あと九十本...「首」
僕が所属するサークルの後輩であるNは、ここ最近不幸が続いているらしい。
数か月前に祖父が倒れ、その後しばらくして亡くなったと聞いた。
祖父が亡くなったあと、先月あたりに今度はNの父親が事故に遭い、骨折の重傷を負ったのだそうだ。
そのせいかは分からないが、近ごろNの姿を見ないなと僕は思っていた。
そして今日、サークルの飲み会で久しぶりに見たNは、どこかやつれているように見えた。
飲み会も開始から約二時間が過ぎて、辺りには酔っ払った奴しかいなくなったころ、誰かの携帯が鳴る音がした。
何気なく音のした方を見ると、ちょうどNが携帯を取って立ち上がるところだった。
お酒が入っているはずなのに「ちょっとすいません」と言って出ていくNの顔は、暗く青ざめていた。
戻ってきたNに僕は、お酒のせいで気が大きくなっていたのだろう、肩などを叩きながら「じいちゃんが死んだくらいで落ち込むなよ、な!」と、励ましのつもりで言った。
ところが、返ってきた言葉は「いえ、違うんですよ」だった。
意味がわからずに問い返すと、酔いも思わず醒めるような言葉がさらに返ってきた。
「親父の症状が悪化したらしいんです」
Nの父親は事故で骨折したと聞いていた僕は、まず「症状が悪化した」ということがよく分からなかった。問い返すとNも首をかしげながら答えた。
「いや、俺も詳しくは分からないんですけど、事故に遭ったとき軽くなんですが内臓も傷ついていたらしくて……。その手術の術後経過が良くないらしいんです。それで今日、さらに症状が悪化したと……」
僕は、じゃあこんなところで飲んでる場合じゃないんじゃないかとNに言ったが、Nは表情を硬くしてうつむいてしまった。
見ればグラスを持つ手が震えていて、まるで何かに怯えているようだった。
どうしたと聞く僕に少し沈黙したあと、Nはおもむろに自分の身に起こった出来事を語りだした。
Nが思うに、ことの発端は祖父が妙な日本画を買ってきたことから始まったという。NもNの両親もその絵を「趣味が悪い」と眉をひそめたが、祖父は頑なに「気に入ったから」と自室に飾っていた。
そのうち祖父が体調を悪くし、よく寝込むようになったそうだ。
祖父が体調不良を訴え始めたころ、Nの身辺にもおかしなことが起こり始めた。
寝込んでいる祖父以外、誰もいない家の中で誰かの気配を感じるようになった。
最初は何か音がするわけではないが、自室の戸の外側で誰かが通り過ぎたような、ただそれだけの気配を感じることが何度かあったのだという。
だがきっと勘違いだろうと、その時Nは気にしなかった。
ところが、それが今度は人の歩くときの衣擦れの音に変わり、廊下を踏む足音が加わり、何かが壁に軽く当たる音までし始めた。
勘違いや気のせいで済むようなものではなくなったのだ。
最初のころは戸を開けて誰もいないことを確かめていたNも、段々とはっきりとしていく音と不気味さに怖ろしくなって確認することもできなくなった。
しかし、夜中に尿意を覚えて階下のトイレへ行った帰り、Nは見てしまった。
気配を感じて振り返った先、廊下の突き当りを何者かがスッと通り過ぎて行ったのだ。
一瞬しか見えなかったが、その様相は家族の誰でも有り得なかった。
その者は昔の侍が着るような着物を身にまとい、腰には刀をさして、歩くたびにする衣擦れの音や廊下を踏む足音、刀の鞘が壁に当たる音が、いつもNが聞いていたそれと同じだった。
そして、その男には首がなかった。
Nは驚愕し怯え、慌てて部屋へ戻ると頭から布団をかぶって震え、気がつくと朝になっていた。
明るくなった部屋でNは昨夜見たことを思い返したが、きっと寝ぼけていたのだと思い込むことにした。
ところがその日、祖父がついに意識不明になり入院することになった。それを知ったNが思い出したことと言えば、昨夜見た首のない侍が歩いていった方向に、祖父の部屋があったなということだった。
祖父の容態はすぐにも悪化し、ついに危篤状態になった。このまま亡くなってしまうのか、と思われた矢先――
「実は、祖父は病院で死んだんじゃないんです。危篤状態で意識もなかったはずなのに、いつの間にか病院を抜け出して、電車の前に飛び出し轢かれて死んだんです」
病院側は祖父が身動きできたこと、誰にも見咎められず病院を出ていくことができたことを不審に思ったようだが、警察は「事件性なし」と事故として処理した。
最初は自殺かと思われたが、重病で危篤だった老人がわざわざ自殺するのに線路まで歩くのも考えられず、意識混濁状態の祖父が家に帰ろうとして誤って線路に入ってしまった――という結論になった。
数日後、祖父の葬式が執り行われたが、どういうわけか祖父の遺体を見ることはできなかった。
棺はずっと固く閉ざされたまま、出棺され火葬された。最後に家族で骨を拾う段になって、Nも骨を拾うため棺の傍に立ったが、ふとある事に気づいてゾッとした。
頭部の骨、つまり頭蓋骨がなかったのだ。
電車に轢かれたわけだし、もしかしたら粉々になって分からなくなっただけなのかとも思ったが、しかしそのことが頭から離れず、家に帰るとNは両親に聞いてみることにした。
そして、返ってきた答えにNはさらに驚愕した。
「気味が悪いことなんだけど、お祖父ちゃんが電車に轢かれたとき、体がバラバラになってしまったんだって。警察の人達が集めてくれたらしいんだけど、どうも頭だけが見当たらなかったそうなの……」
その後も男の気配は消えることはなく、ほぼ毎日衣擦れの音や足音が聞こえてくる日々が続く。
祖父が亡くなってから数か月後、今度は父親が事故に遭った。
Nが連絡をもらったとき、骨折だけで命に別状はないと聞いた。だが心配になったNはすぐに病院にかけつけた。
そして見てしまった。
父親が横たわるベッドの傍に、あの首のない侍が佇んでいるのを――。
「俺、あれから怖くて行けないんです……。きっとあの男が呪って祖父も殺したんですよ。それから父親の事故も……。もし父親が死んだら次は俺かと思うと――もう、俺怖くて怖くて――」
目の端に涙を浮かべて語るNに、僕はとっさに何も言えなかった。
だが、もしNの言う通り父親が亡くなったとき、何らかの原因で首が無くなるのではないか、ということまで推測できてしまうことに僕もゾッとしてしまった。
そして、ゾッとしたあとでNが語り始めた最初の言葉を思い出す。
「まさか、お祖父さんが買ってきた日本画って――」
僕の言葉を受けてNがゆっくりと頷く。
「たぶん、江戸時代くらいの、侍が切腹する場面でした。介錯役の男が侍の首を切っていて……」
Nはそこまで言って押し黙った。
僕はもう何も言えず、脳裏に首のない侍の姿が浮かぶようで、ただただ恐ろしかった。
数週間後、Nの姿は大学内から消えた。
人伝に聞けば大学を辞めて、父親の実家がある町に引っ越して行ったのだという。
あれから父親がどうなったのか、首なしの侍はまだ出てくるのか、あの絵はどうしたのか。
つい気になるその後のことを聞くことは出来なくなったのだが、僕はそのことに心のどこかでホッとしていた。




