期待していないので、全く手を出してはいなかったりする。
「それを変えることができると、言ったらどうします?」
「変えれるモノなら変えたいですよ。でも、運なんて変わるものじゃ……」
「これをどうぞ」
現状を変えたい。しかし変える糸口がないと諦めている不瀬に対して闇斗は一枚の紙を渡した。
「契約書。だけど、白紙だ……」
「白紙となっている部分に不瀬さんの望みを書いてください。それと、注意事項が後ろに書かれていますので表面を記入する前に必ず一読をしておいてください」
「これに書けば、俺の望みは叶うんですか?」
「書けば色々な条件は付きますが、間違いなく叶いますよ」
契約書を手にしてまじまじと見つめている不瀬を一瞥せずに闇斗はベンチから立ち上がる。
「その契約書を使って人生を変えるのも、使わずに今の人生を送るのも、それは不瀬さんの人生ですから考えてみてください。では」
闇斗は頭を下げてその場から立ち去った。
公園にはまだ起き上がる気配のないチンピラ二人と人生が変わるか否かの状態になっている不瀬だけが取り残されていた。
*
翌日の正午。
現在の時間帯は不瀬の会社では昼休みであり、現在彼はコンビニで買ったおにぎりとお茶を買って、会社の屋上にいた。
ギャンブルで負けているため、非常に寂しい食事だった。
スーツのポケットから一枚の紙を取り出す。
「こんな契約書、もらってもなあ……」
昨晩の出来事はひとつの『夢』だと思おうとしたのだが、自分が手にしているモノが現実である事を証明していた。
闇斗から貰った白紙の契約書。
『注意事項が後ろに書かれていますので、表面を記入する前に必ず一読をしておいてください』
闇斗の言葉を思い出す。
「えーっと」
不瀬は契約書を読み上げていく。
①この契約書を他人に見せてはならない。
②契約が執行された際、その過程を詮索してはならない。
③契約の際に取り決められた条件を反故にした場合、『契約破棄』となり相応の代償を契約者は支払わなければならない。
④契約者が『打ち切り』を宣言した場合、その時点から効力は失われる。
「要はこの四つを守ればいいわけなんだよな……」
どれも簡単に守れそうなモノばかりだと不瀬は判断する。
不瀬は定時で仕事を切り上げて、自宅へと帰宅する。
この時ばかりは定番の兄弟比較も耳に入らなかった。
彼の頭には契約書に書くという事に頭がいっぱいだった。
(書いてやる!これで俺の人生、変えてやる!)
自室で、スーツのポケットに折りたたまれて収納されていた契約書を取り出す。
ボールペンでデカデカと記入する。
幸運が欲しい。
と。
*
契約書を書いた翌日の昼休み。
不瀬は今日も、屋上でおにぎりとお茶を買って一人で過ごしていた。
「不瀬さん」
「おわっ!?」
横から声をかけられ、驚きの声を上げる。
「ふ、深井さん!?」
「どうも」
ここは屋上でさっきまで誰もいなかったはずだ。
どうやって、来たのだろうか?
正面から、それなら向かいの位置にいる自分が気付かない筈がない。
まさか、ビルをよじ登ってきた?
ありえない。自力で登ってきたらどんなロッククライマーだって、汗ぐっしょりになるはずなのに横にいる青年は汗一つはもちろんの事、衣服の乱れすらない。
(色々と聞きたい事もあるが、あえてやめておいた方がいいような気がする……)
本能的にそう感じた不瀬は闇斗がどのようにしてここに来たのかという事はあえて『気にしない』という方向で強引に片付けることにした。
「契約書の内容にお応えできる品をお持ちしました。それと、スマートフォンを少しだけお借りしますね?」
闇斗は他人のスマートフォンにもかかわらず、操作していく。
「お返しします」
何かの手続きを完了させたのか、不瀬に返した。
「幸運パラメーター?」
「貴方の契約内容を叶えるために必要なアプリです。それとこれを」
小さな箱を闇斗は懐から取り出して不瀬に渡す。
「ペンダント?」
「『幸運のペンダント』という今ひとつなネーミングセンスですけどね」
「はあ……」
闇斗は自信に満ちた表情だ。
不瀬は釣られるようにペンダントを巻こうとする。
「不瀬さん。待ってください」
「?」
「只今からそのペンダントとアプリの使用方法をご説明します」
「わ、わかりました」
闇斗の言葉にペンダントを巻こうとする手を止める不瀬。そして、彼はこれからの説明を聞き逃さないために真剣な表情となる。
「まず、アプリ『幸運パラメーター』を起動させてください」
「はい」
言われるままに、アプリを起動させる。映し出された画面には飾り気がなくただ無機質に『-3』と表示された。
「何です?この数字」
「それが今日の貴方の幸運を数値化したものです」
「幸運-3って……」
「間違いなく不運と呼ばれる状態ですね」
予想は出来ていたが、人に言われるとかなり堪えるものだ。
「説明を続けさせてもらってよろしいでしょうか?」
「あ、すみません。お願いします」
「『幸運のペンダント』ですが、パラメーターの数値がゼロかマイナスの時だけ身に付けてください」
「じゃあ、今は……」
「数値がマイナスなので、身に付けてもらって大丈夫ですよ」
闇斗が安心させるように笑みを浮かべると、不瀬は素早く『幸運のペンダント』を身に付けた。
「警告しておきますが、パラメーターがプラス表示の時にはペンダントは身に付けてはいけませんよ」
「わかりました。あの、お金の方は?」
こんな非現実的な事が無代償で終わるとは不瀬は考えてはいなかった。
「報酬は一割です」
「一割?」
「今回は貴方の月収の一割をいただきます。契約執行中は何らかのかたちで収入を得た場合はその一割が私の報酬となります。それではよい人生を」
「わ、わかりました……。あ、あとありがとうございます!!」
不瀬は闇斗に頭を深々と下げて感謝する。
頭を上げるとそこには闇斗の姿はなかった。
どうやって、この場から去ったのかは考えないようにした。
不瀬はペンダントを身に付けたまま、午後の業務に勤しんでいた。
(俺の幸運は-3か……。ペンダントを身に付けたからってどうなるんだろうな……)
正直半信半疑だった。
結局終業時間になるまで、何事も起きなかった。
「何もないか……。何か随分と久しぶりのような気がする」
終業時間になると上司が残業に誘ったり、同僚に飲み屋へ誘われたりとするが何も起きなかった。
そのまま自宅に戻ると、両親の姿はなく自炊しようと冷蔵庫を開けてみると作り置きしてくれた夕飯があった。
「静かだな。親父やお袋に嫌味言われる事なく食べるなんて……」
不瀬は黙々とだが、随分と久しく夕飯の味を堪能する事が出来た。
その後は自室に戻って、身に付けているペンダントを眺める。
「確かに、幸運かもな……」
不瀬は風呂に入って、明日に備えて眠る事にした。
*
不瀬はいつも通りの時間に起床した。
そして、スマートフォンを手にして『幸運パラメーター』を起動させる。
幸運-6
「ペンダントの出番だな」
出勤する前にペンダントを身に付けてから出社した。
この手の通勤ラッシュ時なのだから、当然目的地まで立ちっ放しなのだが。
(座れてる!!)
運よく座る事が出来たのだ。
出社してタイムカードを押して、同僚や上司に挨拶をしてから席に着く。
「不瀬君。昨日の企画書だが……」
課長に呼ばれて、前に立つ。
この位置に立つと言われる事はほぼ決まっている。
「この企画で行こう!!やればできるじゃないか!!」
課長は笑顔で力強くバンバンと不瀬の両肩を叩いて褒め称える。
「あ、ありがとうございます!!」
(ツ、ツいてる。しかもとんでもなく!!)
その日の夜は不瀬が所属する部署総出の飲み会が行われた。
不瀬は今まで支払う側だったのに、今日は支払ってもらう側になっていた。
その日の一日は最高に幸運だと不瀬は実感した。
*
不瀬は闇斗の警告を聞き入れて、手にした幸運生活は一か月が経過した。
*
そんな時に闇斗に再会した。
「一か月前に深井さんと契約を交わして本当によかった。ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそお役にたてて良かったです。それにしてもよろしかったのですか?このような高級なお店でご馳走になっても」
「構わないですよ。なんたって俺、ここの一年間無料パスポートを持ってますから」
不瀬はピッと財布から取り出して、証拠の品を取り出す。
「ほお」
どうやら『警告』は守ってくれているようだ。
「不瀬さん。くれぐれもペンダントはカウンターがゼロかマイナスの時だけ身に付けておいてくださいね」
最初にアプリとペンダントを渡した時の『警告』をもう一度した。
「ええ、わかってますよ」
不瀬は真剣に聞いているように見えた。
だが、闇斗にはわかっていた。
一月前ほど真剣に聞いてはいなかった、という事を。
*
それからも不瀬の幸運爆走劇は続いていた。
仕事は順調。
趣味のギャンブルも勝ち放題。
そのうえ、両親の嫌味もなくなった。
「幸運サイコー!!」
三十も半ばに差し掛かっている男が恥ずかしげもなく堂々と叫んでしまうほどだ。
出社すると、見慣れない女性社員がいた。
不瀬の所属する課には当然、女性はいる。
年上と同い年はいるが、目の前の彼女は明らかに年下だろう。
これで実年齢が自分よりも上なら、詐欺もいいところだろう。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
女性社員に先手を取られて、不瀬は受け身の状態で挨拶を交わした。
それから三十分後に課長やら同僚やらが入ってきた。
「今日から、ここで働くことになった倉田環奈君だ。皆、よろしく頼む。それと不瀬君」
「課長?」
「君に倉田君の教育係を一任する。最近の君の業績振りからなら安心して任せることができるからね」
「わかりました!」
「よろしくお願いします!ええと……」
「不瀬です、不瀬幸雄」
「倉田環奈です。よろしくお願いします!」
その後、新入社員が美人と美少女の中間的容姿を持っていた事で同僚達には羨望と嫉妬の洗礼を浴びたものの、不幸と感じることはなかった。
*
「ありがとう。闇斗さん」
「いえいえ、いつもご相伴に預かっている身。このくらいは当然ですよ」
闇斗は一人の女子高生の荷物を両手で軽々と持ちながら、会話を弾ませていた。
彼女の名は天上野 光。
闇斗が住んでいるマンションのお隣さんである。
性格は社交的であり、容姿は間違いなく美少女でありスタイルもグラビアアイドルとして売り出してもおかしくないくらいにメリハリのついたモノである。
「ところで、光さん」
「なに?闇斗さん」
「ご両親や妹さんとは……」
「親とは週一で会ってるよ。妹は週四でこっちに来る」
光は現在、一人暮らしをしている。
といっても家族仲が悪いからではない。
むしろ、再婚して新婚生活を楽しんでもらいたいという気遣いからくるものだった。
ちなみに妹というのも義理の母の連れ子であるため、『義妹』という言い方の方が正しい。
「随分、懐かれましたね」
「私の配慮不足かも、父さんと義母さんと自分の事で頭いっぱいだったし……」
「光さんの年齢で、そこも配慮出来てたら聖人ですよ」
「成人?私、まだ二十歳じゃないけど……」
「二十歳を超えても、今の光さんほど配慮ができる人は中々いないと思いますよ」
光の天然ともいえるボケに闇斗は真面目に返した。
*
不瀬の幸運爆走劇がさらに一か月ほど経過した。
その間にも色々とあった。当然それは不瀬にとってよい方向にだが。
会社での業績は上々。
後輩の指導も上手くいっているし、関係も良好。
趣味も家族との仲も上々。
まさに、『幸運のペンダント』と『幸運パラメーター』さまさまである。
そんなある日の事だった。
今日も不瀬は決まった時間に起床して、スマートフォンからあのアプリを起動させる。
「今日のパラメーターはというと……」
+5。
「プラスか……」
現在に至るまで、パラメーターはマイナスがほとんどであり、ゼロになることは稀というぐらいだった。
闇斗と契約を交わしたとき、ペンダントを身に付けるのはマイナスかゼロの時と限定されていた。
「やめておこう」
不瀬は『警告』に従って、ペンダントを外したまま出社した。
パラメーターがプラスの時に、ペンダントを身に付けてはならないという警告を守ったからだ。
当然、その日も問題なく過ごす事は出来た。
だが、
(プラスの時にペンダントを付けたらどうなるんだろう……)
不瀬の中でそのような疑問が浮かび上がり始めていた。
翌朝。
不瀬は自らが決めていた起床時間に目を覚ました。
そして、『幸運パラメーター』を起動させる。表示された数値はというと。
+10。
今までの中では最高値だった。
(これはつけなくてもいい数値なんだよな……)
それが闇斗と契約を交わした際の条件だ。
『幸運パラメーター』の数値は何度見てもプラス表示だ。
理屈では今日は『幸運のペンダント』を身に付けなくてもいい。
だが、感情もとい精神はかなり揺れ動いていた。
今日は大きな商談があるし、倉田に告白したいとも思っている。
いくらプラス表示されているといっても、足りないと考えてしまうほどにだ。
「ええい!一回だけ、一回だけなら!!」
不瀬は契約の際の条件をとうとう破ってしまった。
その日の商談は見事に成功した。
後輩の倉田に意を決して告白すると。
「こ、こちらこそ。よろしくお願いします……」
と、無事に交際オーケーの返事をもらった。
(俺、幸せすぎ!!)
闇斗と契約を交わすまでは『負け組』と決め込んでいた自分が今や『勝ち組』になったのだ。
だが、不瀬は気づいてはいなかった。
その姿を闇斗が見ていた事に。
*
闇斗との契約の際の約束を破ってから一週間が経過した。
今日も不瀬はアプリを起動させる。
幸運+10。
そして、今までと違うのはパラメーターの数値がプラスになっているのにもかかわらず、ペンダントを身に付けている事だった。
(深井さんにもバレてないし、大丈夫。大丈夫)
若干の後ろめたさを感じてはいたりする。
「不瀬さん」
会社に着いた時に、聞き覚えのある声が後ろからしたので振り向いてみる。
ギギギギという擬音が出てしまうほど、動きはぎこちなかった。
「どうも、お久しぶりですね。幸運生活を満喫しているようで何よりです」
「そ、そうですね……」
闇斗と視線を合わせることが今の不瀬には物凄く恐ろしく感じた。
「不瀬さん」
「は、はい!!」
闇斗が声をかけてくる度に、不瀬には嫌な汗が流れ始めていた。
「私との契約を反故にしましたね?」
「な、何の事でしょうか……」
誤魔化そうとするが、正直自信はない。このまま謝って許してもらおうかと考えてしまう。
「反故にしてしまった以上、これは契約破棄とみなします」
闇斗の両目が妖しく光り輝いたように、不瀬には見えた。
途端に会社や他の風景は一瞬で真っ黒になる。
「こ、これは……」
「ここは私との契約を反故にした方のみが訪れることのできる場所。光もささない。希望もない。何もない。そう、上下左右というような概念すらありません」
闇斗は右手を不瀬に向かってかざす。
「不瀬さん。貴方には代償を支払っていただきます」
「ま、待ってください。一度だけもう一度だけチャンスをください。二度と二度と契約を破ったりはしません!だから!」
不瀬はその場で土下座をする。
「ダメです。貴方に残された選択はひとつ。代償を支払う事、だけです」
「あ、あああああああああ」
謝罪をしても、許されないと悟った不瀬の表情は涙と鼻水でグショグショだった。
「深淵の闇へようこそ」
闇斗がそう告げた直後、不瀬は背後から悲鳴を上げることもなく呑みこまれた。
*
闇斗が不瀬の前に現れて、警告をしてから更に一か月が経過した。
不瀬の幸運劇は続いていた。
(深井さんのアレってハッタリか?)
一か月も経つと、あの時の出来事が嘘のように思えてしまう。
あの妙な現象を体験してから二、三日の間は夜になるたびに恐ろしく感じたものだ。
自分は現在、幸せだ。
懐は温かいし、何をしても上手くいくし、恋人だっている。
そう順風満帆の人生だ。
闇斗が言った言葉は、『ただのハッタリ』だと思ってしまうほどに。
だが、彼がその言葉は紛れもない現実だと知るのに、さほど時間はかからなかった。
一枚だけで買った宝くじが一等を当てた。
その同日に兄の勤めている銀行に強盗が押し入った。
事件は無事に解決したものの、強盗が放った銃弾が銀行員一名の頭部に被弾した。
その銀行員とは……
不瀬の兄だった。
兄の死から四十九日が経ち、不瀬の精神状態からしたら一段落した時期だった。
不瀬は倉田にプロポーズをした。
返事は肯定だった。
その翌日に、不瀬の母親が倒れる。
その二日後に母親は死んだ。
半年も経たないうちに、身内が二人も死ぬなんてどう考えてもおかしいと不瀬は思った。
更に半年が経過する。
不瀬は身内二人の死を不審に思ったが、寄ってくる幸運のおかげでその感覚は麻痺しつつあった。
ギャンブルや株式投資で得た資金で会社を起ち上げる。
そして、その会社の景気も上々だ。
その間に、不瀬の父親、友人数名、以前に勤めていた会社の中で比較的に仲の良かった者達が次々と不幸に見舞われる事になる。
そして一年が経過した。
倉田と結婚した。
傍から見ればサクセスロードを歩んでいるとしか思えないが、その歩いている人物の表情はとてもそんな道を歩いているとは思えないくらいに暗い表情をしていた。
会社の景気が良くなってから、自分の知人が立て続けに不幸に見舞われる事に不瀬は恐怖を感じていたのだ。
その恐怖の正体は、一年前に闇斗が言った『相応の代償』なのかもしれないと思うほどにだ。
二回目に会った時にもらった名刺に書かれている電話番号を押していく。
『お久しぶりですね。不瀬さん』
「お、お久しぶりです」
先手を取ったのは闇斗だった。
『ご結婚されたようですね。おめでとうございます』
「ど、どうも。ありがとうございます」
『それでどういったご用件でしょう?不瀬さんとは契約を破棄していますので、私が貴方に何かをするという事はありませんよ』
闇斗の言葉に、不瀬は一縷の望みは絶たれてしまう。
『契約破棄をしている以上、隠しておく必要もないので貴方がどのようにして幸運を手に入れていたのかという事をお話しましょうか?』
「え?」
『不瀬さん。貴方にあげたペンダントですが、どのように捉えていますか?』
「幸運を呼び寄せるペンダント、でしょ……」
少なくとも今までの体験からしてそのように解釈している。
『その解釈で間違ってはいませんよ。ではその幸運をどのように呼び寄せているのでしょうか?』
「え?」
『そのペンダントは幸運を呼び寄せる事が出来ます。ではその幸運はどこのモノなのでしょうか?』
「どこって……」
不瀬は何を言いたいのか理解できた。そして同時にペンダントの仕組みを知り寒気を感じてしまった。
「まさか……。このペンダントって……」
『その通りです。それは他者の幸運を奪い取って、貴方に幸運をもたらしているだけなのです。だからこそ契約の際の条件を守っていただきたかったのですよ』
「お、俺はこれからどうなるんですか!?まさか、妻の環奈まで兄貴や両親みたいに……」
『それはわかりません。深淵の闇に呑まれた貴方の未来はもう私にはどうする事もできないのです』
「そ、そんな……」
不瀬は自分が支払うモノの大きさに打ちひしがれた。
『それでは不瀬さん。御機嫌よう』
ブツっと電話が切れた。
*
ガラケーを閉じた闇斗は不瀬のいる方向に視線を向ける。
「幸運を手にしたからといって、それが幸せに繋がるわけではないという事を彼は見抜く事が出来なかったようですね」
踵を返して夜道を歩き出す。
「幸運を手にし続けることになった不瀬さんの未来はどうなるのでしょうか?幸福?不幸?それは彼次第ということですね」
闇斗の姿はそこにはなかった。
*
それでは皆さん。
またお会いしましょう。
面白かったや、長編希望などの感想があれば非常にうれしいです。