追憶——邂逅
——彼がいなくなってから、数カ月が経つ。しばらくの間続いていた吹雪もようやく止み、数日に一度は微かに陽が射すようにもなってきた。
豪雪は終わりを告げ、寒凪の季節がやってくる。
——彼と再会した、あの日と同じ季節に。
——広がる雪原、凍り付いた木々、雲間から差す陽光。
——目の前に立つ、大きな影。
——聞こえているはずなのに聞こえない、不思議な声。
——差し出された手に乗せられた、ソレに、手を伸ばし————
「......はっ!?」
飛び起きると、そこは未だ見慣れない、私——ユナ・イスタルの部屋の天井。体を起こして周囲を見れば、部屋に散らばる荷物が目に入る。まだ寝ぼけていたからか、最初はそれが何だか分からなかった。だけど徐々に目が覚めるにつれ、寝る前に何をしていたのかを思い出した。
「......そっか。昨日こっちの寮に移ってきたから、その荷解きを......」
その整理をしている途中に、そのまま床で寝てしまったのだろう。そんな変な寝方をしたせいか、少し体が痛む。
立ち上がり、体のコリを解そうと伸びをしていると、胸元からある物が零れ出た。
「......さっきの夢、やっぱりあの時の、だよね」
それは鳥の片翼を模した木の彫り物。昔から持っている、お守りみたいなもの。けどそれをいつ、誰に貰ったかは全く思い出せない。それなのに何故か、とても大事にしていて、肌身離さずに持ち歩いているもの。
もうほとんど思い出せない、今日の夢。唯一思い出せるのは、あの影が差しだした手に乗っていたのが、このお守りという事だけ。......あれは、一体誰なんだろうか。
そんな風に考え込む私の耳に、扉を叩く音が聞こえてきた。
「ユナ、起きてる?今日始業式なんだから早く行かないとでしょ?」
「っ!?」
その言葉に慌てて壁時計に目をやれば、もうかなり良い時間。ここままでは遅刻する、とまではいかなくても、少し急いだほうがいいだろう。
「......すぐ行く」
声の主に返答しながら、私は急いで支度を整えるのだった。
外に一歩踏み出すだけで、冷たい風が肌を刺す。幸い天気はそこまで悪くなく、曇り空ではあっても雪は降っていない。風もそこまで強くないので、比較的穏やかな日になりそう。それでも急に吹雪くこともあるだろうから、注意は必要だけど。
「これなら間に合うかな~。それにしても、ユナが寝坊なんて珍しいじゃない?何、夜更かしでもした?」
軽く安堵の溜息をつきながら、私の横を車椅子で進む少女——私の親友にして級友、ティオ・フィーツがそう聞いてくる。
「......別に、寝坊はしてない」
「何言ってんの、ユナが私より遅く起きる事なんてほとんど無かったでしょ」
「............」
ティオの言葉に、口を閉ざす。夜遅くまで荷解きをしていて、その途中で寝落ちしたとは言いにくくて誤魔化したのだけど、流石に去年の寮では同室だった仲、そうは問屋が卸さなかった。しかたなく理由を説明すると、少し呆れを含んだ視線を返された。
「部屋を早く片付けたいのは分かるけどさぁ......」
「......だって」
そんな話をしながら、雪と氷で覆われた道を進んでいく。吹雪いているならともかく、私もティオもこんな道には慣れたもの。よそ見をしていたって、歩みが止まることは無い。
「......でも、これからは気を付けないとね。ただでさえ私達の立場は悪いし、これ以上睨まれたら嫌だもんね」
「......そう、ね」
だけど、その足がふと遅くなる。それは、現実を突きつけられたから。学院へと近づくたびに増えていく、——悪意を孕んだ視線によって。
——魔術。体内に宿るマナを糧とし、様々な現象を行使する術。それを操り、災いを祓う者達を、『魔導師』と人は呼ぶ。
私達の通う魔導学院は、そんな魔術士を育成するための教育機関。ここで三年間学び、最終試験に合格できれば、晴れて魔導師の資格を得ることができる、という訳。
その中で私達が通うのがグラシア=フリオ学院。最北の大陸唯一の国である凍土国家グラシア、その北東に位置する大都市フリオ。その都市にあるこの学院には千人以上の生徒が在籍している。今私達の周囲にいるのも、同じようにフリオ学院に通う生徒達だ。
その学院生徒だけど、その身に纏う学生服の色は人によって異なる。それは総合的な成績によって分けられる、クラスの違いを表すもの。魔導学院は三年制で、初年度の成績でその後二年のクラスが決まる。
初年度は白い制服を、二年度以降は成績ごとに赤、緑、青を基調とした制服を義務付けられる。
——そして、人数は少ないが私やティオの様に黒の学生服を纏う者。それは、落第者の証。この学院にて、最底辺を意味するものだ。
このクラスは、ただ成績が悪いから、という理由落とされるわけでは無い。むしろ一部分では学年上位に入る者も、総合成績で優秀な者だって所属していることもあるくらい。
それでも落第とされるのは、それぞれが何かしらの『欠点』を抱えていると、学院に判断されたから。それ故に、魔導師には相応しくないとされ、一纏めにされる。まるで学院の汚点とでも言いたいのか、漆黒の制服を着せられて。
ここに堕とされた生徒は、ほぼ全員がその後二年の内に学院を去っていく。何故なら、黒の制服を着た生徒は学院で差別の対象とされているから。他の生徒は当然の事、多くの教師達からも劣等扱いされる。学院の施設を使うのを禁じられ、授業すらまともにしてもらえない。そんな環境に耐えられず、皆辞めていってしまう。こんな学院、いても意味は無いと。
いや、むしろそれこそが学院の狙いなのかもしれない。総合的な成績では悪くない為退学には出来ない、だから差別して自主退学に追い込む、という手口で。でなければ、教師がまともに授業すらしてくれないなんて状況になるはずが無いし。
そして、そんなクラスに私達はこれから二年在籍することになるわけ。......考えるだけで、憂鬱な気分になる。
「......ごめんね、ユナ」
「......何言ってんの。ティオが謝る必要なんてない」
これからの学院生活に眩暈を覚えていると、突然ティオが謝罪を口にしてきた。その表情の暗さから、言いたいことがおおよそ分かってしまった私はそれを否定する。
「だって、私のせいでユナは」
「......関係ない。これは私の行動の結果」
そう、ティオが謝る事なんて何もない。私が落第クラスに落ちたこと、それに彼女の責任なんて一分もない。原因と言うならば、そう。
「おいおい、何やってんだ無能共。よく学院にこれたもんだな、えぇ?」
——コイツこそが元凶だろう。
横からやってきたのは、赤の制服を纏う水色の髪の男子生徒。その周囲には同じく赤い制服を纏った者達が何人も侍っている。違う点を上げれば、声を掛けてきた者の制服には金の意匠が施されているくらいだろうか。
こいつの名はノブロ・フルトゥス。この都市フリオの領主を務める、フルトゥス家の次男坊。
「聞いてんのか、答えろよ。む、の、う、が何しに学院に来てんのか、ってなぁ?」
下卑た笑いを浮かべながら奴がそう言うと、取り巻き達がそれに同意するように嗤う。いや、周りにいる生徒達も同様の顔をし、蔑んだ視線を向けてくる。
「......いくよ、ティオ」
相手をするだけめんどう。そんなの分かり切ったことなので、私は奴らを無視してティオに声を掛け、車椅子の押し手を掴んで学院に向かう。すぐそこに正門は見えているし、とっとと中に入ってしまおう。
だがその態度が気に喰わなかったのか、ノブロは先に行こうとする私の肩に手を掛けてきた。
「おい、無視してんじゃねぇよ」
......流石に、逃げられないか。その場から去ることを諦め、私は奴の方へと顔を向ける。その手を払いながら、私は今気づいたかのように惚けた顔をする。
「......気付かなかった。包帯はもういらないんだ?」
「っ......。てめぇ......」
私の挑発に、ノブロの顔が苛立たし気に歪んだ。その顔にはつい先日まで巻いていた包帯は——ティオを障害者と馬鹿にした事によって、私に顔面をしこたま殴られた痕はもう消えていた。
奴の整った顔が醜く歪む程殴ってやったのに、その痕跡すらない。......こんなことなら、もっと殴ってやれば良かった。
忌々しいとばかりにこちらを睨み付けていたノブロだったけど、その口角がニィッと広がる。
「ハッ、よく言うな。たった一度の過ちで人生を棒に振った奴が。こんな障害持ちに、肩入れするからこうなるんだよ」
「っ!?」
「......お前っ!」
その言葉に、頭に血が昇るのを抑えられなかった。感情のままにノブロの襟をガッと掴むが、奴は額に汗を浮かべつつも憎らしい顔は変わらない。
「いいのか?ここで騒ぎを起こせばすぐに教師が来る。さて、そうなったらどっちが悪いだろうなぁ?なあ、どう思うよ?」
「っ......」
そんな事、言われなくとも分かっている。向こうは領主の息子、対してこちらは落第クラス。どうなるかなんて、決まっている。
それでも、許せなかった。私の大事な友人を障害者と蔑み、彼女を庇った行動を無駄と称するこいつの性根に。
もう一度、その顔面を歪めてやろうか。そう考え拳に力を込めたところで、その手がそっと横から抑えられた。それが誰かなんて、見なくても分かっている。車椅子に座ったティオが、悔しそうに唇を噛みしめながら、それでも駄目だというように私の手を握っていた。
......分かっている。この場で乱闘騒ぎを起こせば、どうなるかなんて。私達の立場が良くなることなんてない。最悪、これを理由に退学に追い込まれたっておかしくない。私だけならまだいい、けどティオまでそれに巻き込むことは出来ない。
ノブロの襟から手を放す。解放された奴は汗をぬぐいながら、それでも嬉しそうな歪んだ笑みを浮かべた。
「は、はっ!分かってんじゃねえか!そうさ、お前らは所詮〈鴉〉。ゴミ溜めを漁るしかない、底辺でしか無いのさ!」
その一言で、周囲の者達が一斉に嘲笑を上げた。
——鴉。それは私達の別称。優秀な成績を修めている特進クラス、その中でも最上位の者達が赤に金の意匠を持つ制服を着る事から、鳳と称えらるように。黒い制服を着て、落第と私達は鴉と揶揄される。
この学院は、悪意に満ちている。欠点があれば、何をされてもいいのか。蔑まれる友人を庇う事が、そんなに悪いのか。
私達は、贄なんだろう。教育機関の構造上、どうやったって出る個々の差。そこから生まれる差別意識を数人に押し付け、他の者達には自分達は劣等では無いのだと思わせる。大を育てるための、少数の生贄。
嘲笑が響き渡る。お前達は下だと。底辺から、逃れられはしないというように。
「————邪魔だ」
——その悪意を、鋭い声が引き裂いた。
いつの間にか、私の横に一人の男子が立っていた。
齢は多分私達と同じ14歳くらい。来ている外套が学園指定の物ではないから、生徒では無いのだろう。ぼさっとした黒髪はどこか獣みたいな印象を抱く。
けど、何よりもその気配。声を発するまで誰も気付いていなかったのに、一言発した途端にその身から放つ気配は、とても同年代とは思えない貫禄を宿している。事実、先程まであれだけ大声で嗤っていたというのに今は誰も声を出せずにいた。
「ほら、今のうちだ」
「えっ、ちょっと!」
「いいからいいから」
その男子は周りを気にした素振りも見せず、ティオの車椅子を押し始めた。突然の行動にティオも戸惑うが、彼が止まる様子は無い。
「来ないのか?急いだほうがいいぞ?」
それについていけずにいると、彼は振り向きながら声を掛けてきた。そう言いながら私を見つめる琥珀色の瞳に、ハッと体の硬直が解ける。確かに、今の内にここを離れないと、また面倒な事になるに違いない。そんなことはごめん被る。
急いでその場を離れ、二人に追いつく。そのまま正門を越えた直後、鐘の音が響き渡る。そういえば登校時間ギリギリだったっけ、とその音を聞いて思い出した瞬間、大きな音を立てて正門が自動で閉まった。
......外に、大勢の生徒を残したまま。
「よし、間に合った」
男子の言葉に、私とティオは彼の急いだほうがいい、と言った意味を遅れて理解したのだった。
『『『あ、あああぁぁぁぁぁ!?!?』』』
閉ざされた正門の外から聞こえる遅刻確定の叫びを背にしながら、私達は校内に入っていった。
「......ありがとうございました」
そうお礼をしながら、私はティオの車椅子の押し手を受け取る。
「いや、大したことはしてないさ」
そう言いながら男子はこちらに背を向けた。何故か、小首を傾げながら。どうやら彼は学院の客らしく、職員室に用があるみたい。私達とは向かう方向が変わるので、ここでお別れだ。
「それじゃ、俺はここで。ユナも、また後でな」
「......え」
そう言いながら、彼は階段を上がっていった。その姿が消えて数秒後、私は最後の言葉のおかしさに気が付いた。......彼が、私の名前を呼んでいたことに。
ティオも驚きの表情を浮かべながら、こっちを凝視してくる。
「なにユナ、知り合いだったの?」
「......いや、知らない、と思うんだけど」
けど、心当たりが無い。でも、確かに私の名前を呼んでいたし、あの口調は親しい相手へのものだった。小首を傾げていたのも、私が敬語を使っただろうか。だとしたら、割と仲がいい関係となるのけど。
「覚えて無いの?向こうは親しげだったのに?」
「......とりあえず、教室に行こう」
このまま考えていてもらちが明かないし、折角校内に入れたのにこのまま遅刻扱いになるのは避けたい。そう考え、ティオの車椅子を押しながら教室へと向かう。
——どこか記憶を掠める、あの琥珀色の輝きを思い返しながら。