#4
「おかえり。早かったな」
「ありがとう」
休憩所の役目を成す訓練場併設のカフェで、エリスはダリウスと合流した。差し出されたコーヒーを受け取って隣の席に腰を落ち着ける。
雨が止んで十分ほどが経ったころ、そろそろ止んだだろうという勘を信じ二人は管理室を出た。今度は外から入れるようにと設置された扉からで、そちらの鍵はダリウスも持っているとエリスは無言に耐えられず語った。
「レイリックは?」
「訓練にいたヤツらに謝罪しにいった」
「律儀なやつだな」
「アイツらが今回のことをどう思ったのかはわかんねえけどな」
「それなら体調不良と伝えたが」
「持つべき友はダリウスだよ」
茶化すように適当に笑って、エリスはコーヒーを煽る。
「いっその事責任を取ったらいいんじゃないか」
そんな発言が持つべき友から出たのを聞いて思わず固まった。
テーブルに戻そうと動かしたカップを持った手がテーブルにつかないまま半端に浮く。頭の中で一度その言葉を繰り返し、エリスはゆっくりとカップの底をテーブルにつけた。
「どうしてそうなる」
「いや、あの様子じゃああの子にはお前以外にあの姿を見せられる相手を作る気も作れもしないだろう。お前は他の人間に託せるんだろうが」
「できるよ。あれは俺じゃなくても大丈夫だ、ぁ!?」
グイ、と引っ張られた左肩。
半ば強制的に向きを変えられ、エリスの声が裏返りそうになる。
「十二年だぞ。レイリックの人生の約半分なんだぞ」
正面に収めたダリウスの目は命を賭けるときと同じくらい真剣で、鋭くエリスを射抜いた。
「おまえはそれだけの期間、レイリックの"唯一弱さを見せられる相手"としてレイリックを支えてたんだぞ」
「……責任どうこうじゃないんだよダリウス」
目をそらすことはしない。
真っ直ぐにその視線を受け止めたまま、エリスは静かにそう言った。
どういうことだとダリウスはすぐに言葉を返してきた。
エリスはゆっくりとテーブルに向き直り、コーヒーを一口。テーブルにおいたカップから手を離すと、正面で両手を合わせ組んだ。
「好きだから助けてるんじゃないし、好きだから頼られてるんじゃない。俺がたまたまその場を知って、俺しかそれを知らないからこうなってる。それに、俺の目が見えなくなれば雨なんてわからなくなる。使えない男がただ一人残るだけなんだよ」
「……だとしても、このままじゃレイリックは」
「それはあいつが決めることだ。おっさんがお節介働くことでもねえよ」
これで終わり。と言うようにエリスはコーヒーをぐいと飲み干した。
「……それもそうか」
ダリウスもコーヒーを口にし、空になったカップをみてもう一杯をもらってこようと立ち上がる。
そうやって高くなった目線で見回した休憩所。自分らのもとへと一直線に歩いてくる女性を発見した。
「レイリック! お前ブラックは飲めるか?」
「え!? あ、はい!」
「よし、座って待ってろ」
カウンターへと歩いて行ったダリウスに、イセリアはしばらく立ち尽くしたままその姿を追っていた。
しばらく呆然としたまま動く様子のないイセリアに、エリスは静かに声をかける。
「座れよ。なんだかんだで立ちっぱなしだったろ」
「……そうですね」
エリスの正面に、向き合うように着席したイセリア。
四人席の三つの椅子が埋まり、そのメンバーに驚いているのかチラチラと様子を伺う団員がいることにエリスは気づいた。
「いや、レイリックは関係ないか……」
そう言ってコーヒーを一口。
なにがですか、と問うイセリアになんでもないとはぐらかしたエリスは、周りを探るのをやめた。
「アイツらになんか聞かれたか?」
再びコーヒーを口にして一つため息をつく。そしてそんな言葉を吐き出した。
体調不良だと説明を受け、エリスがイセリアをどこかへ連れて行ったことを団員達は思い出すだろう。一人くらいは言及する者がいるんじゃないかと考えた結果のこの一言だった。
しかし、イセリアの返答は予想外のものだった。
「いえ、何も聞かれませんでした。すぐ手伝いに来てくれて助かった、だとか体調不良者への対応が手慣れててさすがノーヴァック副団長、だとかそういった話はされましたが」
「ああ、そう」
「はい」
戸惑いを紛らわせようとしてコーヒーを飲もうとし、カップが空だったことに気づいたエリス。
おかわりを求めたいが、ダリウスは果たして自分のコーヒーがこの時間でなくなると予想し三人分のコーヒーを買ってくるだろうか。と勝手に脳内で買ってくる方に賭ける。
数分の間、二人の間に会話はなく周りの音だけを聞く時間が流れた。会話に興じる者たちの声のお零れを耳が勝手に拾っていく。
その中にダリウスの声を見つけて、外を眺めていたエリスは正面へと視線を戻した。
ダリウスはお盆に三つのカップを乗せている。
「そろそろ飲みきるだろうと思ってな」
「やっぱ持つべき友はダリウスだよ」
カップを受け取りながら、エリスはまた茶化すように笑う。
自身の前にも差し出されたカップに、エリスと会話をして幾分か落ち着きを取り戻したイセリアはダリウスへと礼を伝える。
「いつもコイツのことを教えてくれる礼だ! 気にするな!」
「俺に許可なく俺のプライベートを勝手に暴露したことについては気にしといてくれ」
「お前のその二杯はそれへの詫びだからレイリックが気にすることはなにもなくなったな」
「俺のプライベートはコーヒー二杯分かよ……。てかレイリック、お前向こうにいても良かったんだが」
「オーランス団長にお礼を言いたかったんです」
カップをテーブルにおいて、イセリアは正面をダリウスの方へと向けた。ダリウスも同じくイセリアを正面に見る。
「先程はご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました」
「構わないさ、気にするな。こんな形だがレイリックの事情をほんの少しだけ知った。エリスの単独行動の理由もわかった。あれだけでこの二つを把握できたのは、団長として大きなことだと思っているんだ」
ダリウスはいつものようにニカッと太陽のような明るい笑顔を浮かべている。
「席を外して、この時期はエリスをレイリックの隣に置いたままにするかなどとも考えてみたがそれはきっと余計なんだろう?」
エリスが真っ先にそうだな、と肯定を示した。イセリアも次いで、少し言い難そうに肯定を示す。
それを聞いたダリウスは頷いて言った。
「だから、何かを変えることはしない」
カップに口をつけ、傾ける。
少し乾き始めていた口にコーヒーが染み、ダリウスはほうとため息をついた。
「お前も休憩中だろ。飲めよ」
とぶっきらぼうな物言いで促され、イセリアもようやくコーヒーを口にした。
当のエリスは二杯目も空になる寸前で、自身の関係しないつまらない話の間にすることもなく、ただただ飲んでは外を眺めていた。
「でもなエリス」
「なんだよ」
「要請もあれば、お前の視力のこともある。このままじゃだめだとも、俺は思うぞ」
呼ばれた宛先はエリスのみ。
しかしその言葉はレイリック宛でもあった。
椅子の背もたれに大きく身体を寄りかからせ、視界に二人を収めたダリウスは言葉を続ける。
「どうすればいいかってのは俺もわからんが」
「何かあるのかと思ったじゃねえかよ」
「それを思案するのは俺ではない! じゃあな!」
非常に頼りにならないセリフを残し残ったコーヒーをぐいと飲み干したダリウスは、颯爽とカフェを立ち去った。
"現状維持"を否定するだけされ解決策や対策を一ミリも出されないまま問題のみを提示され残された二人。二人してコーヒーを一口飲む。
「言うだけいって責任取らないとか、上司の存在がブラックだろ」
「……目、悪いんですか」
真っ直ぐにぶつけられた視線はエリスの瞳を射抜いている。
ダリウスの話した言葉の一部を、しっかりと聞いていたのだろう。
エリスは、自身の持つ異能のようなもののせいで視力が落ちていてこのままだとどうなるのか、ということをダリウス含めた騎士団や、ギルドで知り合ったルジュエというパーティにも、一切話していなかった。
「悪い。このまま続ければいずれ見えなくなるそうだ」
けれど、隠しておく理由は何一つ存在しない。
イセリアの言葉を肯定し、やってくる結末までも躊躇なくいいきった。
そしてエリスは話の矛先を捻じ曲げる。
「……で、現状維持は良くないと言い逃げされたな」
続ける理由のない会話はすぐに内容を変える。十二年変わらぬエリスのコミュニケーションに狼狽えることなく、イセリアはそのままその話題に流される。
「どう変わればいいんでしょうね」
「お前がどう変わりたいかだろ」
「……私がですか」
「そ。だって」
大したことを言うつもりもないけど、とエリスは残り少ないコーヒーをすべて口に放り込む。二杯目のコーヒーの終わりを喉に通し、エリスは再びイセリアの目を捉えた。
「命を賭けて戦う人間が目に見えてわかるほどに衰弱するような弱点だぞ。現状維持が一番不味い」
「それはそうですけど」
「なにそんな、躊躇してんの?」
首を横に振るイセリア。
じゃあなに、と少しぶっきらぼうな言葉を投げるエリスだが、十二年来の付き合いがある彼女には何を言っても無下にしないことはわかられている。
少しの間を、コーヒーを飲んで過ごした。エリスはただ真っ直ぐにイセリアを見つめている。
「……エリスさんは、私にどう変わってほしいですか」
ぽとり。と落とされた言葉。
視線がぶつかり、両者見つめ合ったまま少しの時間が経過する。
「お前がなりたいように。このまま現状維持するならそれでいいし、何か一つでも、少しでもかえたいと思うなら俺は協力する」
イセリアの選ぶ道全てを、エリスは信じていた。
命を賭けに誰かを救える人間になる、とイセリアが初めて武器を持ったときも。騎士団に入る、と雨の日も戦うことを決めたときも。
その道を歩く彼女を、救うとエリスは決めていた。
だから。
「お前が今、俺にこう変われって言葉を求めるのなら。"お前が幸せになれるのなら、どう変わったって構わない"」
エリスは立ち上がりカップを手に取る。
そのまままっすぐカウンターを目指して、カウンターにいた配給担当の団員にカップを手渡した。
「待ってください」
後ろからそんな声が聞こえてきたのに振り向けば、イセリアも飲み終えたカップを片手に後を追ってきていた。
美味しかったです、と一言感想を添えつつカップを返したイセリアが隣に並ぶのを待って、エリスは歩き出す。
「個人訓練、どうすんの? 流石に今日はもう降らないと思うけど」
「そのことなんですが、先程ザルニック・テンレスがノーヴァック副団長に指導を受けたいと」
「行けと」
「話をしてみる、と答えたところ私も俺もと、八名の団員が希望しています。あと私も良ければ」
「なんでお前まで」
休憩所を出れば、青空が広がっている。白い雲が流れて、生ぬるいような風が吹いた。
訓練を再開した団員たちの、数字を数える声や唸る声や檄を飛ばす声、断末魔が響いている。そんな騒がしくなった訓練場ないでも、イセリアの声は真っ直ぐに届いた。
「できるなら、にわか雨は克服したいです。完璧にじゃなくとも動けるくらいには」
「そうだな」
「でも、あんな姿をエリスさん以外に見せるのは申し訳ないし迷惑になってしまうので嫌です」
「そうか」
「私は」
立ち止まるイセリア。
エリスはその姿を追って、足を止め振り向いた。
真っ直ぐな瞳がエリスを貫く。
「──救える人間に、なりたい」
真剣な声がエリスに届き、重みを持った音と言葉がエリスの体の中に残った。
「……そうか」
「はい。なので、よろしくお願いします」
「わかった。行こう」
降水確率0%の空が、雲を消し爽やかな青に染められていた。