2話:エラの張った密輸人“カイル”の災難
暗雲に閉ざされた海。
吹きすさぶ風。
その荒れる水面の下を行くものがあった。
「ついてねえ! 最悪だっ!」
規則的な重低音が控えめに響く船室内に、操舵手兼船長である『カイル』の悪態が響いた。
大きく張った顎が特徴的な男だ。隆々とした肉体は、どこか暴力の匂いを漂わせているが、青白い肌は彼が陽の光から遠ざかって久しいことを示していた。
そのカイルが操縦しているのは小型の潜水輸送艇で、ワンマン運転も可能なシロモノだった。
高度に自動化された船艇は、彼以外の乗組員を必要としない。つまり、彼はこの艇内にただ一人。
ただし貨物室の積み荷を除いては。
「うおっと」
カイルが操舵する潜水輸送艇『マローナ号』が、大きく揺れた。
いま、マローナ号は、限界深度を少し超えたあたり――海面から十数メートル下の海中――を潜行している。
海面が荒れようとも、海水中は静穏である。水面より上の嵐に比べれば。そしてそれだけなら、数メートルも潜れば静かなものだ。
その比較的穏やかな水中を通って嵐の海域を抜けて貨物を運べるのが、マローナ号のような浅水域専門の快速潜水輸送艇の強みである。
だが、その比較的静穏なはずの海の中まで、今は荒れ模様であった。
いや、荒れ模様どころではない。
まるで爆撃か艦砲射撃でも食らっているかのように、海面はべこべこと凹み、カイルが操るマローナ号を翻弄していた。
それを避けるために、マローナ号の通常のカタログ上の限界深度を超えて安全率ギリギリの深さまで潜行しているのだが、海面を叩く衝撃の余波は、海水の壁を超えて船殻をギリギリと軋ませる。
冷や汗まみれになっているカイルの顔からは血の気が引いている。顔色はまるで窓から見える周囲の海の色のように青かった。瞳孔は大きく開き魚眼のようで、緊張のせいか呼吸は浅く、陸にあげられた魚みたいにあえいでいる。
「なんだってこっちの上でドンパチやりやがるんだ! マジでついてねえ! 『ギギ』の野郎っ、さっさと俺のマローナたんの上から居なくなってくれよっ!!」
焦燥に駆られて叫んだカイルの後ろから、不意にぎゃあぎゃあとケモノの叫び声のようなものが響いた。
「ッ! うるっせえぞ! 黙ってろっ、ガキども!」
苛立たしげにカイルが吼え返すも、それは余計に後ろの――貨物室の――騒ぎを助長しただけだった。
――そう、彼の荷物は、そういう叫びを上げるような『ガキども』なのだった。
もちろんこれは、お天道さまの下で胸を張って言えるようなことではない。
奴隷制度など数世紀も前に消え去った現代において、人身売買など人道に悖る行いであろうことは間違いない。しかも右も左もわからぬような子供を。
しかしカイルは、そういった後ろめたい荷物を迅速に届けることが売りの、運び屋なのであった。
端的に言えば、密輸業者である。
そんなカイルは何でも運ぶ。
マローナ号に載せて何でも運ぶ。
例えば麻薬はよく運ぶ貨物の一つだ。
特殊な兵器の材料や、機密情報といったものも運んだことがある。
貴重な絶滅危惧種を生きたまま運ぶことだってある。
カイルは何でも運ぶ。その看板に偽りはない。
麻薬も、兵器も、機密も、生物も――もちろん、人間だって。
マローナ号という、潜水深度が限られる快速潜水艇は、表沙汰には決してできない密輸のための特製なのだった。
普通はこんな船が作られることはない。
船を水に潜らせるよりも、あるいは陸や空を行くよりも、海の上を走らせたほうがはるかに楽なのだから。ゆえに海の輸送は古くから貿易の大部分を担ってきた。
マローナ号のような小型の快速潜水艇を使って稼ぐためには、少なくとも二つの条件をクリアしなくてはならない。
一つは、積み荷の体積あたりの値段が高いこと。例えば、ご禁制品の麻薬のような。
そしてもう一つは、『海面を走るよりも海中を通ったほうがメリットがある』こと。見つかってはまずいようなものを、こっそり密輸したいときがそうだ。あるいは、流氷に覆われた極圏の海や、嵐の海を通らざるを得ないような場合にも当てはまるだろう。
カイルがマローナ号なんて特殊でケッタイな船を操っていても生計を立てていけるのは、ご禁制品の密輸であるだけでなく、彼の得意とする密輸ルートが特殊な海域を通るからでもある。
つまり、どういうことか。
――驚くべきことに、彼が得意としている航路は、『常に』大嵐の中にある。
彼の得意航路は、陸地と、『嵐中の魔都』と呼ばれる海上都市の間を繋ぐものだ。
「このままじゃあ、海上都市に辿り着く前に海の藻屑だっ!」
海の上を通り過ぎた『何か』が海面を割った余波がマローナ号を揺らす。十数メートルの海水の壁をたやすく突き抜けて。
大いに荒れる海中で、カイルは理不尽を恨んで吐き捨てる。
「なんで今日に限って『ギギ』の野郎と進路が重なるんだよっ! あのスピード狂がっ!」
ひとしきりカイルは『ギギ』とやらを罵倒する。
どうやら海面を割り砕く衝撃は、その『ギギ』なる何某かに由来するらしい。
再び船体が衝撃に揺れた時、カイルの見ていた航海計器に一つの反応浮かんだ。それを見たカイルの胸中に希望と安堵が浮かぶ。
「よっし! あと少しだ、マローナたん。どうか持ってくれよ……、あとできちっとメンテしてやっからよぉ!」
目的地――『嵐中の魔都』なる海上都市――は間近だ。
カイルは慎重にマローナ号の出力を上げ、さらなる加速をする。主機からの振動が僅かに増した。
カイルが向かう先。貨物の届け先。
計器が示すところによると、あと数分で目的地だ。
「見えてきたっ」
行く先に見えてきたのは巨大な人工物だった。
潜水艇『マローナ号』の覗き窓からも、もうそれと分かる。
行く先の海中にかすかに見える黒々とした影。全貌すら不明の巨体。
しかし見えた影は陸地ではない。それは海に浮かんでいるのだ。
海に浮かぶ巨大な人工物。空母や石油掘削施設などとは比較にならない巨大さだ。
不意に、マローナ号の覗き窓から微かに見えていた海面が穏やかになった。
嵐が止んでいる。
いや、嵐の目に入ったのだ。どうやら嵐の雲の上は月夜だったようで、海面が仄かに明るくなった。
それこそが、目的地が近いという証でもあった。
一点から動かぬ常識外れの大嵐の中心――嵐の目に、常に位置する巨大建造物。
一年中毎日二十四時間途切れることなく嵐雲を侍らす『嵐中の魔都』。
超常の力で築かれ、そして守られる、異能者たちの楽園都市にして管理都市。
どの国の権威も及ばない不可侵領域。
あらゆる力が集まる、現代のヴァルハラ。
あらゆる富が集まる、現代のエル・ドラド。
あらゆる欲が集まる、現代のソドムとゴモラ。
それがカイルが貨物を届ける先――『海上都市 ルリィエ/瑠璃家』だ。
「やったぜ、マローナたん! ルリィエまであと少しだ!」
目的地が視認できて気が緩んだのが悪かったのだろうか。
油断大敵。百里を行く者は九十里を半ばとせよ。物事は最後の詰めまで気を抜いてはならないのだ。
その時、海面を隔てた場所から海水と外殻越しに、カイルや『積み荷』たちの耳へと何者かの声が響いた。海水を隔てたはずなのに、その声は、いやにはっきりと届いた。
『――――スター・バスターぁぁぁあああああ!』
「マジかよっ!? 『ギギ』め、正気かっ?」
その声を聞いてカイルがこれ以上ないほどに顔色を無くした。青白い肌が、さらに青くなる。
快速潜水艇マローナ号の真上で高まる何かの『力』。海水を隔てても伝わる、その大きさにゾッとした。
貨物室の『積み荷』たちも外の力の高まりを感じてか、ぎゃあぎゃあと一斉にまた騒ぎ出した。
破滅しか連想させないその力の高まりは、今にも破裂しそうに思えた。
「ああ、神様、ダゴン様、クトゥルー様、クティーラ様……」
幾ばくもない猶予の中でカイルが選んだのは、うるさく叫ぶ積み荷のガキどもに怒鳴ることではなく、自らの信じる神に祈ることだった。
直後。
膨れ上がった『力』は臨界を迎え。
マローナ号直上の海面がまばゆく輝き、その船体をも巻き込んで――海が、割れた。
◆◇◆
「ありゃ、何か下に居たっぽいな」
白々しい棒読みの台詞が虚空に散った。
海上都市ルリィエを取り囲む嵐雲の結界と、その中心部――嵐の目である凪の海域との間の、境界線上。
嵐と凪の境目の空に、美しい少年が浮かんでいた。
いや少年だろうか?
中性的な顔立ち、成長途上の華奢な骨格、たなびく金の長髪。
少女と言っても、あるいは通るかもしれない。
そして、いかなる超常の力の賜物か、彼(あるいは彼女? ここでは便宜上“彼”としておこう)は確かに宙に浮かんでいた。
ただしなぜかほぼ全裸で。まるでその肢体を見せつけるように。
年の頃は十七くらいか、まだまだ肩幅も細く、華奢な体躯に儚さが宿っている。だがその身体は引き締まっていて、力強さも感じさせる。
儚さの中の力強さ、力強さの中の儚さ……少年の身体に同居する二つの要素が絡み合って、妖しい色香を周囲に放散していた。
裸だから色気があるのは当然かも知れないが、この奇妙な色気が少年の性別をなおさらに不明なものとしていた。
長い金髪をたなびかせる彼は、直下の荒れ狂う海面を見下ろす。
海面は大きく撓んで、轟々と逆巻いている。
誰あろう彼こそが、先ほど恐ろしいほどのエネルギーで海面を割り砕いた張本人だった。
悪名高きスピード狂の彼は、『ギギ』という通り名で知られている。
今日も今日とて彼は、自分の腕試しと実益を兼ねて沿岸警備のセイレーン部隊に喧嘩を売って、彼女らに大技ぶっ放して撃墜したところなのだった。
海面が割れたのは、その余波であったが、ある意味ではそちらの方こそが本命でもあった。
「最近は何だか歯ごたえがねえなあ、セイレーンの姉ちゃんたち」
割られて逆巻く海面を一瞥すると、ギギはそこに何か構造物の残骸を認めた。流線型の一部だろうなめらかな曲面をなす破片は、おそらく船の外殻のものだ。狙い通りにいったのだろうとほくそ笑む。
「んん、何だ? なんか巻き込んじまったかぁ? なんてな」
白々しくもそうつぶやく。
ギギが少し目線を横に向ければ、海を割った反動で巻き上がった海水とともに遥かに飛んで行く何かの破片も目に入った。ずいぶん高く巻き上げられたのか、まだ残骸の一部は落ちきらずに空中にあった。
そういえば――とギギは思い出す。
ギギがセイレーン部隊に喧嘩を売る日は、決まって沿岸の警備が疎かになる。
だからか、その日を狙って、密輸業者や密航者が増えるのだとか。
きっとそんな連中のうち、運が悪くて間抜けな密輸潜水艇が巻き込まれたのだろう。
そんな間抜けたちの残骸から何か役に立つものを失敬するのも、ギギの日課の一つである。
「ん、あれが今回の掘り出しモノか」
例えばこんな風に。
ギギが手をかざして目を細めて見る先で、檻のようなものが宙に舞っていた。
檻の中に何があるのか、白い泡のようなものに遮られて見えない。投げ出された衝撃のせいで、仕込まれた緊急緩衝材が膨らんだようだった。
ギギは宙を舞う檻の方へと、かざした手を伸ばし、まるで檻をつまむかのように動かした。
「んじゃ、回収っと」
親指と人差指を閉じて自らの視線を遮ると、空を飛んでいた檻は、次の瞬間には、手品のように消え失せてしまっていた。
「よしっ、こんなもんかね。しかし運の悪い間抜けも居るもんだ。そんな間抜けが、よもやまさか知り合いでもねーだろうが。――まっ、何にせよ大した問題じゃなかろ」
ギギは間抜けな密輸者を巻き込んで、ついでに積荷を巻き上げたことについて大して、全く気にしていなかった。
相手が正規の商船なら問題かもしれないが、どうせこそこそと海の中を通って来る輩だ、後ろ暗い連中なのだろう。
そんな奴らが自分の『腕試し』に巻き込まれたとて、何も気に病むことはない。ギギは本気でそう思っている。
ましてやこの被害者は死んだわけでも――。と思い巡らせたところで海面に変化があった。
凪の海に浮かび上がる人影。
ほら――どうやら乗組員は無事だったようだ。
「ギギ、てめえこのやろう! 俺のマローナたんが木っ端微塵じゃねえか、ばかやろう!」
「あん? うっせーよ、カイル。だいたい何さお前、少し見ねえと思ったら、わざわざ船買ってまで密輸なんかやってんの?」
海面に浮かんできた男が、月を背景に夜空に浮かぶギギに向かって怒鳴った。怒鳴ったのは、密輸人のカイルであった。
粉砕された密輸潜水艇のワンマン船長であったカイルと、空に浮かぶギギは、どうやら顔見知りらしかった。
「テメエのおかげで積み荷がパァだぜ! 全部さっきの反動でどっかに飛んでっちまいやがった! 俺のマローナたんもまるで全く跡形もねえし、このままじゃ客に積み荷の賠償はせにゃならんし、おかげで俺は破産だぞ! でなきゃせっかく飛び出した海上都市に夜逃げで逆戻りだ!」
「はっはっは、何言ってんの。全部お前の運が悪いだけじゃんマヌケ。それに船荷保険にも入れねえような後ろ暗えことやってるから全部自力弁済になんじゃねえかよ、犯罪者が」
いかにも気軽にギギはカイルを挑発する。
カイルのこめかみから何かが切れる音がした。カイルは大きくエラの張ったあご骨を、怒りに震わせる。
「……ぶち殺す。犯罪者っつーんならテメエもそうだろ、ギギ! “コーストガードの宿敵”さんよぉ!」
「犯罪者と呼びたきゃ呼べよ。ま、オレは捕まるようなヘマなんかしねえしな、捕まりかけてたお前と違って。……で? 誰が誰をぶち殺すんだって、ええ? ――せいぜいやってみな!」
彼らは旧知だが、決して仲が良いわけではなかったようだ。
あっさりと場は決裂し、寒々しい殺気が満ちる。
その直後、海に浮かぶカイルの方に異変が起こる。
「――っぉぉおおおお! やってやろうじゃあねえかっ! 『海神よ! 我に加護を』ぉぉォォォオオオオオ!」
変身だ。
カイルの肌には鱗が浮き上がり、目はぎょろりと大きく見開かれ、首筋には鰓が裂けて現れる。
まるで怪物。
半魚人そのものの姿へと、カイルは変貌した。
変貌したカイルを見て、空中のギギは鼻を鳴らす。
「フン。ディープ・ワンの癖に潜水艇なんかに乗ってるから痛い目見るのさ。自分で泳いだ方が潜水艇なんかより早くたくさん運べるだろうによ」
「潜水艇なんか、だと? 俺のマローナたんの事悪く言ってんじゃねえぞ、クソガキが! つーか人の趣味に口出すな! おらっ、『水よ逆巻け』、そしてテメエは墜ちろ!」
カイルが右腕を大きく動かし、海水を掬い上げるようにする。
何気なく見えるその動作は、しかし超常の現象を引き起こした。
腕の振りにつられて轟々と海水が逆巻き、渦巻く水柱がものすごい勢いで立ち上がったのだ。
水柱は空へ伸び、空中のギギを絡めとらんとする。
カイルが作り出した海水の竜巻を、しかしギギは悠々と回避する。
「んな遅い攻撃が当たるわけないじゃん」
「このッ!」
カイルが追撃にと左腕でさらに水竜巻を放つ。
続けて海中を驚くべき速さで移動し、次々に腕を動かしては竜巻を放つ。放つ、放つ、放つ。
あっという間に海面に幾つもの水竜巻がそびえ立ち、獲物を求めて彷徨う。
しかしいずれもギギには当たらない。
時に弧を描き、時に鋭角に跳ねて。
無駄に複雑な軌道で天を駆け、ギギは全てを回避する。
不可思議なのは、そのように飛び回ってもギギの速度は少しも衰えたりしないことだった。
それどころかますます速くなる。
ジグザグに飛びつつも、まるで長い直線を行くかのように加速を続けているのだ。
あるいはそれこそが、ギギの持つ異能なのかもしれない。
カイルが魚人になって水を操るように、ギギにも異能の力が宿っているのだ。
それがいかなる異能かは分からないが、その力で空を飛び、加速し続けているのだろう。
業を煮やしてカイルが声を上げる。
「くっそ忌々しい! 当たれや!」
「はっ、お望みとあればそうしてやろーじゃん」
何を思ったのか、素早く飛び回っていたギギは動きを止めた。速度の優位を捨て去ったのだ。
しかし圧倒的な優位を捨ててもなお、その態度は余裕綽々。
さあ来い、と腕を広げて、優美に微笑んですら居る。
「ナメやがって」
このチャンスを逃すカイルではない。そしてここまで挑発されればただで済ますわけもない。ギギを撃墜したところでカイル自身の現況が好転するわけでもないが――そうでもしないと気がすまない。
「喰らえ! マローナたんの仇! 『海神の息吹』!」
カイルが溜めを作り、腕を捩り、異能の力で海水を巻き上げて放つ。
どうっ、と腹に響く低い衝撃音とともに、カイルが放った渾身の濁った青い水柱が伸びて、一瞬でギギを呑み込んだ。
いかに楽観的に考えてもただ一人の人間に受け止められる質量ではない。普通ならば人体という皮袋のその中身などグズグズのペーストになってしまうだろう。
手応えあり、とカイルは頬肉が失せてサメのように大きく裂けた半魚の口を歪め、ギザギザとした牙を見せて嗤う。
だがカイルのその表情は長く持たなかった。
「マジか」
「ハァッハッハッハァー! ホームフィールドの海の上だってのにこの程度かよ、魚野郎ッ?」
魔王じみた高慢な笑いとともに、水竜巻が内側から膨らむ。
まるで捻られた糸束を解くように、竜巻が中から切り裂かれた。その余波によって暴風が吹き荒れる。
竜巻があった場所から暴風とともに現れたのは、いまだ健在なギギの姿。ただ先ほどまでとは異なり、彼は鮮黄色のオーラらしきものを纏っている。
「んじゃあ、そろそろ時間だし、そろそろテメエにはお暇いただこうか、カイル! 俺と天使たちのデートの邪魔にならんようになっ!」
まるでコマ送りでもされたかのようにギギが急加速して、カイルの居る海面へと迫る。
長い金髪が尾を引いて、それはまるで何かの妖精が舞うように見えた。
何らかの力が解放されたのか、ギギの身体は鮮黄色の燐光をまとっているからなおさらだ。
散らされた水竜巻が飛沫となって、さらにはギギのオーラを反射してキラキラと光っている。
四半世紀ほど前から世界の法則が歪んで幻想が身近になったこの世界においてすら、それはなおも幻想的な光景だった。
「なんて綺麗な――。ハッ!?」
攻撃をしていたカイルも、しばしそれに見とれてしまっていた。
それほどまでにギギの姿は美しかった。
「俺に見惚れる気はわかるがよお――隙あり、だっ!」
「げっ」
しかしその隙をギギが見逃すはずもなく。
ギギは林立する海水の竜巻の合間を縫って海面のカイルに近づいた。
そして海面スレスレを飛びながら、すぐにカイルの頭を両手で掴んで反転上昇。
掴んでそのまま飛び続ける間も、一瞬たりとも加速が途切れない。
束の間カイルを引きずってできた航跡が海面に刻まれる。
「キャッチアンド――」
「ぐぅっ!?」
「――リリース!」
ギギは鱗まみれのカイルの頭を掴んだまま斜め45度で急速上昇。半魚のカイルを海から引っこ抜く。
そして十分な速度まで加速すると、そのまま途中で手を離した。
結果は当然――。
「あーばよー! カイルー!」
「くそ、覚えてろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……――」
「密輸なんてやめて真っ当に稼げよー」
ドップラー効果で叫びを残して遥か彼方へと飛ばされるカイル。
ギギは誰もが見惚れるような満面の笑みでそれを見送った。ひと仕事終えた顔だった。
あっという間にカイルの姿は小さくなり、嵐雲に紛れてギギの視界から消えた。
「さて……」
そしてギギは再び海面に目を向ける。
その視線の先には、海中から浮かび上がってくる幾つもの人影があった。
■『海上都市 ルリィエ/瑠璃家』
海上都市の名称は、公募と人気投票によって『ルリィエ』が一位になったことがきっかけで決まった。一度は縁起が悪いと却下されそうになったが、中東の砂漠を緑化して森にした大富豪が、何を思ったかそれを許さず、超高額で命名権を買い取って、海上都市運営部局に対して『ルリィエ/瑠璃家』の名を無理くり認めさせたという。
■「ああ、神様、ダゴン様、クトゥルー様、クティーラ様……」
カイルは熱心なラブクラフティアン。なお、この世界では架空の存在を現実世界に喚起することも不可能ではない模様。
■ディープ・ワンへの変身
カイルは単なるラブクラフティアンではない。
自らの信仰をその身に体現した、ハイレベルで実践派のラブクラフティアンなのだ。
こういったタイプの超越者に対する世間の評価は、概ね、好きなアニメキャラの入れ墨を彫る系ファンのハイエンド版、といったところ。もしくはコスプレ(ガチ変身)。