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#3





 ぽつり、ぽつりと地面に点を描くだけだった雨粒は、やがて地面を飛び跳ねるほどの勢いとなり、乾いた土を濡らしていった。

 予報にない突然の雨に、屋外にいた団員たちは嘆きを漏らし屋内へと入っていく。

 そんな中、エリスとダリウスは真逆に、屋外に向かっていた。


「にわか雨で思い出すって、これまではどうしてたんだよ」

「……それは」

「そんな分かりやすく言い淀むなよ。なんだよ邪推するぞ」


 それでも黙り込むエリス。ダリウスは言及することもなく前を走るエリスを追った。

 雨の音が二人の間に流れる。


「行動パターン、全部知ってたんだよ。単独行動はそのためで、雨が降ったら直ぐに駆けつけられるようにしてた」


 無言の空間に耐えられなくなったのか、それとも話して置こうと思ったのか。

 どちらにせよ、エリスは答えを口にした。


「行動パターンって、どこで何をしているのか、か」

「何を、までは知らない。把握してるのはどこにいるのかだけだ」

「そこまでしておいて、何故騎士団の援助を選ばなかった」

「雨すべてが駄目だったらそうしたさ。限定的な雨で長く続くわけでもない。なるべくこの時期は屋内に行動範囲を限定して、降っても席を外せばいい。わざわざ頼る必要がなかったんだよ」


 戦闘訓練用の訓練場につくと、安置にはまだ誰一人戻ってきていなかった。

 出発し、発見報告を受け司令塔が安置をでる。イセリアが安置を出てすぐにエリスは訓練場へ戻るため踵を返し、ダリウスとの合流を経て再びここへ戻るまでおよそ三十分程だろうか。


「そろそろ戻ってくる頃合いだろうな」

「残りは死体処理くらいだろ。手伝いに行こう」

「濡れて腐敗が早まると、とんでもないことになるからな」


 二人は再び、雨に濡れる。


 安置をでてすぐの簡易的な広場に訓練中の団員たちはいた。

 イセリアは、とあたりを見回せば近くの木に背を預け座り込んでいる姿を見つけた。


「雨とは予想外だったな。手伝おう」


 そう言って有無を言わさず死体処理に取り掛かるダリウス。

 上司の手を借りてでも処理が早く終わるのなら拒む理由がない。団員たちは助かります、と口々に告げ己の作業を進めていく。


「エリスはレイリックを頼む。救護室にでもどこにでも、まず屋内へ」

「ああ」


 広場の端、開けた土地の終わりを示すように囲う木の一つにイセリアは寄りかかっていた。生い茂る葉が傘の役目を果たし、雨粒は彼女を濡らしていない。


「レイリック」


 名前を呼べば、ビクリと肩が震えた。

 足音を立ててゆっくりと近づいていけば、投げ出していた足を身体に寄せ、縮こまる。距離が近くなるほどに、イセリアは目に見えて怯え震えているのがわかるほどに萎縮する。

 襟を強く握りしめ怯えているその姿は、せめてもと雨風凌げる場所に捨てられた愛玩動物のようだった。


「レイリック。俺だ、わかるか?」


 萎縮しきった彼女の目の前に膝をついて、彼女の視界に自身を入れるようにしゃがんだ。

 首を締めてしまいそうな程強く襟を握った手に触れ、一つ一つ指を緩めて行く。


「俺が見えるか? 俺の手、掴めるか?」


 そして、襟の代わりに自分の手を触れさせた。


「いてぇ」


 想像以上に強く握られ、エリスは思わずそう呟いた。

 イセリアの目線が上がる。その瞳にエリスが映された。


「エリス、さん」

「ああ。もう大丈夫だ」


 握られた手の力が緩まったのを見て、エリスは一度その手を離れダリウスたちの方に視線を向けた。

 死骸が雨に濡れると腐敗が早まるため、雨の中の死骸の処理は迅速さが求められる。三十一人が四手に別れ作業を進めているものの、解体作業にはもうしばらく掛かりそうだった。


「……立てるか?」


 小さく首を振るイセリア。彼女の手はまた襟を強く掴んでいて、エリスは再びその手に触れる。

 今度はその手を掴んで、立ち上がった。


「怖くないところへ行こう。幸い、ここは俺の管轄内だ」


 頷いたイセリアは、掴んだ手に力を入れる。エリスに引っ張られるように立ち上がると、エリスは森の奥へと足を進めた。





 戦闘訓練用に隔離された森は、訓練に訪れる団員達が使用する安置を含めた入り口とは別に、訓練に使用する魔物を搬入する入り口が存在する。

 その扉の開け閉めは管理室で行われ、その管理室の鍵は訓練場を管理するエリスが持っていた。


 森の端を示す壁に沿って歩くこと二分ほど。

 壁と色も同じ、目立った取っ手もない扉の前で二人は立ち止まる。

 扉の横の壁を、何かを探すようになぞったエリスは、指の腹でその目的のものをみつけた。

 壁の内側は小さな凹凸が存在し、岩肌のようになっている。その壁の一部に、エリスはポケットから出したカードを当てて右に滑らせた。

 カードは壁に呑まれるように姿を消し、隣の扉が重力に逆らうように登っていく。エリスは扉があききらないままにカードを引き抜き、イセリアの手を引いて扉をくぐった。


 抜けた先は自然を感じさせない無機質な空間で、進めばすぐに突き当り、右手側に取っ手のついた扉が聳えていた。

 エリスは正面の壁にあるボタンを押しはじめの扉を閉めると今度は正面の扉の鍵を開けるためボタンの隣の黒い四角に指を当てる。

 カチリ、と小さく音がなり、扉の取っ手を降ろせばそれはどこに引っかかることもなく扉は素直に開いた。


「大丈夫だ。おまえは死なないから」


 数個のモニターと、スイッチのついた机だけが存在する小さな部屋。窓一つなく人目が一切存在しない空間で、エリスはイセリアにそんな言葉をかける。

 繋いだ手とは反対の手が、また襟を握りしめ首を締めている。にわか雨の降るとき、彼女の手は必ずそこにあった。


「父さんと母さんは、まだ、あのとき」


 怯えたように震えるだけで、ただついてくるだけだったイセリアが、細い声で言葉を紡ぐ。

 このあとに続く言葉を、エリスは知っていた。


「生きてた。生きてたのに、わたしは、ただ、見て」


 助けなかった。

 両親を"にわか雨"の降った日に亡くした。

 両親は"にわか雨"の降っているとき、まだ生きていた。

 両親は、"にわか雨"が止んだそのときに、死んだ。


 イセリア・レイリックの中の両親との出来事は、そこで終わっている。


 きっと、助けられたのに。


 そんな感情がこの言葉には篭っている。それを、エリスは知っている。


「どうして、父さんと母さんだけ」


 晴れた日にイセリアはエリスに言った。

 どれほど時間を捨て、心を捨て後悔しても、過ぎたことにそれは無駄だと。


 エリスは、繋いだ手を離し、襟を掴む手も離すと、ゆっくりとイセリアの身体を抱きしめた。

 あいたその手が首を締めてしまわないように。その空間をなくすように。


 そしてその行動が、何にもならないことを知っている。


「俺も、おまえの両親を助けられなかった。もっと早く行けば間に合ったのに」


 エリスは、しても無駄な後悔を口にする。

 救えなかった二人の、唯一知っている死した後の姿を思い出した。


 壁に囲まれた街を出て何日も歩く。それでも舗装された道は続き、その村にも繋がっていた。

 小さな村が、小さなきっかけで大きな絶望を得たその日。エリスは二人の命を救えなかった。


「おまえは生きてるし、俺も生きてる。おまえは多分これからも雨が怖いし、にわか雨が降れば弱くなる。それでも」


 イセリアの両腕が、エリスの腰にまわされた。

 雨が降るたび繰り返した行動。そして、繰り返した言葉。


「生きなきゃいけない。例えそれが、両親を殺した集団に見逃された命だとしても」


 頬に当たる髪が擽ったい。

 そう思えるくらい、エリスは冷静さを取り戻していた。

 イセリアは変わらず、肩に顔を伏せたまま動かない。


「大丈夫だ。俺はいつでも側にいるから。だからいつでも逃げてきていい」


 にわか雨が降り、イセリアを抱きしめるとき、エリスは必ず出会った頃の彼女を思い出す。

 小さな農村のなかでも街の貴族に胸を張れるほどのツヤを持った綺麗な髪をした、長髪の少女。

 きっと、両親が存在とその全てに愛情を持ち、育て、愛してきたのだろうとエリスは感じた。その両親が死んでいて、すべてが雨に濡らされていて、その雨がやんだからと襲撃者が逃げ去って行った、その時に。

 今は邪魔だからと短くなってしまったが、両親にされた手入れを今でも続けているらしいその髪は出会った頃のままのような綺麗さだった。

 間近に見て、ゆっくりと手で触れる。

 小さく肩を揺らしたイセリアに、エリスは小さく笑った。


「そう毎回驚くなよ。心の底から心配して、慰めたいってのに」


 空いた片手をぶらりと垂らし、モニターに視線を移す。広場の人影は消えていて全員安置へ引き上げたのが見てわかる。

 地面はまだ雨粒に打たれていて、小さくできた水たまりが雨の強さを教えている。


「このまま休憩にはいろう。多分、ダリウスもそう指示を出してるはずだから」


 イセリアは反応を返さない。

 エリスは一度ゆっくりと目を閉じ、開く。その手は、彼女の髪に触れ続けていた。


 ほんの三十分振り続けるだけの雨に、イセリアは心を潰される。

 雨が降ったと、雨なら人は家に留まると。そう学習した魔物の気まぐれで、彼女の故郷は襲われたし、彼女の両親だけがずっと囲まれ続けた。

 雨が止む少し前にエリスは村に到着して、二人を囲う魔物を遠ざけたがその時にはもう遅かった。すぐ後に雨が止み、魔物たちは村を去っていく。

 二人に駆け寄り死んだことを認識したイセリアの姿に、エリスは魔物を追っている場合ではないと彼女のそばに駆け寄っていた。そこで彼は、二人の死を改めて確認した。

 その確認は彼女にとっては追い打ちだったのかもしれない。今になって、そう思う。

 自分が早ければと、後悔する。


 救えなかった人たちへの罪滅ぼしのようなものだと、エリスは言う。

 これで助けられているなんて思っても感じてもいないのに、とエリスは自身を嘲笑う。


「おまえにとって、俺は両親を救わなかった悪いやつなんだろうな」


 そう言葉を発した。

 その時、イセリアは確かに首を横に振った。


「助けようとしなかった私が、悪いやつです」

「悪人同士の終わらない慰め合いになっちまうぞ」

「いつもですよ、そんなの」


 背中に回された手が服を強く掴み、すぐに離れた。

 それと同時にイセリアが一歩後ろへと下がる。


「処理指示までは出せたんですけど、ごめんなさい迷惑をかけて」

「迷惑なんかかかってない。お前は俺に頼ることしかできなくて、俺はお前の手助けができる。だからそうしてる」


 動けるようになったエリスは、机の前に立ってモニターの電源を全て落とした。外の様子が一切わからなくなり、雨が止んでもそれがわからない。

 両親が死んだと知るタイミングを再び視界に収めるのも酷だろうと、毎回エリスが取っている処置だった。


「門を開けて、閉じるだけの場所だから何もないけど」


 机に背を向けて、イセリアを正面に見て。


「何もない方がいいだろ、今は」


 両腕を広げた。

 ゆっくりと歩み寄って来るイセリアに、今度は慰めも怯えを取る意味もなく両腕を回す。腰に回された手に安堵して、間近にある彼女の髪に頬を擦り寄せる。

 好きあっているわけでもない男女の、互いに落ち着いた、理性的な行動だった。













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