ふたりの戦い:その2
初めて、こっちの世界に来た。
キャリーバッグがひとつ。
向こうの通貨はひとつも持っていない。
それでも、歩いてでも、這ってでも行かなければならないところがあった。
私の横に、一本の剣。
強く、手のひらを握ってみる。
ただそれだけで、血が流れた。
*
電車を降りると、そこは、もう、異世界だった。
そこらじゅうに魔物がいて、人の姿は限りなく少ない。
それでも、私達の世界の文化、技術が流れているのか、魔物を排した景色は、私達の世界と似通っていた。
……少し、いや、かなり、古臭い雰囲気はするのだが。
というのも、電気をはじめとする、人間の文明のほとんどが魔法に置き換わってしまったせいか、そこに裂いていたリソースを、別のところへ変換できるようになったから、あらゆる所の装飾が無駄に凝っていた。
よく見慣れた無機質な雰囲気とはまた違った、文明を取り込んだばかりの空気。
明治、大正あたりの時代はこんな感じだったのか、と思わせる。
今、この世界は、文明を最適化している真っ最なのだった。
「さて、どうしたものか」
切符を改札に通すと、もう、私は銭にひとつも持たない無力な人間。
今日初めて、ちゃんとした「穴」を通ったほど、こちらの世界に馴染みがない。
誰かに助けを求めねばならんのだが、さて、誰か助けてくれるのだろうか。
よしんば手を貸してくれる魔物がいたところで、わたしの望む場所へ案内してくれるだろうか。
とりあえず、あたりを見渡して、多少なりとも助けてくれそうな人を探す。
人と呼べるのかは、果たして謎だが。
と、その時である。
そそくさと、小さな人影が離れていくのが見えた。
ちょうど、私の視界から逃げるように……
どこか見覚えがあるような気がして、どうにか思い出そうと……
「ーーあっ、ポルポの爺さん!」
「ヒィぃぃぃ……」
「ちょっ、待ってくれ!用がある!」
*
「それで、」
「ヒィッ」
「……なんで逃げたか、聞こうと思ったんだが」
その様子じゃ、答えはもうわかりきっていた。
「私がそんなに怖いですか、お爺さん」
「わっ、儂を捕まえても良いことはない!はなせっ!」
まるでとって食われるかのような言い方だった。
失礼な、と思いつつ、母猫が子猫を咥えるように、右手一本で彼をとっ捕まえて吊っているのだった。
「儂をわざわざこんなところまで追ってきたのか!警察め!」
「それが、私もう警察じゃないんですよ。それに、こんなところじゃあ日本の法律は使えない。だから捕まえることはできません。法的には、ですが」
顔を近づけて、言った。
「……私個人として、お願いがあります」
老人……イングヴァル・サーフェン・クラッサは器用に首を傾げた。
「どういうことじゃ」
「私を、あなたの国に案内していただきたい」
しばしの沈黙。
その後、怒号。
まるで何を言っているのかがわからなかったが、少なくとも、周りの奇異の目に耐えられなくなって、どうにか駅から逃げ出した。
「ちょっと、静かにしていだかけますか。落ち着いて」
「静かにしていられるかぁっ‼︎」
驚いて、つい腕を離した瞬間に、韋駄天の如く勢いで、イングヴェルは逃げ出し、物陰に隠れた。
ある程度現代に近い街並みで、子供のような隠れん坊をしているのは、彼の身長も相待ってか、どうにもこそばゆかった。
「……お爺さん」
「寄るな、よって来るんじゃない!儂は、誇り高きポルポの騎士!外敵を祖国に侵入させるようなことがあっては」
「その誇りの象徴を、返しにいきたい」
私は、腰に携えた剣の柄に、手を置いた。
その時初めて、イングヴェルが静かになった。
「……人目につかない、場所がいいじゃろ。いい場所を知っている」
*
そう言われて、案内されたのは、小さなカフェだった。
それこそ、知る人ぞ知る、というような、そこにあることを知らなければ見つけることのできないであろう場所にあった。
店主も店員も皆んなハーフリング。
机や椅子すらハーフリングの大きさに揃えられていた。
当然座れたものではないから、膝をついてイングヴァルと顔を合わせる形。
机の上に剣を置いて、見せつけるようにして少しだけ引き抜く。
『騎士団長へ ポルポ一番の鍛冶屋が贈る』
「……これが、ポルポのものなのかは、定かではありませんが」
「間違いなくポルポ王国のものじゃ。ここまで高純度の魔鉱石の採掘地も、その純度を落とさぬまま加工する技術も、世界中どこを探してもありはせん。ポルポ王国以外ではな」
「それでは」
「だが、返還するだけであれば、儂に預ければ良い」
静寂。
「……そうはできん、理由があるのじゃな」
「私はこの持ち主を殺めました」
またも静寂。
「まず、謝ります。謝って済むものでは、ないでしょうが」
「ドワーフみたいなでかい奴だった」
彼は、私の話を聞きもせずに始めた。
「別に、剣術が特別うまかったわけでもない。だが、慕われてはいたし、統率力もあった。力強い剣筋は、誰にも負けなかった。その長い剣を見て、確信した。あいつが帰ってきたのじゃと……のう、サファ様の、元、上司」
「早希、と」
「……サキ。礼を言いたい」
「……えっ」
「あいつは、騎士として、戦いの中で死んでいったのじゃろう?ならば、それは、騎士の誇りに他ならぬ……騎士が、軍場で死なずして、どこで死ぬというのか。あいつに、死に場所をくれたこと、感謝したい」
まさか、まさか。
そんな、ことを。
「やめて、ください。私は」
「ありがとう」
「……私、は」
「案内しよう。儂らの国まで」
イングヴェルは、刀身を収めると、私に差し出した。
私はそれを受け取ることを、躊躇った。
「私……は」
そして、受け取ろうと、その鞘に触れた瞬間に、その物と化した顔が思い出されて、渦巻く感情とが混ざり合い、吐き出しそうになった。
今回はここまで。




