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終章・前編

走ります。

 レクシアは濡れた石畳を歩く。

 都市中央に来てから、薄い霧が流れている風景には慣れて来ていた。

 時に、視界を奪うほどに蟠り、塊を作る。

 視力を奪われたのではないかと不安にはなる。

 不快ではない。肌が濡れるだけだ。

 霧に煙る豪奢な庭園を遠目に眺める。次のターゲットが狙う家だ。

 既に入り込んでいる。信頼も得ている。

 ターゲットは使用人として入り込んでいる。誰も疑うまい。

 高く石畳に足音が響く。

 レクシアは足音を避けて、路地に数歩入る。

 人通りこそ少ないが、何度も目撃される訳にもいかない。

 森が魔の暗い霧に包まれているように、都市では強力な魔法が溢れ白い霧として漂う。

 どちらも魔力の源に成る。

 ただ都市にいるだけで魔液は紫に染まる。

「いつ決行するかだな」

 侵入し、殺す。それだけだ。制約は次のターゲットが主人に手をかける前に、だ。

 いつ決行するか。そう考えたのは連続殺人の噂が流れ始めているからだ。

 他ならぬ自分の行動で連続殺人鬼がいると噂されている。

 早い方がいい。警備が強化される前だ。

 重大性の高い上級工作員はリスト上で十人。

 数えればきりがないが、残りはまだ問題に成るほどの活動をしていない。

 寂しい。

 ふとそう思う。

 心が弱っているのか?

 まだ死ぬわけには行かない。

 イートスを『復活』させるのだ。

 理を壊す最強に近い禁呪。

 レニアだのが知っている心理操作系とはまるで異なる。

 それでも心理操作系は重宝はする。

 表通りに歩を進めると、門番に平静を装い近づく。

「『眠れ』」。

 崩れ落ちる身体。

 これが終わったらしばらく身を隠そう。

 門番の服から門の鍵を探り当てると、開錠し、重い鉄扉を静かに肩で押した。

 レクシアが羽織るのは黒い上質なコート。

 会議所の誰かに見えるだろう。

 用もなく現れては家に勝手に上がり込む者は他にはいない。

 綺麗に手入れされた庭園を歩く。

 遠く、人を排するような巨大な建物が見える。工場だ。霧に消えて全体は見えない。

 それほどに大きい。

 液体燃料だけでも上質なものを作り続ければここまでの財を集めるものか。

 邸宅はさらに趣向を凝らしたものだった。

 薄黒く見える工場の不気味さがかえって際立つ。


「……戻りました」

 コートとブーツは血を洗い自室で脱いできた。今は魔装だけだ。

 いつものようにルフィアの自室のドアをノックする。

「どうぞ」

 雇い主の声が聞こえる。

 片膝を付いてルフィアの前で簡単な報告を済ませる。

 ルフィアは忠実過ぎるレクシアに何か言葉をかけようと思う。

「今日あたり、晩餐会に出てみたらどう?」

 悪意はないようだとレクシアは思う。

 女王は気ままに振舞うのが得意だ。

「顔を晒すのは任務に不都合かと」

 当たり前だがこの先入り込む家もあるだろう。

「仮装は自由よ。顔の半分も隠せばいいでしょう」

 女王の笑みからは意図が読み取れない。

 道化の真似でもしろというのだろうか。

「あまり大勢に愛想を振りまくのも不得手です」

 思ったままに言った。

 がやがやと喧しい酒場でも飲めば幾らかは耐えられる。

 女王が好んで通う店には顔を隠して同行する。

 身辺警護。それも任務だ。

「それこそ自由にすればいいのよ。好きなものを食べて帰るだけ。服は……そうね。ドレスを用意させるわよ」

「……ドレスなど着た覚えもありませんが」

 レクシアもあまり断わり続ける積りはない。無理だと言い立てる気はない。

「殺人鬼は男だったはずよ。似合うのを仕立てさせるわ。そこに居て」

「……はい」

 ルフィアの機嫌を損ねるには相当の事をしなければならないだろう。それほど度量は大きい。

 息抜きにと配慮したのだろう。そう自分を納得させる。

 レクシアは薄く唇だけで笑うと晩餐会に思いを馳せる。

 仮面の賓客達。贅を尽くした一品が次々に披露される。緊張が解けたのか、空腹を感じる。

 先は長い。この――豪奢ではないが機能美に満ちたルフィアの邸宅にも慣れなければ。

 他に一切の居場所などないのだ。

 ルフィアの自室に飾られたままの青い魔晶。イートス。いつの間にかそれだけを見詰めていた。

 何にでも耐えて見せる。もう少しだけ待って欲しい。

 青い輝きが眩しい。

 涙が滲みそうになる。顔を背けた。

 憧憬に似た思いも汚れた思いも寂しさも魔晶に見られているようで、切なかった。

 愛? 改めて言うまでもない。

 憎しみも、欲望も、見えるだろう? イートス。

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