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あと六十九本...「長い髪の毛」(3)

 これはTさんが実際に体験した話だ。


 ある夜のことだった。

 Tさんは寝ている自分の顔に、何かが触れるのに気づいて目が覚めた。

 痛くもないし重たくもないがチクチクとくすぐったくて、無意識に手で払いのけながら目を開けた。

 薄暗いオレンジの常夜灯だけの明かりの中に、天井から何か黒いものが垂れ下がっているのが見えた。

 寝ぼけていたTさんはすぐにそれが何か気づけずにいたが、眠気が醒めるとそれが長い髪の毛であると気づいた。

 気づいた途端、Tさんは恐怖に襲われて悲鳴を上げるとベッドから飛び降りた。

 部屋の引き戸を開けて続きになっているダイニングキッチンに駆け込み、電気をつけて部屋を振り返る。

 そっと中の様子を窺うが、先ほど見た長い髪の毛はどこにもなかった。

 寝ぼけて何かを見間違えたのかと思うが、寝ている顔に何かが当たる感触が夢だったとも思えず、恐怖は拭えなかった。

 それでも寝なければ仕事に差し支えるからと、部屋の電気をつけたままでTさんは寝ることにした。

 その後、朝まで何事もなく過ごし、仕事に行く支度をしながら「やはりあれは夢だったのか」と思いかけた。


 しかし、その日の夜も顔に何かが触れる感触に目が覚め、天井から生えた長い髪の毛を目撃し、悲鳴を上げて飛び起き電気をつければ、何もないという現象を繰り返した。


 同じことが三晩続いた四日目、目の下に隈を作って眠そうに仕事をするTさんに、同僚が「顔色悪いけど、どうしたの?」と声をかけてきた。

 Tさんは話しても信じてもらえるか不安だったが、声をかけてきた同僚は女性ながら、わりとざっくばらんな性格の気さくな子で、笑い飛ばしてくれたら少しは気がまぎれるかなと思い話してみることにした。

 すると、笑い飛ばしてくれはしなかったが、あっけらかんとした口調でこう言った。


「何それ幽霊か何か? ある日突然? 思い当たる節ないんでしょ? じゃあ強気で言っちゃえば。『ここは私の部屋だ! どっか行け!』って。何かで読んだけど、そうやって幽霊を撃退した話があったよ」


 そう言われるとTさんは、怖がるだけだった自分の方がおかしいように思えてきた。

 確かに同僚の言う通り、毎夜、長い黒髪が現れるようになったきっかけも分からないし、思い当たる節もない。

 あの部屋に引っ越してきたばかりでもないし、築年数も新しく家賃もそれなりで事故物件とも思えない。

 最近、自分の周りで死にまつわる何かがあったということもないし、本当にきっかけとなるようなことは何一つ思い当たらなかった。


「もしかしたら幽霊も人違いしてるのかもね」


 そう言って同僚は励ますようにTさんの背中を軽く叩くと、自分のデスクへと戻って行った。

 Tさんはそう言われるとそんな気もしてきて、寝不足の苛立ちもあり幽霊と対峙する気持ちがわいてきたのだった。


 その夜、いつものように電気を消してベッドに横になったTさんは、目を閉じるとその時を待った。ただ、“それ”と真正面からは対峙したくなくて、体を横向きにして直視しないようにする。

 どれくらいか経って、うつらうつらしかけていた時、顔に何かが触れる感触がした。

 天井から垂れ下がる髪の毛が自分の顔に触れているのだ。Tさんは恐怖に震えつつも逃げないよう自制しつつ、ゆっくりと目を開けた。

 横目で見れば思った通りTさんの真上の天井から、黒い長い髪の毛が伸びて垂れ下がり、Tさんの顔に毛先が触れていた。

 Tさんは悲鳴も逃げたいのも我慢して、“それ”に言葉をかけようとするが恐怖でなかなか声が出ない。

 そうしていると髪の毛はどんどん伸びて、顔から首へと伸びていく。どうやら首に巻き付こうとしていると知り、Tさんは意を決して声を上げた。


「やめてください! ここは私の部屋です! 入ってこないで!」


 するとピタリと髪の動きが止まった。

 どうやらTさんの言葉は届いたようで、“それ”は言葉の意味を理解しようと考えているように見えた。

 Tさんは恐怖でぎゅっと目をつむり、心の中でもひたすら「やめて」「出て行って」と繰り返していた。

 どれくらい経ったか、震えるTさんの首元で髪が再び動き出した。

 一瞬、Tさんは「ダメだったか」と絶望したが、驚いたことに髪はスルリと首から離れて行った。

 それでも恐怖に目を開けることが出来なかったTさんだったが、髪は完全にTさんから離れ、再び触れてくる様子もない。

 怯えつつもそっと目を開けて様子を窺うと、天井から生えた髪は完全に姿を消していたのだった。


 不思議なことにそれ以降、天井から長い髪の毛が垂れ下がって顔に触れてくることもなく、Tさんはいつも通りの日常を取り戻していた。

 同僚の彼女にことの顛末を話すと、「やっぱり人違いだったんじゃん!」と今度こそ笑い飛ばしてくれて、それでTさんも笑い飛ばすことができた。



 長い髪の毛が現れなくなってから数日後、Tさんが住むアパートに引っ越し業者のトラックが止まっているのを見かけた。

 休日の買い物帰り、何気なくそれを見ながら引っ越して来たのか、引っ越して行くのかと考えていると、アパートから荷物を抱えて出てきた業者を見た。

 業者が出てきた先は、Tさんの部屋から4つ離れた角部屋で、三十代くらいの男性が一人で住んでいたはずだ。

 記憶をたどっていると、その角部屋から見覚えのある男性が現れた。その男性を見てTさんは思わず「あ」と声をもらしていた。

 幾つかのことを瞬時に思い出して、居ても立っても居られず急いで自分の部屋に戻り、机の引き出しから一枚の名刺を取り出した。

 それは、二週間ほど前に角部屋の男性に渡されたものだった。

 朝、偶然その男性とかち合ったとき、少しだけ世間話をしたのだが、その時になぜか名刺を渡されたのだ。

 「なぜ?」と思って裏面を見れば、そこには恐らく個人のだろうアドレスが書かれていた。

 なるほどと思いつつ、残しておくべきか捨てるべきかと判断に困り引き出しに入れて忘れていた。

 もうひとつ思い出したことは、その男性が女性と一緒に居るところを、アパートの前や建物内でたまに目撃していて、その度に相手が違っていたことだ。

 その女性とどういう関係なのかは分からないが、見た印象としてはあまり良くないことのようにTさんには思えた。付き合う相手をとっかえひっかえしているように見えたからだ。

 そして、引っ越しのときに見た男性の表情は暗く、どこかやつれているように見えた。

 さらに、前触れもなく突然現れて、また突然現れなくなった天井から生えた長い黒髪――。


「もしかたら本当に“あれ”は部屋を間違って私のところに来てしまったのかなって。だとしたら、本当にとんだとばっちりですよね!」


 そうTさんは憤慨して言った。

 もちろん、男性の名刺は即座に破り捨てたそうだ。



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