「お米が食べたい」あとがきと附録からの抜粋
第二版あとがき
今回この「お米が食べたい」が重版ということで、大変嬉しく思っている。聞けば初版はなかなかに売れたそうで、それだけ米というものが日本人にとって大きなものだったのだと感じさせる。ちょうど米が食べられなくなった頃に育った世代がほとんどかと思えば、驚いたことにあれより後の世代の子供達の読者も多いらしい。もしかしたら読書感想文にでも使おうかと思っているのかもしれないが、それほどこの本は大層な本ではない。前の時代にすがりつくおっさんが書いた単なるエッセイ本なのである。それでも読んでくれる方がいらっしゃるなら、やはりこれ幸い。
実は、初版を出した後に一度だけ米を食べる機会に恵まれた。二版あとがきをわざわざ書いているのはこの話をしたかったからである。どこで食べたのかと聞かれれば、とある資産家のパーティで、とだけ書いておく。なぜそんな人と友人なのか、とか、野暮なツッコミはしないでいただきたい。あっさり種明かしをするが、資産家のパーティ、と書けば何かカッコいい、と思われると思って書いているだけである。だから実際にどういう機会で食べたのかは、読者の想像にお任せすることとする。皆さんご存知の通り、正式なルートで出回っている米は本当に希少である。それこそ貴金属なんて目じゃないほどに。さらにわずかながら出来た米もほとんどが研究用に使われることも希少さに拍車をかけている。しかし、これも米が食べられなくなった原因を考えればしかたのないことである。さて、米を口にした話であるが、食べたと言ってもほんの三口程度である。それだけであっても私にとっては非常に嬉しい体験であった。やはり米は美味かった。思い出というものは得てして美化されるものであるから、食べる前は期待とともに、それほど美味しくなかったらどうしよう、という不安もあった。しかしそんな不安は無用であったのだ。一口目はそのまま。二口目には今やパンに塗るものとして通っている海苔の佃煮と共に。三口目はなんとパン用の「ふりかけ」とともに。驚くなかれ、このふりかけも米と合うのだ。米用のふりかけでなくともうまい、と言うのは未知の領域であった。
このような食材を簡単に手に入れられなくなったのは非常に悲しいことである。人為的なものもあるとはいえ、最終的には事故のようなものであったし、今となっては諦めるしかないであろう。
そうそう、こんな話もある。稲作を再び容易にする研究が今盛んであるが、少しずつ糸口がつかめており、近々大きなプロジェクトがあるという報道が起こっている。これは期待せざるをえない。日本やアジアでの研究かと思えば、前時代に和食の魅力にとりつかれた欧米の研究者も(たとえ片手間だとしても)参加しているそうである。近い未来、再び毎日の食卓に米がならぶかもしれない。
最後に、このページから後には、本文中にて言及している資料の一部を載せることにした。他の本にはあまりない形かもしれないが、これもまた面白い読み物になるかもしれないと思った所存である。提供者のご厚意に感謝する。
おわりに
世間一般には、稲に感染する病原菌が蔓延し世界中の稲が枯れ、さらにそのウイルスが土壌に今も存在するため、稲の栽培が困難になっている、と知られている。それは確かに事実であるはずだが、附録二のような意見もある。このエッセイ「お米が食べたい」で、読者の皆さんがどんなことを考えているか、私も知りたいものである。あとがきにも書いたが、稲の栽培を復活させる動きもあり、確実に前進している。いつかまた、あの白米が食卓に並ぶことを信じて。
二〇XX年 二月二日 矢部耕一
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附録一 現代の中学校における日本食に関する授業の感想文より抜粋
(講師を招いて食に関する授業(食料自給率・日本食の歴史)を全国の小中学校で行っている。その授業についての感想を一部借用させて頂いた。)
生徒1
小麦の食料自給率の変遷グラフは思わず笑ってしまうような変化をしていた。その時日本に起きた事態を考えれば当たり前のことだけど、それでも現実離れしていて小説や漫画の世界のようだと思った。でもそれは本当に世界で起きたことで、そしておそらく日本が最も打撃を受けたのだろうと思った。その頃の世界では和食がブームだったと今回初めて知ったが、そんな日本を見てみたかったとも思った。そしてもちろん、そんなブームになった食事を食べてみたかった。
生徒2
私はパンが好きで、ほとんど毎日パンを食べている。他に主食といえば、麺、麦やあわなどの穀物、朝食ならシリアル、があるが、自分の家ではあまり食卓に出ない。そういうわけで、今でもパン以外の主食が毎日出る状況が想像できなかった。しかし今私がパンを毎日食べるのが当たり前であるように、数年前の人も毎日同じものを食べていたのだと思うと、不思議だと思った。しかも、その頃の人でパンを毎日食べていた人も居ただろうから、さらに不思議な気持ちになる。今の時代は、他の主食もあるものの大多数がパン食になったから、そう思う。
生徒3
日本では麺・パン食に切り替わった頃相当な混乱があったらしいが、それはやはり小麦の食料自給率が低かったせいだと思う。その頃から問題視されていたのに、あまり触れられていなかったのかもしれない、と思った。それを考えると、今の小麦の食料自給率が40%まで上がった、と聞いても素直に良いといえない。輸入ができなくなった時に困る、という話がよくあったようだけど、それ以外の事態にも備えるべきだったのでは、と僕は思う。
生徒4
日本食の歴史について知って、非常に興味深かったと同時に、少し寂しさを感じた。この国やアジアの諸国における主食が大きく変わってしまった、という出来事は当時の人々にとってどんな混乱と不安をもたらしたのだろうか。さまざまな国の歴史を見てみてもこのような事態は非常に稀であるが、このことを学ぶことで食事というものが人間にとってどれだけ大切なものなのかを知ることが出来た。悲しい出来事ではあるが、実際にそれが起きたことでそれまで見過ごされてきた「食そのものの大切さ」を実感できたのだと思う。
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附録二 片倉慶「稲『狩り』」(二〇△△ 悠考社)より序文
今年の夏に日本南部で発生が確認され、その後世界中に広がった稲に感染する新型の病気により、ほぼすべての稲が枯れ、秋の収穫が不可能となった。米の土壌に病原菌が生息していると見られ、新たな稲の生育も不可能。
これが国民に知らされた「真実」である。しかしこれは間違いなく海外諸国の陰謀である。まずひとつに、近年、和食の人気は高まっており日本の景気上昇に一役買っていた。それを快く思わない勢力が、何らかの方法(のちに説明)で日本の米を枯らした。これは容易に推測できる内容である。と、ここまで自信を持っていることに読者諸君が疑問を持つのも、全く不思議ではない。根拠がないからである。
稲が全く生えてこない、と言うのは至って不自然である。自然の摂理に従えば、(比喩としての)新たな芽が出て再び米が盛んに栽培されていても全く問題はない。自然の摂理という言葉を使うのは良くないかもしれない。
そもそも、日本食がちょうど世界で人気になった頃にこのようなことが起こるのは不自然なのだ。これは陰謀であると考えている人がいるのも納得いただけるだろう。ただし、これはトンチンカンな話ではない。ある国の研究所で、「抗体の効かないインフルエンザウイルス」が研究されていた。非常に危険な代物であるが、それが今回のこととどう関係有るのか。そのウイルスが何らかの原因で外に漏れたのだ。去年、新型インフルエンザが流行り、世界中で感染者が発生した。しかし読者はこう思うだろう。あのインフルエンザはすぐにワクチンが開発されて感染の拡大は収まったじゃないかと。たしかにそうである。あの時に漏れたウイルスは幾分弱いウイルスだったのだ。しかしそれだけではない。あのとき、一緒に植物に感染するウイルスが漏れだしていたのだ。インフルエンザウイルスへの対応に追われ、そのウイルスにまで手が回らなかったのだ。その結果、ほぼすべての稲が枯れ、現在のように米がほとんど流通しない社会になってしまったのだ。
さて、このウイルスが漏れだした、という話、正直言ってこれは怪しい話である。しかし、いくつかの取材から、これが真実であると、私は確認した。この本では、それについてくわしく綴っていきたいと思っている。
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附録三 成瀬誠司 著 「よみがえれ! 日本食!」(二〇◇◇ 二島出版))より
第一章「日本食とは」より抜粋
日本食は米から始まる。それはご理解いただけると思います。もちろん、十二年前までの話ですが。今、日本のパン食を、日本食であると胸を張って言えるでしょうか。言えない、という声が大多数ではないか、と思います。米がだれでも、安く、いつでも食べられた時代の和食(この本では、米が主流であった頃の日本食を和食と呼び、今の時代と区別します)は国内のみならず海外でも人気があり、これを一つの観光産業としていました。それが叶わなくなり、食品業はもちろんさまざまな産業が大打撃をうけ日本は大変な不景気に陥りました。米以外の食品も人気があり、例えば現代の主食として大きな地位を保つうどんやそばなど、「和食」として推薦できる食品はあったと思われるものの、やはり米の存在は非常に大きく、その一つの食品をほとんど失ってしまったことで急速に人気は冷えていきました。これを客観的に裏付けるデータとして、公的なものなら観光庁や農林水産省によるグラフ(次ページに一例があります)もの、また非営利・非政府組織による調査・活動などが挙げられます。
(中略)
今では日本経済はある程度の安定を取り戻し、食品業もどん底を抜け出し新たな主流となった製パン業、「和食」の時代から続く製麺業、その他米に混ぜて食べるのが普通であった穀類や、欧米でよく食べられるシリアル、日本人の主食として新しい食べ方が考案されてきたイモ類(海外ではイモを主食としている国は昔から多数ありますね)などが新たな主食として現代に存在します。その中でも、米食が主流であった時代においても一定の人気があったパンが、現代の主食において最も高い地位にあります。
(中略)
日本の食の歴史を調べてみると、カレーやとんかつ、ラーメンなど元は外国の料理であったものが日本人好みにアレンジされていき今の形になっていることに気づきます。(もっと歴史を遡れば米やうどんも外国から伝わった物といえるかもしれませんが、その考え方は除外します)それを考えると、パン食を新しい日本食として「アレンジ」していくことも一つの考え方ではないでしょうか。
(中略)
これから日本食を再び盛んにするためには、柔軟な発想のもとに日本食を「創っていく」ことが必要なのかもしれません。
とある短編小説の賞に応募した作品ですが落選したので投稿してみました。