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エッセイ  作者: 野原いっぱい
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かんにいれてください)


挿絵(By みてみん)


私の実家は京都市内にあり、昔は織物業を営んでおりました。

いわゆる西陣と呼ばれる地区で家の中には織機が多い時で6台並んでいました。

家屋は間口が狭く奥行が長い典型的な『うなぎの寝床』の造りで、正面左側にある玄関を入ると、細長い通路が奥まで続いており、右側の半分は2階建ての居住区域で、奥半分が作業場になっていました。

そこに私が幼少のころ、両親、祖父母をはじめ一時9名もの人々が暮らしていたのです。

部屋数は1、2階とも2部屋づつで、あと、小さな子供部屋があるくらいで、かなりの密集状態だったと言っていいでしょう。


近所にも織屋が多く、道を歩くと機を織る音があちらこちらで聞こえてきます。

もちろん我が家も日曜日以外は毎日、朝の8時から晩の6時くらいまで、相当な騒音が耳に入ってきました。土壁を隔てた棟続きの両隣も確か織屋で、同じ並びに米屋、お菓子屋、酒屋があり、ちょうど真ん中に位置しています。

家の前の道は、車が擦れ違えない幅の一方通行ですが、東西に真っすぐ伸びていて人通りが多く、向かいには米屋、うどん屋が。

歩いて5分以内のところに、散髪屋、金物屋、電気店、薬局、八百屋、パン屋、魚屋が住居の合間に、そして児童公園もありました。

少し足を伸ばせば、医院、市場、商店街があって日頃の生活には困らなかったと思います。


我が家は家業の関係で人の出入りも多く、日中は騒々しい環境にあったのですが、周辺にも似たような家が多く、私も兄、弟と同様に変わりなく学校に通うことが出来ました。


 さて、私は大人からはおとなしく素直だと思われていたようです。

従ってよく用事を頼まれました。


父は家族の中では一番早く私が小学2年の時亡くなったのですが、自宅療養中に服用している薬を買いに行ったことがありました。

最寄りの薬局に行くと店主が大変親切に持たせてくれたのは覚えていますが、残念ながら家に帰り手渡した時の父の言葉や表情は記憶にはありません。

大変喜んでくれたものと信じております。


祖父からは3軒隣りの酒屋によく焼酎を買いに行かされました。

祖父愛用の小型のやかんを持参すると、店番のおばあさんが大瓶から、確か2合程度注いでくれました。私が持ち帰ると温めた上で美味しそうに口にするのですが、時々過飲してしまい自分を見失うことがありました。

私も社会人になってから何度か酩酊状態に陥ったことがあるのですが、どうやら祖父の血を引いているようです。


母は父が亡くなってから、一手に家業を引き受けざるを得ませんでした。

主婦業との両立は無理だったのでお手伝いさんを雇っていましたが、時々、私も近所のうどん屋に出前を頼みに行ったものです。

従って兄弟3人とも授業参観には、あまり来てもらえなかったと思います。

高学年になると仕事の手伝いをするようになりました。

自転車で織り上がった反物を運びましたし、大学に入って直ぐに運転免許を取ると、就職した兄に代わって、講義の合間に問屋、染屋、織屋等に自家用バンで回りました。

大学の卒業生の内、学科内で最下位の成績だったのは、そのせいだったということにしてあります。

もっともパチンコ店や競馬場にもその車で行ったことも事実です。


そして祖母ですが、私にとっては印象が薄かったようです。

いつも家内に居て目立たない人だったように思います。

ただ片方の目が塞がっていたことを覚えています。それも影響していたのかもしれません。

本人が言ったのか他の家族から聞いたのか覚えてはいませんが、昔寝ているときにネズミにかじられたとか。

夜中になると天井や縁の下で走っている物音が聞こえましたが、母は、この家がお菓子屋と米屋に挟まれているから仕方がないと言っていたものです。


私が小学5年の時、子供部屋にいると祖母が入ってきて、手にした紙に字を書いてほしいと言います。

祖母は読み書きが出来なかったのです。

珍しいことだったのですが、言われたとおりにひらがなで書いて手渡しました。


『このふとんをかんにいれてください』と。


その後そのことはすっかり忘れてしまいました。

それからそう月日は経っていなかったと思います。

祖母が脳溢血で亡くなってしまったのです。

祖父や、祖母の娘である叔母さんたちが看取りましたが、母から顔に白布が掛けられた枕元に呼ばれて尋ねられました。


「これを書いたのはたかっちゃんか?」と。


その紙を見て祖母から頼まれたことを思い出し頷いたのですが、一瞬大変なことをしたのではないかとの思いに囚われました。


「よおできてるわ」


「わかってたんやねえ」


叔母たちの声も耳にしました。

その後で知りましたが、祖母は自分の死期が近いことを悟り、布団を仕立てていたそうです。

敷布団なのか掛布団なのか知りませんがかなり良く出来たものだったそうです。

それを自分が死んだ後で、棺桶、即ち棺の中に一緒に入れてほしかったようです。

きちんと畳んであった綺麗な布団にその紙が挟んであったのですが、誰も知りませんでした。

生前に分別のある大人に頼むと騒がれると思ったため、子供の私に書かせて後の遺族に委ねたようです。一種の遺言であったのでしょう。

気にしなくていいと皆から言われたのですが、複雑な心境だったのを覚えています。


けれども祖母の願いは叶いませんでした。

葬儀屋から棺のスペースが限られているため、あまり嵩む物を入れるのに難色を示されたからです。

私は、祖母を気の毒に思いましたが、あの世でどう思っているのか知る由もありません。

またその布団を誰が引き取ったのかも定かでありません。


ただ、思っていることがあります。

もし自分にその時がきて、一緒に入れてほしいものがあるとしても、ありふれた小さなものにしようと。

もっとも当分先のことであってほしいのですが。




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