親父の顔
工業地帯
錆びた風と油の匂い
陰惨な土地で育った
あの男
柔らかな臭い
オデン屋の親父
そんな土地で育った
あの男
オトウサンに似てきたなぁ
母がそんな事を云うもんだからバックミラーに写る自分の目元をチラと見ると、そこには豪奢な着物を着た母が居て笑っている顔は俺だった。果たして俺の中に父は居るのだろうかと思う。
オトンは極道モンで良い男だった。ここで云う良いと云うのは鼻筋の通ったイケ好かない顔や古い男の気概、極道としてのあっけらかんとした考え方なんかを総合しての話だ。俺は大嫌いだった。
そのオトコマエは死してなおも俺の生活を潤している。地位、名誉、財産なんかで。しかし、そのオトンは俺にとって必ずしも良い父と云う訳ではなかった。
極道モンには成るなや、オトンは言い続けあえて俺を薄汚い世界から遠いところに置こうとしたが俺も頭が悪い方じゃなかったから極道の甘い蜜を理解するのも早かった、薄汚い金のカラクリを知る機会は幾らでもあったからだ。生まれた家がそんなだから怖いものなんかも無く背が伸びるにつれて必然的に悪の道は開けてきたが、オトンは良い顔をしなかった。
ある日、塗装屋からシンナ一斗缶をギって小分けにして商売していたのをオトンに見つかりブン殴られた。金稼いで何が悪いんじゃと言ったら鼻血が出るほど殴られた。
チンピラが小遣い稼いで息巻くな
そう言って俺と云う存在はオトンの中でチンピラになった。
俺はオトンが大嫌いだった。今でも好きになれるとは到底思えない。死ぬ前まで、古い古い組のシキタリだの何だのを振りかざす厳格なオトンの顔が俺にも有るのかと思う。
「オトンには、なれんよ」
ポツと呟いた言葉は、窓の外から吹き付ける風に掻き消され母の耳には届かなかったらしく家を出る時から厚く塗られたファンデを、また更に厚塗りしはじめた。
運転席の太郎が「長峰さん次の信号は右でエエんですか」と言った瞬間、ヘルメットを被った中学生が道に飛び出してきた、遠慮の無いクラクションが鳴り響く。中学生は黒塗りのベンツが視野に飛び込んできた事に驚いたか、ハンドルを訳の分からん方向に無理くり捻曲げて道を渡り切った所で横滑りに大転倒した。
太郎は車を路肩に停め、運転席から出ていき倒れている少年に「ワレ死にたいんか」などとヤカり散らかし挙げ句の果てに生徒手帳を出せと脅しているのを後ろ耳に聞いて、中学生相手にそれは無いだろうと笑いが込み上げてきたがあえて無表情に車を降りた。赤いニキビでブツブツな顔を涙と鼻水でグシャグシャにして「ごめんなさい」と何度も呟く少年の胸倉を掴んで「ごめんで済んだら警察いらんのじゃ」と沢山の吹き出物で装飾された額に青筋を浮かべ怒鳴る太郎のそばに寄ると少年が小便チビッたのか、焼けたアスファルトから立ち上るアンモニアの匂いが鼻を突いた。半袖から伸びた腕には擦り傷から流れた血が赤い筋を引いていた。
「太郎、そこ辺にしとけ。可哀相にチビッとるやん」
「こいつ、飛び出してきたんですよ」
「ぶっかってもないし、エエやないの」
太郎が手を引いて立ち上がった後で、腰を曲げて少年にハンカチを差し出すと顔色を伺うような上目で俺を見た。
「血ぃ出てんで」
ハンカチを受け取る切り口が不揃いで垢の詰まった爪を見て若干の嫌悪感を抱いた。「行くで」太郎に車に戻るよう促す。
あの男も、爪を噛む癖があった。
何かにつけて、俺の頭の中にまとわり付くあの男は何時だって極楽とんぼの風体で何も考えていないロクデモナイ奴だ。
あの男の顔に、親父が居る。
落ち窪んだ眼窩の深い影に潜むあざとさや、軽薄に見える歯を出し笑うその口元、なかんずく体に染み付く安酒の臭いが俺の嫌悪をそそり顔を見るたびに変に苛々してしまう。
親父は、俺に期待したか。
期待をしたのはあのロクデナシだ。
車に戻ると、母は未だにファンデをせっせと肌に塗り込めていた。
「花、買うん忘れとったわ。歩いて行くきん先に行っといてくれんか」
俺の顔、高慢な女の顔がゆっくりと俺に向き直り
「お寺さんの道分かるの?」
「分からなんだらタクシー拾うけんエエ」
「ほたら、先に拝んで来うわいね」
そう云う母を送り、親父の命日なんかに手向けを忘れる女の腹から生まれた俺を恥ずかしいと思うと共に親父は多分その程度だと嘲笑混じりに焼けたアスファルトに唾を吐き、未だ腰を抜かしている中学生に花屋は何処だと聞いたが、知らなかったので寺の前に花屋くらい有るだろうかとブラブラ歩く事を決めた。
墓の前に着くと、青々としたシキビが丁寧に生けられており、そうでは無いかもしれないが、あの男、板東が来たのかと俺はまた苛つき、先に生けられた分を地面に捨て買ってきた菊の花を生け、線香を立てた。立ち上る香は、何とも安っぽい匂いで俺は情けなくなった。