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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編大作選

家に帰るまでが決闘です

決闘は終わった。


私は刀を鞘にしまい、倒れている着物姿の相手に背を向けた。


そして砂が風に舞う中を平然と歩き、その場を立ち去った。


聞こえてくる大きな波の音が私の勝利を祝福する拍手のように思えた。


太陽の労働時間が終わる直前の綺麗な橙色は私の心を洗ってくれた。


馬に乗る人に追い越されながら私はゆっくりと道なき道を歩いた。


砂浜を踏みしめて出来た私や馬の足跡はすぐに風が消してゆく。


冷凍庫の中にいるような寒さのなか、私は体を丸めて歩みを進めた。


まずは雷鳴のような腹の音を何とかしなくてはいけない。


家までは歩きだと足が棒になるくらい歩かなくてはならず、長い旅になりそうなので何か胃の中に入れることにする。


道なき道から車が大勢行き交い、立派な建物が勢揃いした眩い街へ移動してきた。


そして煤けて店の名前が読めない古びた食堂が目の前に現れた。


食堂に入ろうとした時、どこからか発せられた野太い声が私の鼓膜を振動させた。


「まだ終わってないぞ。私は生きているぞ」


振り向くと血と砂で汚れたぼろぼろの着物の男性が全力で走ってくる姿が目に映り込んできた。


相手を殺めたのは間違いないはずなのに。


人が生き返るという非現実的な出来事を私の脳が認識出来ないでいた。


この決闘には幾つかの規則が設けられている。


その規則のひとつが、どちらかの息が絶えるまで場所と武器を限らず戦うということだ。


一度、息は絶えたが生き返ったのでまだ戦いは続く。


「今度こそ、貴様を永遠の眠りに就かせてやる」


刀を構えながら息を切らして走ってくる相手が着ている着物の袖や裾は小規模の揺れを起こしていた。


数人の通行人の鋭い視線が私と相手に絶え間なく降り注いでいる。


私のお腹の中は空っぽだが頭の中は食べ物でいっぱいだった。


腹は減ったが戦は出来る。


血なまぐささに包まれるなか、私は小刻みに震える手で鞘からゆっくりと刀を抜いて振りかざした。


振りかざした刀に食堂を照らしている光が微かに反射してきらきらしていた。


私は全身の力を腕に集中させて走ってきた相手に向かって思い切り刀を振り下ろした。


「強いな……」


血は湧き水のように溢れたが私の灰色の上着には返り血の欠片もない。


相手は道路に俯せで倒れ、風で動く着物以外びくともせず無機物と化した。


私が強いのではなくて相手の弱さによって作り出された偽の強さだ。


殺められた仲間の敵討ちと言っていたが生き返ったところだけしか尊敬しない。


ただ弱さと恥を晒しただけの馬鹿者ということだ。


刀は錆びていて所々が欠けているので使い物にならない。


なので道路の片隅に投げ捨てて、私は食堂へと入った。


たった一歩、食堂へ足を踏み入れただけで一気に北国気分から南国気分に変化した。


私は案内された一人用の席で膝が隠れるくらい長い防寒用の上着を脱ぎ、そのまま足元へ優しく落下させた。


そして上着の下の生まれたての赤ん坊ほどの重さの防弾の胴着も脱いだ。


脱いだことで風船のように飛んでいってしまうのではないかと思うくらい体が軽くなった。


そして私は高いところにある椅子の座面へ登頂して金属に身を任せた。


私の足が接していない床には凛とした防弾の胴着とぐったりしている上着が接している。


お品書きを広げて即店員を呼び、注文をした。


「かけ蕎麦ですね。分かりました」


蹴球の試合が出来るくらい広い「食堂」という世界には私と地味な制服を着た若い女の店員さんしか存在しない。


店の雰囲気にそぐわない速い曲しか耳に入って来なかったので私は落ち着くことが出来なかった。


相手はなぜ弱いのに立ち向かう勇気を持つことが出来たのだろうか。


どうすれば一度無くした命を再び手に入れることが出来るのだろうか。


そういう決闘に関する疑問が私の頭の中でたくさん産声をあげていた。


頼んだ蕎麦はまだ来ない。


寒さの仕業によって赤く染まっていた私の頬は暖房のお陰で暖かい版の赤い頬に変化していった。


とても優秀なので暖房力を褒めてあげたいと思う。


「お待たせいたしました」


あまり待たずに蕎麦は来たが、とても遅く感じて私の脳は欠伸をしていた。


私は浸かっている温かいつゆの滴が辺りに飛び散るほどに蕎麦を啜った。


待っている時間の半分もかからずに器は空になった。


食事を待つ時間は長く感じるのに食べている時の幸福感はなぜこんなにも儚いのだろうか。


食べ終わって器の上に箸の橋を架けた瞬間に聞き覚えのある声が大音量で聞こえてきた。


「もう生き返らないとでも思ったか」


入り口の方を見ると足から根が生えたかのようにその場から動けなくなった店員と血を身に纏った相手が立っていた。


一度あることは二度ある。


血を身に纏った赤い生物は客だと感知されて開き続ける自動扉の前で拳銃らしきものを私に向けていた。


「死んでくれ」


耳がぶっ飛んでしまうくらいの音と共に窓には二つの穴と無数のひび割れが誕生していた。


銃声の煩さと相手の銃を撃つ能力の無さと私の全身の震えは留まるところを知らない。


油断をして脱いで置き去りにしてしまった防弾の胴着の名誉のためにも勝たなくてはならない。


私は移動して厨房に盾になってもらいながら腰に手をやった。


腹がいっぱいでも戦は出来る。


でも眠たい。


指先に全身の有りとあらゆる力を集中させて私は拳銃の引き金を引いた。


弾丸は相手の左胸に吸い込まれるように飛んでいき、赤い液体がほとばしった。


「また負けか……」


相手は床に倒れ込んだが今日だけで同じ倒れ姿を最低でも三回は見た気がする。


やられる時の相手の顔が私の脳の奥まで染み込んでいった。


食堂とのさよならの前に財布を席に取りに行くと防弾の胴着は席の片隅に寂しそうに佇んでいた。


ごちそうさまと唱えて上着を拾い、重すぎる防弾の胴着を残して、私は冷凍庫のような街へ戻っていった。


私は上着に忙しなく袖を通しながら道を歩いた。


すると暗黒の空の下にある街灯やお店の明かりで照らされた舗装道が点模様に変わっていった。


そして点模様は一瞬にして無くなり自動車の走行音を掻き消すくらいの大きな『ざあざあ』という音がしてきた。


激しく降ってきた空の涙が私の頭や肩を程よく刺激して全身を湿らせた。


雨に濡れては歩いてられぬ。


私は両手で頭の上に傘を作りながら足の裏で地面を思い切り蹴って小型小売店に向かった。


「いらっしゃいませ」


自動扉を通過した直後、会計所の横にある四角い容器で入浴をするおでん達の香りが私の鼻に冒険してきた。


何でも販売していて、人を寒さと雨から護衛してくれるこの小型小売店はまさに天国である。


本物の天国に私が行くのは相手が強い人に生まれ変わらない限りまだ先の話だろう。


私より背の高い棚の間を迷路に迷ったかのように何往復もした。


棚には沢山の美味しそうな食べ物が整列していて楽しくなった。


楽しくなりすぎたので時間を忘れて傘と決闘が脳の中で自然消滅していた。


また生き返るかもしれないのに拳銃は壊れて武器は何もないので急がないと命が危ない。


のんびりが相手の敵討ち成功の可能性を高めると分かっていたがゆったりとした音楽にしてやられた。


十回以上同じ場所を行ったり来たりするのを防止する美術館みたいな順路があったら、こうはならなかったはずだ。


透明な傘を手に取って早送りのような動きで会計所へ向かったが先客男性四人という障害が立ちはだかった。


後ろに並んだが列は鈍行でなかなか目的地にたどり着けなかった。


列を横から見ると人類の進化図のかっこよさ版みたいに見えるだろう。


研修中のお姉さん店員の符号読み取り装置捌きはたどたどしすぎて心配になった。


不安と焦りで発生した液体と空が降らした液体が混ざったものが私の肌を滑り降りていった。


「お待ちのお客様どうぞ」


熟達感が溢れているおばさん店員という救世主が私のために駆けつけてくれた。


夢にまで見た二人体制が私とお姉さん店員の口角を少しだけ上げた。


左の会計所に二番手の客と四番手の私が移動して私と店員の距離が一気に近づいた。


前にいた客は扉の向こうの別世界に消えていき、おばさん店員と一対一になった。


傘を会計所の台に置いたが私の目はずっと前から会計所の横にある透明な箱が映っていた。


「肉まん一つですね。少々お待ちください」


小腹は減っても行動出来る。


でも食べたい。


純白の肉まん専用紙袋と光沢のある鈍色の挟む道具を持った店員が体型の割に素早く動き扉を引いた。


開けた箱から元気に登場した湯気は天井の彼方へと一瞬で消えていった。


店員が肉まんを挟む道具で掴んでお似合いの白い紙の服を着させた時、私の口内全域に洪水注意報が発令された。


白い紙の服のまま渡された肉まんの熱が手のひらから伝導していく。


左手に肉まんを持ち、右腕に防水だけが取り柄の傘をひっかけて、生き返りだけが取り柄の相手がいないことを祈りながら店の外に出た。


空は薄情で傘を買った途端に一滴も雫を落としてくれなくなった。


出番のない無駄傘の為にも空を洗脳して雨を降らしたかったが私には洗脳する程の力量はない。


そんなことより一刻も早く武器を手に入れなくてはならない。


冬空の下の肉まんと私からは白い息がひっきりなしに出続けていた。


走るための体力補助として肉まんを一口かじった。


肉まんを口に含むと肉汁と優しさがたんまりと溢れ出た。


今の私には肉汁を上回る程たんまりな不安と後悔が憑依していた。


幾ら足を早く動かしても進む距離は限られる。


やはり遅かった。


前には野球で使う金属の棒を引きずって遠くから堂々と歩いてくる相手の姿があった。


私は戦いの為に手を束縛していた肉まんを口の中に無理矢理、放り込んだ。


そして肉まんに咀嚼の刑を執行した。


だが私の方が肉まん頬張りの刑を受けているかのように苦しくなり、息が上手く出来なくなった。


「今度こそ私が勝つ」


相手の大声が道を走り抜けたと同時に相手は鬼の形相で走り始めた。


辺りには道路と金属の棒が擦れる音が響いていた。


両手は使えるようになったが相手を殺める道具を所持していなければどうすることも出来ない。


先程までいた店は武器が売っていなかったが武器も売っていないくせに便利な店と名乗るのはどうかと思う。


工作用刃物は売っていたので買っておけば良かったと少し後悔した。


武器が無くても戦は出来る。


でも、たぶん負ける。


傘を買おうという失敗の決断を私がした瞬間に死が迎えの準備を開始したことだろう。


ふと傘の方を見ると傘が私の腕に必死にしがみつきながら見捨てないでくれと言っているように思えてきた。


私は傘を両手で握って刀の時のように構えた。


相手は野球の球を打つ構えで私に近づく。


野球の球を打つ以外に殴ることにも特化した棒に雨を防ぐ為だけに作られた棒が勝つなんて不可能だ。


死という泉に足を浸している状態なので最後の晩餐が肉まんになる確率は高い。


生き返るという切り札は私には無いがあったとしても嬉しくない。


膨らんでいる頬とは裏腹に私の未来は萎んでいる。


接近してきた相手は金属の棒を私の頭めがけて思い切り振り抜いた。


私はしゃがんで避け、金属の棒は空を切った。


透かさず私は傘で相手の手元を力一杯殴ってやった。


『からんころん』


金属の棒が道路に転がる音がこんなに嬉しかったことはない。


無駄傘は有益傘へと進化を遂げた。


転がってきた金属の棒は私の足に道を塞がれて止まる。


透明な傘を地面に置き、拾った金属の棒に持ち替え、私は力を込めて相手の頭へ棒を降り下ろした。


「うっ……」


棒は見事に脳天にめり込んで鈍い音がして相手は前に倒れ込んだ。


頭からは血が流れる。


私は平気だが死に際を何度も捉えてきたこの瞳は相当応えていることだろう。


勝つという言葉はずっと脳の隙間でかくれんぼしていたが今、見つけることに成功した。


私が倒れ姿の再放送をもう一度見るなんて活躍した傘でさえ思っていなかったに違いない。


恩のある傘とへこんだ金属の棒は仲間として、これからも行動を共にすることにする。


息をせず道路の一部になった相手を取り残して、とりあえず家を目指した。


でも足は故障寸前で瞳は閉店間際。


お金はないが仕方なく歩道から交通量の多い車道に向かって手を挙げた。


足が痛くては歩いてられぬ。


頭で情報処理した結果、奮発して足を温存する選択肢を選ぶことに決めたのだ。


漆黒の体に黄色い王冠を乗せた一般乗用旅客自動車が目の前に止まった。


私は車が自ら開いた左後ろの扉から乗り込んで左側に座り、傘と金属の棒を足元に寝そべらせた。


暖かな空気が先客として乗っていたので相乗りになる。


「この道を真っ直ぐですね。分かりました」


運転手の横顔は白い髭と怖さで構成されていて私は身がすくんだ。


横顔から窓の外へと私は視線を移す。


目に映る建物、人、木々などは途轍もない速さで滑るように流れていく。


車の中にいる間は限りなく無敵に近い状態だが相手は何度も生き返る人間。


車の中でも油断は禁物。


眠いが眠らずに常に警戒を心に住まわせておく必要があるだろう。


なかなか慣れることが出来ない黴臭い温風が私の思考回路を何度も途切れさせる。


渋滞に捕まり、亀も驚く遅さで進む車はこのままだと家までまだ三十分以上かかりそうだ。


走り出した直後から耳は少し大きめの音声放送の音に支配されている。


私には疑問がひとつ。


なぜ相手はこの広い地球で私という小さな生命体を発見することが出来たのかということ。


生き返る能力の他に人の居場所が分かる能力もあるということなのか。


もしも相手にそんな能力があるとしたら二つ目の尊敬箇所になるだろう。


気付くと窓から見える美しく輝く景色は水の粒という幕に遮断されていた。


現在地が知りたくて透明を探したが透明は前だけ。


前には助手席の背もたれの後ろ姿と運転手の横顔の間の黒い自動車の後頭部と幾つもの住宅が見えている。


前方の自動車の制動灯の赤い光に休憩時間など与えられない。


私は今日、慣れというものはかなり恐ろしいと感じた。


この世で一番恐ろしいものといっても過言ではないだろう。


生き返ることや簡単に死ぬことさえ常套的だと思わせてしまうのだから。


私は指五本で窓を拭った。


拭った指にまとわりつく水滴や冷たさと引き換えに幻想的な川の風景が私の瞳にまとわりついた。


窓の外や脳内が取っ替え引っ替えしながら私が乗っている車は走りすさむ。


車の中で私の脳がもう勝ちでいいのではないかと嘆いていた。


命を懸けて戦うのが決闘。


だが相手はそれをしていない。


生き返れるとしても、その能力を捨ててそのまま死んでいくのが礼儀であり暗黙の掟ではないだろうか。


相手はまさに恥そのものである。


「ここでいいんですね?分かりました」


自分の家の前に着き、路傍に小休止した車は『かちっかちっ』という音と点滅する光を同時に放つ。


狭くて人通りが少ないこの道に街灯はなく、光は微かな月明かりと車の電灯の明かりだけだ。


料金の支払いに、てこずっていると私が乗っている車の後ろに一台の車が止まった。


たぶん奴に間違いないだろう。


私は車の床に密着していた足の裏を移動させて今度は舗装された道路に密着させた。


ご無沙汰していた外の冷たい空気に触れて死の恐怖とは別の震えが襲ってきた。


私が先程まで乗っていた車は白い排気ガスという置き土産を残して次第に小さくなっていった。


後ろを振り返ると、ちょうど相手が一般乗用旅客自動車から降りてきたところだった。


「次は負けてもらうよ」


見た感じだと相手の腰や手に武器らしきものは何もなく武器を持っている私の勝利は確実だ。


しかし、その考えは短命だった。


私の武器である金属の棒は車に置き忘れて今は遥か彼方にいる。


大切なものほど肝心な時にいなくなる。


傘と金属の棒との突然の別れを私は全然受け入れることが出来ないでいた。


失態に気付いた瞬間に寒さとは別の震えが私を襲ってきた。


金属の棒を忘れたのは動揺の仕業なのだろうか。


相手が乗っていた車も去り、団団たる月と那由多の星だけが私達を見守っている。


一歩ずつ時間をかけて近づいてくる相手は不敵な笑みを浮かべていた。


何度も生き返れるといっても回数には絶対に限りがあるはず。


簡単ではないが相手が本当に死ぬその時まで勝ち続ければいいのだ。


でも、このまま戦いを続けると肉体に傷ひとつ負わず死ぬことになる。


寝ないことには体力持たぬ。


夜も遅いので今からやる戦いに私が勝った場合は後日改めて決闘をするという案を相手に提示してみた。


すると相手の顔から急に暗さが溢れ出してきた。


「もう生き返れないんだ」


少し前までの不敵な笑みは落ち込みの裏返しだったのだろう。


四度あることは五度はない。


これで決闘に終止符が打たれる。


私の中に住む嬉しさが私の体を操ろうとしているが必死に抵抗した。


勝てるかは分からないが勝つしかない。


四度目の生き返りまでに蓄積された血の臭いを感じる距離まで相手はゆっくりと近づいてきた。


素手だとしても戦は出来る。


私は手に汗以外何も握っていないが意を決して壁のような相手に体当りしにいった。


だが私はすぐ相手に跳ね返されて地面にお尻を打ち付けた。


武器なしで大男に小人の私が勝つことは相撲でいうと座布団が舞うほどのことだ。


もう生き返れないという告白以降、相手の喉は稼働していなかった。


無口は饒舌より危なり。


相手は何も喋らず今までとは別人で変な怖さがある。


勝っても負けても戦いは終わる。


ならば悔いのない終わらせ方を。


私は立ち上がって今度は相手の首を標的にして向かっていった。


握力と運動能力は欠如しているが知識という助監督がいるので補える。


頸動脈を圧迫すれば数秒で人形なり。


私は両手で相手の首をむち打ち保護用の装具のように包み込み、硬い道路に押し倒した。


そして私の手首を握り抵抗する相手の上に乗り、全身全霊で首を絞めた。


この路上で音に分類されるものは私の息遣いと相手のうめき声だけ。


相手の目は線になり、口はへの字に歪み、眉間にしわが出現した。


私の体は電流に侵されたように小刻みに揺れている。


逃げられないように私は指先の力をより強めた。


相手は全身の力が抜けて全く動かなくなった。


すぐに私の力も抜けて背中は道路を目は星空を感じていた。


これで終わり。


生き返っては死に、また生き返っては死ぬ相手。


そんな相手を殺め続けた私。


つまらない映画以上に長いと感じたがとても貴重な体験だった。


相手の弱さという助っ人がいたおかげで私は今、生きていられる。


両手で冷たい道路を押して体を起こし、靴の裏を道路にくっ付けて腰を上げた。


足だけではなく全身が棒。


疲れの集団が押し寄せてきたせいで立ち上がるのも至難の技だった。


確実に相手が地獄に旅立ったことを確認して自分の家へと前進した。


老朽化の進んだ木造の集合住宅の一階の自分の部屋に着いて扉に寄り掛かった。


二階に行く為には階段を上らなくてはならないが一階なら膝の曲げ伸ばしは不必要。


体力消費も最小限で済むので一階住人冥利に尽きる。


私は上着の右腰の物入れから出した鍵を差し込み左に回した。


「がちゃ」と音をたてて解錠された扉を「ぎぃぎぃ」言わせながら徐に引く。


落ち着く鼻馴染みの自分の部屋の匂いが私を訪ねてきた。


部屋に入って私は壁の突起を押して電気をつけた。


そして扉を閉めて鍵をかけて運動靴を手を使わずに無造作に脱ぎ捨てた。


頭から決闘相手を全て排除して今から睡眠態勢に入る。


寝台に向かって直進あるのみ。


縦長の白い壁に包まれた空間を言うことを聞かない足で進んで行く。


途中で上着の鍵が入っていたのとは反対側の物入れに私は手を潜入させた。


物入れという住宅で待機していた携帯電話に全然構ってあげられなかったのでこれから少し触れ合おうと思う。


探っていたら別の固形物が私の指先に触れた。


ふわふわの白い絨毯を踏みしめて進みながら掴んで出してみると、それは位置情報が分かる装置だった。


相手に私の居場所が分かる能力など皆無で機械に丸投げしていたことになる。


機械力とこっそり能力は尊敬に値する。


私は部屋の左奥にある寝台の海に飛び込んで持っていた装置を床に投げつけた。


気付けなかった悔しさから私は装置に八つ当たりしてしまった。


絨毯が衝撃吸収材の役割を果たして装置は音も傷もなく着地して無事生還した。


装置を入れられたことに全く気が付かなかったのは私が鈍感だからではなく相手が上手すぎたからだ。


勝算もなく敗れていった相手だったが装置を気付かれずに入れる能力は称賛したい。


必要最低限の白い家具と家電しかない部屋で私は頭から排除出来ず相手のことばかり考えている。


攻撃技術よりも装置をばれずに仕掛ける能力に長けている相手を少しだけ憐れに思った。


相手は死亡したがここで二つ目の尊敬箇所が誕生した。


生き返ることと知られずに装置を仕掛けることの二つが揃いながら勝てなかったのは真の弱さが相手にあったからだ。


天井にある丸い模様を数えているとすぐに眠気が私の瞼を降ろした。




『ぴんぽんぴんぽん』


呼び鈴が鳴り、深い眠りから覚めた。


私の目と耳は呼び鈴に無理矢理こじ開けられてしまった。


起き上がって瞼の可動域を制限された目で正面の壁掛け時計を見た。


今は二つの針がてっぺんで抱き合う約二分前みたいだ。


「お届け物です」


深夜の宅配便はほぼ前代未聞なり。


決闘相手が泣きの一回を使って生き返り、宅配員を装って訪ねてきたことも考えられる。


私の目の上を右往左往した手が眠気を僅かに吸い上げる。


手で目を擦りながら玄関の扉に近づいていき、密室を開放した。


扉の向こうには一目で宅配員と分かる王道の格好の男性が存在していた。


「判子お願いします」


違和感は零なので間違いなく彼は本当の宅配員。


また生き返ったのではという不安感から安心感へと移り変わる。


短時間の睡眠と疲労感による戦いは疲労感が勝利した。


脳は更なる眠りを求めているので宅配員が帰ったら再睡眠を要求する。


私は玄関の靴箱の上に招き猫と一緒に置いてある判子を手に取り、紙に押し付けた。


そして、ちり紙の箱くらいの大きさの狐色の箱を受け取った。


箱は見かけによらぬ。


箱入りのちり紙以下の軽さで私の手は目玉が飛び出るほど驚いていた。


「はい。ありがとうございました」


深々と帽子を被った宅配員はそう言い残して玄関から消えていった。


私は操られて口が大きく開き、目に水分が溢れた。


だが眠りより宅配物を優先する。


早速、差出人不明の箱を開く作業に取り掛かる。


決闘相手より手強い箱と素手で数分格闘して、ようやく障害を取り除いた。


机に置き、じんじんする手で、ずたぼろな箱のふたを恐る恐る開けてみる。


箱には底が見えないほど白詰草が敷き詰められていて、その上に紙切れが一枚。


名刺大の白い紙切れには細くて角張った乱暴な黒い文字が書かれていた。


『明日同じ時刻に同じ砂浜で』


文章を脳で認識してからも心臓はいつも通りの速さで脈を打つ。


怖いという感情は常に持ち歩いている。


だが私の細胞は唯一、逃げるという言葉だけを知らない。


これが最後の生き返りだと信じて全ての力を決闘に捧ぐ。


眠らなくては戦は出来ぬ。


肉体を睡眠や時間経過という道具で修復して万全な準備を整えないことには勝てるものも勝てない。


寝台に行く前に右手に持っていた紙切れを何気なく裏返す。


裏返した紙切れに並べられていた言葉の威力は凄まじいものだった。


『あなたが死ぬまでが決闘です』


あれだけ手強かった眠気は、この一文によって、すぐに抹殺された。

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