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エッセイ  作者: 野原いっぱい
5/11

汚れちまった悲しみに(汚れちまった悲しみに)


挿絵(By みてみん)


「俺、東一穂にするわ」


「じゃあ、俺は赤井信にする」


場所はK君の家近くの喫茶店です。

決めた名前はK君と私のそれぞれのペンネームです。

この日、二人で制作し発行する詩集の打ち合わせを行っていました。

中学校時代からの友人でお互いの家を行き来し、趣味や遊びを共にする間柄です。


高三の頃で、K君がある詩集に魅了されていると言ったのが発端でした。

その時、彼の部屋で見せてもらったのが、中原中也の“山羊の歌”で、その中に収録されている“汚れちまった悲しみに”の詩が特に有名だと話してくれました。

詩についての当時の知識は、学校の教科書や流行歌の域を出ていなかったのですが、その一節には新鮮な印象を抱いたものでした。

K君の口からは他の詩人である萩原朔太郎、高橋新吉の名前や、ダダイズム、デカダンスという言葉も飛び出しました。

自分が従来から知っていた様式とは異なった描き方の詩についての説明でした。

もちろん専門的なことは分からないまでも、感覚的に言葉の変革をイメージしました。


そのころは70年安保闘争が活発化し、ベトナム戦争反対運動とも重なり、世の中が騒然としていた時期でした。特に学生運動が盛んになり、若者中心に権力への抵抗、既存組織の変革が集会やデモで声高に叫ばれるようになりました。

私が通っていたM高校でも集会が行われていましたし、円山音楽堂で開催された演説会にも興味本位で行ってみました。

その影響もあって、思想的には幼くても、何らかの方法で自分たちの意思をアピールしたいと思いました。


そのようなときに丁度目に止まったのが、既成秩序の破壊を目指した詩だったのです。

自分たちも書いてみようと思うと、その一方で詩集の制作意欲がでるのは自然の成り行きでした。

何軒か本屋を覗くと、幾種類かの同人誌が置かれてありました。

ページ数は少なく、愛好家向けのようですが、いずれも活字で体裁が整ったものです。

ただ中身はあまり目を通さなかったのですが、チャレンジ精神が勝り、喫茶店での打ち合わせにつながったわけです。


さて、お互いのペンネームは決めたものの、肝心の詩はこれから作ることになります。

今から思うと浅薄で、まことに恥ずかしい限りですが、とにかく前述の詩人の作品を念頭に制作することにしました。

ところが、詩についての基本知識もなく、素人同然のレベルでは、言葉も思い浮かばず悪戦苦闘の連続で、少しもはかどりません。

結局、どれくらい日数を要したか覚えていませんが、出来上がったのが、3作ほどがやっとの有様でした。

K君も似たようなもので心細い思いながらも、とにかく発行を目指すことにしました。


詩集名称は『詩意』とし、刊行の宣言文を年配者に書いてもらうことにしました。

けれども依頼した相手に断られ、K君が書くことになったのですが、結構勇ましい内容だったと記憶しています。

そして全体の構成が決まって、次はいわゆる製本にするために活版印刷屋に廻ったのですが、最低印刷部数、印刷費用を知り、意気消沈してしまいました。

二人とも高校生で親のスネをかじる身の上で、牛乳配達等のアルバイトをしたとしても、とても支払える金額ではなかったのです。

思いつきだけ先走り、甘い考えであったと言わざるを得ません。

けれどもせっかく作っただけに、断念するのは惜しいと思い手作りで対応することにしました。

この当時はまだコピー機は存在しておりません。

学校等が父兄向けの案内で利用していたガリ版印刷しか頭に浮かびませんでした。

その結果、K君が母校であるK中学校に行き、器具を借りて刷らせてもらうことになりました。

出来上がったのは三部程度で数枚の印字用紙をホッチキスで止めたものだったと記憶しています。

というのは、いずれも知り合いに配ってしまって、二人の手元には残っていないのです。

今から思うと少々残念な気がします。

同時に、詩への関心は無くなってしまいます。

1年にも満たない未熟な文芸活動となってしまいました。


70年を過ぎると、私も大学生になっていましたが、あれほど活発だった学生運動も潮を引くように衰退していきます。

過激なグループが事件を起こし世間の注目を集めたものの、一般市民はもちろん学生からも支持は得られなくなってしまいました。

二人で手掛けた詩集と同様に熱気が冷めてしまったのです。

けれども、その折作った詩が、15年ほど後に役立つことになります。

もっとも自分自身に限ってのことですが。



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