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エッセイ  作者: 野原いっぱい
2/11

外れ


挿絵(By みてみん)


「ここは3Kの職場だよ」


私が社会人になって初めての勤務先で、最も印象に残っている指導員の言葉です。


大学を卒業し自身の専攻に関係の深いN社に入社しましたが、理系であったため横浜工場に配属されました。かなり昔からある大きな工場で、千人以上の従業員が働いていたと思います。

横浜中心部から伸びる私鉄沿線にあり、同路線のF駅が最寄りの寮から通うことになりました。

家を出て初めての一人暮らしです。


工場内には燃焼溶融の窯が5基あり、十五あるラインに高温の素地を送っています。

それぞれのラインには成型機械が設置されており、多種のパーツが正確に連動して、送られてきた素地を成型品に加工します。そして、コンベアで徐々に冷やされながら次の工程に送られ最終製品に仕上げられます。

私は工場内で最も主要な成型部門に配属されました。


『おっと待てよ。自分は化学が専門ではなかったっけ』


そうなのです。同部門は機械系の作業が主となります。

専攻とは異なりメカの知識が必要となってきますが、その方面は全くの素人と言っても過言ではありません。当時はオイルショック等で高度経済成長が終焉し、景気が悪化、雇用環境も良くない時期でした。従って、学科の成績も今一つで、就職できただけでも良かったと納得し、少々不満があっても、頑張るしかないのです。今までとは一変した環境の生活に臨むことになりました。


成型用の各セクションの機械パーツは複雑な動作をしますが、下部にある回転ドラムのボタンでエアのオンオフを制御します。

昔からの方法で、電気信号の制御システムが導入されるのは、5年後になります。

もちろん機械を操作する作業者は、豊富な経験と知識が必要になってきます。

従って、現場作業は年配の熟練工が主体で成り立っています。

一応作業マニュアルがあるのですが、各種機械操作は彼らの経験と勘が頼りです。

私のような見習いは、一連の作業を見て覚えるしかありません。

ただ大学卒の新社員は将来的に現場作業を行うわけではありません。

幹部候補の待遇で作業員からも特別扱いされています。

それだけに成型工程の早期の習得が、自分の職務だと自覚していました。


しばらくは研修期間です。工場は基本的に年中無休の二十四時間操業で、6カ月間、三交替勤務の実習を行いました。

周りはベテランばかりで慣れるのに時間を要しました。

しかも機械は常時複雑な動作をしており、中途半端に触れることは大変危険で、またその周囲は夏場になると50度近い高温作業で毎日汗びっしょりの状態です。

さらにトラブルがあると素地の破片があちこちに散乱し、程度によっては修復するのに相当時間が取られます。

おまけに、夜勤の場合は朝方に睡魔が押し寄せてきました。

3K職場とはこのことを言うのだと実感しました。

更に精神的にも緊張の連続で、寮に帰ればぐったりといった状況が続きました。

正直この仕事を辞めようと思ったことが何度もあります。


そのうち日勤になりスタッフの職に就くことになったのですが、決して悩みが解消したわけではありません。

工場の仕事も含め横浜暮らしになって、むしろ3Hの問題が顕著になっていたのです。


一番目はヒート、即ち熱さです。

前述しましたが現場はかなり高温で、成型部門でも高熱の半製品の品質チェックを行いますが、百度以上の熱気が顔面に直撃します。

作業員のほとんどの顔が赤黒いのはそのためで、自分も日に日に染まっていくような気がしました。

さらに首回りや腹部に汗もができ、暑い時期には寮に帰ってから常に皮膚薬を塗っていました。

もっとも酷い時には下半身の局部が赤く変色してしまい、かゆいのなんのって。

自分の部屋が1階のトイレの隣で風通しが悪く湿気が多かったことも影響していたようです。

入寮した時、周りに遠慮してどの部屋でもいいと言ったことをこの時後悔したものです。

さらに、体中に湿疹が出たこともありました。

この時はさすがに工場内にある診療所で診てもらいましたが、熱さによるものではなく急性アルコール中毒と言われました。

確かに二、三日前に誘われて暑気払いで酒屋を回り深酔いしていたのです。

直接の原因ではなかったのですが、熱さの影響といってもいいと思います。

なお、アルコール類を本格的にたしなむようになったのはこの時期からです。


二番目はホームシックです。生まれ育った京都から、初めての横浜暮らしになったのですが、やはり環境の変化に馴染むことが難しかったようです。

いや、土地柄の違いというより、もともとが人見知りの性格で、家族や友人をはじめ長年月に亘り接してきた人々から離れて、職場や寮も初対面の人ばかりで、慣れるのに時間が掛かることが原因のようです。従って夏季休暇や正月休みには必ず京都に帰っていましたが、節約のため、東京発、大垣行の深夜快速電車に乗ったことを懐かしく思います。

長時間乗車は若かったから出来たのですが、京都タワーが見えるとほっとしたものです。


三番目はタイトルの外れです。

期待外れで、思い通りに行かなかったことが多々ありました。

仕事もそうですが、プライベートでもあって、いくつか触れたいと思います。


寮の有志で千葉の九十九里浜にハマグリを採りに行ったことがあります。

浜辺に転がっていて取り放題だと言われ、誰かの車に同乗させてもらい長時間を掛けて現地に参りました。

ところが長い海岸には人影もまばらで、ハマグリらしき姿はありません。

どうやら時期は過ぎていたようです。

なんとか水中の砂地を探り、小さな貝を2個ほど見つけたのですが、ほとんど収穫はありませんでした。寮に帰り1個焼いて食べましたが確かに美味かったことを覚えています。

有名な九十九里の海岸を拝めただけでも良かったのかもしれません。


スキーは子供の頃信州に2度ほど、友人とも滋賀のスキー場に行き結構好きな娯楽でした。

関東でもどこかで滑りたいと思っていましたが、なかなか機会がありません。

そこで、休暇の日に実家からスキー道具を持ってきて、一人で行くことにしました。

目指すは上越の石打スキー場です。

夜の上野発の列車に乗り、朝6時ころ最寄りの駅に着きます。

ゲレンデまで歩きで行けるのでこのスキー場を選んだのですが、8時ころからリフトが動き出しました。リフトが多数ある大きなゲレンデで、今日一日思い存分滑ろうと思いました。

もちろん下手くそでボーゲンが主体ですがパラレルやジャンプにも挑戦してみようという気になりました。

そして張り切って滑り出し緩急ある斜面で試してみましたが、転倒した際に膝を痛めてしまいました。

どうやら捻挫でこれ以上滑ることは無理のようです。

なんという不運。

全くついてないと愚痴りながら諦めることにしました。

結局、なんとかびっこを引きながら半日で切り上げることになったのです。

ただ一つ良かったのは、行きの列車で国境のトンネルを抜けた際、ちょうど夜明けになり見事な雪景色が見られたことです。

有名な小説『雪国』が頭に浮かびました。


寮の先輩から丹沢の山中へ、大理石の鉱脈に埋もれているベスブ石を取りに行こうと誘われたことがあります。

見たことがありませんが、宝石のような輝きをもっているとのこと。

三名くらいでしたか、電車、バスを乗り継ぎ、現地でも相当登山道、沢を歩いたことを覚えています。

そして、目当ての大理石鉱床付近にやってきましたが、地面が削られた跡があちこちで見られます。

既に発掘されていたようです。

それでもしばらく探し回りましたがベスブ石らしき姿は見つかりません。

結局あきらめ、せめて大理石だけでも持ち帰り磨いて装飾品にしようとリュックに詰めました。

ところが山の天候は急変します。

大雨に見舞われ沢も川に変貌し帰り道も定かでありません。

更に大理石だけでも重いのに水分を含んだリュックの重量は倍増します。

寮に辿り着いた時は疲労困憊の有様でした。

途中の休憩所にベスブ石が飾ってあったのですが、見た目に宝石そのもので、これの採掘は今さら無理だろうと納得したものです。

それからしばらく大理石磨きの日々が続きました。


京都から友人二人が泊りがけで寮に来ることになりました。

どこに案内しようかと思案しましたが、リクエストは府中競馬場です。

三人とも競馬が好きで、地元では淀や阪神にも何度か行ったものです。

当日は寮から電車を二度乗り換えて現地に到着。

いつものように何レースか馬券を購入しましたが残念ながら三人とも外れてしまいました。

友人二人はその日に帰って行きました。

わざわざ遠方より来てくれて旧交を温めることが出来て嬉しかったのですが、他には案内出来ずに終わり、悔いが残りました。

ただ、分かったことがあります。

ギャンブルには滅法弱いことです。

その時をもって競馬、パチンコを卒業することにしました。


逆に寮の先輩と同期社員二人を、京都に案内したことがあります。

第一の目的地は京都の北山での水晶探しです。

残念ながらどういう経緯か覚えていませんが、以前のベスブ石と同様、天然石への関心が強いようです。ただし、情報はあやふやで、土地勘もあり車で行ったものの、山奥の目指す場所には、水晶はもちろん元となる石英の岩床もありません。

そのうち、渓流伝いに探していると、眼下の岩場に若い男女が体を寄せ合っているのが見えました。

何でこんなところでと不思議に思いましたが、二人が我々に気付いたためその場から離れました。

決して覗き見したわけではありませんが、思わぬハプニングです。

結局収穫なしで終わりましたが、その後嵐山観光に回り何とか恰好を付けました。


そして、最も大きな外れはというと、5年でN社を退社したことです。

入社以来業績が年々悪化し、親しい先輩や同期社員が辞めていきました。

入寮社員も少なくなる一方です。

寂しさ覚え次第に限界を感じるようになりました。

ちょうど人事異動があったのを契機に辞める決心をしました。

横浜を去り京都に戻ることになったのです。

その後、時代の波に飲まれてN社の名前は消えてしまいました。

更に横浜工場も今はありません。


前述以外にも様々な場所に赴いた記憶があります。都内、川崎、江ノ島、中華街、山下公園、日光、箱根、富士急ハイランド、マザー牧場、高尾山等々。

ホームシックの割には方々回ったのじゃあないかと言われそうですが、恐らく一人暮らしで寮にいるより外に出て気がまぎれたのかもしれません。


また、初めての体験もしています。

クレーム処理で納入した企業や保管倉庫に足を運んだことがたびたびあります。

また、工場全体に及ぶ爆発事故がありました。高圧コンプレッサーが高熱膨張してエアーラインを破壊してしまったのです。

操業が止まり復旧の間、新入社員十数人を教育係として面倒を見ることになりました。

また、引き受け手がなく寮長を2年間務めました。

さぞかし頼りなかったと思います。


横浜時代の5年間、自分の人生にとって価値があったのかわかりませんが、今も当時の記憶がはっきりと蘇ることに間違いありません。





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